Episode_16.08 王子急襲


 レイモンドの本陣は北の門からディンス城砦に続く大通りに在ったが、アーヴィル達が出発して間も無く、近隣の住人が、


「殿下にご挨拶したい」


 とやってきたのだ。この辺りの住民の代表であるという初老の男性と若い娘、そして差し入れの食糧を満載した荷車を引く下男と思しき男二人だ。


 ドリッドは、その面談の申し入れを断ろうとしたのだが「どうか一目だけでも」という初老の男性の声がレイモンドの耳に入ってしまい、結局、


「構わない、通せ」


 ということになった。


 住民の代表という男と娘、それに荷車を引いた下男二人は、本陣の奥にあるレイモンド王子の幕屋まで進む。レイモンドの周囲には少し警戒したような様子のドリッドを含めた騎士十人が控えている。しかし、レイモンド王子は余り気にした風ではなく、極めて快活に声を掛けた。


「住民達へは、騒がせて済まんと伝えて欲しい。事は直ぐに終わると思うが、それまでは日々の生活に不便を掛ける」

「勿体無きお言葉……不便だなどと、レイモンド王子殿下の統治に戻ることを住民一同心待ちにしております故、どうか御存分に」

「私どもから、心ばかりではございますが、食糧やお酒などを献上いたします」


 王子の言葉に初老の男性が平伏して答え、連れの若い娘がそう言うと、下男二人が荷車に掛けたムシロを取った。そこにはたしかに酒や塩蔵肉類が詰められた樽が積まれていた。


「これは、有り難い……この戦いが終わった時は、確かにこの酒で祝うことにしよう」


 心から嬉しそうに応じるレイモンド王子であるが、周囲を固める騎士の一人はドリッドの目配せに応じて、荷を検分するために近付いた。その時、


「敵襲! 敵襲!」


 陣の外から、大声が上がった。


 その場にいた騎士達やレイモンド王子自身の注意が一旦逸れる。その瞬間、異変は彼等の目の前で起こった。その異変にいち早く反応したのは……ドリッドだった。


「ッ!」


 全員の注意が外へ向くなか、その間隙に、初老の男性がレイモンド王子に飛び掛かったのだ。いつの間にか、その手には先端鋭い鎧通しスティレットが握られていた。ドリッドは、咄嗟に自分の大剣では間に合わないと察し、体を投げ打って男とレイモンド王子の間に割り込む。板金鎧プレートメイルがガシャンと大きな音を立て、その場でドリッドの巨体が傾いた。


「ウグゥ……」


 レイモンドを狙った凶刃は、寸前のところで彼を庇ったドリッドの首筋に突き立っていていた。そこで、ようやくその場の全員が異変に気付く。数人の騎士が剣を抜こうとしたが、そこにむしろを目隠しのように掲げた二人の下男が突っ込み、体当たりで騎士達を転倒させる。


「ドリッド!」


 レイモンドの声が響く。対する初老の男性は深く突き刺してしまった武器を引き抜けず、反対にドリッドの金属鎧の重量を含めた全体重を受けて体勢を崩す。しかし、したたかにも、転倒する寸前に数本の投げ矢ダーツをレイモンドに投げ付けていた。


 ガシャン!


 ドリッドは最後の力を振り絞ると、男に圧し掛かるようにして倒れ、息絶えた。一方レイモンドは投げられた投げ矢ダーツを寸前の所で躱していた。細い針のようなやじりは彼の頬と首を浅く切り裂き後方へ抜けて行った。そして、


「イヤーッ!」


 殆ど同時に、若い娘の悲鳴のような声が響く。その手には小剣スモールソードが握られていた。それを腰だめに構えてレイモンドに体当たりするように突進してきたのだ。


「っ!」


 レイモンドはその切っ先を咄嗟に手甲ガントレットを装備した右手で跳ね除ける。そして、殆ど無意識のまま、利き手とは逆の左手で、逆手に「守護者ガーディアン」を抜き放ち、その動作のまま突進する娘を逆袈裟に切払っていた。


 娘は血飛沫を上げながらその場に倒れるが、息絶える寸前に渾身の力を振り絞って、小剣スモールソードを振り抜く。一瞬黒紫の光が瞬き、足元からレイモンド王子の腿の裏を切り裂き浅い傷を負わせた。だが、そこまでだった。


「ドリッド殿!」


 下男二人を討ち取った騎士達が倒れたドリッドに駆け寄る。レイモンドもそうしたかったが、彼は不意に地面が揺れるのを感じていた。


(なんだ……身体が動かない……目が回る……)


 レイモンドは、それが毒の効果であることに気付く前にその場で崩れ落ちると意識を失った。


「あぁ、 王子ぃ! レイモンド様!」


 本陣の幕屋は大騒ぎになった。しかし、その外でも同様の大騒ぎが起きていた。


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 三日前に、ディンス城砦へ進軍する王子派軍を急襲し、その勢いを喰い止めた騎士や兵士達は、そのまま各自散開して街中に潜伏していた。当然、先ほどの火災は彼等の一部が仕掛けた罠だった。そして、その罠に掛かった王子派軍はレイモンド王子の本陣を手薄にしてしまったのだ。その間隙を好機と断じた王弟派の残存兵力は捨て身の行動に出ていた。


 レイモンド王子の本陣は大通りに設置されている。そのため、周囲には幾つもの辻や小路があった。そして、その内の幾つか ――丁度陣の前方と後方―― から突然、数十人の残存兵や騎士が飛び出してきたのだ。


 次々と姿を現す彼等は総勢で百数十人。あっという間に本陣を包囲していた。


「敵襲! 敵襲!」

「第一小隊、騎士達と正面を、第二、第三は裏面を守れ!」


 敵襲を告げる大声と、部隊配置を指示する声が響く。そして、たちまち大通りは戦場と化した。


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かったな、レイモンド!」


 声を上げるのは騎士だろう。全身を覆う金属甲冑を身に着けて徒歩ながら馬上槍を振り上げている。


「狙うは逆賊レイモンドの首一つ! 討ち取れ! かかれぇ!」


 その騎士は大音声に号令を掛ける。そして、敵兵は騎士といい歩兵といい、皆が一斉に本陣目掛けて突進してきた。


 対する王子派の中央軍は、弓兵が矢を放つ一方で、他の兵は盾と槍を構えて迎え撃つ格好になる。先に接敵したのは本陣の裏側の部隊だった。槍や盾で相手を打ち叩く音が大通りに響く。


 それに少し遅れると、正面側も接敵となった。敵の配置は裏側に歩兵が多く、正面に騎士が多かった。数の上では互角であるが、守る王子派軍は体勢が整っていない。何とか前列だけを防衛形態に整えたところで、敵騎士が重装備に物を言わせてその前列を寸断した。数十人の敵兵がその後に続く。本陣正面は、敵と味方が入り乱れる乱戦の場と化してしまった。


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 先の戦いで敵騎士から奪った騎馬を駆る遊撃騎兵隊の面々は、いつもと勝手が違う馬を操りながらディンスの街中を駆けていた。思わぬ椿事ちんじ ――王弟派の輸送船拿捕―― があったため彼等の配置転換は半日ほど遅れていた。そして、ディンスの城砦を右手に見ながら北の門へ続く大通りに出たところで、思いも掛けず戦いの音を聞いたのだった。


 怒号と悲鳴、それ以外にも雑多な音が地鳴りのように響くそれは、彼等には聞き慣れた音だった。


「本陣が襲われているのか?」


 ダレスが声を上げる。彼等の団長であるロージは歩兵隊の指揮を執るため港湾地区に残っていた。そのため、今は彼等が行動を決めなければならない。


「わからん! だけど、急ぐぞ!」

「応!」


 勢い、ヨシンがそう答えると先頭に立つように馬を駆る。直ぐに前方で乱戦を繰り広げる集団を発見した。


「伏兵の攻撃を受けているのか!」

「分からんが、王子をお守りしなければ!」


 その光景に騎兵隊の隊長達は口々に言うが、行動が早いのはヨシンだった。無言で馬の速度を上げると、乱戦へ後方から突入する勢いだった。


「続け! ヨシンに続け!」


 ダレスは、声を張り上げると自分も馬の速度を上げた。こうして、騎兵隊三十騎は再び戦場へ突入していったのだ。


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 一時優勢に立っていた王弟派残存兵力だが、騎士を多く含む正面部隊の背後を新手の騎兵隊に突かれた事により、攻勢は急激に削がれていった。彼等は本陣の奥にあるレイモンド王子の幕屋まであと一歩、というところに迫りつつも、体勢を立て直した中央軍の歩兵に前を、そして騎兵隊に後ろを包囲されてしまった。


「投降しろ! 無駄なあがきだ!」


 王子の幕屋から出てきた中年の騎士が朗々とそう呼びかける。しかし、王弟派の残存勢力は抵抗を諦めなかった。


「断る! くだるくらいならば、一命賭して噛み付いてくれるわっ!」


 彼等を率いていた騎士は、必死の形相でそう言うと最後の攻勢を呼びかけた。そして、死兵と化した敵集団は文字通り凄まじい抵抗を示した。しかし、結局は数に圧され、後方から射掛けられる矢によって数を減じていく。そして最後には、抵抗叶わないと察した騎士達が自刃して果てたのだった。


 一方、本陣裏の攻勢も、正面側が瓦解した状況を受けて敵兵が逃走したために間も無く終結していた。兵達は勝鬨かちどきを上げる。防戦の鍵を握った騎兵隊の面々も同様だ。しかし、王子の幕屋周辺だけは、空気が明らかに重苦しいものだった。


(なんだ? そういえば、レイが見えないな……)


 ヨシンはその様子を不審に感じたが、その理由は直ぐに彼も知ることになった。


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 消火作業から駆け戻った騎士アーヴィルは、幕屋の中で、必死の形相で何度も宙に模様を描く。もう何十回と繰り返した行為だ。しかし、土気色に変じたレイモンドの顔色は変わらない。硬直したように目を瞑り、歯を食いしばっているレイモンドは、数人の騎士によってベッドに押え付けられている。こうでもしないと、不意に起こる激しい痙攣で余計な怪我をする可能性があったのだ。


「くそ……」


 アーヴィルが魔力を尽くして発動しているのは魔術による「治癒」だ。正の付与術であるこの魔術は、掛けられた本人の回復力を増進させるものだが、習熟が進むと気絶や麻痺、毒に対しても効果を表わすようになる。しかし、


「くそ、魔術の治癒ではどうにもならない! 聖職者はまだか! 早く連れて来い!」


 アーヴィルは今まで誰にも見せた事の無い剣幕でそう怒鳴る。そこに、やや乱暴に腕を引っ張られた状態で二人の聖職者が幕屋の中に連れられて来た。


 武装した騎士に連れられた彼等の様子はまさに「連行された」という様子だが、それだけ事態は切迫していたのだ。


「パ、パスティナ神殿の神官助手です」

「わたしは、デーヴァ神殿の助祭です」


 そう名乗る二人に対して、アーヴィルは怒鳴り付けるように確認した。


「ディンスで一番腕の立つ神蹟術の遣い手で間違いないな!」


 その剣幕に、二人はウンウンと何度も頷く。


「解毒を、それから解呪を! 早く!」


 アーヴィルの言葉のうち、解毒というのは納得が出来た。レイモンド王子が暗殺者の毒を受けているのは、幕屋の中の限られた人物の目には明らかだったからだ。しかし、解呪というのはどう言う事だろうか?


 聖職者の一人もそれを疑問に思ったらしく、そう問いかけた。対するアーヴィルは暗殺者の内、若い娘が持っていた小剣スモールソードを指し示して答えた。


「効果は分からんが、この剣は魔術具の剣だ。そして、毒だけならば私の治癒で緩和出来るはずだが、その魔術の効果が殆ど効かないのだ」


 詳細不明だが、暗殺者の剣には「正の付与術の効果を減衰する」という効果があるようだった。その効果によって、アーヴィルの治癒は効果を充分に発揮できず、解毒に至らないのだった。


 そして不運な事に、ディンスの街で最も優れた神蹟術の遣い手という二人の聖職者は、その正体不明な魔術の効果を解呪イレースすることが出来なかった。そんな彼等は、次善の策として、治癒と、解毒の神蹟術を交代で使い続けている。時折アーヴィルが魔術による解呪デ・スペルを試みるが、これもレイモンドに絡みついた正体不明の魔術具の効果を打ち消すことは出来なかった。


 聖職者の祈りと、魔力の限界に近付いたアーヴィルの呻き声が重苦しく幕屋に響く。その光景を忸怩じくじたる思いで見守るヨシンは、彼なりに必死に考えていた。毒による死者は見たことが無いが、レイモンドの顔色は明らかに瀕死の人間のそれだったのだ。


(何かないか? ユーリーだったらどうする? ユーリーだったら……)


「あっ!」


 その瞬間ヨシンの頭の中に或る光景が広がった。それは四年前、小滝村を巡るオーク戦争で見た光景。瀕死、いや即死同然の致命傷を受けたユーリーを何事も無かったよう治した聖女の存在だった。そして、その聖女はそれほど遠くないところにいるのだった。


「どうしたヨシン!」


 突然声を上げたヨシンに、ダレスが問い掛ける。しかし、ヨシンはダレスには答えずアーヴィルに向って言う。


「リシアなら、絶対治せる!」


 時間にしてほんの十分後、ディンスの通りに張られた本陣から鳩が三羽、東の空へ向けて放たれていた。

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