第3話 5日前

「今日親父から話があった」

夕食の時間、めずらしく早く帰って来た父が、テーブルに着きながら開口一番に言った。

「お義父さん何て?仕事じゃない事?」

唐揚げを山盛りにした大皿を並べながら、母が面白そうに問う。

この人は大体がなんでも楽しそうだ。自分の母親ながら、変わった人だと思う。

今も、袖をまくった剥き出しの腕には――

「母さん、絵の具ついてるよ」

「あら?さっきよく洗ったのに~」

どうだか。


母は芸術家だ。絵も描けば、オブジェも創る。興味が湧けば、とことん追求する。その集中力たるや相当なもので、作品に向かっている時はまわりの物音など耳に入らない、話しかけても返事もしない事はざらで、食事の時間を惜しんで2日間水だけで作品作りに没頭した事もある。それに価値観もかなり普通と違っていて、世間体やつまらない常識に囚われず考え方が自由な人でもある。


一方、父はと言えば、どちらかというと世間体を気にするバリバリの堅物常識人間で、どうしてこの正反対な2人が一緒になったのか不思議に思ったのは1度や2度じゃない。

たぶん父が母の芸術家肌なところに惹かれた、というか、凡人のコンプレックスから自分に無いものに憧れた結果じゃないかと思う。

まあ何というか母は、一筋縄ではいかない、たぶん僕なんか一生かかっても敵わない人である事には間違いない。


“浩之に、春休みの間は儂の家に泊って、バイトをしないかと誘ったんだ”

“ウチよりも小さいが、古い知り合いのところでモノづくりというものを体験させてやろうと思ってな”

“場所的に儂の所の方が近いからな”


「……だそうだ」

「あらそう。ま、働く事の大変さを知っておくのも悪くないものね。お母さんはいいと思うわよ」

「うん、ありがと」

じいちゃんから話しておいてくれるというので、父さんと母さんにはバイトの事も面接を受けに行った事もまだ話していなかったのだ。

母さんの賛成は得た。後はこっちだな。ちらりと視線を向ければ、揚げたての唐揚げを噛みしめながらぼやいている。

「最近、揚げ物がもたれるようになってきたんだよな……」

1200名の従業員を束ねる社長も、家では寄る年波を実感して哀愁漂うただのおっさんである。

「お前がやりたいと思うなら、やってみなさい。あまり周りに迷惑をかけないようにするんだぞ」

「分かった」


SAIHARAと匠美鎖がどんな関係かは知らないが、じいちゃんは父さんに匠美鎖の名を濁したみたいだった。それが些事だからか単に言い忘れただけなのか、今のところその意図するところは分からないから、とりあえず僕は余計な事を言わないようにした方がよさそうだ。

「熱っ、はふっはふっ」

何も話せないように、急いで唐揚げを口いっぱいに頬張った。



風呂から上がって自分の部屋に戻ると、見計らったように携帯が鳴り出した。

ディスプレイには“安奈”と表示されている。

「――もしもし?」

「あ、ヒロくん?あたし、あたし!」

やたら明るい声が、詐欺師のように名乗る。

「あーはいはい、分かってるから。で、何?」

「もうすぐ春休みだよ!どうせミス研なんて活動ないでしょ?彼女もいないんでしょ?仕方がないからあたしが遊んであげようと思って!」

「お前~、テンション高すぎ」

思わず吹き出す。そんなに春休みがうれしいのか。


獅子原 安奈は私立の名門校、上之薗学園に通うお嬢様だ。

獅子原は主にロシアやアフリカ、オーストラリアなど世界中から買い付けたダイヤを卸していて、日本でも5本の指に入る会社だ。その苗字にある獅子を象った社標が特徴で、イギリスのエンブレムみたいでカッコいい。

SAIHARAのダイヤもほとんどが獅子原から仕入れていて、じいちゃんの代から個人的にも付き合いがある。昔からの長い付き合いだから、同い年なのもあって小さい頃から安奈とは兄妹のような関係だ。


「ごめん、春休みはフルでバイトなんだ」

「え――――っ!なんで?なんでヒロくんがバイト?お小遣い厳しいの?あたしが融資してあげよっか?この間買った株が上がったから、売っちゃえば……」

こらこら。何の話だ。つうか最近のセレブな女子高生は株とかやってるのが常識なのか?

「違うって。なんていうか視野を拡げる為っていうか――」

「あ、分かった!お爺様にムリヤリ!?」

こいつ人の話を聞いてない。まあ、その直感、間違ってないけど。

「いや、マジで面白そうで僕自身も楽しみなんだって」

「ふうん?」

携帯の向こうで、安奈がなぜか不機嫌そうに相槌を打った。

「じゃあヒロくん、春休み、ずうっとバイトなの?」

「土日はないけどね」

「そっか。そんならどっか遊びに行こうよ」

「まあいいけど」

セッティングは任せろと言い張る安奈との通話を終えると、メールがきている事に気付く。2通も。誰だろう?


「多賀さん……?」

同じクラスの多賀 菜月からだった。

多賀さんとはお互い文化祭の実行委員をまんまと押しつけられてから、少し話すようになった程度の仲だ。クラスではおとなしくてあまり目立たないタイプだが、意外と芯はしっかりしていて、いい意味で真面目な子だ。

文化祭まではほとんど話した事はなかったけど、いざ準備・本番となるときちんと順序立てて段取りを考え、労力を惜しまずよく働き、クラスをまとめた。以来、彼女の隠れファンができるくらいクラスでも見る目が変わったが、当の本人は、控えめなのは相変わらずだ。

文化祭の準備で連絡したり相談したりするのに必要だったからアドレスの交換はしていたけど、終わってからメールを貰うのは初めてだ。


『こんばんは。突然ごめんね。もうすぐ春休みだけど、西原くんはもう予定いっぱい?もしよかったら映画を観に行きませんか?実は無料券をもらっちゃったんだけど、友達はみんな都合が合わなくって……私と一緒でも構わなければ、ぜひ!』


もう1通はクラスで仲のいい松添からだ。

『兄貴がバイトしてるカフェでジャズイベントやるから、行かないか?どーせお前ヒマだろ?』


――つい2週間前までは何の予定もなかったのに。

そんな事を思いながら、先程安奈とのやりとりそのままの内容を返信する。

レスは速攻で返ってきた。2人とも僕の指定した日付でOK。


こうしていつの間にか、この春休みの2週間は予定で埋まってしまっていた。

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