Episode_16.29 不安と疑問の船出


 一瞬視界が暗くなり、足元の感覚が無くなると、次の瞬間には元に戻る。辺りは未だ暗く、吹き付ける風は冷たい海風。羽織はおっていた外套マントが突然バタバタと風を受け始める。ユーリーは辺りを見回し、自分が山肌の岩場に立っている事を知った。同時に強い硫黄の匂いを感じる。


「ここは?」

「カルアニス島の中央にある火山の北側、街の反対側ね」


 背後から答えるのはアンナの声だ。彼女の相移転で瞬時に三人はこの場所へ跳んだ・・・のだった。


魔力感知マナディテクトを使って、あちらをご覧なさい」


 ユーリーはアンナに言われるままに付与術を発動すると魔力を可視化する視力を得る。そしてアンナが指す方を見る。そこには、酒杯をひっくり返したような形の山の頂があった。しかし、そこには先ほどまでは見えなかった「塔」が燐光に包まれて建っていた。


 その塔は山頂の噴火口跡から少し北側に下りた斜面に隠されるようにして在った。背の高い塔だが、一つの岩石を彫り出して作ったように継ぎ目が無い外観が不思議な印象を与える。


「あれは『西の正塔』と呼ばれる制御の塔の一つ。『東の逆塔』と同じ目的・・・・で造られた制御の塔よ。この世界にはあの塔と同じ正塔が三つ、そして、それと対を成す、地中深くに掘り下げられた『逆塔』が三つ存在するの」


 アンナはそう言うと、フードを目深まぶかに被り直して更に続ける。


「制御の塔と呼ばれる塔は、遺跡としてこの世界の彼方此方に点在している。でも、大崩壊に繋がる召喚実験に関係した塔は今言った六つだけ。そして、エグメルが掌握しているものは、目の前の『西の正塔』、南方大陸の奥地に在る『南の正塔』、中原地方にある『中央の逆塔』そして、最近確保した『東の逆塔』の全部で四つ」


 アンナの語る塔の位置関係は、塔の正と逆を繰り返しながら南を頂点として描かれた逆五芒星のかたちを示す。逆五芒星は所謂いわゆる「場の不安定化」と端的に意味する魔術陣形の典型である。その事実にユーリーはようやく理解が追いついたように感じて、言葉を発していた。


「もしかして、エグメルは異神を召喚しようとしている? そして召喚するためには、塔が必要?」

「多分」

「恐らく」


 アズールとアンナの返事は期せずして重なる。しかし、ユーリーは更なる疑問を感じていた。それは、


「でも、目的は何ですか? 世界そのものを壊すような存在を呼び出して……一体何をしようと?」


 という、単純なものだった。


「それは分からないわ。エグメルが異神を召喚しようとしている、それ自体も証拠は無い。あくまで、状況的にそう思えるというだけの推測ね」


 ユーリーの質問にアンナはそう答えると、アズールの方を見た。


「アンナは、エグメルの中に留まってその様子を探ってくれる、ということだ」

「ただの、暇つぶしよ。エグメルの中は分からないことが多いから」


 アズールの言葉に、照れた訳ではないだろうが、アンナはそんな一言を挟む。アズールは短く「感謝する」と告げると、続きを言う。


「私は、所在の見当が付いている『北東の逆塔』を探ってみるつもりだ。そして、ユーリー、お前に頼みたいこと・・・・・・がある」


 アズールはそう言うと甥であるユーリーを見た。真剣な眼差しはこの使徒の常だが、今は力のある視線だった。


「最後の一つ『北西の正塔』なのだが、先日見に行ったところ、その塔はあるべき場所に存在しなかった」

「七百年も昔の塔ならば、壊れてしまったか……または、目の前の塔のように魔術で隠されていたのでは?」

「魔術で隠されているならば、私の目はそれを見通すことが出来る。しかし『北西の正塔』は、塔の基部を残して消え去っていたのだ」

「壊れる、または破壊される、ということは考えにくいわ。当時の魔術師にとって最重要な設備である召喚に係わる『制御の塔』は厳重な防備を施してある。星を大地に落とす魔術を以ってしても破壊は難しいはずよ」


 ユーリーの推測は二人によって否定された。北西の正塔は、壊れることも隠されている事実も無いのに、その場に存在しないと言う。そんな二人の言葉と、アズールが言い掛けた「頼みたいこと」という言葉が何を言わんとするのか、ユーリーには分からなかった。


「それで、アズールさん、僕に頼みたい事とは?」

「実は『北西の正塔』が在るべき・・・・場所は、お前の父親ジュリームが命を落とした場所の近くでもある」

「そして、王都リムルベートを襲った事件の際に、エグメルの魔術師ドレンドと対峙した或る老魔術師は自らを『北西の正塔の魔術師』と名乗っていたわ……」


 二人の視線と言葉を受けて、ユーリーは唾を飲み込んだ。まさかとは思うが、思い付いた事が口ついて出た。


「まさか……お爺ちゃんが何かを知っている……?」


****************************************


 順風を満帆に受けた帆船は、船首で波を切りながらリムル海を進む。カルアニスを出港した大型帆船だ。視界の隅には、同じ船団を組む別の帆船の姿が小さく見えている。


 ユーリーは船に染みついたような悪臭を避けるために、外へ出ると、既に見えなくなったカルアニス島の方角を眺める。少し離れた場所には、同じように甲板に出てきたジェロとイデンの姿があった。因みにリコットとタリルは相変わらずの船酔いで起き上がることも出来ない状態だった。


 ユーリーはしばらく無言で水平線を見詰める。


(北西の正塔は、きっとエルアナという女性……母親が居た国にあったのだろう。そしてジュルームという使徒が、その国を襲った戦争で命を落とした。そんな北西の正塔に関係しているというお爺ちゃん……か……)


 アズールが語った「頼みたいこと」とは、北西の正塔の状態と所在について、ユーリーの養父であるメオン老師に訊いて欲しい、というものだった。そして、ユーリーはその依頼を受けたのだった。ただし、アルヴァンの事が優先であった。


 そんなユーリーはアルヴァンを襲った危急に対してアズールとアンナに援助を求めたが、二人は夫々別の理由で断って来た。アンナは未だ「エグメル」の一員であるため、そこまで自由が利かず、且つ友好的な四都市連合に敵対する行為は今後の活動に支障をきたす可能性があるため出来ない、ということだ。そしてアズールは、極力人間の営みに介入したくない、という理由で断った。


(まぁ仕方ないか……あの人達には別の優先事項がある……)


 少しの不公平さを感じつつも、ユーリーはそう納得していた。そして小さく一つ溜息を吐いたとき、不意に背後から腕を回される感触を覚えた。


「ユーリー、ここにいたのね!」

「リリア」


 気配を悟らせることの無い少女は、いつの間にかユーリーの背後に近付くと外套の上から抱きついてきたのだ。彼女は一度だけ抱きつく力を強めると、そっと腕を外してユーリーの隣に立った。


 彼女は、ユーリーと同じように水平線に視界を向けながら、その視線は空の彼方此方を移動している。きっと帆を満たす風の精霊働きを見ているのだろう。


「あと二日でインバフィルね」

「風次第だ、ってことだけど……大丈夫そう?」

「大丈夫よ、私とヴェズルがいるから」


 そう言うリリアは、ユーリーの視線を受けてニコリと微笑む。


 あの未明の会合について、リリアはユーリーが二人の人物と会っていた事、その後島の反対側の山の斜面へ移動したことを知っていた。どちらも若鷹ヴェズルの視界から見ていたのだ。しかし、その事でユーリーに疑問を投げかける前に、ユーリー本人から事情を聞かされていた。そんな彼女は、今、愛する青年の心の中に二つの屈託があることを知っている。一つは漠然として小さなもの。もう一つは、親友の身を案じるとても大きな不安の塊だ。


「ユーリー……大丈夫よ、きっと大丈夫」

「うん……」


 愛する少女の発した、慰めるような、力付けるような言葉にユーリーは一度頷く。


 上空を舞っていた一羽の鷹が、不意に南から北へと向きを変える。速く、低く飛とぶその姿に、思わずその方角を見た二人の視界には、冬の重苦しい鉛色の雲が層を成した空が広がっていた。船は、その雲の中へ飛び込むように、只管ひたすら北を目指していた。


Episode_16 ハシバミ色の月 (完)

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