恋する規則のパラドックス

じんたね

逆説その1 慣れ親しんだ出会い

 幸福な恋をしている人も、不幸な恋をしている人も、それぞれに特有の情熱をもっている。しかし、幸福な恋をしていて立派に振る舞うよりも、不幸な恋をしていてそうするほうが難しい。(Wittgenstein, Calture and Value)


 □■


 いつだったか、こんなクイズをだされたことがある。


 あなたは分かれ道に着きました。一方は天国へと導き、他方は地獄へと誘う道です。

 分かれ道の手前。そこには番人が立っていて、天使なのか悪魔なのか、外見じゃ区別できません。ただし、天使は本当のことしか言わず、悪魔は嘘しかつきません。もし、1つだけ質問ができるとしたら、何を尋ねますか。


「あなたはどちらの住人ですか?」


 で、これが答えなのだそうだ。もし番人が天使だったら天国を指差し、もし悪魔なら天国を苦々しげに顎で示すから。


 だけど本当にそうか? 

 考えてもみろ。天国には本当のことしか言わない天使がいるんだぞ。そいつが俺を見てどう思うか。


「あなたって、背が低くてかっこ悪いですね。笑えます」


 生き地獄じゃないか。

 自分の気にしてることを真顔で笑われるんだ。嘘つかないからな、あいつら。


 じゃあ地獄だったらどうか?


「あなたって、長身でかっこいいですね。誰も笑わないですよ」


 直接は言ってないだけに、じわじわ辛い。

 結局、俺の身長が笑いのつぼを押さえていることに変わりはない。


 あのクイズ。二者択一を迫っている時点で疑うべきなんだよ。本当のことしか言わない天使に、嘘しかつかない悪魔なんているか? 新興宗教が「霊験あらたかなつぼを買えば幸せになれます。買わないからあなたは不幸なのです」と言っているようなもんだ。


 なら、答えは何かって? 簡単だ。つぼは押さえたり買ったりしちゃいけない。



「ここだな」

 俺は目的地に到着し、考えごとを止めた。


 黒光りする鉄格子の正門の横に、第70回 花園はなぞの学園がくえん入学式、という立て看板。正門から赤いレンガの地面が続き、学園の校舎へと伸びている。かつてはモダンと称されたであろうコンクリートむきだしの建造物には、青々としたつたが絡まっていた。


 正門から入り、まっすぐ校舎を目指すと、天使の銅像が待ち構えている。そこから赤レンガの道が二股に分かれていた。銅像の台座部分には、教訓が刻まれていた。


 ――恋は人を清く、正しく、美しく、そして幸せにする――


 身体がもぞもぞしてくる。読んでるこっちが恥ずかしい。

 すると背後から、女の子たちの楽しそうなおしゃべりが近づいてきた。


「さすがにやりすぎだよね」

「うん。妹がびっくりしてた」

「安全ピンで留められないかな」


 恥ずかしそうに片手でスカートを押さえながら、俺の横を通りかかる。膝下まであるスカートには大胆なスリット。下着が見えてしまいそうだ。


「こっちもさ。どうよって感じじゃない?」

「夏は涼しいんじゃないかな」

「あんたは前向きねぇ」


 女子の1人がセーラー服の襟を引っぱった。上の下着(?)がちょっとだけ顔を覗かせる。襟周りがゆったりめに作られている。


「ねえ」

「うん」

「行こ」


 俺の視線を感じたのか、彼女たちは小走りで離れていった。あんまりな仕打ちだ。見ようとして見たわけじゃねえのに。


品近しなちか、そもさん!」


 今度は、俺の名前が聞こえてきた。

 背後を振り返ると、こっちに向かってくる女子が1名。そいつが到着するのを待ってから「せっぱ、素子」と返す。


 そいつは猫だましの要領で両手をぱちんと叩いた。

「鳴ったのはどっちの手?」

「お前自身だ」


 俺は、ぱちん、とおでこに平手打ちを浴びせた。何すんの、とそいつは笑顔になる。


 このやりとりは禅の修行方法らしいのだが、そもさん、と呼びかける人間がクイズを出すと、呼びかけられた人間が、せっぱ、と言いながらクイズに応じなければならない。どういうわけか、俺たちの決まりごとになっていた。


「久しぶりだね、品近」

「昨日も会ったけどな」


 そいつの口からは八重歯が光り、天然茶髪のショートが揺れていた。

 この女子は宇井戸原ういとはら素子もとこ。幼馴染だと説明すれば十分だろう。俺の唯一の友だちだったりする。俺より身長が高い。発育のよい胸が制服のせいで強調されている。似合ってねえな。


「品近なら合格できると思った。だって重度のシスコンだもんね」

「待て。誰がシスコンだ」

「お姉ちゃんがいる高校に行くって相当じゃない。私は本気で引いてるよ」

「だからシスコンじゃねえって言ってるだろ」


 気持ち悪っ、と素子は身震いして見せた。


 俺には1歳年上の姉ちゃんがいる。今はちょっとした事情で、家や花園学園を留守にしているが、すっげえ美人で頭もよくて優しい。抱きついてきたり、一緒にお風呂に入ったり、同じベッドで寝てくれたりするんだからな。もう姉ちゃんさえいればいい。


 ――社も花園学園に来なよ――


 俺が中学3年生のとき、姉ちゃんは俺の部屋に来て言った。だから俺は決めた。


「またお姉ちゃんのこと考えてる……」

 素子の一言が、俺を現実に引き戻す。


「そ、そんなわけ、ないだろ」

 俺は両手で顔を覆い、ごしごしと上下に動かした。


「急ごうぜ。そろそろ入学式が始まるしな」

 そして俺は校舎に向かった。


「あ、待ってよ」

 素子が追いかけてくる。


 そのとき俺は、天使像に視線を向けていた。この道は天国という地獄につながっているのか、それともただの地獄につながっているのか。なんて考えながら。

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