王都炎上【ノーバラプール攻防戦(中編)】
Episode_09.00 黒衣の策動
アーシラ歴494年某月
リムルベート王国、その王都には三十万人を超す人々が住み暮らしている。その大都市は、リムル海に面した南側の切立った断崖の上にそびえる王城のある丘から、北東方向のテバ河の河口へ向かってなだらかな傾斜に存在している。人口の密集した地域はそんな王城から少し離れた河口に面する港から、扇状に西へ広がった商業地区や居住地区になる。
湾を挟んだ対岸の都市ノーバラプールでは、一方的に独立を宣言した「市民政府」とリムルベート王国軍が遂に軍事衝突の局面に入っていた。しかし王都リムルベートの人々にとっては「対岸の火事」であり、日々変わらぬ生活を、いや寧ろ大きく軍隊が動いた状態では物資の行き来が活発となり一部の業種では非常に忙しい日々を送っているのだ。
そんな市中の人々の生活の様子から隔絶された空間が王城の第三城郭内にあった。
第三城郭の城壁を跨いで西へ広がる森林は整備されており、貴族やその配下の騎士達が馬の遠乗りに訪れたり、男女の密会に使われたり、という場所になっている。野盗やオーク・ゴブリンの集団、魔物が出没するような北の開拓村周辺の森や、密猟者が
その森の木立の間、第三城郭の内側には王族用の別邸がある。古くから避暑や休暇に使われる
そんなルーカルト王子の館には、今二十数名の伯爵、子爵が集まっている。殆どが小さな爵家の者達で全員が「衛兵隊」や「第一騎士団」に所属する子弟を持つ者達だ。窓を閉じ、雨戸をおろした暗い部屋に蝋燭の明かりだけが灯った一室は彼等来客と館の主ルーカルト王子、それに黒衣をまとった枯れ木の様な人物で満員状態である。
「――この度ルーカルト王子に下された処遇を見れば、御一同のこれまでの王子に対する忠誠や奉仕が水の泡に成ることは明白。このままでよろしいのか?」
蝋燭の明かりを前に一同へ語り掛けるのは黒衣の人物。掠れた声だが部屋にいる者達の脳髄を直接触るような怪し気な響きが込められている。そんな黒衣の人物 ――黒衣の導師ドレンド―― が語るルーカルト王子の処遇とは……
昨年の西方諸国同盟を巡る使節団の一件以来、表に出ることが少なくなっていたルーカルト王子は、一連のノーバラプールを巡る事変が終結した後で伯爵として家臣の籍に下ることが決まっていた。前例に倣うならば、王太子以下の弟達はノーバラプールやコーサプールと言った東西の主要港湾都市の伯爵と成るべきである。しかし、今回のルーカルト王子に関して言えば、ノーバラプールやコーサプールといった重要都市でもなければ、コンラークやスハブルグといった王都に隣接する要衝でもない土地に新しく伯爵家を作る事になったのだ。
元々兄であり次代の王であるガーディス王子には疎まれていた上に、使節団の一件で父親であるローデウス王からも
「……それは困る……」
集まった貴族達の中の誰かがそんな声を上げる。その声を皮切りに、あちらこちらから不満の声があがる。皆ルーカルト王子が重要な爵家を継ぐと思い「将来の栄達」に望みを掛け、私心を押し殺しルーカルト王子に投資してきた「取り巻き」の貴族達であった。そんなルーカルト王子が、コーサプールとロージアン侯爵領の間の狭い隙間の土地に自分達と殆ど変らない程度の領地しか持たない伯爵となるのだ。
「……そのような冷遇は前例がないぞ」
「おのれローデウス……我らの望みを踏みにじったな!」
「ガーディスの差し金に違いない!」
いかにルーカルト王子の取り巻きで没落しかけた爵家の貴族といえども、普段は口にしないような言葉が次々と上がる。この部屋の面々は既に黒衣の導師ドレンドの「洗脳」の術に侵食され、理性や思考が著しく低下しているのだった。
そんな状態で、これまで自分の取り巻きだと思っていた貴族達の不満を聞かされるルーカルト王子は黙ったまま足元を見つめているのだ。
「私が思うに、ローデウス王とガーディス王子は『ルーカルト王子排斥』を結託して行おうとしているのです。
煽るようなドレンドの言葉に不満や怒りの声が上がる。理性が鳴りを潜め代わりに本能的な怒りが顔を出している状態だ。それほど広くない室内に詰め掛けた貴族達の表情を見渡したドレンドは、それを確認すると術を次の段階へ進める。
「いかにしてルーカルト王子の下で我々が利益を得られるか……私には
そうして語られるドレンドの言葉に、集まった一同は異様に表情の抜け落ちた顔で聞き入る。「洗脳」の効果は心の奥に刻み込まれ、彼等の感情と行動を
しかし、完全に術中に墜ちた面々を見るドレンドには「満足」や「達成」という感情はない。カサ付いた皮膚に覆われた白い顔、色素が薄く赤みかかった金色の瞳の奥にある感情は「苛立ち」であり「怒り」であった。
(このように、大勢に一気に「洗脳」を施すなど……美しくない)
という思いだ。彼の信念は
「自分の痕跡を残さず、あくまで『洗脳』は最小限に留めて人々を策謀で動かす」
と言うものなのだ。あまりに強力な「扇動の小杖」という魔術具の魔力の前に、自分に対する評価が貶められるのではないか? という思いが彼をそのように「回りくどい」方法へ向かわせるのだが、彼自身そのことには気付いていない。ただ、
(しかし、このところ立て続けに失敗したのは……こうなっては背に腹は代えられぬ……)
ついこの前、ノーバラプールとトルン砦を巡る彼の策は「もう一歩」と言う所で失敗したばかりだった。これまでの度重なる失敗と今回の失敗、それらに対して
「
そんなドレンドの言葉は集まる貴族達に向けたものだが、同時に自分に向けた物でもあった。
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この日を境にルーカルト王子の活動は活発となった。しかしそこには、かつての愚昧で短慮な王子の姿は無く、まるで人が違ったように理性的で辛抱強い「皆が期待するような第二王子」の姿があった。
そんなルーカルト王子は、戦地に赴いたガーディス王子率いる第一騎士団や、ウェスタ侯爵家当主ブラハリー率いる第二騎士団に代わり、「王都防衛」を理由に残留した部隊の指揮権掌握に動き出したのだった。
元々、周囲の人間に疎まれ軽んじられ始めた状態からのルーカルト王子の行動だったが、確実に実働部隊の隊長達や主だった官僚連中を「説得」し自ら意向に従うようにして行ったのだ。多くの者は第三城郭の西にあるルーカルトの屋敷を訪れた直後に、この第二王子に
そして間もなく王都に残留する第一騎士団と近衛騎士部隊、それに衛兵隊の半数以上の指揮権掌握に成功したのだった。別人のような政治力の発揮である。王都に残存勢力として残された王城を警護する第一騎士団や第二騎士団、官僚達の一部にはこの動きを危惧する者もいたのだが、
「やっとルーカルトも己の立場を
そう言って喜ぶ病床のローデウス王の手前、表だって「危惧」を表明することが出来なかった。こうして、病床のローデウス王から「追認」を得た格好となったルーカルト王子を中心とする「王都防衛体制」は、王子とその取り巻き貴族を中心とした司令部と、取り巻き貴族の子弟が実権を握る部隊が中心となって主に港湾地区と王城の警備を「強化」したのだった。
そんな彼等を、その輪の中に入れなかった(又は入らなかった)者達は「ルーカルト親衛隊」と
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