Episode_10.02 ノーバラプールの落日


同日正午過ぎ ノーバラプール


 かつて賑わいを極めた港町ノーバラプールは、今見る影も無く静寂に包まれている。昼を過ぎてやがて日が暮れるという時間帯でありながら外を行き交う人はほんの少しで、網の目のように張り巡らされた水路に浮かぶ舟も数えるほどである。そんな街の人々は家に閉じこもり戸口を硬く閉ざしているのが常となっている。


 リムルベート王国からの事実上の独立を勝ち得た当初は、失われつつあった活気が蘇り人々の顔には笑みが多かった。しかし、それから七年という停滞した歳月は、徐々に人々の心の中から独立の機運を削ぎ落としていくには充分な長さであった。大都市であり主要な交易経路を牛耳る王都リムルベートとの通行を大きく制限された港町に残ったのは、益々厳しくなる日々の生活と、それを省みない「市民政府」の無為無策だけだった。


 そんな情勢下で、今年の四月末に突然起こった北町のバリウス伯爵居城陥落事件とそれに続く街中での傭兵達による略奪行為は確実にノーバラプールの人々の不満を市民政府に向けさせるものになっていた。


 停滞し自分達を支持しなくなった民衆の心を取り戻すべく今年の五月末にガーディス王子の署名が入った「統治委任書」をもって正式に独立を宣言したのは「市民政府」の焦りの表れだったのかもしれない。しかし、リムルベート王国によって一蹴された「独立宣言」に状況を変える力など無かった。


 結局「市民政府」は東北にあるトルン砦に集結するリムルベート王国軍に対して対決姿勢を強めるしか選択肢の無い状況に陥っていた。進むことも出来なければ、退く事も出来ない、そんな状況なのだ。


 しかし、その渦中で「市民政府」の議長を務める商工ギルド会頭のロバス一人が余裕めいた表情を浮かべているのだった。


「ロバス……東の水門まで落とされたのだぞ……王国軍がその気になれば街は水浸しになってしまう」

「ロッテン、東の水門には傭兵団千五百を派遣すると決めたばかりだ。それよりも、今は北に陣取った敵の本隊を叩く事を考えるんだ」


 ロッテンと言われた男は弱気な表情を隠そうともしない。何故なら、ロバスの語る作戦が成功するとは思えないからだ。


「しかし、我らに残された兵力は四千。数の上でも劣勢だが……それを平野に展開させ夜襲を掛けるなど……」

「うるさいぞ!」


 無謀だ、そう言い掛けたロッテンはロバスの剣幕に言葉を飲み込む。ロッテンの言う話は事実である。現在ノーバラプールが保有する兵は全て傭兵で数は六千近くに及ぶ。その内、二日前に攻め落とされた東の水門を奪還するべく千五百の傭兵を差し向けたのが今朝のことであった。そして今手元には四千五百の兵がいるのだが、その内大多数の四千を北の平野に展開させることになったのだ。そして、四千の傭兵を持ってリムルベート王国の騎士団に対して夜襲を掛けるという作戦が急遽決定されたのだ。


(街並みを利用して防御に徹するならば、攻め落とされることは考えにくいが。平野に出ていき、騎士と対峙して敵う訳がない)


 そんな常識的な考えをするロッテンは内心でこの作戦に反対だった。しかし、


「お前には言っていなかったが、今日の夜、カルアニスの海軍が敵の背後に上陸し裏を突くのだ。そして我らの傭兵が正面を突く。どうだ、挟み撃ちだぞ。それに……」

「それに?」

「まぁ、全部種明かしをしても面白くないが、今夜の敵は酷く動揺しているだろうな」

「はぁ……」


 自分の言葉がさも可笑しいように笑い声を上げるロバスの姿に薄気味悪さを覚えたロッテンは、何も言わずに議長室を後にしたのだった。本来の用件 ――港に荷揚げされた四都市連合からの補給物資の一部が紛失した事―― を告げなかったのは、ロバスに対する反発だったのか、それとも運命の悪戯だったのか。それは、誰にも分からないことだった。


****************************************


 フジツボ亭、ノーバラプールの南町に存在する酒場は長らく頑強に営業を続けていたが、つい先週からとうとう閉店の看板を出すことになっていた。長く物資が不足する状況下で港湾ギルドから物資の横流しを受けて細々と営業できていたのであったが、この店に通うことを唯一の楽しみとしていた人々は今、別の目的を見つけたようにそれほど意気消沈とはしていないのであった。


 そんな店には水路に通じる地下の倉庫がある。ちょうど水路の上を跨ぐ橋の近くに船を着けるための小さな桟橋が作られていて、目立つことなく出入りが可能になっているのだ。この出入り口はかつて横流し品を運び込むのに便利であったが、今は別の物が山のように運び込まれていた。


「おやじ、すまないな……」

「気にするな。市民政府の連中は俺にとっては兄貴・・の仇だ」

「ああ、そうだったな」


 店の主人である大男と会話をしているのは「飛竜の尻尾団」という四人組冒険者の一人、リーダー格のジェロである。彼の隣には少し小柄な男、リコットも立っている。元々フジツボ亭を贔屓にしていた彼等は店の地下に倉庫が有る事も、そこへの出入りが目立たないことも調査済みだったが、流石に元市民政府の主要メンバーで今年の初めに暗殺された港湾ギルド会頭のデリーと、店主のおやじが異母兄弟だとは思っていなかったのだ。


 ジェロ達「飛竜の尻尾団」がリムルベートで王家から直接依頼された仕事を成功させるには、街中に目立たず物資を備蓄できる倉庫を確保することが不可欠だった。兼ねてから親交のあったこの店のおやじにその話を持ちかけたのは、ジェロやリコットにとって一種の「賭け」であったのだが、結果はこのように成功といえる状況だった。


「それにしても、よく運び込めたものだぜ」


 フジツボ亭のおやじが呆れたような、感心したような声を漏らす。目の前に並んでいるのは槍や剣を中心とした武器の数々である。ざっと見ても五百人以上が何等かの武装を出来る程度の数が揃っているのだ。


「そりゃぁ、ここまで運んでくるのは手間だったぜ」


 そういうリコットは長く深い溜息を吐くとこれまでの事を思い出していた。


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 今年の初夏、七月頃にウェスタ侯爵の邸宅へ呼び出された「飛竜の尻尾団」の面々は、そこで当主のブラハリーから直接「王家からの依頼」としてある密命を受けていた。それは、


「デルフィルから、インバフィルへ運び込んだ物資を『四都市連合』の支援物資に紛れ込ませてノーバラプールへ運び込む。そして、市民へ配り武装蜂起させてほしい」


 というものだった。壮大な計画であったが、市民への武装蜂起の呼掛けは別の者達が行うことになっており、四人の冒険者に課せられた任務は、物資の輸送ということだった。しかし、簡単に物資の輸送といっても、膨大な量の武器類を偽装して輸送するという内容に最初リコットは不安を覚えた。しかし、その報酬は仕事の内容を勘案しても破格な好条件であった。


 結局、報酬の良さと、何よりジェロが


「この金でポルタさんと孤児達を助けたい!」


 と言い出したこと。それに、イデンが珍しく積極的に賛成の意志を示した結果、この仕事を引き受けることになったのだ。


 そんな四人は早速デルフィルへ向かうと名前を聞いたことも無いような交易商の主人と使用人に扮して少数の隊商を組むと陸路でインバフィルへ向かった。途中で野盗に襲われるという事件があったが、それは四人によって難なく撃退されていた。しかし、何よりも厄介だったのが、インバフィル港での偽装工作だった。そのような工作にはまったく不向きなジェロ、イデン、タリルを後目にリコット一人が港湾ギルドへ潜入し書類を改ざん。ついで港の役人達に鼻薬を撒いて歩くといった風に大活躍をしていたのだ。


 結局リコットの努力が実を結び、物資は四都市連合がノーバラプールへ送る支援物資に紛れ込んでこの街の港へ辿り着いたのだった。また、ノーバラプールに着いてから物資を掠め取るのに協力したのは港湾ギルドの前会頭デリー派の残党と、なんと「ノーバラプール盗賊ギルド」の面々だった。別口でノーバラプールに潜入したアント商会の密偵ギル達の働きによって懐柔された盗賊ギルドは率先してこの難しい役を買って出ると、難なく物資をこの店の地下へ運び込んだのだ。しかし、これに対して、


「あいつ等、代替わりしてから骨抜きになっちまったのさ。昔の盗賊ギルドなら、絶対体制側の言いなりになんてならなかった……前の棟梁ギャロスは、盗賊として筋が通った男だったが、息子のキャムルは……あれは駄目だな。どんな飴玉をしゃぶらされているのか分かっちゃいねぇ」


 盗賊ギルドが協力していると聞いたときのフジツボ亭のおやじの言葉だった。彼が言っていることは正鵠を得ていて、今回の作戦が成功した後に彼ら盗賊ギルドは掃討されることが内々に決まっていたのだが、それは少し先の話である。


 とにかく、「飛竜の尻尾団」は与えられた任務を成功裏に消化していた。そして残すは今晩の「武装蜂起」のみという状況になっている。


****************************************


 そんな風にこれまでの苦労を思い出しているリコットの隣で、ジェロも感慨深げに呟く。


「大変だったなぁ」

「……って、お前は何もしてないだろ。だいたいお前がポルタさんと孤児達のために何かしたいって言うから!」

「ああ、ごめんごめん、ほんと感謝してる」

「まったく、これでポルタさんと上手く行かなかったら、俺本当に絶交するからな!」


 ジェロの呟きが癇に障ったのかリコットが噛みついている。そんな彼に対して慌てて感謝の意を示すジェロなのだ。何と言っても、恋愛運のないジェロを助けてやりたいというのがリコットを始めとした他の三人の共通した思いなのだった。


「ほんと、お前達は三十近くになっても仲が良いんだな。だが、はしゃぐのは明日の日の出を見てからだ」


 噛締めるように言うフジツボ亭のおやじの言葉に二人の冒険者は黙り込む。そこへ水路に面した倉庫の入口を叩く音が聞こえてきた。


トントントン、トン、トントン


 決められたリズムで叩かれる戸を警戒しつつ開けるのはリコット、ジェロは万が一に備えて腰の長剣に手をやっているが、開けられた戸から中に入ってきたのは一人の大男だった。


「なんだ……セガーロの旦那か」

「情報が入った。午前に出て行った傭兵千五百の他に夕方から四千の兵が北に向かうと言う事だ」


 セガーロは挨拶もせずにいきなり本題を伝えて来る。今朝入った情報では東の水門を奪い返すために千五百の兵が派遣されることは分かっていた。それだけでも成功の確実性が上がると喜んでいたが、


「これは……罠じゃないだろうな」


 リコットが思わず疑うような声を出してしまうほど都合の良い状況ができたのだった。


「買収した傭兵達の情報だ……間違いないはずだ」

「……じゃぁ街中に残るのは」

「北街の居城とその周辺を固める五百の傭兵だけだな」

「予定通り、決行だな」


 四人に増えた男達は薄暗い倉庫の中で頷き合うのだった。決行は今晩と決まっていた。


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