第2章 守護霊を解放せよ

第1話 ゲームの恨み

「こっちはもう我慢の限界だっての」


 翌朝、ふつふつと沸き上がる怒りを抑えきれず、オレは部屋を飛び出した。階段を一段ずつ抜かしながら飛ぶように下り、仏間を目指す。


 背後では「参ったな、待ってよ」と怨霊男が困った風を装っているが、言うほど困ってはいない。


 オレは余裕の色を含んだ怨霊男の顔を睨んだ。


「あんたをあの世へ送り返してやるからな!」


 事の発端は昨夜、ベッドに寝転がりながら、ゲームの続きをプレイしていたときに起こった。

 

 何でも一度ゲームをクリアしただけでは、しんのエンディングが見られないという話だから、二週目のクリアを目指して、魔王との最終決戦に挑んでいた。


 魔王は勇者の父親に一度倒された経験があり、それ以来、長らく燃やし続けてきた復讐心をますます煮えたぎらせ、あの手この手の攻撃で、勇者一向を窮地へと追い込んでくる。


 本来ならば、「小癪こしゃくな小僧を血祭りに上げる」と嬉々とした魔王の台詞のあと、勇者たちの反撃で世界が救われるのだが、魔王に最後の一太刀を浴びせようとしたそのとき、指がいうことを聞かなくなった。


 いや、いうことを聞かないのは指だけではなく、体や声帯までもがちっとも動かないことに気がついた。


 画面の中ではいつまでたっても攻撃を仕掛けない勇者に対して、魔王が執拗な攻撃を繰り出し、戦闘の流れは明らかに不利になっている。


 魔王の攻撃で身動きが取れない勇者と自分自身が重なるようだった。これではまるで金縛りにあったようではないか。


 金縛り? まさか──。


 すぐ背後に差し迫るような気配を感じたかと思うと、ふっとスマートフォンの重さが消えた。気配はオレのすぐ横で、スマートフォンをもてあそびながら、飄々と笑った。


「はーい、消灯の時間です。スマホは没収」


 スマートフォンからはむなしく全滅のテーマ曲が流れ始める。


 さっきまでオレが与えたマンガ本を大人しく読みふけっていたはずの怨霊男だったが、ゲームに夢中になった愚かなオレは、やつが危険な怨霊だということをすっかり忘れ、完全に油断しきっていた。後悔の波があとからあとから押し寄せてくるがもう遅い。


 「じわじわと痛めつけて立ち直れないくらい精神を限界まですり減らしたところで一気に呪い殺す」との怨霊男の宣言通り、この嫌がらせも末代まで呪う過程の一環に違いない。


 怨霊のバカ野郎!


 非難の言葉を口にしようとしたが、怨霊男の仕業によって、声は出ず、金縛りにあったまま、重力に屈するようにうつ伏せの体勢で意識を失うしかなかった……。


 そして突然やってきた朝。


「おっは──────!」


 お寺の鐘が耳元で突かれたのかと思うほどの大音量が脳天で爆発し目が覚めた。


「『おっは──────』じゃねえよ。昨日はよくもやってくれたな、オレの勇者一行を全滅させやがって。しかも今何時だと思ってんだよ?」


 怨霊男は質問に応えず、質問を抗議で返してくる。


「こっちはまことが寝ている間、暇で暇で仕方がなかったんだ」


「はあ? こっちはあんたの金縛りのせいで、あちこち筋肉痛だっつうの。どう責任取ってくれるんだよ」


「それは私のせいじゃなくて、日頃の運動不足のせいだと思うよ」


 怨霊男はうんざりだと言わんばかりに肩をすくめるが、うんざりしているのはオレの方だ。


「そのふざけた性格を叩きのめしてやる」


 情動に任せ、怨霊男の左頬に拳を叩き込んだ。が、オレの拳は怨霊男の頬を通り抜けた。空気を掴むような途方もなく無謀な感覚に勢い余ってバランスを崩し、その場に滑り込むようにして倒れ込む。


「だから言ったじゃないか。霊力を節約中だって」


「クソォォォ!」


 オレは投げ出した拳に再び怒りのパワーを溜め込んだ。


 いつもの平穏な日常を取り返したい。おかしな怨霊に憑きまとわれるのはまっぴらだ。


 その一心で、階段を駆け下り、現在に至る。


 襖を開き、仏壇までずかずかと進んで行くと、真新しい位牌いはい、先祖代々の位牌を従えるように並んでいる一番大きな漆塗りの位牌を迷わず手に取った。


 達筆な金文字で長い戒名が書かれているそれは、崎山家の偉大なる先祖、すなわちオレの守護霊の位牌だ。


 ──人里離れた山の中。とあるほこらに妖怪の封印された壺がまつってあった。それを課外学習中の子供たちが誤って割ってしまい、数百年の眠りから妖怪が目を覚ます、という場面を以前マンガで読んだ覚えがあった。


 つまりは閉じ込められている外壁を壊せば、封印が解けるのは定石。


 根拠はないが、位牌の中にオレの守護霊が閉じ込められている確信があった。位牌さえ壊せば、容貌魁偉ようぼうかいいの守護霊は封印から目覚めるはずだ。


「バイバイ、怨霊さん。ゲームの恨みは怖いんだぜ」


 オレは入り口に突っ立っている怨霊男を振り返り、位牌を高く掲げた。


「いでよ、守護霊!」 


 勝ち誇り、強い口調で、魔法のように唱えた。


 位牌を叩き割れば、守護霊は解放される。怨霊男とようやくおさらば出来るのだ。


 さあ、目覚めてくれ。オレの守護霊様──。


 念じながら腕を振り下ろそうとしたとき、


「何してるの!」


 仏間に転がるようにして飛び込んできたばあちゃんが先に腕を振り上げた。


 ぶたれると思い、咄嗟に身構えたが、予想に反して、ばあちゃんはオレの髪を鷲掴みにした。


いてえよ、ばあちゃん」


「当たり前よ、髪の毛を引っ張っているんだから。守護霊様になんてことをするの!」


 ばあちゃんは艶のいい肌を紅潮させた。昨晩は夕飯も喉を通らなかったのに、すっかり元気を取り戻したようだ。

 

 起床は四時、ヨガと軽いジョギングからのガーデニング、そして仏壇の掃除までが彼女の朝活なのだが、身支度が整っているところを見ると、それもすでに終えている。

 

 帰宅部のオレとは違ってだいぶ活動的な高齢者なのだ。


「違うんだって、その逆だよ。位牌の中に閉じ込められている守護霊様を助け出すために、今ぶっ壊すところなんだから、邪魔すんなって」


「昨日からおかしなことを言って」


 ばあちゃんは「おバカな孫」と連呼したあと、オレの頭を叩いた。鞭打つような鋭い音がする。


 オレは不満を眉間のしわに刻み、唇を尖らせた。


「さあ、守護霊様に謝って、ご焼香をなさい」


「……わかったよ」


 これ以上、ばあちゃんに反論しても説教が延長戦に突入するだけだから、ここは大人しく従おう。


 しぶしぶ位牌を元の位置に戻し、線香に火をつけ、お座なりにりんを鳴らす。


「どうか、愚かな孫をお守りください」


 仏壇に手を合わせるばあちゃんの隣で一緒に拝むふりをして、怨霊男を盗み見た。


 オレは面食らってしまう。


 柱にもたれながら腕を組んでいる怨霊男の余裕ある態度から、守護霊が位牌の中に封印されている可能性がゼロに等しいことは明らかだったがそればかりではない。


 怨霊男の涼しげな目が思いの外、凪いだ海のように穏やかで、木漏れ日のように優しかったからだ。


 だが、それも一瞬のことで、オレのいぶかる視線に気がつくと、怨霊男はすぐにからっカラッと乾いた笑顔を見せ、「残念だったね」とどこか他人事のように手を振るものだから、オレは「絶対にあんたを追い出してやるかなら」と視線に念を込めて、言外ににおわせた。


 それから、ばあちゃんに守護霊の名前を訊ねた。名前くらいきちんと覚えておいた方がのちのち守護霊の解放に役立つのではと思ったからだ。


 ばあちゃんは戒名にある「真」の文字を丁寧になぞるようにして、嬉しげに教えてくれた。


 ああ、確かにそんな名前だったなあとオレは国民的アニメの主人公を思い出した。


「それにしても珍しいこともあるものね、今日はずいぶんと早起きじゃない」


 ばあちゃんに促され、時計を見るといつもの起床時間よりもだいぶ早い時刻で、今から準備をすれば、駅までのんびり歩いても充分間に合う時間だった。オレがこの時間に起床できる確率は、関東で大雪が降るか降らないかのレベルに等しい。


 今日こそは聖子先生に褒められるに違いないと胸を躍らせながら、リビングへ向かうと玄関で母さんと出くわした。

 

「どうしたの。真が早起きなんかして、熱でもあるんじゃないの?」

 

 幽霊か物の怪の類に遭遇したかのように蒼白している。


「おかしなお兄ちゃんね、加奈かな?」


 母さんの後ろから中学校のセーラー服がひょっこり顔を覗かせる。


 妹の加奈だ。

 

 この春、中学二年生になったばかりの加奈はこのままランドセルを背負って小学校に登校しても全く違和感がないほどの童顔で、両耳の位置で結んだツインテールがより幼さを際立たせている。

 

 今から家を出るところのようで、母さんはその見送りだ。

 

「そうだね、今日は隕石が降るのかもしれないね」


 母さんの言葉を受けて、加奈は幼顔に笑顔の仮面を被った。

 

「お兄ちゃん、頭に隕石が落ちないように気をつけてよ」


「落ちるわけないだろ」 

 

 オレも白々しい笑顔の仮面を向ける。


 加奈とは三年前から不仲が続いている。


 家族には心配をかけたくない。その気持ちは共通で、しばらく上手に兄妹ごっこをしてきたが、近頃では両親が兄妹の仲のよさが実は演技ではないのかと薄々勘づいてきたのか、何かとオレたちの間に入ることが多くなった。


 母さんの気遣わしげな視線はオレと加奈を行ったり来たりする。


「今日もお父さんが部活が終わる頃に部長さんのお家に迎えに行くって」


「うん」


 加奈は小さく顎を引いた。


「それじゃあ、行ってきます」


 加奈は玄関ドアへ振り向きざま、母さんの隙を縫って、汚いものを見るような軽蔑の視線をオレに投げつけた。


 オレたち兄妹の仲は最悪だ。

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