2つの檻

lussekatt

第1話 嵐のあと

【210年】


 シトシトと小雨が続く。

 三日ほど嵐が続き、カイの家は雨漏りだらけだった。窓の鎧戸よろいどを開け外の様子を確認すると、開けた窓もそのままにドアから外へと飛び出し、少し離れた場所でその家を眺める。


「これは……早めに直さないとな」


 嵐のせいで所々屋根が飛ばされてしまった。

 両親が遺してくれた家は、カイが一人で住むには少し大きすぎた。最初はそれを随分寂しく感じていたものだが、一人の生活にももう慣れ、孤独を理由に涙を流す事などもう忘れた。


 ほんの小さな雨粒が鼻を掠めたのに気が付き、カイは空を見上げた。相変わらず灰色の重たい雲に埋め尽くされているが、所々に弱々しい光の筋が見える。この調子だと昼にも晴れるだろう。

 辺りを見回すとだいぶ風で荒らされている。木々は倒れているものもあり、崖崩れも少し起きている。

 嵐のせいで見慣れた景色は随分と変わっていた。まだ小雨が降っているが、もう三日も外に出ていなかったカイはじっとしている事ができず、散歩をすることに決めた。



「静かだなぁ」

 とは言ってみたものの、いつも静かなのだった。ここにはカイ以外誰も住んでない。

 だが三日間暴風雨の音を聞き続けたせいでこの静けさに違和感を覚えてしまう。

 ひとまずレダの壁に沿って東の方へと歩みを進める。


 レダの壁。

 約100年前に突如として現れた障壁。壁の向こうにはレダという国があり、円を描くように壁は存在する。壁に門や入り口はなく、隔離された中でも豊かな資源を持つレダは平和に国を維持している。中心には城がありこの国は王家が管理していた。


 カイは壁を見上げる。この嵐でも壁はびくともしていない。分厚い木の幹が絡み合ってできたような壁だ。木々の間には隙間はなく、向こう側を見ることはできない。

 カイは再び歩き始めたが、少しあるいたところで足を止めた。

 いつもそこにあった岩がなくなっていたのだ。


 その岩は、いつも壁に寄り添うように存在していた。特別大きな岩という訳ではないが、何もないこの森で活動するとき、カイはよくこの岩を目印にしていた。

 岩があったらしき場所は地面がえぐれていて、雨で土が流れているようだった。

 ぽっかりと地面が割れているのをカイは反射的に覗き込む。それは想像よりずっと深く割れていた。暗くてよく見えないが、奥の方に鉄の格子のようなものが見える。明らかに自然物ではない。

 それはレダの壁の下にあるように見えた。


 この壁は地面から上は木で出来ているが、地面から下は鉄でできているのかもしれない。そうカイは思った。

 だがおかしなことにその鉄格子の奥にも空間があるように見える。彼の好奇心は膨れ上がった。


 急いで雨漏りのする家に戻り、物置小屋からスコップを探し出す。最後に使ったのはいつだったか。雨に濡れた手でほこりをかぶっていたそれを持つと、握ったそばからすぐに汚れた。


 どうやら退屈な時間を過ごさずに済むらしいと感じたカイの足取りは軽い。

 割れた地面の場所に戻ると、さっそく土を掘り返し始める。鉄格子の所まで掘るのにそう時間はかからなかった。

 しばらく掘ったところでスコップを起き、彼はその中を覗いた。直後、からだが凍りつく。


「ヒィッ……!」


 思わず息をのんだ。自分の意思とは別に変な声が上がる。

 誰かいる!? そこに誰かいるのだ。カイは驚きのあまりそこを一目散に離れた。


 え? どういう事だ? 誰かいたよ? なんでこんな土の中に?

 でも全然動いていなかったし もしかしたら死体かもしれない?


 カイが見たのは、鉄格子の中に広がる武骨な石畳の空間だった。簡素な作りの椅子に腰掛ける体勢で、何かがそこにいた。


 カイは離れた所で、心を落ち着けようと意味もなくレダの壁を見上げた。

 壁は随分高く、登って越えられそうもない。だが、この壁のすぐ内側に古城があることをカイは知っていた。もちろんそこにはもう誰も住んでいない。カイのじいさんが生きていた頃、もうそこはすでに廃墟になっていたらしい。ずっとずっと古い城だ。

 その古城の地下かどこかに牢(ろう)がきっとあったんだと、カイは推測した。そしてそれが嵐のせいで土が流れあらわになったのではという大雑把な閃きを信じ、さっきの人影をもう一度思い出す。


 ということは、中にいるのはやはり死体か? それも、大昔に閉じ込められた悪い奴の……。

 彼は恐ろしくなり、とんでもないものを掘り返してしまったと後悔した。


 ――埋めよう。家の近くに死体があるなんて嫌だ。


 本音は今すぐにでもここを去りたい。

 だけど自分が掘り返してしまった以上、もとに戻すのも自分の役目だ。

 なんと言ってもここには自分しかいないのだ。


 カイは重たい足を引きずって壁の近くに戻った。なるべく見ないようにしよう。そう思いながら掘り返した土を、放るように地面の割れ目に落とした。見ないようにしたかったのだが……。


 ひらりと白いものが目の端に映る。心臓がびくりと跳ねた。


 ――なんだ、さっきのは。明らかに鉄格子の中で何か動いた。


 動悸が激しくなる。


 ――迷い混んだウサギでもいるんだろうか?

 いや、それならわざわざ俺がいるところに近寄らないだろ。じゃあなんだ?


 ――確かめるしかない。


 頬を伝う嫌な汗が、顎から滴り落ちた。


 固く閉じた目をゆっくりと開けてそこから穴を見下ろす。そしてぎょっとした。


 今度はよく見えた。なぜならさっき見たものが、今度は鉄格子のすぐそばまで来ていたのだ。

 カイの思考は止まり、驚きのあまり声もでなくなった。ただ目だけが動き、そこにいる者をはっきりと映す。若い人間の女に見えた。こっちをじっと見上げている。


 透けるような金の髪は所々泥で汚れている。細く白い指が長い髪を掻き分けると、異様なほど蒼白い顔が覗く。小さな顔にひときわ目立つその大きな瞳は、輝きを忘れただそこに存在しているだけだ。

 元々は上質だったであろうその身に付けた衣服も、いまや汚れたただのボロ布になっている。


「……人間なのか?」


 カイはそう思わず呟いた。人間を見るのはずいぶん久しぶりだったし、自分とはまるで違う容姿に戸惑った。森に住むエルフか何かの話をかつて母親に聞いたことを思い出したのだ。

 その者の体はひどく痩せこけて、もう何日も何も食べなかった時の自分の体を思い出した。


「……君は誰? なぜこんなとこに?」


 カイは話しかけた。

 だが返事はない。


 その者の瞳は彼の存在を認めると、顔を歪ませ大粒の涙を流して泣いた。次第に両手で顔を覆い、わんわんと声をあげて泣いた。

 カイはこの時はじめてこれの声を聞いた。

 自分の声よりもずっと高く、細く小さな声だ。


 カイは何年かぶりに見た自分以外の人間を、ただ呆然と眺めていることしかできなかった。

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