ラプソディ イン ゴールド!  春休みのゴールドスミス

真竹 揺音

第1話 2週間前


「え?今なんて言ったの、じいちゃん」


3月上旬のその日、祖父から久しぶりに会いたいと連絡がきたので、放課後に待ち合わせをしてイタリアンを食べに行った。

当たり障りのない近況報告をしながら食事は進み、祖父はワインで上機嫌だ。

ドルチェがサーブされ、苺のジェラートをひとすくい口に運んだ時、たぶん本題であろうその一言が繰り出されたのだ。


「――浩之、お前春休みにアルバイトをしないか?」

予想もしていなかった言葉を思わず聞き返した僕に、祖父はもう一度繰り返した。



祖父の浩樹は40年前に友人と2人でジュエリーメーカー『西原貴金属』を興し、2代で従業員数1200名の会社に育て上げた。今は社長の座を息子――つまり僕の父――の浩人に譲り、会長として社長と共に未だ辣腕を揮っている。

東京に本社を構え、神戸・甲府・福岡・上海・ニューヨーク・ロンドン・パリ・ミラノと国内ばかりでなく海外へも支社または営業所・自社工場を持ち、店舗を含めれば世界中といってもいい。

『JEWELEY SAIHARA』

それが現在の商号だ。


そんな祖父と父を持つ“僕”こと、西原 浩之 16歳。県立高校の1年生をあと2週間で終了し、ひと月後の今頃は2年生になっている。

金持ちが多く通うような私立ではなく、あえて公立の高校へ進学したのは、“消費者の目線に立つ事ができる人間になってほしい”という祖父の願いからだ。


“消費者”というなら金持ちの方が多いだろうと思われるかもしれないが、ちょっとしたプレゼントなどで購入されるジュエリー、ショッピングモールや百貨店の1階の店舗で並ぶような価格帯のものが、『SAIHARA』では主流なのだ。

現場からの叩き上げでその大切さをよく知る祖父からすれば、当然後継者に身に付けてほしい感覚だろう。


おかげで僕は部活に勉強にとごくごく普通の高校生活を満喫している。まだ進路は決めていないけれど、大学に進むという選択肢もあるので成績はそこそこ上位をキープ中。

父は僕を私立の学校に入れたかったらしいが、僕としてはいい友達もいるし満足している。

ちなみにクラスの女子が雑誌を見ながら「これ可愛い~」などと言っていると、リサーチの為についつい覗きこんで話に混ざってしまうので、学校での僕の評判は“真面目そうに見えて意外とチャラい奴”だったりする。

だけど大切な事なんだ。


ジュエリーは女性を中心に動いている。その購入のほとんどが女性、または男性から女性へのプレゼントだからだ。

そして彼女(クラスメート)たちはその予備軍。これから社会人となり流行を作っていく人たちだ。傾向を知る為には不名誉なそしりもやむを得ない、とは大げさか。まあ楽しんでいないと言えば嘘になるけど。



「――アルバイトって、どんな?」

「ほら、前に言っていただろう。ジュエリーの製作に興味があると」


いずれ引退する祖父に変わって全ての実権を握る事になる父は、大学では経営学を専攻し、営業職を経て5年前に社長に就任した。

そのため父は、僕の進路は大学で経済を学び、卒業後まずは営業職と、自分と同じ経歴を考えている。

だが祖父は、父の経営手腕に多少不安も不満もあるようだ。

もちろん父だって『作り』に関しての基本的な知識はある。しかしそれは、あくまで基本的なものであって決して職人のそれではない。

だから祖父は、僕には技術的な事をきっちり修得させ、その方面から父のサポートをさせたいと考えているらしい。

それに僕自身も、数字の世界よりも作る方が面白そうだと思っていたりする。


製作に精通し、現場が解る人間。それが祖父の理想の経営者――または経営者である前に職人であれ、という事かな?

……なんて難しい経営哲学は抜きにしても、じいちゃんは本当にジュエリーが好きなんだと思う。

だってジュエリーに関する色々な事を教えてくれる時のじいちゃんは、すごく楽しそうだ。宝飾は小さい頃からごく身近なものだった。思い出は、父の難しい顔よりも祖父の楽しそうな顔と、より重なる。そんな祖父を持つ僕だから、純粋に以前から興味がある。

わりと手先は器用な方だし。



「溶けるぞ」

「あ、うん」

慌ただしくスプーンを動かし、祖父の話を聞きながらめまぐるしく考える。


進路は3年生になってから決めるつもりだけど、学校を卒業したら『SAIHARA』に入る事は、生まれた時からの決定事項だ。

とりあえず今、僕の目の前にある道は2つ。


1つ目は、美大かジュエリーや工芸の専門学校へ進み、知識・技術を修得した後、企画職として入社。この場合は経営の勉強は現場を学びながらになるだろう。

2つ目は父の希望通り、大学で経済や経営について学び、入社後は営業職。

選択肢に、“工場に入る”というのはない。


もちろん工場を研修という形で経験するはずではあるけれど、本当に理解するのに何週間かの研修じゃ全然足りないだろう。特別に研修期間を長く取ってもらう事もできるかもしれないが、結局相手が僕を社長の息子だと知っている状態では、たぶん本音も聞けない。それに大変だったり危険だったり極端に汚れるような作業はさせないように気を遣われるだろうし。

どの選択肢でも同じ事だ。それでは本当の意味で理解なんてできない。本当の現場を経験したとは言えない。

それを祖父も考えていたのだ。



「だから、誰もお前の事を知らない所で、製作を経験してみないか」

「……それって『SAIHARA』じゃない会社って事?」

「そうだ。知り合いの営業部長に頼んでみたんだ。うちより小規模だが自社工場を持つ中堅どころで、経営も今日明日つぶれるほど悪い会社ではない」

「………………」


長い不況の影響で、生活必需品ではない貴金属は宝飾業界全体としてかなり不景気で、加えて金・プラチナ・パラジウムなどの地金相場の高騰も影響している。

苦しい経営を強いられた会社は大小問わず潰れ、合併・統合する会社もたくさんあった。“悪い会社ではない”という表現は、今の時勢なら良い方だ。


ほんの少しかじったくらいで職人気取りになるのはおこがましいし、本当の職人さんに申し訳ない。

だけど全く『作り』を知らずにいきなり経営に回るのには抵抗がある。

この提案はチャンスなのかもしれない。

自分の本当にやりたい事・進むべき道を見つけ、決める上での。

少なくとも経験は無駄にはならない。

でも返事をする前に、1つはっきりと確かめておきたい事がある。

祖父の意思。


「じいちゃんは僕に、まずは“ゴールドスミス”になって欲しいんだね……?」


――貴金属細工職人(ゴールドスミス)

金などの貴金属の細工・加工に携わる職人の事をそう呼ぶそうだ。

祖父が教えてくれた呼び名。そして祖父自身そこから全てが始まった。



「浩人とお前は違う。あいつは不器用で、多少頭でっかちなところがあるから経済の方面に進ませた。だがお前は器用だしセンスがある。学んだ事は将来必ず役に立つ。製作の現場を経験している事は、後々営業に回るにしても企画に就くにしても、もちろん経営に携わるにしても、絶対的な強みになるんだ。儂が保証する」

技術を見に付けさせたいと考えているのは知っていたけれど、ここまで思い切った方法を考えていたとは思わなかった。


エスプレッソが静かに運ばれる。

口に残っていた苺の甘みが香り高い液体に流される。

春休み、今のところ特に予定はない。残念ながら彼女もいないし、部活も文化部だから休み中の活動はない。

決心するのに大して時間はかからなかった。面白そうだ。

カップに残ったコーヒーを一息に飲み干すと、言った。


「分かった。やるよ、じいちゃん」

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