Episode_09.23 邂逅


 ドルド河、その中流域の河原は、一年前にウェスタ侯爵家の騎士達が密猟者を相手に戦いを繰り広げた場所だ。そしてこの夜、森の国ドルドの代表を務めるレオノールは何か胸騒ぎのような予感を覚えてこの河原を訪れていた。相棒であり、数えきれない年月を共に過ごしている一角獣バルザックの背に乗ってである。


 真夜中から更に時間の経った河原には動くものは何も無く、レオノールの尖った耳にはひたすら大河の立てる水音が途切れることなく轟いている。同じ音が連続して続くと、それは意識の底へ沈んでしまい無感覚の境地へ至る。そして訪れるのは静寂に似た瞬間だった。


 レオノールは仮初かりそめの静寂の中で、ワインの入った皮の水袋に少し口を付ける。オーチェンカスク産の上等なワインは程よい渋味と適度な酸味を伴うが、残念な事に皮の臭いが勝ってしまい、持ち味である芳醇な香りは感じられなかった。これは昨年の礼と称して、リムルベートの侯爵家の若き公子が約束通り荷馬車一杯に積んで贈ってくれたものだ。


 ドリステッドの古代樹の館にいる時は周囲が煩いので酒は控えているが、何かと理由を付けて外出した時は別だった。ただし、


「皮袋でワインを飲むのは興醒めね……」


 独白するレオノールの頭の中には相棒であるバルザックの低く響くような思考が咎める調子で流れ込んでくる。


(ダッタラ飲マナキャイイダロ。ダイタイ、コンナ夜中ニコンナ場所ニ来ル意味ガワカラン)

「あら、私だって一人静かに月を見ながら思い出に耽ることだってあるのよ」

(……月ハ出テイナイガナ)


 少し棘のある相棒の言葉を聞きつつ、レオノールは皮の袋に栓をする。相棒の意見を聞き入れた訳では無い、先ほどから自分を見つめる視線を感じてのことだった。その視線には殺気や敵意の類は感じられない。ただ、圧倒的な力を孕んだ視線をひたすら感じるのだった。


「ねぇバルザック、私、誰かから見られている気がするのだけど」

(アア、私モ感ジテイル……)


 やや緊張感の籠った相棒の言葉だった。実際、レオノールとバルザック、この二つの存在が組み合わさった時に、彼女達に危害を加えられる存在を探すことの方が難しい。若い竜は言うに及ばず、下級魔神でさえも退けたことのある一人と一頭なのだが、今は得体のしれない存在に緊張を感じている。


 周囲は相変わらず、ドルド河の怒涛の水音が鳴り響く仮初めの静寂。その静寂の瞬間、異質な音が河原に、いや、その上空に響いた。


バサッ、バサッ――


 大型の鳥を遥かに凌ぐ大きさで、竜を連想させる重たい羽音が河原に響くと、一つの存在が夜空から舞い降りてきた。薄い白光を発する翼は猛禽類のそれを遥かに凌ぐ大きさで人間の体格を持ち上げるのには充分と思われる。その翼の持ち主は河原に降り立つと翼を折り畳むように背中に隠し、それ以降白光に彩られた翼は幻のように消えてしまう。


 その存在は見た目で例えるならば、人間、それも齢三十そこそこの男性という外見だ。金髪碧眼、彫りが深く凛々しい顔立ちに古風な白い貫頭衣を纏った体躯は、超一流の彫刻家が霊感の赴くままに彫り出したような均整の取れた美しさを醸し出している。


 しかしそれを見るレオノールは、自分自身の実年齢と容姿の差を引合いに出すまでも無く、眼前の存在が見た目通りのもの・・ではないと直感する。口の中が乾くほどの緊張を感じた彼女は、咄嗟に周囲の精霊を活性化させる。水の大精霊、地の大精霊、そして風の大精霊は彼女のひそかな呼び掛けに応じるような兆候を返してきた。悠久なる生が育んだ自然との結び付きに、彼女は動揺する気持ちを静めると、来訪者へ語り掛ける。


「珍妙なる客人よ、なにか御用ですか?」


 声を掛けられた男は視線を彼女の方へ向ける。そして――


ことわりの巨人の眷属、いにしえのエルフだな、それに命の力の権化たる龍の眷属、一角獣……」

「古のエルフ、命の力の権化、そんな古風な呼び名を知っている貴方は何者ですか? 翼有る人よ」

「……己が何者か? その問いの答えを私は持っていない……この世には干渉しないことが、つい先日までの我らの是であったからな」


 そう言うと、男は警戒する雰囲気のレオノールやバルザックに構わず深呼吸をする。一方レオノールは目の前の存在が何であるか・・・・・早々に察しを付けていた。


(翼有る人……大崩壊の時、いにしえの人間と共に異神に立ち向かい、これを退けた創造主の「使徒」……伝承は本当だったのね)


 彼女自身が生まれる前の話である。古のエルフの生き残りから聞かされた「大崩壊」の戦い。理の巨人の眷属として、古の人間と共に戦うことを強要された彼女の一族は、この時の戦いで大幅に数を減らすことになり、その後、今のエルフ達に溶け込んで暮らしていくことを余儀なくされたのだ。


 と、そこで思考を止める。そして、レオノールは問いを改めもう一度言葉を発する。


「問い方が悪かったようですね。私の名はレオノール、この一角獣はバルザックと言います。この地は我らが治める土地です……これでどうかしら? 翼の人」


 レオノールの言葉に男はしばし考える素振りをすると、おもむろに口を開く。


「我が名はアズール」

「アズール……貴方は何故ここに来たのですか?」


 レオノールの問いにアズールは河原を見渡すように視線を巡らせてから答える。


「少し前に、この場所から我ら一族の同胞が発する波動を感じた……我らはこの世界の創造主たる存在から、この世界を見守ることを命じられた種族だ。下界に存在してはいけない……」

「それでは、貴方はその波動とやらを発する存在を探しに来たと言う訳ですか?」


 レオノールの言葉にアズールは静かに頷く。


「それで、もしも探し出すことが出来たとして、貴方はその存在をどうする・・・・つもりですか?」


 レオノールの言葉には緊張が籠る。アズールと名乗った男の返事次第では腹を括る覚悟が有った。何故なら、彼女は知っていたからだ、使徒と呼ばれる種族には血の掟があることを。それは、彼女自身遥か昔に聞きかじっただけの話だったが、使徒は下界にりた同胞を決して見逃さず、探して出して粛清するという話だった。


(あの青年、マーティスの孫ユーリー……この河原での戦いで光の翼を纏った後、彼の未来が途端に読めなくなったのはこれ・・が理由か……)


 あの戦いの後、レオノールは昏睡するユーリーの姿から、それまで見えていたはずの未来が読み取れなくなってしまった事の原因を目の前に立つアズールと結びつけた。


 彼女は運命を見ることができる。明らかに異能であり、彼女自身も疎ましく感じる力だ。それ故、積極的に他人の運命に係わることを避けることが彼女の生き方になっていた。しかし、


(でも、マーティスの孫だもの、私が手を出しても構わないでしょう)


 今回ばかりはそんな気持ちになる。それほどレオノールにとってマーティスという人物は特別な存在だった。


 かつて愛した人間。平板のように何も無い、ただ長いだけの自分の人生に歓びと苦しみという起伏を付けた人間。愛し合う事は叶わなかったが、心を通い合わせた男。その血を引くユーリーという青年の運命に、彼女は干渉する決心をした。


 一方、問われたアズールは答えない。彼もまた緊張していた。目の前の一人と一頭の存在は無視して行くことを許さない迫力を持っていた。ただし彼には何故目の前のエルフが敵愾心を募らせているのかが分からない。


「……古のエルフ、レオノール、その存在を知っているのか?」

「先に私の問いに答えなさい、翼の人アズール。私は問うた、その存在をどうするつもりか? と」


 対峙する二つの影以外、ドルドの河原には何の変化も見られない。表面上は自然の営みを決められたことわりに従い滔々とうとうと続けているように見える。しかし、風が、水が、大地が、固唾を飲んで次の一瞬を見守っている。夜の大気は鋭く張った絹糸のような緊張感に包まれているのだ。


「……我ら一族の掟に従えば、下界にりた同胞も、それと交わった末に生まれた命も処分の対象だっ……」


 アズールは自分が言葉を言い終える前に、対峙する古のエルフから明確な殺気が発せられるのを感じた。そして、その敵意に呼応するように、怒涛の響きを発していたドルド河の流れが止まり・・・、大気が動きを止め、足元の大地でさえ剥き出しの敵意を放ってくるのを感じる。自分の周囲全てが自分に対して敵意を持っていることにアズールは動揺する。そんな彼に、止まった大気を伝って歪んだ声音となったレオノールの言葉が届く。


「処分とは、殺すこと、と理解して良いのだなっ?」


 言葉を発したレオノールの姿はもやに包まれたようにかすんでいるが、生命力エーテル魔力マナの働きをオーラとして認識できるアズールの視覚には別の光景 ――立ち上がる薄紅色の火柱に包まれた彼女の姿 ――として映っていた。


(誤解を解かなければ……)


 アズールは危険を察知し、そう直感するが言葉を重ねて誤解を解くいとまが無いことを知った。大気が巨大な真空の刃を頭上に生じさせ、大河の水が牙を剥く大蛇の姿で鎌首をもたげ、大地が巨大な裂け目を生じさせようと震えている。それらは次の瞬間自分に襲い掛かってくる強力な精霊術であった。


(仕方ない……)


 アズールは、誤解を解く事よりも脅威を遠ざけることを優先すると口を開き何事か聞き取れない声を発した。


「力の要素よ、理に戻れ!」


 瞬間、アズールの背中に眩い白に輝く翼が現れ、頭上に光輪が広がった。


****************************************


 レオノールは信じられないものを見る思いで、目の前の男 ――アズール―― を凝視する。つい一瞬前まで彼女はアズールを、マーティスの血を引くユーリーを処分すると言い放った男をこの世から消し去るつもりだった。彼女の気性はやり過ぎを厭わない。三元素の大精霊を用いた必殺の布陣は、例え相手が空に逃れたとしても確実に仕留める事が出来るはずだった。しかし――


「これが、翼有る者『使徒』の力か!」


 光の翼に包まれ光輪を頭に頂くアズールは聞き取れない言葉一つで彼女の必殺の精霊術を掻き消していたのだった。


(レオノール、精霊達ガ動カナイ。コイツハ危険ダ、オ前ハ逃ゲロ!)


 強い意識が彼女の中に流れ込む。相棒のバルザックは「逃げろ」と警告を発し、レオノールの返事を待たずに後ろ足で棹立ちになって背中の彼女を振り落とす。そして真っ直ぐ前を見詰めると、淡く白い燐光を帯びた長大な角を「敵」に向ける。


「バルザック!」


 着地に失敗し、尻もちを付いた状態でレオノールがバルザックを制止する声を発するが間に合わなかった。かつて、オーガー二匹を一度に刺し貫いたバルザックの突進、まるで魔術の「光矢ライトアロー」のような破壊力を示す一角獣の突撃は放たれていた。


ドンッ!


 閃光が夜の河原を覆いつくし、分厚い大気の波が衝撃を伝え、地面の小石が跳ね上がる。それら全てが治まった後には、肉迫した一人と一頭の姿があった。


 左半身を前に出した半身の姿勢で、左側の翼を盾としたアズールはバルザックの必殺の一撃を受け止め切っていた。そして、静かに言う。


「会話は得意じゃないのだ。話は最後まで聞いてほしい……」


****************************************


「――処分する。それはもう昔の話だ。今我々にはそうする力も、意義も残っていない。我らは既に種族として滅びているのだからな」


 そう語るアズールの言葉に悲壮感は感じられなかった。既に子を成すことの出来る世代はアズールしか残っていないのだから「使徒」として種族を保つことは不可能なのだ。


「今から二十年前、我が弟が下界に墜りた。それから二年後、弟はここよりも北の地で命を落としたらしい……」


 彼が語ることが何を意味しているのか、その出来事に心当たりがあるレオノールは心の底に封じていた悲しみを思い出す。


「しかし、五年前の……今と同じ季節、突然弟の波動に似たものを感じた。気のせいかとも思ったが、更に二年後、より強い波動を感じた。そして一年前、この河原からもっと強い波動を感じたのだ……弟の生きた証、二年足らずの下界での暮らしの末に弟が得たものを見届けたい、その思いから足跡をたどってここに来たのだ」


 そう語るアズールの瞳を見据えるレオノールは、彼が嘘を言っていないと感じ取っていた。しかし、同時に全てを言い尽くした訳でもないと直感していた。


「それだけの理由で下界に降りてきたの?」

「……」


 レオノールの問いにアズールは沈黙する。その沈黙が或る意味「肯定」であると感じたレオノールは更に問いかけを続けようとする。しかし次の瞬間、アズールは弾かれたように南東の空を振り返っていた。


「ど、どうしたの?」

「波動が……レオノール、その者の居場所を教えて貰おうと思ったが、今分かった」

「どう言う事?」

「今、強い波動を感じた。南東、その方向にその者が居るのだな?」

「……」

「まぁ良い。貴女とは再び会う事もあるだろう!」


 そう言い残すと、アズールは背中に光の翼を広げる。パッと眩い光が辺り一面に広がると、茫然と彼の姿を見ていたレオノールの視界は眩惑される。強い光で視界を奪われたまま、力強い羽ばたきを感じる彼女、その視界が回復した時、見上げる夜空には南東の方角 ――リムルベート王国―― を目指し夜空を駆ける流れ星のような光の点があった。



Episode_09 王都炎上【ノーバラプール攻防戦(中編)】完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る