ストーカリバー

森野

聖剣とは



 ホームルームが終わってカバンを肩にかけて速攻で教室を出るのは昼休みぐらいから塾のテキストを家に忘れたことに気づいて取りに帰るのめんどくさーってずっと思ってたからだぜ! 


 ささっと昇降口から正門を出て右へ、ガッ!

「ぐっ!」

 スネ強打が超痛くてしゃがんでスネをおさえてたら自然に、地面に刺さってる棒が目に入る。単一乾電池くらいの太さで三十センチくらいの長さの鉄筋みたいな、で超茶色で超サビてるみたいな。ズボンの裾をめくると俺のスネが鉄筋の端にえぐられて血がにじんでて超痛かったしこうなってるよねーって謎の納得。こんなのあったか? 朝。


「だいじょうぶ?」


 振り返るとそこにはスカート、視線を上げると前かがみで俺と向かい合う女子と目が合った。俺の顔面と彼女の顔面の直線距離は30センチを切ってて非常にプライベートな空間で心拍数が倍増。

「いやべべべつに」

「あ、ぶつけたの?」

 彼女は地面から生えているものを指先でつんつん。俺もつんつんされたい。

「ま、まあ」

「だいじょうぶ?」

「余裕」

「ほんとにー?」

 彼女にっこり。


「カズミー!」

 昇降口から大きな声の女子が走ってやってきてノンストップで彼女の制服の襟をつかんだ。

「ぐわ」

 彼女の首が絞まる。

「塾あるから急ぐって言ってたのあんたでしょ。ほら行くよ」

 そう言われて彼女は首が絞まりかけたまま引っ張られていった。


 見えなくなった。


 えーと?

 ちょっといろいろ起こりすぎて覚えてないんだけど、なんだかんだで知らない女子と初対面で近距離で会話をした気がするけどたぶん夢なのでとっとと帰ろう。


 ガッ!

「ぐっ!」


 俺はしゃがんで、あらためて地面に刺さっているものを見た。

 これはなんなのか。

 つかんでみると一瞬、弱い静電気のような刺激があったが感触はひんやり、見た目通りサビた金属の棒的な手ざわりだ。

 そのまま引いてみると意外にもほとんど抵抗なくスルーっと地中から抜け出てきて、しかもすっごい軽くてプラスチックみたいだった。


 地面から出てきた部分もサビてたけど基本は銀色で平べったくて細長くて刃物っぽい。

 っていうか刃物。

 埋まっていた部分は予想外に長くて鉄骨部分も合わせると俺の身長ほどもある。

 ていうか剣、めっちゃ剣。

 鉄骨部分が持つところで刃物が剣。

 つばのない剣。


 いったん、地中にもどした。

 深呼吸を一回。


 もう一回抜いてみる。剣だ。

 なんだこれ。コンクリ掘って刺したの? 剣にぴったりサイズで? なにそれ? 誰? 誰やったの? 意味わかんないよ? スネ痛いよ?

 ……ん?


 俺は気づいて、急いで剣をもどした。

 こんなところでこんなもの持ってるのを誰かに見られたら俺が剣を仕込んだみたいなことになってしまう疑惑! やめてくださいよちがいますちがいます全然ちがいますから!

 ここでこうしてる間は誰も正門から出てきたなかったはず。

 彼女たちも俺が抜いてるところは見なかったはず。


 帰宅します!

 ゴーマイホーム!



 団地の403号室まで階段を駆け上がる俺、エレベータはない、それが団地というものだ!

 鍵を開けてドアノブをまわした。

「ただいま」

 ひとりごとのつもりで言う。

「おかえり」

 が、台所の方から母の返事。

「パートは?」

 すこし大きめの声で呼びかける。

「今日は遅番。タカヒロは塾じゃないの?」

「テキストだけ取りにきた」

「そう」

 顔を出した母が、そのまま廊下を歩いてくる。


「お母さんはそろそろ行くから、夕飯は悪いけど自分でよろしくね」

 やってきた母は自分の部屋に入っていった。


 それを目で追っていたら玄関ドアの正面にある鏡に目が止まる。


「ひっ」

 俺ってガチガチのガチで驚くと声が出るっていうより息吸うタイプなんだな、と変に冷静に思った。


 俺の背後にはものが浮かんでいた。

 さっきの剣だ。

 ふわふわと、その、ふわふわと浮いているのだ。

 ふわふわと。

 剣が。

「塾はすぐなの?」

 部屋から母の声がした。

「うん」

「わかってるだろうけど」

「うん」

 なにもわからない。


 俺は、目の前でふわふわと浮かんでいる剣を視界から外さないようにしながら自分の部屋から塾のテキストが入ったカバンを取り出し学校に持ってくやつに突っ込みそのままドアを開けた。

 ドアノブを持ったまま外に出ると剣もついてきた。

 ふわーふわー。


「行ってきます!」

 母の返事を待たずにドアを閉め階段を一気にダッシュ、一階まで止まらないだけじゃなくてそのまま歩道を走り信号がちょうど青だった交差点をかけぬけ走る走る走る。

 ちらりと見ると剣は平気でふわふわーっとついてきててうーわマジかよ感が爆発、ダッシュダッシュ、ダッシュダッシュダーッシュ!



 走る。

 ふわふわー。

 走る。

 ふわふわー。

 走る……。

 ふわふわー。

 走る…………。

 ふわふわー。

 歩く……。

 ふわふわ。

 運動は苦手です……。


 どこまでも……、ついてくるのか……、この剣は……。

 一句できました……。


 また学校の正門が見えてきた。家、学校、塾、という配置だからである。

「はっ!」

 俺はふわふわ浮かぶ剣を持ち、正門へと走っていて穴に突き立てた。

 そのままガッチリ固定。


 もういい?

 そうっ……、と手を離してみる。

 剣は……。


 浮いてこない!

 三十秒数えてもそのままだった。

 なるほど。

 こうしてちゃんと押し込みさえすればよかったんだ。


 と、ほっとして歩きだしてちらっと振り返るともうふわふわソード背後。

「うわー!」

 俺は剣をつかんで穴に刺し柄の上からガシガシふむ。そうガシガシと! クソッタレが! 一生刺さってろや!


 いや、どうすんだこれ。

 このまま塾に行ったらふざけていると思われて入れてくれないだろうし、家に帰って母に説明してどんなふうに伝わるかわかったもんじゃない。だってさ、たとえば母が肩にクマのぬいぐるみを乗せて帰宅してきて、俺に、このクマちゃんが帰り道に私の肩に乗ってきて降りてくれないの、なんて言ってきたらうわやっべー! 母やっべー! ってなるでしょ!


 いや、仮にだ。

 仮に母も学校の先生も塾の先生もクラスメイトさえもこの状況を受け入れてくれたとしてもその先、大学受験とか就職説明会とか入社試験とかで全部背後に剣が浮いてるやつ、どうなると思う? よほど剣と魔法の世界に理解のある企業じゃないと即バイバイかテレフォンホスピタルだろう。女の子をデートに誘っても両親へのあいさつまでいけても奇跡的に結婚式にこぎつけても俺の背後に剣が浮いている。人生の難易度調整どうなってんだよ!


 背後に剣が浮いている。

 こんなにパワーのある非常識があるだろうか。


 終わった……。

 人生終わった……。


「う、うう……」

「どうかした?」

 はっと顔をあげると制服警官が立っていた。


「? 顔色が悪いよ」

 近づいてくる。

「はあ……」

 そりゃ顔色も悪くなるだろう。

 なぜなら俺は今後、背後に剣が浮いている人生になるのだから!


 ……ん?

 制服警官。

 つまり。

 国民の安全を守ってくれる存在だ!

「あ、あの」

「ん?」

「さっき、これに足をぶつけたんですけど、昨日まではこんなのなかったんです」

 俺は剣の柄を指し示す。

「ふうん?」

「その、撤去してくれたりとか、しますか? またぶつけそうで……」

「んー」

 警官は進み出て、剣の柄に手をかけた。


「鉄骨、じゃあないか。なんだろうねえ」

 警官は柄を持ち、引っぱる。

 首をかしげた。

「かんたんに抜けるようなものじゃなさそうだなあ……、最近、学校で工事でもした?」

 俺は首を振った。


「そう」

 警官は首をかしげる。


 抜けるようなものじゃない?

 なにを言ってるんだ?

「その、ケガをする人も出ると思うんです」

 俺はズボンの裾をめくって見せた。

 スネにはっきりと、紺色のアザができていた。

「あー。痛そうだね」

 警官は顔をしかめる。


「ちょっと、そうだね。いろいろこっちで相談してみるよ」

「お願いします! あ、これから塾があるんで、その、これ、よろしくお願いします、それじゃ!」

 俺は歩きだす。


 一度振り返った。

 剣は、警官の足元にあった。

 国家権力バンザイ!



 俺の通っている学習塾は、学校から駅の方へ五分くらい歩いてから国道の方へ曲がり、二、三分くらい行ったところにある。スーパーのとなりにある三階建てのコンパクトなビルで、二階が学習塾となっていて一階と二階は中がつながってないから俺は外の階段から入り受付でICカードを読みこむ。これは本人確認と、自動的に行われる親への入室、退室を連絡するメール発信を兼ねていた。


「こんにちは」

 受付にいた大学生講師に頭を下げて奥に入っていく。塾は、受付やトイレも含めて学校の教室くらいの広さしかない。それをパーティションで区切っていって、講師一人に対して生徒が一人もしくは二人、という座席をたくさんつくっていた。毎回席が変わるし、講師も同じとは限らない。


 俺は予定表を見て、2番の席についた。

 テキストや筆記用具を出す。

 走ってきたからまだ十分くらいある。

 見直しでもするか?


「こんにちは」

 となりの席に誰かが座る。

 今日のとなりは女子か。

「あ、さっきはだいじょうぶだった?」

「え?」

 そこで初めて相手の顔をちゃんと見た。

「あ」

 さっきの。

「よろしく」

 彼女はにっこり。

「あ、どど、ども」

「ねえ」

 彼女が目を大きく開いてやや近づく。

 俺の悲しい本能が反射的にやや身を離す。

「個別指導塾って、席も先生もちがったりして、おもしろいね。なんか最新の感じだよね」

 へへへ、と笑う。

 知ってるぞ、女子高生がへへへと笑ってたらだいたいかわいいと国が決めてるんだ。

 その上この子は笑ってなくてもかわいかった!


「この塾、今日が初めて?」

「ううん二回目」

「あ、俺は沢村」

「私は三村カズミ。よろしくね」

 そう言って彼女が手を出した。

 手をにぎって、軽くふる。

 これはいわゆる会話のキャッチボールであり、スキンシップである。

 超高等技術がまたたく間に行われているのだ。もう死んでもいい。いや死んだらだめだ。なに言ってんだ俺は。わかりません。



「じゃあ、今日はこれくらいにしよう」

 大学生講師は言った。「三村さんはいいね。志望校のレベルはもうちょっとあげていってもいいかもしれない」

「ありがとうございます!」

 彼女はにっこり。

「沢村君は……、もうちょっとがんばろうか。志望校、どうしようか、ちょっと考えてみて。もちろん、がんばるんでもいいからさ」

「はい……、ありがとうございました……」

 志望校が死亡校!

 なんちゃって!

 なんちゃって……。


 もう帰ろう。

「帰ろっか」

「うん」

 うん?

 三村さんが俺に言った?

 まさかまさか。

 キャッチボールとスキンシップと死亡校で俺の頭がおかしくなったんだろう。


 道具を片付けて立つと、三村さんも同時に席を立った。

 ICカードを通して、外階段の扉まで一緒に歩く。

 あーここで自然に一緒に帰る? とか言えたらなー。来世に期待かなー。

 とか思ったら、透明な扉に水滴が当たっている。

「雨だね」

 三村さんが言う


「傘持ってきた?」

「持ってない」

「私も」

 なんてことだよこの感じ。

 いま傘を持ってたらマジで一緒に帰れたかもしれない。

 長距離同行は無理でも短距離同行なら可能だったかもしれない。

 おいマジかよ。

 人生にはこんなチャンスが転がってるのかよ!


「わりと降ってるね。コンビニで傘買う? でももったいないよね」

 と迷う三村さん。

 てことは?

 いますぐダッシュのコンビニ傘買いの一緒に帰らない? でいける?

 いけない?

 どっち?

 教えて神様!

 無宗教の極みですけどこんなときだけ教えてください!


「結構降ってるよね」

 と彼女が見た先。

 なにかが浮かんでいる。

 それに気づいた瞬間、体から力が抜けた。


 サビた柄、サビた刀身。

 重さを感じない様子でふわふわとやってくる。

 俺の居場所を知っていたかのように、ふわふわと。


 国家権力の、敗北……!


 剣は扉の手前までやってくると、そこで向きを変えた。

 剣の先が持ち上がり、刀身が地面と平行になる。


 回転を始めた。

 回転はどんどんスピードをあげていく。もう、剣の形がはっきりと見えない。円盤のような形にすら見えた。

 開店する剣は降り注ぐ雨粒を完全に弾き、真下のスペースに落ちる雨粒はなくなっていた。


 どう見てもふつうじゃない。

 そして俺は逃げられないことをこれでもかと告げられていた。


 俺は扉を開けた。

 風とともに雨がふきこんできたので、扉の間を滑り出てすぐ閉めた。

 俺は剣の下に行く。

 濡れない。

 折りたたみ傘がいらない人生になったようだ。

 それと同時にどうしようもない人生になったのだ。

 さようなら一般人の俺。


 そのとき背後で空気が動いた。

「うわー雨強いね、ねえ、私も入っていい?」

 三村さんが俺の横にならんだ。

「は?」

「ん? だめ?」

「だめじゃないけど」

 ??

 俺は三村さんと階段をおりていく。


「へへ、ラッキー」

「ラッキー」

 そういう発想?

 え、え、どういうこと?


 道路に出た。

 俺らは雨の町を歩く。

 通行人の中には、俺らの頭の上で高速回転する剣に注目をしている人はいない。

「えーと、三村さんは平気?」

 俺は上で高速回転している剣を見た。

「なにが?」

「なにがっていうか……」

「変わった傘だよね」

「あ、うん……」


 え……?

 傘に見えてる?

 そういえば母も見てなかった?

 地面に刺さってるときは警官も彼女も見えてたけど、あれ以外のときは全然見えてない。

 今後の人生、俺、一般人としてまだやれる!


 それと……。

 傘。

 俺の傘に彼女が入っている。

 えっとそれは……。

 で、伝説の…………。

 あ、あ、あああああ、あいあいあいあいあいあいあい!

「沢村くんて、どのへんに住んでるの?」

「はい?」

 極限まで声が裏返った。


「ええと五丁目の方」

 言ってから、じゃあここでお別れだね、となる可能性を思いついて後悔した。先に三村のおおよその住所をきくべきだった。致命的なミス……!

「あ、私も。五丁目の団地」

「え? 俺も五丁目団地」

「うそ? どこ?」

「5の1」

「え、私も。私、5の1の503だよ」

「俺403」

「すごいね、上下だよ!」

 三村さんが目を輝かせている。

 そんな輝きをこの距離感で直視してしまってはそりゃあんた、胸がドキドキどころじゃすみませんぜダンナ。


 雨が降りしきる中、俺と三村さんはとなり同士で、ならんで歩いている。

 雨がつま先を濡らしていても、ランニングでもしてるみたいに体がポカポカとあたたかかった。

 話題は、塾についてのことだったり、学校のことだったりした。

 他にもいろいろ話したはずだけれども、必死で泳いでいるような感覚で、とにかくおぼれないようにするのが精一杯だった。


 気づけば、坂を下り、団地がならぶ敷地内に入っていた。


 階段の下に入ると、剣は回転を遅くしていき、止まった。

 階段は俺が先に、三村さんが後ろからついてくる。

 そしてそのうしろから剣がついてくるけど、三村さんには見えていないようだった。

「ありがとう、助かっちゃった」

 五段くらいしか上がってない感覚で四階についてしまった。


「それじゃバイバイ」

 三村さんが手を振った。

「じゃ」

 俺も手を振りながら鍵を開け、中に入った。

 ドアを閉める直前、手を振る三村さんが見えたので、ちょっと手を振ってドアを閉めた。


 ふわふわ。

 玄関には、剣もいた。

 剣はすこしもぬれていなかった。

 そのままリビングへ移って電気をつた。母はいない。パートだ。


 う。

 ううううう。

 うおおおおおおおおおおお!!!!!!


 俺は剣の柄を握り、踊るようにくるくる回った。

「イエス!」

 近隣住民の迷惑にならないよう小声で叫んだ。


 イエスイエスイエース!

 今日のMVPは剣さんです!

 ソードだからMVSかこのこの!

 すげえ、すげえよ!

 相合傘だよ! 伝説の相合傘だよ! あるあると言われていたけど実際には見ることすら難しいやつだと思ってたよ!

「剣よ!」

 俺は剣を握りしめた。

 もう手放せない!


 母が作り置きをしていた夕食を食べるときは剣を向かいの椅子に立てかけ、今日のことを剣に語りかけた。

 風呂では剣にシャワーをかけてあげたり、洗ってあげたり。

「あはは、あはは」

 こんなことが俺の人生に起こるなんて!

 剣!

 剣のおかげだぜ、剣!

 剣!!!

 最高だ!


 もう風呂上がりに塾の復習とかまでしちゃうぜ!

 とか思ったけど俺の部屋で蛍光灯のスイッチを入れたが電気がつかず。

「あれ?」

 パチ、パチ。パチ、パチ。

 せっかくやる気になったのに。

 思ったら、剣が浮かび上がった。

 天井にはりついて、ぴたりと止まり、光を放つ。

 蛍光灯に勝るとも劣らない!

 剣!

 剣よ!


 俺は机でテキストを開いた。三村さんの志望校は俺よりも1ランク上の学校だった。しかし志望校が安全圏である三村さんと比べて、不安視されている俺ということを考えると3ランクくらいの差があると考えていいだろう。いまは五月。あまり猶予はない。

 だが心配はいらない。

 これまでにないモチベーションが俺を包んでいた。

 やってやるぜ!

 

「ただいまー」

「おかえり」

 母が帰ってきたときにも、頭の端で返事をしつつ、集中は解けず、そのまま一時まで勉強を続けてやった。いままでこんなことはなかった。

 まだできそうだったが、今日がんばれば終わりではない。勝負はこれからだ。

 これが人生……!

 始まったぜ!!


 俺はペンを置いて、ベッドに入る。

 タイミングよく、剣が光を消してくれみるみる眠気がやってきた。

 三村さんの笑顔が浮かぶ。

 いい一日だった!



 暗闇だった。

 シャッ、と音がしてうっすらとした光が部屋に差し込むのを感じる。

 目を開けようと思う前に開いていた。

 月の光か……。

 最初の音はカーテンの音か?

 母?

 体を起こそうとしたが動かない。かなしばり、という五文字が頭に浮かぶ。漢字が思い出せなかったからだ。

 カラカラ、とサッシが開く音もする。

 やっぱり誰かいる。

 すると、かけ布団がめくられた。

 ふとんをめくったのは……。

 剣だった。

 ほっとしたが、疑問もある。

 いったいなにを?


 剣はふわふわと俺の右手の中に柄を押しつけると、俺の手は引き寄せられるように柄をつかんだ。

 剣は浮かび、俺はそれに引きずられ、窓に向かう。

 手が窓の外に出て、上半身、下半身、と引きずられる。おい、と思ったが声も出せない。

 剣はそのままふわふわと、窓の外へと飛び出した。

 俺は宙に浮かんでいた。


 体に力が入らず、視界は斜め下。

 進みながら上昇し、すでに高度は団地の高さを超えていた。見ていると寒気がするほどこわくて思わず目を閉じる。

 でもそれもこわくて目を開ける。


 え?


 視界がまるで変わっていた。

 

 下にあったはずの団地がない。

 いやそれだけじゃない。道路も街灯も車もマンションも家々もなにもない。

 平原だ。

 遠くの方に森が見える。湖のようなものも見える。

 月が異様に大きい。

 ここは……?


 剣がふわふわと高度を落としていく。


 それでもまだ十メートルくらいの高さを保っていただろうか。

 

 急に、俺の下で闇が渦を巻いた。

 ぽっかりと、黒い球体が現れた。現れたようでもあり、そこにあった空間が削り取られて無になったようでもあった。


 なにかが、ぬっ、と出てきた。

 メタリックな輝きの直方体に、細長い角ばった手足が生えていた。全部で四つ。

 亀を限界までカクカクにしたようなシルエット、とでもいう感じだ。


 前足、後ろ足と順番に平原に足をつくと、闇の球体は消え、直方体の生物? だけが残った。


 夢?

 そう思いたいが平原に吹く風の冷たさに俺の意識はどんどんはっきりしていく。

 遠くに大きな建物が見えた。

 まるでお城のようだった。


「ご、ごふっ」

 直方体の前面? から音がして、なにかがボトッと平原に落ちた。

 月の光でも、細長い形と、サビている表面の様子はなんとなくわかった。


 剣そっくりだ。


「これで、最後の聖剣をつぶした……。ハハハ!」

 直方体が理解できる言葉を話した。


「聖剣さえなければ我らの天下。ハハハ、ハハハハ、ハハハハハハ!」

 直方体が笑いながらだんだん顔? を上げていったので、のけぞるようになった状態でこちらと目が合った、気がした。


 目があるのかわからないが、見られている感覚はある。


「貴様……、第九の聖剣か?」

 直方体は言った。

 俺はしゃべれないし、剣はなにもしない。


「念のため異世界に送ってやったのに、よくもどってきたな。執念深いことだ。しかしそのみじめな姿! 使い手は見つからなかったようだな。どれ、ここで叩き折って、魔王さまに献上し、それからあの城を破壊して帰るとするか」


 直方体の前面が大きく開いた。

 口なのか。

 その奥。

 暗闇が、回転している?


「ガッ!」

 闇が射出された。

 あたる。

 思ったときにはすでに剣は俺を真上に放り投げていた。

 

 暗闇をかわし、回転しながら宙を舞う俺。

 体は動かない。

 下でキラリと光る剣。

 俺の顔が空を向く。

 月が見えた。

 その瞬間。

 剣が突っこんできた。

 動かせない俺の体に。

 背中に剣が刺さり。

 腹部から切っ先が突き出て、そのまま深々と刺さる。

 俺の中に走るのは、痛みというより電流。

 それから今度は、体からなにかが出ていく感覚。

 血。

 おそらく大量の血が失われている……。

 死ぬんだ。

 俺はバーベキューの串に貫かれた一本のソーセージをイメージした。

 人生最後のイメージがこんなものだとは……。


 とそのとき。

 最初、目の錯覚かと思った。

 剣が、俺を貫いて腹から出ている刀身が、どんどん大きく、そして光り輝いていくのだ。

 俺の体から失われる力に比例するかのように剣はみるみる大きくなり、サビなど消え失せ、月の光を受けた刀身は金とも銀ともいえない輝きをまとっていく。


 形も変化した。ただまっすぐだった刀身に、装飾品のような細かな細工が浮かび上がり、宝石のようなきらめきがいくつも。


「貴様、聖剣の使い手か。まさか直接使い手からエネルギーを吸収して本来の姿を取りもどすとはな」

 直方体は言った。

 本来の姿?

 これが、本当の、剣……?


「これでは分が悪い。ゲート」

 直方体の前にさっきの黒い渦のようなものが現れ、まったく光を反射しない空間、ができた。そこへジャンプして飛びこむ。

 ゲート。門。

 どこでもドアみたいなもので帰るのか。

 俺はぼんやりそんなことを思っていた。


 剣は動いていた。

 

 直方体が目の前の黒い渦に入るより早く、直方体を真っ二つにしていた。

「ぐふっ」

 さらに縦横と刀を走らせる。

 すぐ二十ほどの小さなかたまりにしてしまった。


 細かくなった直方体が、平原に転がる。


 ざらついた音がした。

 それは直方体の声だった。

「ふ、はは。わたしは、負けた。だが、わたしを倒すために、聖剣の使い手を、殺して、エネルギーを得てしまうとは、な。は、は、は! もう、その姿にはもどれんぞ。ゆっくりと、刺客に、なぶり殺しにされるがいい!」

 直方体は笑っていた。


 俺、は剣の力を出せるらしいが、正しい使い方をしなかったせいで死ぬらしい。

 よくわからないうちに人生が猛ダッシュで終わろうとしている。

 人生最後の日だから大サービスだったのか。

 三村さん。

 元気で。

 

 すると、剣はくるりと回転し、切っ先を地面に向けた。

 ゆらす。

 ずる、ずる、とだんだん俺の体が抜けてきた。


 ついに、べちゃ、と俺は地面の上に落ちた。

 刺殺体の完成である。

 と思ったら、剣から俺に、温かい光が降り注ぐ。

 体がじんわりと温まって、お風呂に入っているみたいだった。


 だんだん剣が小さくなってくる。

 それに比例し、俺の腹を貫いた穴が埋まっていった。服まで修復されていく。

 剣はすっかりサビた、元通りの姿になった。

 そして俺は痛みもなくなり、これまた元通り。

「なん、だと……! 再利用ができる……だと……、そんな……」

 それ、は最後にそう言って、切られた体は、砂のようにくずれた。


 最後に剣が、柄で俺の頭をゴン、と叩いた。

 その瞬間目の前が真っ暗になった。



 肩をなにかにゆらされている。

 母ではない。無言だし、なんか硬い。

「んん」

 目を開けると、剣だ。

 カーテンが開いた窓からの光がまぶしい。

 やけにまぶしく感じると思ったら、時計を見るといつもより30分早い。

 剣がグイグイ体を起こそうとするので、しょうがなく起き上がる。


「う」

 腹に小さな痛みがあった。筋肉痛だろうか。

 Tシャツをめくって腹を見ると、へそのすぐ上あたりに横長のアザがあった。なんだこれ。

 すると一瞬、なにかを思い出しそうになる。

 直方体……。

 そう、直方体のなにかが……。

 それに、剣が、俺を……。

 そのとき剣が近づき俺の頭にコツン。


 あれ?

 いま、なにかを考えていたはず。

 あれ?

 なんだっけ?

 思い出せない。


 剣に押され、ぼんやりした頭でリビングへ。

「あら、今日は早いんだ」

 母が洗面所から顔を出す。

「おはよう」

 パンにマーガリンとジャムを塗ってからトースターで焼く。カリカリになったトーストをコーヒー牛乳で食べるところから日課が始まるのだ。

 

 食べていると、剣が肩を押してくる。

「なんだよ」

 ぐいぐいと剣がトーストを押し、コーヒー牛乳を飲ませてきて、歯磨きをさせられ着替えて、と普段よりも30分早いまま学校に行く用意ができてしまった。

「もう行くの?」

 母は言った。

「そうらしい」

「え?」

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 剣に押し出されるように家を出た。

 

 そのとき、階段を降りてきたのは。

「あ、おはよ」

 三村さん!

「お、お、おはよう」

「偶然だね!」

「あ、うん」

「行こっか」

 剣!


 一緒に階段を降りる。

 そして、ならんで歩き。

 学校へと歩きだす。


 一緒に登校、だと……?

 一緒に帰るより難易度が高いんじゃないのか!

 これはどういうことだってばよ!

 すごいぜ剣!

「いい天気だね」

 三村さんが空を見上げて目を細める。


「三村さんて、いつもこの時間?」

「うん」

「早いね」

「へへ。あー私ね。一年生のころ遅刻ばっかりしてて、これじゃ良くないって思って、三十分早く寝て、三十分早く家を出ることにしたの。夜ってさ、マンガ読んだりしかしないなって気づいて。だったら、学校でやればいいじゃん、って思ってそうしたの。そしたらね」


 ぱっ、と俺を見た。

「意外とつらくないし、遅刻もしないし、宿題やり忘れててもやる時間があるし、いいことばっかりだったの!」

「すごいね」

「沢村くんは? いつもは違う時間なんだよね?」

「あ、えーと……、俺も……、今日から早く学校に行くのはどうかなーって思ったり」

 思わなかったり。

「そうなの?」

「えっと、まあ」

「いいと思う!」


 三村さんがぐっと近づく。

 青春の距離感である。

「そうかな」

「じゃ、明日からも一緒に行こっか?」

「え?」

「ほら、ひとりだと、やめようかな、って思うこともあるけど、誰かがいれば、行かなきゃな、って思えるでしょ。せっかく沢村くんが遅刻魔を治そうとしてるんだし、協力するよ!」

「え、うん」


 遅刻はしたことないけど、うん。

 そういうことにしよう!

 おはようございます、遅刻魔です!


 そしてふわふわ浮いてる剣は誰にも見えないようで。

 命をかけたりしないでこんなに良い目にあっちゃっていいのかなー。へへ。


 人生変わりました!

 俺の将来、明るいぜ!

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