青森市のありえない話
かんから
安方病院放火事件
明治十九年(1886)のことである……
日本全国でコレラという伝染病がはやった。特に青森町(当時は市ではない)においては井戸水があまりよろしくなかったこともあり、1000人以上が死亡したと記録される。当時の町内人口は約2万5000人であったので、単純計算で4%が死に至ったことになる。感染者を加えるとそれ以上だろう。もちろん他地域で先んじて流行していたとき、対策をしなかったわけではなかった。青森県内の諸々の港には検疫所を設けたし、衛生指導等も行ったという。だが蔓延は防げなかった。
このような状況であったので、感染者を一ヶ所に隔離しようと試みた。その場所は青森の安方町である。ちょうど藩政時代の倉があいていたのでその建物を臨時の病院として改装し、患者をその一角に押し込めたのである。(なお近くに青森駅があるが、新設は明治二四年(1891)なので鉄道が開通する5年前である。当時は存在しない。)
……となると、コレラは伝染病である。あまりその病院の近くに寄りたくない。青森の町民は避けて通るようになった。すると元から住んでいる住民は困ってしまう。突然にも町のど真ん中にあまりにも危険な物ができてしまったので、怖さのあまりに引っ越しを考える者も出始めた。加えて商店を開いている者はお手上げである。いつも買いにいらしてくれたお客様が、安方町まで来てくれない。周りの住民も逃げてしまった。閑古鳥である。
安方に、人ひとり歩かない。
どこに向けていいかわからない恨み。
もちろん、理性ではわかる。これはコレラという伝染病がなした業だ。
ならば、この心の底にうごめくものを、どこへ向ければいいのか。
青森安方町の町民。松田平次郎(まつだへいじろう)。彼は病院に火を放った。
それは夜。火は高々と上がり、周りの家々へも燃え広がる。風向きは東から吹いていたので青森町の他地域への延焼はなかったが、病院はことごとく崩れ去り近場は荒れ地と化した。
だが、家々を失った町人たち。松田を恨むかと思いきや、喝采を送った。彼らも同じく鬱憤がたまっていたのだ。松田の周りを囲む町人たち。もはや異常者の集まりである。お祭りである。しばらくコレラのため劇場やすもうなどの興業は禁止されてはいたのだが……それを差し引いても、やはりおかしい。警官らは外より突入する機会をうかがったが、待っていれば群衆が増すばかり。一線を越えさせまいと銃弾を真っ暗な空へ打ち鳴らし、群衆の目は警官らへ向く。……その群れの真ん中一点、松田はいた。彼は警官に捕えられた。
最初に述べた数字”1000人”。青森町で亡くなったコレラの死亡者数。実は火災で死んだ者も含まれる。
裁判の結果、懲役10年の刑に処せられた。
しかしこの年数さえも、町人らの減刑運動によって3年に減らされた。
この実話をどうとらえるかは、あなた次第である。
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