第10話 二つの事件【後編】
●真視点
「これは俺たちの見解なんだけど」
静かに話す三田村さんの声が鼓膜を不快に揺さぶった。
「崎山さんはどういう理由からか、通り魔事件の犯人を知ってしまったんだ。そうして、その日たまたま歩道橋で犯人と遭遇してしまった」
もうこれ以上、喋らないでくれ!
大声で喚き散らしたい衝動にかられたが、身じろぎすらできなかった。脳裏にひとつの映像が映し出されていたのだ。
じいちゃんが通り魔事件の犯人の手によって無残にも──。
目を覆いたくなるようなその映像の先を三田村さんは
「崎山さんは犯人と歩道橋で揉み合ううちに階段から足を踏み外して転落してしまったんだ。いや、もしかすると、一方的に突き落とされたのかもしれない。争った際にできた外傷があれば、検死の際に事件性が疑われたはずだからね」
「じいちゃんは事故で死んだんじゃなく、通り魔事件の犯人に殺されたんですか?」
ようやく発した声は他人のもののようにひ弱で頼りなく、泡のように儚く消えてしまいそうだった。
三田村さんは青褪めているであろうオレをじっと見据えた。
「その疑いが強い。崎山さんは傷ついた体で逃走した犯人を追跡したんだ。元警察官でなければ、命がけでそんな行動には出られない。それに崎山さんの携帯電話が現場から消えていただろう? 落としたんじゃなく、犯人が持ち去ったと考える方が自然だ」
「どうして今頃になって」と現実を受け入れられない苛立ちと、警察に対する不信感が口の先まで出かかったとき、
「最近になって情報が寄せられたの。崎山クンのおじいサンが通り魔事件の犯人を知っていた、そんな情報が」
つい先ほどまでオレに同情を寄せ、顔を強張らせていた安藤さんであるのに、今の淡々とした物言いときたら、金属に触れるかのように冷え冷えとしていて、ロボットの方がまだ温かみがありそうだった。
所詮は他人事であるから、そんな風に冷静でいられるのだと反発心が湧き起こったが、声を張り上げる気力は湧いてこなかった。
「ばあちゃんにその話はしたんですか?」
三田村さんがおもむろに首を振る。
「いいや、具体的なことは何も。調書に不明な点があったから、もう一度、捜査をする予定だと伝えただけさ」
「つまりは嘘をついたんですね」
「嘘はついていないさ。キミには真実を打ち明けた」
「オレなんかに、ばあちゃんにも言えないような重大な話する意味がわかりませんけど」
オレのクレームが耳に届いていないのか、それとも聞こえないふりをしているのか、三田村さんは肝の据わった強気な店員のように開き直る。
「崎山さんは通り魔事件の犯人と何らかの接点があったはずなんだ。俺たちはそれを調べるために真君の家を訪れた。おばあさんからキミがおじいちゃんっ子だったと聞いて、キミだったら何か知っているかもしれないと思ったんだ。安藤とキミに接触する方法を考えていたとき、キミが折よく補導されてきてラッキーだったよ」
「オレはアンラッキーでしたけど」
「崎山さんと犯人は初対面だったかもしれないし、顔見知りだったかもしれない。ありとあらゆる可能性を考えているんだ。おじいさんから何か聞いていなかったかい? どんな些細なことでもいい、亡くなる前に誰に会ったとか、何をしたとか」
「三年も前のこと、覚えていませんよ」
おざなりに言い捨てると、安藤さんが遠くを見るようにして目を細めた。
「ちゃんと思い出して。昨夜も若い女性が通り魔に襲われたのよ。崎山クンは可哀想だと思わないの?」
「思わないわけないじゃないですか。可哀想ですよ、可哀想だと思いますよ。犯人をぶっ殺してやりたいですよ!」
無感情の安藤さんに「薄情だ」と責められているようでオレはムキになった。
しかし、怒りに任せて、三田村さんに掴みかかったり、テーブルを叩いて大きな音を出したりすれば、店の迷惑になる。
そう考えるほどの余裕が生まれていたから、テーブルの上の拳をグッと握りしめて、怒りをやり過ごすことにする。
「あ!」
そのとき、長い沈黙を守っていた真之助が重要なことを思い出したかのように見ていたメニュー表から顔を上げた。食べたいスイーツの名前でも並べるように軽い口調だ。
「
「じいちゃんは手帳に日記をつけていました!」
すぐさま、真之助の言葉を通訳者のように伝えると、どういうわけか三田村さんの節くれだった大きな手が、オレの拳をがっちりと包み込んだ。
そのままの勢いで拳を引っ張るものだから、体ごと三田村さんの方へ引き寄せられた。
『三田村に気をつけた方がいい』
やっぱりそうだったのか。やっぱり三田村さんは
藤木さんの言葉が具現化する。そう断定するギリギリとのところで思い止まった。三田村さんの様子に違和感を覚えたからだ。
「頼むから協力してくれないか!」
三田村さんはテーブルに額を擦りつけるようにして低頭の姿勢を取っていた。
そこには刑事としてのプライドはどこにも見当たらず、全身の毛穴という毛穴から切迫感が噴出している。
元から貧乏神のような風貌であるが、まるで悪徳高利貸から借金の返済を迫られた食い詰め浪人のようで、見ているこっちが気の毒になるほどだった。
食い詰め浪人に同情したのか、オレの許可なく口が勝手に喋り出す。
「何を協力すればいいんですか?」
「実は今回の通り魔事件の帳場が立ちそうなんだ」
「帳場?」
「あ、捜査本部のことね。県警本部のお偉いさんが通り魔事件に興味を持ってしまってね、さっきもわざわざ駅前までやって来て、俺たちの捜査の進捗を聞きに来たんだよ。でね」
噂好きの主婦のように気負って喋っているものの、三田村さんは不愉快そうに顔を歪めた。
「高校生にこんなこと愚痴っても仕方がないけど、お偉いさんみたいなキャリアと俺たちみたいなノンキャリアの間には水と油のような相容れない大きな隔たりがあるの。もし、帳場が立ってごらんよ。肩で風を切るようなお偉いさんたちがやってくるだろ。お世辞、忖度、接待、必要不可欠。でも、そういう面倒くさいやつが一番嫌いなんだ」
なぜか語尾が涙で揺れている。
「ケーサツ組織は弱肉強食の自然界並みにシビアな業界なの。俺は本音しか言えない性分だし、媚びへつらい大嫌いだし? 上に立つような人間じゃないってことは重々承知だから、出世コースから外されても全然気にしていないんだけど、ただ、絶対に
三田村さんは両手をテーブルについて、深々と頭を下げた。
「本部のお偉いさんたちがやって来る前にどうしても通り魔事件を早期解決に導きたいんだ。おじいさんの手帳を是非とも俺たちに貸してくれ!」
ようやく藤木さんの言葉が腑に落ちた。
藤木さんは三田村さんの性分は元より、今しがたオレが聞いた話も、同期のよしみですでに把握していたのだろう。三田村さんがオレと接触を図るつもりでいたこともお見通しだったのだ。
「ほら、安藤も頭を下げてくれ。そうじゃない、もっと体を傾けて」
「でしたら、三田村サンひとりでやってください」
「俺、キミの上司だよ」
「わたしも本音しか言えない性分なので」
恥を捨て去った人ほど恐ろしいものはない。
ここでオレが断れば、三田村さんが椅子から飛び下り、土下座をする姿が目に浮かんだ。店内には若い女性の目もあるのだから、オレは恥をかくわけにはいかなかった。
「わかりましたよ。貸しますよ、貸せばいいんでしょ」
「恩に着るよ!」
世の中は大人たちの都合のいい事情で動いている、ものらしい。
オレは桜並木駅前でぶつかった男の仕立てのいいスーツを思い出した。
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