うさちゃん
「あけましておめでとうございます! 今年も色々とお願いしますね」
正月明け、会社に着くと、真っ先に
「こちらこそ、色々と宜しくな」
俺が返すと、滝は俺の腕の中にも話しかけた。
「うさちゃんもあけましておめでとう! 年賀状の写真の着物かわいかったね~。いつもああいうの着せてもらっていいなあ、こっちなんて袖が8メートルある服なんてないから大変なんだよ~」
冗談めかして、俺の抱いているウサギのうさちゃんの頭を撫でる。
撫でられたうさちゃんは、鼻をひくひくさせながら俺を見上げた。これは、笑ってる時の表情だ。
うさちゃんは、俺がこの会社に勤め始めてからかれこれ約10年、いつも自宅から連れてきている大切な家族だ。
こうして仕事をしている時も、もちろん家にいる時も、出かける時も、いつも一緒。だいぶ年を取ってはきたけど、そんなことも感じさせないくらいまだまだ元気。
去年の今頃あたりに、いきなり脱走して1ヶ月くらい行方不明になっていたことがあって、その期間はもう生きた心地がしなかった。
たまたま行ったデパートで再会した時は、まさに地獄から生き返ったかのような気分だった。
結局、あの1ヶ月間この子がどこで何をしていたのか、何故デパートのあの売り場をうろついていたのかは未だに不明だ。だけど、もういい。
だってうさちゃんは、こうしてまた、ずっと一緒にいてくれているのだから。
その日も無事に仕事を終え、いつものようにうさちゃんにリードを付けて散歩をしながら家に向かっていた。
ぴょんぴょんと飛び跳ねる姿が、また可愛くてたまらない。
途中、
「最近、うさちゃんさんの調子はいかがですか?」
「見ての通り、いつものごとく元気過ぎなくらいですよ! ねえ?」
うさちゃんを目井さんに見せようとそっと抱き上げた。高めの体温が手に伝わってくる。
「そうみたいですね。本当に大切に思ってもらえて、うさちゃんさんはきっと幸せですね」
かがんでうさちゃんの顔を覗き込んだ目井さんはにっこり微笑んだ。
「そう思ってくれてればいいんですがね。
あ、もうこんな時間だ、そろそろ失礼して…」
「そうですか。またもし何かあったら、すぐに病院にいらっしゃってくださいね?」
「ええ。じゃ帰ろっか、うさちゃん」
うさちゃんと歩きながら、ふと俺は首を傾げた。
(目井さん、『またもし何かあったら』って言ってたけど、この子病院には健康診断にしか行ったことないし、今まで病気や怪我もしたことないのになあ…?)
(うさちゃんさんには、本当に申し訳ないことをしてしまいました)
目井さんは飼い主の背中を見送りながら思った。
(去年のちょうど今くらいの時期に、飼い主さんがうちに駆け込んで来られたんですよね。『うさちゃんの様子がおかしい』と。
手は尽くさせていただきました。ですが、あのウサギさんはもう結構なご高齢で…
結局、私はうさちゃんさんを救えませんでした。
飼い主さんの憔悴ぶりときたら… あまりに痛々しくて今でも思い出したくないほどです…
けれど、それから1ヶ月間ほど経った時のことでした。
町中で、飼い主さんがやたら嬉しそうに『あれ』を抱えて歩いていたので、声をかけたんです。
飼い主さん、仰ってましたね。
『うさちゃん、見つかったんですよ。デパートのおもちゃ売り場にいたんです。もう、本当に心配かけやがって…』
完全に、『あれ』をうさちゃんさんと認識してらっしゃいました。
詳しくお話を聞いてみたら、『うさちゃんは亡くなってなんかいなくて、行方が分からなくなっていただけで、やっと見つかったからもう大丈夫』と本気で思ってらっしゃるようでした。
あまりの辛さに、ご自身でご自身の記憶を改変してしまっていたようです。
最初は、治療して差し上げようと思いました。
けれど、しばらく飼い主さんのご様子を見ていて気が付いたんです。
もう全く悲しそうじゃないなって。
うさちゃんさんがご健在だった時と同じ、生き生きとした幸せそうな表情をしてらっしゃるなって。
だから、何もしないことにしました。
飼い主さんに合わせて、『あれ』にうさちゃんさんとして接することにしました。
会社の方々も、そうしてらっしゃるようですね。
飼い主さんはすっかり元気を取り戻されて、今でもああして『あれ』をうさちゃんさんと思い込んで可愛がりながら、うさちゃんさんを亡くされる前と同じように生活していらっしゃいます。
…ねえ、天国のうさちゃんさん。
これでいいんですよね?
これであなたも飼い主さんも幸せになれてますよね?
現実を知って苦しみながら生きるよりも、嘘を信じて楽しく生きられるなら、きっとその方がいいんですよね?
…それにしても、確かにうさちゃんさんにそっくりですよね『あれ』)
リードを付けられたぬいぐるみがずりずりと地面を引きずられて遠ざかっていくのを、目井さんは黙って見つめていた。
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