Episode_10.25 二人の距離


 「相移転」は空間を渡り、瞬時に別の場所に跳ぶ魔術。これは召喚術系統に分類されるものだ。ユーリーは今まで何度か、目の前でこの術を使い、姿を消す魔術師を見たことはあったが、自分が体験するのは初めてだった。瞬間、目の前が真っ暗になり、足元から地面の感覚が無くなる。同時に上下左右の感覚を喪失し、自分をかたどる輪郭自体が無くなり、まるで空間にけ出した感覚を覚える。しかし、次の瞬間には、それらは逆の順序を辿るように中心目掛けて収束し、元の自分の形へ戻るのだ。そして、目を開ける。視覚よりも嗅覚が先に、異様に濃い血の臭いを感じている。


「っ! ルカン!」


 ユーリーとメオン老師が「相移転」した場所は第二騎士団の詰所前であった。第二城郭内で、メオンの記憶に残っている場所が此処だった訳だが、奇しくもそれは殺戮劇の繰り広げられた現場でもあった。


 そして、ユーリーは目の前の光景、不気味な漆黒の巨大な骸骨からの攻撃を、光の障壁を張って防ぐ赤く染まった白馬の姿、に思わず叫び声を上げていた。一方、叫び声を上げるだけのユーリーと比べて、遥かに実戦慣れしたメオン老師は既に「光導の杖」に魔力を籠めている。目標は目の前で立ちすくむ無角獣にトドメの一撃を振り下ろそうとする存在 ――魔神―― である。そして――


バンッバンッバンッ!


 杖の先端から走る三本の「光矢」が闇を切り裂き、魔神の上半身に炸裂する。パッと華が咲いたような光輪が三つ夜の闇に浮かび、そして消えた。極属性光の強力な攻撃術である「光矢ライトアロー」は魔神の体表に薄く形成されていた暗血色の筋肉を吹き飛ばすと右手を振り上げた状態の魔神それを、二歩後退させていた。しかし、それだけだった。


(おのれ……あれは、下位の魔神では無いのか……)


 メオン老師の背中に冷たい汗が流れる。今の攻撃は、相手が下位魔神であれば、倒す所まで行かなくても、かなりの損傷を与える威力があるはずだった。しかし、目の前の巨大な漆黒の骸骨の形をとった魔神には、余り効いたという様子がない。寧ろ無駄に注意を惹いてしまう結果となっていた。


「ユーリー! 侯爵様達を助けて、遠くへ逃げるんじゃ!」

「わ、わかった……けど、お爺ちゃんは?」

「儂は……」


 メオンはそこで一度言葉を呑み込む。心配そうな顔で自分を見ているユーリーを騙すような事を言うのは忍びなかったが、仕方ない。


「儂はあの魔神を倒す」


****************************************


(うぅぅ……まったく、年甲斐も無く前線にしゃしゃり出ると碌なことは無いな、ヒドイ目にあった……)


 侯爵ガーランドは、不意に強烈な閃光を感じて、短く気絶していた意識を取り戻し始める。そして、自分が地面に倒れ伏していることに気が付くと、半身を起こして周囲を見渡した。自分の直ぐ近くには覆い被さるように、さっきまで乗っていた馬車の残骸が転がっている。そして、その周囲には自分同様地面になぎ倒されて気を失っている者の姿が大勢あった。


(一体何が……?)


 余りに突然の出来事に理解が追いつかないのを感じるガーランドは、もう一度周囲に目を凝らす。すると、倒れた者達の中から起き上がり出す者の姿が見えた。それは、頑丈さで定評のあるドワーフの戦士達で、衝撃波からいち早く立ち直ると、馬車の残骸の陰になる場所へヨロヨロと歩いているのだ。


「――様、侯爵様! ガーランド様、御無事ですか!」


 徐々にまわりの音が聞こえ出す感覚に、ガーランドは今まで、衝撃のせいで耳が聞こえていなかったことに気付く。そして、聞こえてきた声は自分を呼ぶポンペイオ王子の物だと分かると、応えるように声を発した。


「ポンペイオ王子、儂はここじゃぁ!」


 我ながら、老人然とした弱々しい声が出ることに悔しさを感じつつもガーランドは身を起こそうとするが、そこで半身に何かが覆い被さっていることに気付いた。そして改めてそれを確認したガーランドは、自分に折り重なるようにして倒れ込み気を失っている少女の姿を認めた。


(……っ、そうじゃった……)


 ガーランドは、その少女 ――リリア―― の顔を見て、衝撃波が襲ってきた瞬間の出来事を思い出していた。


 その時、城門前に現れた異形の存在を良く見ようとガーランドは馬車のステップを降り掛けていた。この少女が、自分を支えるように手を差し出していたと思う。そこで、宮中魔術師の鋭い声が上がり、その一瞬後に衝撃波に襲われたのだ。ガーランドは馬車共々跳ね上がり掛けるが、それをリリアに掴まれていた。


 そして、荒れ狂う衝撃の中揉みくちゃにされたガーランドの目には、一メートル以上跳ね上がった馬車が横倒しになって自分へ向かってくるのが見えた。しかしその時、


ドンッ


 という衝撃を受けて地面に突き倒されたのだ。


「……そうか、この娘が庇って……」


 そう呟くガーランドの視線は、リリアの足元に注がれている。うつ伏せに倒れ込んだリリアの左足は馬車の残骸の下敷きになっているのだ。もしも、リリアが咄嗟に突き飛ばさなかったら、この老侯爵の生涯は、混乱の中で馬車下敷きとなって幕切れとなっていただろう。


「おい、娘、リリアとやら! しっかりせんか! こら!」


 うつ伏せとなったリリアの下からゆっくりと自分の足を引き抜くと、侯爵はリリアに呼びかける。息は有る、脈もある、そう見て取るガーランドはもう一度彼女の足に圧し掛かった馬車の残骸を見る。


「ふむ……よかった。潰されておるわけでは無いか、挟まっておるのじゃな」


 そう見て取り一安心する。自分を庇った恩人であるうら若い・・・・乙女が、これからの人生を片足無しで生きて行くのは「忍びない」と感じてのことだ。そこへ――


「ガーランド様、こちらでしたか! 御無事で?」

「おお、ポンペイオ王子。儂は無事だが……この者に庇われたのじゃ」

「ぬ、この娘はユーリー殿の……おい、みんなこっちへ来い。馬車をどかすぞ!」


 ポンペイオ王子の命令で、ドワーフ戦士達はワラワラと馬車に集まって来る。そこへ今度は、


「リリアー! 王子ー! 侯爵様ぁー!」


 と緊迫した声で呼ぶ声が近づいて来る。ユーリーであった。


***************************************


 ユーリーは第二騎士団の詰所前から駆け出すと、倒れ伏している人々の所へ向っていた。一人残った養父のメオン老師も気になるし、未だに魔神と対峙しているルカンも気になるが、何を置いても途中で交信の途切れたリリアの無事を確認したかった。そんなユーリーの眼前には横倒しになった馬車を中心に、主にドワーフ戦士達が集まっているのが目に入った。


 心配を掻き立てられたユーリーは、声を上げてリリアやポンペイオ王子を呼ぶのだった。すると、直ぐに目の前に横たわる転覆した馬車の反対側からポンペイオ王子が返事をする声が聞こえてきた。


「ユーリー殿! こっちだー!」


 慌てた様子で馬車を回り込んだユーリーの目には、ポンペイオ王子と侯爵ガーランド、それに倒れた馬車を引き起こそうと集まるドワーフ戦士達の姿が映る。しかし、直ぐにその視線は彼等の足元で、横倒しになった馬車に脚を挟まれ、うつ伏せに倒れたリリアに吸い寄せられるのだ。力なく倒れ伏した彼女の頭には、以前自分が贈った鳥の片翼を模した髪飾りが儚げに留められていた。


「リリアッ!」


 殆ど悲鳴のような叫び声を上げて駆け寄るユーリーの様子に、侯爵ガーランドの声が響く。


「落ち着かぬかっ!」


 それは威厳に満ちた一喝だった。しかしユーリーは、その言葉が耳に入っていないように、リリアの元に駆け寄る。


「大丈夫、息はある。気を失っているだけじゃ……儂は、このリリアという少女に助けられたのじゃ」


 そう説明する侯爵ガーランドの声が、どこか遠くで喋っている風にしか感じられないユーリーだった。そんなユーリーはリリアの片側に膝を付くと、体を揺すろうと手を掛けかけて、出来ずにいた。下手に動かすと、良くないかもしれない、と考えたのだ。そしてどうすることも出来ずに、意識を失ったままの少女を見るのである。そんな様子のユーリーは、不意に肩をバシィと叩かれる。隣に来たポンペイオ王子だった。


「ユーリー殿、気が動転するのは分かるが、そなたには役目が有るはずではないか? この娘は大丈夫だ、我がドワーフ戦士団がもう直ぐ馬車を退ける」

「ポンペイオ王子……」

「王子の言う通りじゃ、心を乱して任務を忘れてはならん。して、ユーリー、王宮内で何があったのか? そして、あの異形の者はなんだ?」


 ポンペイオ王子の言葉にようやく取り乱した心を落ち着けたユーリーだが、続く侯爵ガーランドの言葉に小さな反発心が沸く。それでも、状況を考えると、そんな小さな反発心に囚われている場合ではないと、気持ちを押し殺して報告するのだ。


「王宮内でポンペイオ王子を救出後、ルーカルト王子らと交戦しました。ルーカルト王子は、ローデウス王から王位を譲られたと称しておりましたが、我々と交戦の結果……死亡しました」

「なんと! 王族を討ったのか……で、ではローデウス王はどうなったのじゃ?」

「わかりません、今アルヴァン様達が安否を確認に居館へ向かっているはずです」


 ユーリーの報告に、流石の侯爵ガーランドも顔色を無くしていた。しかし、終わってしまったことよりも大切で切迫した事態が目の前に迫っているのだ、ユーリーは言葉を続ける。


「いま、おじい……養父のメオンと、一角獣ルカンが立ち向かっているのは『魔神』という存在です。恐らく、ルーカルト王子と共に居た魔術師が召喚したのでしょう……あれは危険だということです。どうかポンペイオ王子も侯爵様も……遠くへ避難してください」


 人知れず拳を握りしめて言う、そのユーリーの言葉にポンペイオ王子が返事をする。


「分かった、退避しよう。だが、この少女を助けた後でだ!」


 ポンペイオ王子はそう言うと、馬車に取り付く部下の戦士達を叱咤する。


「お前達! サッサとしないか! 『命の恩人』に恩返しできる絶好の機会なんだぞ。もっと気張れ!」

「そうじゃ、ポンペイオ王子、梃子を使うんじゃ!」

「おお、流石侯爵様、それに気付かぬとは……なんとも情けない!」


 リリアの傍らに膝を付いたままのユーリーは、声を上げるポンペイオ王子や侯爵ガーランドの姿を目で追っている。梃子を使うという発想を実現するために、ドワーフ戦士達は周囲に落ちていた槍を拾い集めている。束ねて梃子棒にするのだろう。そうする内に、ドワーフ以外の人々も気が付いたように起き上がってくる。


 リムルベートの役人や宮中魔術師のゴルメス、それに宰相達は、侯爵ガーランドやポンペイオ王子に今すぐ後退することを申し出ているが、侯爵ガーランドから一蹴されていた。


「儂を庇った者を見捨てろというのか、ん?」

「しかし……」


 今も、逃げましょう、と言う宰相を睨みつけるように言う侯爵である。こう言われてしまうと、宰相は二の句が継げなかった。


 そんな人々のやり取りの中、ユーリーは何も言えないでいた。本来ならば、何を置いても直ぐに避難してもらうべきなのだが、その事をついに口に出せないでいた。


(……僕は……なんて中途半端なんだ……)


 無力感と自責の念が不意に湧き上がる。その時、


「うっ……うぅ」


 気を失っていたリリアが呻き声を発した。気が付いたのだ。


「リリア! 大丈夫か? 何処か痛むか?」

「あ……ユーリー……あれ、私……」


 リリアはそう言って身体を起こしかけて、初めて自分の左足の上に馬車が圧し掛かっていることに気付いた。そして、うつ伏せの状態から何とか頭を巡らし、ユーリーの方を向いたリリアは力無く笑って見せる。


「左足の感覚が……無い、かな?」

「大丈夫、直ぐにポンペイオ王子達が馬車を退かしてくれる」


 そう言うとユーリーは思い出したように「治癒ヒーリング」の術を掛ける。今まで気が動転して、こんなすぐに出来ることさえ思い付かなかった自分に呆れるような気持ちになる。無事「治癒」の付与術を発動すると、ユーリーは次に「止血ヘモスタット」の術を試みるが、発動前に中断してしまった。何故なら、


「なんか、ごめん……なさい。私、またユーリーの重荷になってるのね……絶対嫌だったのに。ごめんね、許してね……私、ユーリーと一緒にいたらいけないのかな……」


 まだ意識が朦朧としていることが見た目にも分かるリリアは、焦点の定まりきっていない視線でユーリーを見つつ、そんな言葉を呟く。小さい声だったが、魔術陣に意識を集中していたはずのユーリーは、その言葉を聞いて愕然とするのだ。


「ば、ばかだな、リリア。そんな事無いよ……何、言ってるんだよ……」


 リリアの呟きは、ゾっとするほど否定的な言葉と意味を孕んだものだった。ユーリーはその真意を測り兼ねて曖昧な返事をする。しかし内心では、彼女が時折見せる寂し気で、少し焦ったような仕草の原因はこれなんじゃないだろうか、と思うのだ。


(だとしたら、僕はどうすれば……)


 答えの出ない自問に沈みそうになるが、状況はユーリーにゆっくりと思索を許すものでは無かった。今は、少しでも魔神から距離を置かなければならないのだ。


「そんな事は言わないで。大好きだよリリア、あいし――」


 リリアを元気付ける。そして、彼女の呟いた言葉を打ち消したいユーリーが、そう言い掛けたその時、城門の方角から眩い閃光と轟音が突如起こった。ユーリーの言葉は、その轟音に掻き消されてしまっていた……


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