第13話 中野さんとお別れ

 ように、ゆっくり、ゆったりと飛んでくれれば。中野さんは午後の日差しを受けた、きらきら光る雲海に目を細めている。

「きれいですね」

「そうだね」

 それ以上の会話が、僕らの間で続かない。やがて、それさえも途絶えた。

 羽田空港の端っこに飛行機が停まった。

 リムジンバス、という名前だけ豪勢なオレンジ色のバスにぎゅうぎゅう詰めにされ、「出たら戻れませんよ」と書いてあるゲートを過ぎて、荷物を受け取るベルトコンベヤの前で二人、うすらぼんやりと通り過ぎる色々の荷物を眺めていた。中野さんはお父さんから借りたという、年季の入った青のキャリーケース。僕の黒いバッグ。

 どんなに惚けていても、五泊六日の旅の相方はすぐに気づく。身体の方が勝手に動いて、えいや、よいしょ、と引きずりおろす。到着ゲートをくぐって出れば、もう、そこは見慣れた羽田空港だ。もう、言葉も出なかった。僕はまたバスに乗る。彼女は地下へ潜ってディーゼルじゃなくて電車に乗って、彼女の住まう世界へ帰る。わかっている。知っている。

 僕らは紫のベンチに並んで腰かけて、しばらく動くこともできなかった。何か一言あれば立ち上がれるのに。笑顔でバイバイ、と手を振って、二個組のアイスみたいにぱっきり別れられるのに。

 何か言わなければ、僕らは別れられない。僕から言わなきゃ。お別れだ、そう伝えなきゃ。それが僕の最後の役目だ。 意を決して息を吸い込んで横を見た時。もう、彼女の姿はなかった。

 青のキャリーバッグも、揺れる二つに結んだ黒髪も、くるくると万華鏡のように変わる表情も、桜色のリップを塗った唇も。まるで最初からそこにいなかったかのように。

 僕がお別れだと思った瞬間に、彼女は猫のようにするりと行ってしまった。

 僕は地下へ向かうエスカレータに、小さく手を振った。

 ありがとう、中野さん。君と過ごした六日間は、君と見た北海道の空は、君と聴いた音楽は、たとえ忘れてしまったとしても、僕の身体の深いところに確かにあって、消えることはない。

 僕は、僕の荷物を持って、ようやく立ち上がった。

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