スーパーカブ3

トネ コーケン

第一話 分かれ道

 地図では細い破線として描かれている道の上を、小熊はスーパーカブで走っていた。

 高校二年の春にカブを買ってほぼ一年。春を過ぎ夏を迎え、バイクに乗る人間にとって試練となる冬を越えてきた。

 今年の南アルプスは春の気温が平年より高いらしく、高峰の甲斐駒ケ岳にはまだ雪化粧が残りながらも、周囲の低山は新緑の彩りを見せていた。

 冠雪と樹氷が消えれば、山間部の道路も終日の凍結から開放される。カブで走ることが出来る。


 今まで小熊が過ごしてきたカブとの暮らしは、制約の多いものだった。

 去年の夏は初めて原付に乗って間もない頃。小熊には技術と装備が足りず、カブによって認識することの出来た自分の周りにある世界は、まだ狭かった。

 秋になる頃には、小熊はカブを扱うに足る身体と経験則から選別したウェアを得ていたが、ガソリンを燃やしオイルを熱し、各部品を磨耗させながら走るカブに必要となる先立つ物が足りなかった。

 冬を迎えると物理的に走れる道路が少なくなる。小熊の暮らす山梨は幹線道路の通行には支障が無かったが、山がちな県内に張り巡らされた林道は凍結し、平地でも雪や冷たい雨が降ると夏の夕立とは比べ物にならないほどの危険が発生する。

 

 今の小熊には、スーパーカブで走る上で自らを縛る色々なものから開放されていた。

 冬が終わり、相応の技術が身につき、バイトのおかげで懐具合もそれほど寂しくない。

 高校では既に新学期が始まり、小熊も高校三年生になったが、まだ中間試験等の課題までは日数が空いていて、月末にゴールデンウィークを控えた教室は、春の陽気のせいか授業も雰囲気も腑抜けたもの。

 それらのおかげで、小熊はこうして放課後のお楽しみの時間を過ごしている。カブで当ても無く走り回っている時ほど楽しいものは無い。

 基本的に舗装道路を選んで走っているけど、不意に砂利道や未舗装路に入ってもカブは問題なく走ってくれる。航続距離に関してもカブは優れていて、走るのが面白すぎて山中でガス欠になっても、後部のボックスにエンジンオイルの空き缶を流用した予備ガソリン缶を入れておけば何とかなるし、それすら燃やし尽くした時は、エンジンを切って転がしていくことで下山出来る。


 人里離れた名も知れぬ道路を走っていた小熊は、分かれ道に遭遇した。

 特にどこに行こうと決めていたわけではないが、どっちを選んでも同じように見える道。こういう時、選択次第で道は先細りの行き止まりになっている事もある。それもまた目的地の無い走りでは楽しみの一つ。道の終わりを見るのは嫌いではない。

 映画の用心棒に出てきた三船敏郎を思わせる顔で分岐を眺めていた小熊は、彼が演じていた桑畑三十郎のように落ちていた小枝を拾い上げ、そのまま放り投げようとした。

 手を止めた小熊は、木の枝をカブの前カゴに落としこみ、分岐の前でカブをUターンさせた。

 来た道を戻るカブの揺れる前カゴの中で弾む枝を見ながら、小熊は呟いた。

「私はどこにでも行ける」

 どこに行けばいいんだろう?

  

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