セカイカンの守り人

絹糸

アリス・コンプレックス

私の髪は赤。

真っ赤な熟れたトマトみたいに瑞々しくて綺麗な赤。私はこの髪の毛がとってもお気に入りだけど、皆はそうじゃないみたい。

私のことを見つけると嫌いなご飯を前にしたみたいな顔して早足に過ぎていっちゃう。

私が嫌がられる理由も分かっているわ。

だって、お父様の髪は緑。

私お父様の子なのに、緑じゃないの。

でもそれって私が悪いわけじゃないでしょう?

お母様は私を産んで死んでしまったんだって聞いたわ。でもお母様も髪は赤ではなかったの。…私のせいなのかしら?

私にはお母様なんてわからないからちっとも羨ましくないの。

私のお世話係が何人もいるし、おうちにいる兵隊の皆も私の前じゃピシッと敬礼するわ。

でもやっぱ顔はまずそう。美味しいケーキでも口に放り込んであげたいくらいよ。

お世話係のマーリヤはいつもおうちの中を走っているわ。理由は私がちゃんとお稽古に出ないから。私を捕まえようと毎日毎日走っているの。お陰で少しほっそりしたんじゃない?

今日もゼイゼイ息を切らせてお庭に面した長い廊下を走っている。でも、そっちじゃないわ。

今日はマーリヤだけ私を捕まえようとしているわけじゃないみたい。

「いたぞ!!」

私に向かって、ピシッと敬礼していた兵士が私に向かって走ってくる。私は、窓から飛び降りてお庭の木に捕まる。

「姫様なんてことを!!」

とか言って。あんな殺気で迫られても困るわ、私。幹を蹴ってお庭の芝生に転がり込んでそのまま隣の廊下まで走る。今さっきマーリヤがいたところ。

たくさんの絵画の並んだこの廊下の少し下に小さな抜け道があるって。

ミツキが教えてくれた。は私たちのご飯を作ってくれる人。私のいる国とは違うところから来てるみたいで、私の知らない調味料とかお料理とかたくさん作ってくれる。

ミツキは秘密だよっていいながらよくご飯の残りをくれたの。だから、たぶん私にとってお母様はミツキなんだと思う。

小さな抜け道に体を滑り込ませるとミツキが驚いてこっちを向いた。

「アリス?どうしたの?」

ミツキは私のことを姫様って呼ばないでアリスって呼ぶ。

「ミツキ、わからないけど私たくさんの人に追われているわ」

「おお、可哀想なアリス。それならこのクローゼットにお入り」

「ミツキは信じても大丈夫よね?」

「アリス。私はあなたを裏切らないわ。きっと、ここからアリスが離れようとも、私はずっとアリスを見ているわ」

「??どういうこと?教えて、ミツキ」

ミツキは私の疑問に答えず、私をクローゼットの中に押し込んだ。それと同時に、食堂の扉からガンガンと乱暴な音がして、

「おい、姫様を見なかったか」

って、急いたような怒りの滲んだ声が轟いたの。思わず耳を塞いで目を閉じたわ。

そうしたら、わからないけどすごく落ち着いたの。掛けられた服やおいてあるブランケット達が私を優しくくるむかのようで。

「きみはまるで《アリス》ネ」

急に頭の上から声がしたの。落ち着いているのにどこかはしゃいでる声よ。

「静かにして!気づかれてしまうわ」

「気づかれないヨ。ここはきみの知ってる場所じゃないからネ」

ミツキもこの声も私を困らせたいのかしら。おでこに皺が寄っちゃう。

私の顔を面白そうに覗いたのは、私より小さな女の子だった。どこか見据えた澄んだ青い目なのに、口許がにんまりと大きく弧を描いていたの。

その女の子ったら、上からぶらんと出てくるものだから私思わずわあって大きな声出しちゃったの。ミツキに怒られる…!

「あの人はもういないヨ」

その女の子は口を動かさないで喋ったわ!

もう、何がなんだかわからない!

「あの人?誰のこと?」

「きみの言う、ミツキ、さ」

「いないって、どういうこと?……殺されてしまったの?」

「きみがいなくなったのサ」

この女の子、男の子みたいな喋り方をするからとっても変。

「殺すなんて物騒だヨ、《アリス》。僕らの《アリス》ならそんな言葉を使ってはいけないヨ」

「僕らって?私あなたを知らないわ?」

女の子はニャハニャハって笑った。

「きみは、いつか気づくのサ。僕らの《アリス》だということヲ」


後ろにあった壁が抜けたの?

私は背中から真っ逆さまに落ちた。

怖いってものじゃない。

もう何がなんだかわからないってこれのこと。

女の子はいつの間にか消えていて、私は長い長い暗い筒のなかをずっとずっと落ちていった。底なんて無いみたいに私はずっとずっと落ちていった。



         ♣


「………はっ」

夢オチ…………!?と思ったのと同時に後頭部を新聞紙で叩かれる。

「おい、天野」

頭の後ろもじんじんするけど、鬱血していたような感覚がする頬をさする。

口の中が若干乾いているからきっとこれはよだれの跡で…。そうか、私寝ていたのか。

「報告をしろ」

「すみません…」

全く、と溜め息をついてさんが資料に再び目を落とす。

「今回の歪み座標の始点は《アリス》です」

「…また《アリス》か」

辻井さんは、顎に手を当てて、《ウサギ》の仕業か、と呟いたので首肯すると大袈裟なまでに溜め息をついた。

「確かに《ウサギ》は常習犯だが…」

辻井さんは言い留めて咳払いをして、手で先を促した。

「今回は、オトギ法第52条『略奪』の違反として取り締まることになりました。原因は創作された《三月ウサギ》。基盤とオリジナルの歪みに耐え兼ね、今回の反抗に及んだと伺えます」

辻井さんは、ほう、と声を漏らした。

「『略奪』か。久しぶりに聞いたな」

「創作からの創作の『略奪』です」

「厄介だな」

「修正は、本日16時に決行致します。《アリス》が落ちる前に」

辻井さんは、溜め息をついて立ち上がった。

「いや、もう行くべきだろう」

「ですが、落ちる前に行ってしまうとこの歪みが大きく変わってしまうかもしれません…!」

辻井さんは、背もたれにかけていたスーツを羽織りながら白手袋をはめた。

「天野。お前、創作に関わったのは初めてか?」

「いえ…しかし、指で数えられるほどしか」

「それならわかるだろう?創作はオリジナルよりも歪みが加速する。時間を置けば置くほど、《定着》を始めてしまう」

「ですが…」

私たちの目の前にある今回の標的作品に目をやる。私も白手袋をはめてその紙の束に手を伸ばす。

「…わかりました」

「何が」

「私は辻井さんに付いていくだけ、それだけです」

そういうと、辻井さんは切れ長の目をもっと細くして言った。

「付いていくだけのヤツはいらない」

「………」

「天野。お前、何を思ってるかわからないがお前にしか出来ないことがあるから、今回俺と組むことになったんだろ?」

「辻井さん…」

「口閉じろ。舌噛むぞ」

作品に触れると、一瞬にして意識が持ってかれた。五感全て奪われているのに、頭が痛くて眠気に負けてしまう。薄い意識の中、辻井さんが倒れ混んだ私を支えてくれた、ような気がした。


         ♣


「………はっ!?」

2度目の寝落ち。目を開けると目の前は真っ暗だった。よく見れば辻井さんで私に覆い被さっている。身動きが取れない。

「ここは…」

「…クローゼットだ」

「クローゼット!なんでそんなまた」

「座標がここだったってことだろ、お前間違ったんじゃないよなあ?」

辻井さんが、囁き声に怒りを宿した。

こういう狭い場所に入ると意味もなく声が小さくなる。

「昨日、何回も座標を確認しましたから間違っていません!」

「自信を無くしたり過剰になったり、お前は何なんだ」

クローゼットは、妙にこぢんまりしていて物が乱雑に入っていた。服だけでなく、布団や布物が不規則に押し込められている。

「ここが歪みの起点だとすると俺達で無理矢理こじ開けるのは相当困難だな」

「どういうことですか?」

「俺達にはここが《クローゼット》にしか見えない。しかし、この作品の住人達が作り上げた歪みだとしたら、その糸口をつかまなければならない」

「それは難しいと思うけどネ」

ふっと声が頭の中に入り込んで来る。

「誰?」

「どうした、天野」

辻井さんには聞こえないみたいだ。声がニャハニャハニャハと不快に笑う。

「遅かったネ?もしかして、僕らの《アリス》を取り戻しにきたノ?」

辻井さんの後ろに女の子が立っていた。にんまりと半月のような口許と青く光る目。

「チェシャ猫…」

「天野、…何かいるのか…?」

辻井さんは暗闇で少し慣れた目をこらして私の視線の先を見る。

「なんだ、この男の人。オトギを感じられないノ?面白くないナ」

「あなたが歪みの起点?」

「ちがうヨ。僕は案内人サ」

「案内人?」

辻井さんは、静かに私の言葉に耳を傾けている。きっとこの先の動きを考えているところだろう。

「きみは楽しいネ。オトギの住人と同じくらい僕らとおしゃべりできるんだネ。あの子じゃなくてきみを《アリス》にしてもよかったナ。僕、赤髪は嫌いなんダ」

「あなた達の《アリス》は赤い髪なの?」

「そウ!真っ赤なんダ!!鮮血みたいに真っ赤デ!!!気味が悪いヨ!!!!」

チェシャ猫は頬まで裂けてる口をがばりと開けて金切り声を出す。私も、辻井さんさえも耳を塞いだ。

「なんでその子を《アリス》にしたの?」

「しらないヨ!《三月ウサギ》に聞いてヨ!」

「《三月ウサギ》はいまどこにいるの?」

「《三月ウサギ》はもういないヨ!」

いない?どういうこと?私が次の言葉を考えあぐねていると、辻井さんが私の頬をぺしぺしと叩いた。

「持ってかれるぞ、天野。状況を説明しろ」

「は、はい!」

オトギの住人に意識を向けすぎてはいけない。辻井さんにはその心配がなくても、中継者リンカーである私は意識を持ってかれるリスクがかなり高い。

「今、辻井さんの後ろにチェシャ猫がいます。彼女は自分自身を案内人と称しています。本当の歪みの発端は三月ウサギ。これは間違えないそうです」

「案内人か。ここの《アリス》を別の世界へと送り届けるためにチェシャ猫が用意した箱がこのクローゼットってことか」

「《アリス》は赤髪だそうです。チェシャ猫は《アリス》自体を拒否しているようです。これは三月ウサギの独断ということも考えられます」

「三月ウサギは《定着》したみたいだな」

「え…、そうですね…、いないと言っています」

「どうせ《アリス》が可哀想になって自らの力全てを使って《定着》したんだろう。フットワークの軽い自分の世界の住人が入り込めるような歪みの穴を作って待ってたんだろうな。それに引っ掛かったのがこのバカ猫だってことか」

チェシャ猫がぐっと伸び上半身だけをぐにゃり曲げて、辻井さんの顔を覗きこむ。

「僕のことをバカといったネ!バカって言ったやつの方がバカなんダ!!君のこと嫌いだヨ!!キライキライキライ!!!!」

チェシャ猫から大量の歪みが発せられ、辻井さん思わず口を手で覆う。

「……うっぐ…今、目の前にいるのか。…チェシャ猫。なら、俺をなめたこと、後悔させてやる」

と、辻井さんは指で何かを摘まんで闇の中に放り込んだ。キラッと光ったそれは、赤い糸。いや、赤い髪の毛だ。

闇が蠢いた。扉が開いた。

「天野!!」

と言われる前から私は這いつくばって闇に飛び込んだ。地面がすとんと無くなり私は真っ逆さまに落ちていった。

奥に行けば行くほど歪みがひどく、吐き気と頭痛と酔いがいっぺんに来る。

「はぁっ…!!」

どさっと投げ出されたのは、小さな白い花がたくさん咲く野原だった。

そこに、麗しい中世風白いドレスを来た赤髪の女の子がすやすやと眠っていた。

まだ、この世界に《定着》はしてないみたいだ。この子がこの物語の一部になってしまう前にどうにか元の物語へ戻らなければ。

ここからは一人で処理しなければならない。これは中継者一番の難関だ。これが終わらない限りバディとなった相手はオトギの住人に追い回されたり命を狙われたりする。

今回のチェシャ猫は相当攻撃的に見えた。早くしないと辻井さんが歪みに飲み込まれる。

「ん、ぅ…」

女の子を背負ろうとして動かすと、ゆっくりと目を覚ました。

「ここは…」

「あなたは知らなくていいの。ねぇ、お名前を教えて」

女の子は眠そうな目でぼんやりと空を見つめた。

「《アリス》…」

「…違うわ。それはあなたの名前じゃない」

「でも、ミツキがそう呼んでいたのよ」

「ミツキ…、それは誰なの?」

「私のお母さんみたいな人よ。優しくていつも私にご飯を作ってくれたわ。つまみ食いもさせてくれて、…いつもお城に縛り付けられてたから、優しいミツキが好きなの」

「そう…」

元の物語に厨房が登場したかはわからないが、ミツキはきっと《三月ウサギ》の化身かその物語に定着してしまった姿なのかもしれない。

「ミツキさんにはもう会えないかもしれない」

女の子が赤髪と同じ赤い目を大きく開いて

「どうして?どうしてなの?ミツキが何か悪いことをしたの?」

「あなたをミツキさんの世界に連れてきたこと」

「それは悪いことなの?私、お城では窮屈なのよ。こんなお花畑がある世界なら私、喜んでここに生きるわ」

ふるふると小さく震えるその女の子の長い赤髪を撫でると、白い頬にすっと涙が流れた。

「ここにいたら、ミツキさんにも会えないの。だから…。今は、あなたは苦しいかもしれない。でも、大丈夫。《神》は貴女を見捨てない。必ず」

「《神》…」

酔いが少しあるけれど私は踏ん張って立ち上がる。ぺたんと座り混んでる女の子に手を差し伸べて、

「帰りましょう。貴女は貴女の世界で輝くべきなの」


その子の手が私に触れたとき、視界が真っ白になった。胸につっかえていた気持ち悪さが一瞬で消え去った。歪みが消えたんだ。

本人の意思で、歪みが消えた。


         ♣


「…天野、起きたか」

目を開けると最初にいた会議室だった。蛍光灯が目に痛い。

「辻井さん…、《アリス》は?」

「無事、元の世界に戻った」

「ああ、よかった。あの子は、そっか、王子に赤髪を見初められるんですね」

歪みがまだ小さいうちに、創作された物語を読むと骨組みと思われるメモには、黒髪の王子が赤髪の彼女の美しさにみとれ愛されていく、というよくあるハッピーエンドのようだった。

「そうだな」

ん、と言って辻井さんはココアの入ったマグカップをこちらに差し出した。

「ありがとうございます」

「あの物語の続きを誰かが書いてくれれば、きっと幸せになるだろうな」

「そう、…ですね」

創作の歪みは一旦収まろうとも、そこの物語が停滞する限り住人の不満がたまる一方だ。歪みが発生したので書き続けなさい、と私たちからは作者に言えないのも辛いところだ。

そもそも、自分が秘密に作っていた物語のなかに人が入り、住人を静めていると知ったら、物語をもっと歪んだものにしてしまうか、最悪破棄してしまうかもしれないから。

「私は、あの子が、…マーリヤさんが幸せになることを願っています」

赤髪の少女の名はマーリヤ。

お姫様のお付きとしてお城にいた女の子。鮮血の忌み子としてお姫様のお付きに相応しくないと言われ続けていたが、変わったお姫様はその色を大変気に入ってずっと側に置いていた。姫の謁見にも着いていくことになったマーリヤが出会ったのがその黒髪の王子だ。

そこにミツキ、というコックは現れないし、いつマーリヤと姫が入れ替わってしまったのかわからない。

辻井さんが言っていたように、自分の記憶さえも抹消して歪みを作り上げたんだろう。

この物語が続かない限り、きっと歪みは出てくるのだろう。辻井さんは何事も無いようにそう言っているけど内心はすごく辛いんだろう。今日は本当に本当に濃くて甘いココアだから。


「辻井さん、そんなに気にすること無いんじゃないですか?」

「………、今日はチョコレートとミルクの量を間違えただけだ」

「え、調整ココアじゃない!?!?」

「そんなに嫌なら、飲まなきゃいいだろう」

「辻井さんのココアが私は好きなのでいただきますよー」


私達は、書き手と物語自身を繋ぎ修正する者。知られてはいけない私達は静かに、こう呼ばれている「世界観の守り人」と。








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