第二十一話 スワップミート
自動車やバイクの部品を扱う即売会では、夜明けがピークタイムと言われるらしい。
出展者が準備を終え、早朝に会場のゲートが開くと同時に皆が一斉に掘り出し物を探し始める。
ネット売買が進んだ現在においてもなお、希少な部品の入手方法は個人間での譲渡や売買が主流となっていて、しばしば表の流通経路には乗せられない物がやりとりされている。
今日のスワップミートに行くことを決めた時も、礼子は朝イチの現地入りを主張したが、深夜は大型トラックの動脈となっている国道二十号線を初心者の椎に走らせるのは無理があるし、小熊自身も夜中の国道は走って楽しくない。
結局は礼子が折れ、一般車が多く国道の流れがそれほど速くならず、混雑もしていない日曜午前の時間を使い、現地まで走ることに決めた。
礼子があっさり小熊の提案を呑んだのには理由がある。スワップミートにはもう一つのピークがある。
開場が朝早い替わりに午後の早い時間に終了するスワップミートは、終わり際になると投げ売りが行われる。
午後を過ぎた会場では、売れ残りを持ち帰るくらいならと捨て値で売られる様をあちこちで見かける。それにスワップミートに不用品や在庫を売りに来た参加者もまた別の参加者から買い物をしていて、行きより帰りのほうが大荷物になる人間も少なくない。
小熊たちが会場入りした昼過ぎには、既にあちこちで値札の書き換えが始まっていて、礼子は今にも飛び出さんばかりの勢い。椎も物欲に取りつかれた顔をしている。
相模湖のスワップミートではバイク部品が中心ながら、輸入雑貨もあちこちで売買されている。
バイク乗りの中でも外車や外国車イメージの国産車に乗るオーナーは、バイクだけでなくウェアや生活用品もバイクと同じ母国の物を購入してしまう人間が多く、それらの品々はしばしば住居内の空きスペースや家族からの圧力等の理由で、売却や処分の対象になる。
腕時計を見た小熊は、三人各々の自由行動をすることを提案した。礼子はさっそく飛び出していく。椎も最初は会場に集まるバイク乗りの集団に気後れし、会場内をぶらぶら歩く小熊の腕を放そうとしなかったが、途中の露店に置かれたウェッジウッド・ジャスパーの水色のティーポットの前で足を止め、そのままベルトコンベアからこぼれ落ちるように小熊から離れていった。
一人になった小熊は個人出店のスペースをしばらく見て回った。カブの部品やウェア等、目を引くものが無かったわけではないが、今月は外食による出費が多かったことを思い出し自重する。
企業ブースに行った小熊は、会場限定の特別価格で売られている商品を見ながら、ここまで来る途中で自分のカブに感じたほんのちょっとの不満を思い出し、品物の一つに手を伸ばした。
エンジンの点火プラグ。礼子が言うには長期消耗品のひとつだが、小熊のカブにはまだ交換が早すぎる部品。でも、もしかしたらこのプラグを、今までの物より高いグレードの物に換えれば、高回転でもう少しエンジンが活気づくのではないかと思った。
プラグ売り場に置いてあった適合表で自分のカブに合ったプラグを探し出し、その中でも高価で高性能そうなイリジウムプラグを手に取った。
値段を見てみると、普通のプラグに比べてそれなりに高価いけど、以前興味を持ってネット通販サイトで調べた時の価格よりだいぶ安い。
小熊はそのイリジウムプラグを買い求めた。ここまで来た価値があったかどうかは帰路の走りで決まるんだろう。
もう少し会場を回ってみたところ、以前にも買うことを検討したサイクルコンピューターと呼ばれるロードレース自転車用のデジタルメーターがあった。
スーパーカブのシンプルなメーターは見やすくて使いやすいけど、距離計に数値をゼロに戻せるトリップメーターが無いのが少し不便。ガソリンの残量を知るには表示のアバウトな燃料計より走行距離で見たほうが確実だということは経験則でわかっている。
大型バイクに取り付ける追加メーターはそれなりの値段がするが、カブの速度域なら自転車用のメーターで充分。元からついているメーターの表示上限である六十kmより上の速度も正確に測れるだろう。
無駄な買い物じゃないと思った小熊は、そのサイクルコンピューターも買った。
イリジウムプラグとサイクルコンピューター、デニムのポケットに収まるくらいの小さな買い物は二つで千円少々だけど、これ以上は散財できないかな、と思っていると、小熊の携帯が鳴った。
着信は礼子から、電話に出るなり一方的にまくしたてる。
「お腹すいた!」
どうやら買い物は終わり、物欲の次に来る欲求を満たす気持ちになったんだろう。電話を切り、椎の携帯に電話したところ、椎もそろそろランチにしたいと言う。
三人で芝生の広場に集まってシートを広げ、椎がリトルカブに積んできたサンドイッチとポットに入れたコーヒーで遅いランチの時間を過ごした。
コーヒーは椎の父が淹れたらしきハワイアン・コナ。椎は固形燃料とマキネッタと呼ばれるヤカン型エスプレッソマシンで、淹れたてのコーヒーを飲んでほしかったと言っているが、敷地内では直火が禁止されている。
スワップミートの雰囲気に合わせて椎の母が用意した分厚いクラブハウス・サンドイッチを食べ終わり、ランチセットを片付けた小熊たちは、駐輪場まで歩きながら互いの買い物を見せ合う。
礼子は興奮して長さ十二cmほどの樹脂製の棒を見せた、なんだかツボ押しの棒みたいな外見。
「これはクボタンっていってね、ニューヨーク市警にも採用されている護身用のスティックなの!」
要するにまた馬鹿なオモチャを買ったらしい、椎もさっき見た時には持っていなかったノースフェイス社製のボックス型ディパックを胸の前に抱いて幸せそうにしている。
色を見て一目ぼれしたという、椎の好きな水色のディパックを指差した礼子が「ランドセル?」と言った時は小熊もサンドイッチを喉に詰まらせそうになった。
小熊も自分の買ったイリジウムプラグとサイクルコンピューターを見せる。
礼子が「さっそく付けよう!」と言い出すのを、椎が信じられないような目で見ながら言った「ここで?」
サイクルコンピューターの説明書きに目を走らせた小熊は、自分のカブに積んである工具を思い返しながら言った。
「付けられる」
小熊が言うと椎は納得した顔をしている。身長のせいか相変わらず低い目線と背負っているランドセルを見ると、子供にインチキを教えているような気分になる。
騙しついでに魔法の一つも見せてやろうと思った小熊は、停めてある自分のカブに歩み寄り、サイドカバーを開けて車載工具を取り出し始めた。
礼子にも手伝わせながら、小熊は自分のカブにイリジウムプラグとサイクルコンピューターを取りつけた。てきぱきと手を動かし、プラグを替えサイクルコンピューターを付けている様を見た椎は、やっぱり魔法を見たような顔をしている。小熊からすれば、椎の淹れるコーヒーも魔法のようなもの。
小熊と椎、礼子は各々自分のカブに跨り、エンジンを始動させた。
帰路で小熊は、予想以上の効果があったイリジウムプラグの高回転性能を感じ、サイクルコンピューターの表示するデジタルの速度表示に満足しながら思った。
「カブがあれば、こんなものも買いにいける」
今日ここまで買ったのは、カブに使う物。
カブが無けれいば行くことの無かった遠出の買い物。
カブを持っていなければ必要の無い行動だったという思考が、少しだけ頭の中を掠めた。
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