二〇〇九年九月二十三日 網走

第10話 中野さんとサンゴ草

 よく晴れた観光日和だというのに、中野さんが怒っていた。彼女を怒らせているのは売店のスピーカーから大音量で流れている「サンゴ草咲く日にほにゃほにゃ~」という、ご当地歌謡曲だ。

「なんで同じ曲をエンドレスですかループですかっ!!」

 曲の善し悪し以前に、ずっと同じ曲が延々かかっていることが中野さんの逆鱗に触れている模様。スーパーの魚売場とか、焼き肉のたれ売場とか……などなど、彼女が語りはじめてしまったので、僕はまあまあとなだめながら、彼女を人の少ない方へと引っ張っていくことにした。

 土がむき出しの道路を行くと、次第にスピーカーの音も聞こえなくなり、落ち着いた朱色のサンゴ草を楽しめるようになってきた。

「そもそも、どんなに楽曲が素晴らしかったとしてもですね……」

 まだ語る気満々の彼女に、売店で買ったいももちを差し出す。

「あの売店で買ったんですよね?」

「揚げたてだからおいしいよ」

「もふ……音楽の浪費というのは……もふ……もふもふ」

 おお、王蟲の赤い目が青く戻っていく。さすがは揚げたての力。

 サンゴ草はまだ真っ赤に染まるというほどではなく、灰色みの強い部分、朱に染まり始めたあたり、赤いあたり、と場所によってムラが激しい。その光景を、僕はぱちりぱちりとカメラに収めていく。

「あれ、カメラで見ると真っ赤ですね」

 中野さんがひょいとカメラの液晶ビューをのぞき込んだ。

「ああうん、カメラの設定をいじってね、本当はこんな光景も見たかったなーっていう風に撮ってみたんだ」

「へぇ……随分、色が変わってしまうんですね」

「もちろん、目で見たのに近い方も撮ってみたよ」

 再生モードで少し戻して、灰色と朱のむらのある絨毯を液晶の中に呼び戻してみせる。

「あ、こっちは確かに見た感じに似てます」

 できたら、こっちを残しておいてほしいです、と中野さんは小さくつぶやいた。

「どうして」

 灰色の眺めは確かに、見た目が悪いかもしれないですけど、私たちが見たのは確かにこれですし、その時の、微妙に感じた気持ちとか、まだ早かったかな! みたいな、残念さも、残しておきたいじゃないですか。

 たしかに、それが旅行、というものかもしれないね。

 土の道をまっすぐ進むと、やがて、オホーツク海に突き当たった。おだやかに波が寄せては返し、綺麗な模様を浜辺に残す。

 空には時折、があがあとやかましい鳴き声を交わす鳥の群が現れ、皆、過たず西を目指して飛んでいく。

「あんなにたくさん飛んでいるのに、みんな間違いなく西へ行きますね」

「渡り鳥方角を理解して、迷わずに渡って行く力や、何百キロも離れていても犬が家に帰る力を、Psi-Trailingって言うそうだよ」

 物知りですね! と目を輝かす彼女に、ネタばらしを兼ねて曲を口ずさむと、「ああ、釧路の時の」と、中野さんは素早く記憶を呼び戻している。

「みんな、どこへ行くんでしょうね。家に帰るのかな」

「渡り鳥だったら、どこが家ってこともないんじゃないか。きっと一生、旅の途中、だよ」

 たびのー、とちゅうー、でー。

 また小さく歌ってみせる。

 ずっとこの旅が続けばいいのに。ずっと、旅の途中ならいいのに。だけど、次に行くところで終着点だ。僕がそう決めたのだ。

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