第3話 お見舞いに行こう

 定刻を過ぎても聖子先生が教壇に現れず、雑談に花を咲かせていたクラスメイトたちに不安の色が浮かび始めた頃、なぜか二組の担任である二階堂が三年一組の教室にやってきた。


 神妙な面持ちで教壇に立ち、クラスメイトの視線を受けて、口を開く。


「聖子先生は本日はお休みです。昨日の下校時に転んで怪我をしてしまったそうだ」


 クラスにどよめきが起こった。


 欠席するほどの怪我であれば、軽く見積もっても良好ではないと察しがつく。


 クラスメイトたちの心配声をかき消して、指されてもいないのに友人Aが椅子を引いた。


「聖子ちゃんはどんな具合なんだよ」


「聖子じゃない、聖子だ」


 二階堂は訂正してから軽く友人Aを睨んだあと、みんなを見渡して表情を緩めた。


「手首をひねった程度だそうだから、安心していいぞ。今日は検査やもろもろの事情でお休みするだけだからな」


 三年一組の薄氷が張ったような空気がにわかに溶け出した。


「聖子先生は確か桜並木市に住んでいるはずだよね。案外、近くに住んでたりして」


 怨霊男が背後から口を挟む。クラスの内情に呆れるほど詳しすぎて、パパラッチも真っ青だろう。


「まあ、なんだ、その、あれだな、うん。体の傷は大事には至らなかったが、しばらくは不自由することもあると思うから聖子先生のサポートをよろしく頼んだぞ。オレもできる限りの協力はするつもりだ。すぐ隣のクラスなんだから、遠慮することはない。みんなはオレを兄貴だと思って頼っていいんだぞ」

 

 歯切れの悪い物言いが気に掛かったが、二階堂は戦地に赴く戦士のような勇ましさを身に纏い、語調強く宣言した。

 

「聖子先生のことはオレに任せてくれ」


 なるほど、この一言を言いたいがために、二階堂は本来ここに来るべきの三年一組の副担任を拝み倒して、教壇に立っているに違いない。

 

 何度も聖子先生をデートに誘い、断られ続けているとの噂は本物なのだろう。彼女に近づくための正当性を三年一組の生徒に主張しているようだった。


「二階堂先生」


 友人Aが席を立ったまま、真っ直ぐ手を上げた。


「オレ、お見舞いに行くよ」


 挑戦状を叩きつける挑発的な口調に、二階堂は悔しげに顔を引きつらせた。

 

「ダメだダメだダメだ。芦屋あしやのお見舞いは禁止する」

 

「お見舞いに二階堂先生の許可が必要なのかよ?」 


「当たり前だ。オレはみんなの兄貴だからな」

 

「オレは認めねえ」

 

「お前の許可などいらん」 


 二人の間に火花が散ったように見えたのは気のせいではないだろう。


 聖子先生を巡る戦いの火ぶたが切って落とされた瞬間だ。


「第一、お見舞いにかこつけて芦屋が聖子先生に何をするか、わからんではないか」

 

「本当にお見舞いに行くだけだって。それに先生、オレひとりで行くわけじゃない。まことも一緒だ」


 すっかり無防備で傍観していたオレは、突然友人Aに肩を叩かれ、鼻白んだ。強制的に舞台へ引き上げられてしまい、迷惑甚だしい。


「な、一緒に行こうぜ」


「行かねえよ!」


 とばっちりで二階堂の敵愾心がオレにまで向いては敵わないと即答する。だが、


「ダメだ、崎山も行くんだ。芦屋を見張ってくれ。これは命令だ」


 生徒相手に嫉妬の炎を燃やす二階堂の、有無を言わせぬ力強さにオレは顎を引いていた。


「……行きます」


 背後では「相変わらずお人好しだなあ」と怨霊男が飄々と笑った。


 放課後、オレたちは梅見原うめみはら駅前商店街にある生花店で、女性店員にアドバイスをもらいながら、優しいピンクの色合いが女性に好まれそうなお見舞いの花束を買い、電車に乗った。

 

 聖子先生のアパートは、三年一組全員に配られたクラスメイトの住所録から知ることができた。

 

 桜並木駅を出ると早くもスマートフォンのナビアプリを起動させた友人Aは鼻先に人参をぶら下げた馬のようにズンズン先を行く。

 

 長身の友人Aは人より頭ひとつ分抜きんでているから見失うことはまずないが、自然と足は早まる。

 

 バスロータリー周辺に、チラシを配る黄色いジャンパーを着た集団が目に付いた。


 その間を丁重に断りながら通り抜ける友人Aの背を追って、オレは目の前に差し出されたチラシを反射的に受け取り、すぐポケットにねじ込んだ。

 

 怨霊男はと言えば、人波も何のその、行き交う人々が彼の体を通過していくから障害物もない。

 

 さらにローラー付スニーカーを履いているのではと疑うスピードで、しかし、ゆったりとした足取りで、オレの右隣を歩いている。


 いや、歩いているのではない。滑るようにして飛んでいるのだ。


「幽霊の体は反則だな」


 怨霊男を一瞥して言った。町はある程度賑やかだから、声を潜ませる必要もない。


「便利な体でしょ? 一度、体験してみる?」


「いや、遠慮しとく」


「そう言わないで、さっさと私に呪い殺されてみたらどうかな? そうすれば、私の恨みも晴れるし、真も幽霊を体験できるし、一石二鳥だよ。なんだったら、一度試しにサクッと死んでみよう。今幽霊になれば、私という一生涯の友達ができるんだからラッキーだよ。さあ、今すぐ幽霊になって、この便利な体を満喫しよう!」


 怨霊男は自分の体に親指を向けて、爽やかに微笑んだ。

 

 運動部の勧誘のように「まずは気軽に体験入部をしてみないかい?」とあくまでも軽い調子で誘ってくるが、これは命のやりとりの話だ。


「満喫しねえよ」


 オレはきっぱり断言し、怨霊男との間に見えない壁を張り巡らせる。

 

 押しの強い営業マンにははっきり「いりません」と断りの言葉を口にしなければならないと、ばあちゃんが言っていたのを思い出した。


「チェッ、絶対楽しいのにな」


 怨霊男は頭の後ろで腕を組み、口を尖らせた。


 三つ目の信号機が赤になって、友人Aはようやく足を止めた。


「お前、歩くの早すぎだからな」


 オレが文句を言うと、「悪いな」と緊張した面持ちを向ける。


「聖子ちゃんに会えると思うとドキドキしちまってさ。想像してみ、普段着の聖子ちゃんだぞ、いや、パジャマ姿かもしれない。スマホの壁紙にするしかないだろ」


「オレたちはお見舞いに行くんだからな。目的を忘れんなよ」


「わかってるよ」


「そういえば、聖子先生から電話は来たか?」

 

 信号が青に変わるタイミングでオレは訊ねる。

 

「いいや、何度かけても何も反応なし。真は?」

 

「オレもなし。友人Aが着信拒否されているわけじゃなさそうだな」

 

「どうしてオレが聖子ちゃんに着拒されるんだよ」

 

「粘着質だからだよ」 


 オレたちはお見舞いに伺う旨を聖子先生に伝えようとしたが、呼び出し音が鳴るばかりで結局繋がらなかった。アポなしでお見舞いに行くのだ。迷惑がかからないか心配が残る。

 

 友人Aは仔猫を抱くように花束を大切そうに抱え直しながら、スマートフォンに目を落とした。


「次、左に曲がって、右だ」


 ナビの案内通り進むと、車一台通るのがやっとの路地が続く。この辺りは古くからの住宅地だから、地元のオレでもあまり馴染みがない。


「しっかし、道路が狭いよな」


 友人Aがぼやく。


「桜並木市は元々城下町だからな。幹線道路から一歩脇道へ入れば、駅前はこんな道ばかりだよ。ナビは近道を示すから余計に入り組んだ道を案内するせいもあるだろうけど」


「これじゃあ、バイクで走りにくいぜ」


「バイク?」


「今はもう乗ってねえけど、春になるとバイク乗りの血が騒ぐんだよ」


「バイク、なんかに乗れるのか」


「まあな」


 梅見原高校ではバイクの免許取得が校則で禁止されているから、ここはまずバイクの免許を持っていることに驚くべきだったのだろうが、オレには補助輪のない不安定な乗り物にまたがり、バランスをキープしながら前進できることが不思議でたまらなかった。


「そりゃあ、バイク乗りの血を抑えるのも大変そうだ」


 まさかこの場で自転車に乗れないことを白状する気にもなれず、オレは腹の中に押し込めた。二輪の乗り物に乗って風を切る心地よさを想像していみるが、生憎恐怖心しか沸き起こらなかった。


 しばらく進むと比較的開けた道に出て、真っ白い瀟洒しょうしゃな二階建てアパートが見えてきた。

 

 住所録によれば、二○二号室が聖子先生の部屋だ。


 鉄製の階段を上り、聖子先生の部屋の呼び鈴を押したが、ひっそりとした静寂が返ってくる。怪我の治療のため病院にいるのかもしれない。

 

 玄関前に男三人並んで腰を下ろし、聖子先生の帰りを待つことになった。


 オレの右側には友人A、左側には怨霊男。

 

 端から見れば、人待ち顔の高校生が、ドアの前でぼんやり佇んでいるように見えるのだろう。


 時間を持てあまし、ポケットにねじ込んだチラシを広げると、先程オレが張り巡らせた見えない壁を容易に乗り越えて、怨霊男が顔を寄せてきた。


「なになに。通り魔事件発生中、だって」


 そこには今、桜並木市を騒がせている通り魔事件に注意喚起する記事が書かれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る