詩織を赦す

柳居紘和

詩織

詩織はとても可愛かった。


身長156cm、白い肌に愛らしい笑顔が良く似合う華奢な女の子。髪はまぁまぁ長くて、生まれつき少しだけ茶色がかっている。もちろん、さらさらストレートだ。


良くヘアピンなどを使って、髪を飾っていた。ヘアーアイロンを使って、軽くクセをつけることもあった。


多彩な髪型と同様に、表情もころころと変わる。


ポーカーフェイスなんていう言葉は彼女にとっては縁のない言葉だ。心がそのまま表情に出ているようにすら感じる。


服装は暖色系の淡いものが多かった。


ズボンの類はスポーツをするとき以外はあまり身に着けず、スカートが多かった。時折、ワンピースも織り込んでいた。


そのどれもが彼女には良く似合っていた。


「オンナノコ」という響きが彼女には良く似合う。


とにかく、愛らしいのだ。


性格は控えめで大人しいが、親しい人には満面の笑顔を見せてくれる。


頭は良いが、どこか抜けてることもある。理解力は素晴らしいが、発想力は斜め上とでもいえばいいのだろうか。


しかし、そんなところがまた可愛かったりする。


とにかく僕はそんな詩織に一目で恋に落ちたのだ。


だって仕方ない。容姿も性格も好みのタイプのど真ん中だったのだから。







「君を幸せに死なせてあげる。」


僕のひねくれたプロポーズに彼女は頷いてくれた。


長かった交際期間を経て、ついに僕たちは家族になったのだ。


挙式、新婚旅行、新生活と慌しくも幸せな日々が過ぎていった。


新しい環境に戸惑うことはなかったと思う。何しろ3年間も同棲していたのだ、既に僕たちの関係は夫婦と同様だった。


やがて僕たちは子供を二人授かった。男の子が1人、女の子が1人の兄妹だ。


妹の方は詩織に似て容姿端麗だった。兄の方は残念ながら僕に似てしまったようだが、自分の息子だという実感が持てることは嬉しい。


僕は至って普通の容姿をしていると思うのだが、詩織からすれば僕はとても格好が良いらしい。


運よく僕が彼女の好みのタイプだったということだろう。もしかしたら詩織に釣り合おうと努力をしてきた成果かもしれない。


そんな詩織は、数年ごとに僕に謝る。


「あなた、ごめんね?」と、突然の謝罪。そして僕は答える。


「今度はどうしたんだ?」


「えへへ…。」


少し申し訳なさそうな微笑みを浮かべる詩織。そしてその後に謝罪の内容が明かされる。


そのやり取りは、我が家では最早通例になっている。


最初の謝罪は大したことではなかった。


「子供が生まれるし、髪を短くしようと思うの。」


「それは…好きにすればいいんじゃない?」


詩織の髪はその時は背中まで伸びていた。


「それで、ずっとそうしようと思う。」


「もう伸ばさないってこと?」


「うん…たぶん。」


「…でも、どうしてそれで謝るの?」


「だって…。」


詩織は俯いて上目遣いで言葉を続けた。そんな仕種もいちいち可愛らしいのが、我が妻だ。


「だってあなた、さらさらな長い髪が好みだって言ってたから…。」


「何だ、そんなことか。別に君の髪だけが好きなわけじゃないさ。だからそんなに気にすることじゃないよ。」


「本当?」


詩織の表情は途端に明るくなった。そして嬉しそうに僕の胸に飛び込んでくる。


僕は撫でおさめとばかりに、彼女の髪を手櫛ですいてやった。


その後も何度か詩織に謝罪されるうちに、その共通点に気がついた。


どうやら、僕が好きだと言った彼女の一部が失われることを申し訳なく思っているらしい。


スカートを穿くのをやめたり、服を買う頻度を少なくしたりすることにも謝罪をする。


そりゃあ確かにスカートが似合うとか、色んな服が似合ってオシャレだと褒めたことはあるが、それが全てじゃない。


詩織にはまだまだ素敵なところがたくさんあるのだ。


僕は彼女の謝罪を全て赦していった。







しかし、塵も積もれば山となるのも事実。


僕が詩織を赦すたびに、若かりし頃の美貌はかすれていった。


それでも僕は詩織のことが好きだった。たとえ体重が10キロほど増加しても、普段着がジャージになっても、髪に白髪が混じってきても、顔の皺が増えてきても、胸が垂れてきても、僕の気持ちは変わらない。


誰から見ても美少女だった詩織は、誰から見てもおばさんになり、そして誰から見てもおばあちゃんになっていった。


もはや僕が好きだった詩織の面影はなく、可愛らしい名前とはかけ離れた老女となった彼女だったが、表情豊かなところは昔のままだ。


「あなた…ごめんなさい。」


僕は詩織の最後の謝罪の言葉を受けた。


「どうしたんだい?」


「えへへ…。」


彼女の微笑みは80歳を超えた今でもあどけなく、昔のままだった。


一つだけ違いがあるとすれば、感情を押し込めて作った笑いということだけだ。


「もう、笑顔を作ることができないと思うの。」


「そっか…それじゃあ、全部なくなっちゃうな。」


「…えぇ。」


詩織はまるで、隠していた赤点の試験を見つけられた子供のように目を伏せてしまう。


「…赦すよ。」


「え?」


「全部なくなっても、詩織のことを愛してる。」


そう言うと、詩織は目に涙を浮かべて僕の手を握る。


「あなた…ありがとう。」


「なぁ、詩織。約束守れなくてごめんな。」


「約束?」


「そう、幸せに死なせてやるって約束。」


「…あ。」


「ごめんな、詩織より先に死んじゃうみたいだ。」


「何だ、そんなこと。」


「え?」


「そのことを赦すことはできないわ。だって…」






薄れていく意識の中、僕は確かに彼女の言葉を受け取った。











「私はきっと幸せに死ぬことができるもの。」

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詩織を赦す 柳居紘和 @Raffrat

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