第6話 一難去って
友人Aの繰り出した拳は頬に食い込み、鈍い音を立てた。
衝撃で体は吹っ飛び、バス停留所のベンチへと突っ込む。
驚いたのはオレと怨霊男ばかりではなかった。
一番、衝撃を受けたのは上野だろう。
なぜなら、殴られたのは上野の方で、上野はひっくり返ったベンチに押し倒されていたからだ。
先ほど、オレたちに襲いかかろうとしていた上野は、折良く駆けつけた友人Aの返り討ちにあったのだった。
取り巻きたちは、倒れた上野を気遣う様子を見せたあと、すぐさま友人Aに牙を
「やばっ、こいつ、
「殺される。逃げんぞ!」
顔色を失ったついでに、怒りのやり場まで失ったのか、彼らは上野を置いて一目散に逃げ出した。
「てめェら、どこに行くんだよ!」
ようやく体を起こした上野の勝ち気な瞳が友人Aを捉えると、恐怖の色を落として激しく揺れた。
それはサバンナで自分が最強であると信じて疑わなかった一匹の若い雄ライオンが初めて敗北を喫したときに見せる、運命に裏切られた顔だった。
上野は何か言いたげに口をパクパクさせたが、やがて悔しげな舌打ちを置き土産にして、退却した。
「危険は去ったみたいだ。友人A君が上野君を殴ったお陰で気配は完全に消えたよ」
怨霊男は元百獣の王が姿を消した方向へ余裕たっぷりの視線を流す。
どうやら友人Aに怨霊が憑いていたわけではなかったようだ。
オレはほっと胸をなで下ろし、友人Aの背中を叩きながら、健闘を称える。
「やるじゃねえか、ガチでケンカ強いんだな。まさか友人Aに助けられるとは思わなかったぜ。恩に着るぞ」
普段であれば、「能ある鷹は何とやらって
「
「無意識でできるような仕事じゃねえよ。プライドの高い上野の鼻をへし折れるやつは
「誰なんだ、あいつら?」
「上野は中学ンときの同級生だよ、他の連中は知らないけど。あいつら、友人Aを知っている風だったけど、知り合いなのか?」
「いいや。全然」
友人Aは短く言って、少し乱れた制服の襟を正した。それから、唇を真一文字に結んだかと思うと、全身から「オレに話しかけるな」と拒絶のオーラで沈黙の城壁を張り巡らし、籠城してしまった。
『梅見原の芦屋』
そう、上野や取り巻きたちは友人Aを呼んでいた。
友人Aの様子からすると彼の言う通り上野たちと初対面であることは間違いないのだろうが、向こうは明らかに友人Aを知っている様子だった。
それが籠城の原因だろうか。
オレは不思議に思いながらも、他人が話したがらないことを追求しないくらいの一般常識と空気を読むスキルは持ち合わせていたから、大人しく口をつぐんだ。
友人Aだって、上野に絡まれていたオレの姿を見ても、必要以上に詮索することもなければ、同情の色を浮かべることもなかったのだ。この沈黙は中学時代の古傷に触れたくないオレにとっても好都合でもあるのだから。
「ほらね、絶対にうまくいくって言ったでしょ?」
オレの心境を知ってか、知らずか、怨霊男は含み笑いを浮かべている。
「偶然、友人Aのお陰で助かっただけだろうが。どこかの怨霊さんは逃げだそうとしていたのにな。サムライにとって背中の傷は不名誉で恥なんだろ? 臆病風に吹かれて敵前逃亡した証だからな」
オレは友人Aに気付かれないよう声を潜める。
「男だったらな、負けるとわかっていても戦わなきゃいけないときがあるんだよ」
「個人的にはそれでもよかったんだけど、私が負けるってことはイコール、真が死ぬってことだからね」
怨霊男のあっけらかんとした軽い指摘に、二の句が継げなくなる。
「ま、仕方がないから、ネタバレしてあげてもいいけど、実は猛ダッシュで助けにきてくれる友人A君が見えたんだ。負けを装って、相手を自陣へギリギリまで引き寄せて一気に叩き込む。これは立派な作戦勝ちだよ」
「どこが作戦勝ちなんだよ。たまたま、じゃねえか」
オレは鼻で笑い飛ばす。
「友人Aが
「それは心配ご無用ってもんさ」
怨霊男の自信に満ちた視線の先には、親の
「彼は強い、いつも負け知らずだ。なんて言ったって『ナイフの芦屋』なんだからね」
聞き慣れない言葉にオレは首を
「ナイフの芦屋? なんだそれ」
「知らないの? 三年一組のみんながそう噂しているのを聞いたんだ」
「それは『梅見原の芦屋』と関係するのか?」
「真はさ」
怨霊男は一旦言葉を切り、呆れぎみに肩をすくめて見せた。
「学校で居眠りばかりしているから、何にも知らないんだよ。友達のことくらいきちんと知っておいても罰は当たらないんだから。これからは居眠りしないように
人差し指を立て、「いいね?」と念を押すように言う。その上から目線の物言いにムッとしてオレは意地になる。
「オレは徹夜でゲームをする主義なんだよ」
「頑固だなあ」
「頑固で結構。きっと遺伝だな、遺伝。頑固なのは守護霊様からの遺伝だよ」
開き直って胸を張ると、乾いた破裂音と共に額に痛みが走った。怨霊男にデコピンされたのだとわかり、オレは大袈裟に痛みを訴える。
「イテッ、何すんだよ!」
「真のおでこにゴミがくっついていたから、親切心で取ってあげただけじゃないか」
「絶対、嘘だ。今デコピンしただろうが」
額を押さえるオレを尻目に、怨霊男は勝ち誇った顔で腕を組み、考えるようなポーズで顎に拳を添えた。
「貴方の守護霊は、この私を手こずらせるほど、そこそこ強かったし、偉大とまで言われた人だよ? いくら真が彼の子孫だからといっても、何代も前のご先祖様なんだから、その優秀な血筋はだいぶ薄まっているんじゃないのかな」
「それじゃあ、何か? あんたはオレがチビなのは、守護霊の血筋が薄まったせいだって言いたいのかよ」
「そこまでは言っていないじゃないか」
「いいや、言ってる」
「言ってない」
「言った」
「こっちです!」
オレたちの「言った」「言ってない」のくだらない押し問答を、切迫した女性の声が遮った。
声のした方を見れば、制服姿の警察官二人が、ゆったりとした、だが、隙のない足取りでこちらへやってきた。
その後ろには見知らぬ女性が怯えと正義感を顔に張りつけ、オレたちを指さして、断言した。
「お巡りさん、あそこです。中学生が高校生にリンチされています!」
今まで拳を見つめていた友人Aもようやく弾かれたように顔を上げる。
オレたち三人は思わず顔を見合わせた。
「もしかして、中学生って、真のことじゃない?」
「もしかして、中学生って、真のことじゃねえの?」
怨霊男と友人Aが声を揃えて言った。
「うるせえよ、お前ら」
オレにとって警察に通報されたことよりも、コンプレックスを逆なでされたことの方が重大だ。
クルクルと回転するパトカーの赤色灯が季節外れのイルミネーションのようにロータリーを彩っていた。
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