Episode_07.22 光と影と、変わらぬ日々よ


 「西方同盟連絡使節団」の一連の旅も、過ぎてしまえば過去の事。しかし、このトラブル塗れの旅に係わった者達の中には、期せずしてその後の人生を左右されてしまった者が多かった。


 まず、アルヴァン一行に付き従った渉外官チュアレは一介の渉外官から破格の出世を果たし、今や補佐官筆頭となっていた。この人事昇格は、往々にしてブラハリーの差し金だった。自家に頭が上がらない上級役人は多いに越したことは無ないのだ。その上、他国と公式な外交関係を司る渉外官に対して「出世させる」という恩を売ったブラハリーは、それを「金の卵」というのだった。正に、リムルベート城に蠢く権謀術数の一端、と言うべきものである。


 そんな得体の知れない権力闘争から視線をひるがえすと、ウェスタ侯爵家内には、小さな幸せが芽吹くような出来事もあった。


 山の王国で療養生活を送っていたウェスタ侯爵家の正騎士三名は、夫々若い独身の騎士であったが、何と山の王国と交流がある山の麓のホーマ村の女性達と相次いで婚姻したいと申し出たのだ。色々と事情はあるのだろうが、ウェスタ侯爵家の領外にある村の娘を娶るとなって、それ・・はちょっとした騒動になっていた。しかし、この事は基本的に慶事であるため、婚姻を可能とする要件さえ整えば、王都リムルベートに在するウェスタ侯爵家邸宅は祝福ムードに包まれるのだ。


 一方、そんな祝福ムードに冷や水を差すような出来事もあった。


 ドルドの河原で起こった一連の騒動で、ルーカルト王子に付き従った第一騎士団の三隊長を含む騎士十名の内三名が、使節団が王都に帰参した翌月に自刃、自殺したのだ。一人の隊長と二人の騎士は、夫々没落しかかった子爵家の次男であったという。


「苦しい財政状況を立て直し、家の再興を」


 そんな、一族の期待を一身に背負っていた彼等は、ルーカルト王子との関係だけが一縷の望みだったのだろう。それを、王子の命令に背くという形で失った彼等の実家は夫々が破産し、一族は所領を失い離散したという。


 ウェスタ侯爵家としては、嫡男であるアルヴァンに刃を向けることをせずに、最後に国法を持ち出して気骨を見せた彼等とその実家に対して、何とか救いを差し伸べようと画策したが、膨大な借金を直ぐに手当てすることが出来ず、また、彼等の実家がそれを断ったこともあり、結局、正しい志の騎士を救えなかったのだ。


 蒼ざめた顔色のアルヴァンからその事を聞いたユーリーとヨシンは、流石に大きな衝撃を受けた。


 ヨシンは、あの時武器を投じて正しさに従った騎士の姿を目に焼き付けていた。一方ユーリーは、その出来事をヨシンから聞いていた。その場の状況を直接目にしていなかったユーリーは、彼等が抱えていた背後の事情を知るにつれ、尚更に彼等が、


(正しい事を行う真の騎士だ)


 と思えるのだった。短い時間だったが、山の王国の晩餐で言葉を交わし、慣れないエールを酌み交わした彼等の顔が思い出される。そして、そんな彼等が自ら命を絶たざるを得なかった事情にやり場のない怒りを覚えていた。


「これが……俺みたいな爵家の世界だ……」


 血を吐くように言ったアルヴァンの気持ちを差し引いても、ユーリーには納得して受け入れることのできない出来事だった。以降、ユーリーとヨシンの二人は、少年の心で無邪気に憧れていた騎士という存在の「哀しさ、不甲斐なさ、無力さ」を考えるようになる。不意に起こった幼い夢に対する疑念、それが彼等の将来をどう左右するかは……今の所、それは神すら知り得ないことだろう。


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 見習い騎士の朝は早い。


 「使節団」として凱旋後、悲喜交々ひきこもごもの出来事をやり過ごしたユーリーとヨシンは普段の生活に戻っていた。宿無しの二人はずっと当直兵の宿直室に住み付いており、その一角を占拠しているのだ。つまりウェスタ侯爵家邸宅に住み込みしていることになる。


 本来邪魔になっているはずなのだが、兵達が誰もその事に文句を言わないのは二人の人柄のせいだろう。今も兵達に混じり、邸宅の敷地内にある厩舎で百頭近くの馬に餌をやる仕事をしている。


 厩舎に最近加わった、銀の鬣が美しい大きな白馬は兵達や騎士達の注目の的になっている。少し気性の荒いこの白馬は、なんでも


「ルカンは食べなくても良いみたいよ、普通の馬と一緒にしないでね……馬扱いされるのが一番腹が立つみたいだから」


 とノヴァが言っていたが、その通りで余り飼葉を食べない。それでも最近は少し口を付けているのだから、角が有った頃とは性情が違ってきているのかもしれない。


 そんなルカンを含めた馬達に飼葉を与えると、寝床の藁を交換して、後は朝食までひたすら掃除である。兵達にしてみると「見習い騎士」というのは一段身分が上なのだが、年齢が一番若いこの二人は偉ぶった所が全く無い。その上で更に兵の仕事を平気な顔で手伝ってくれるので、皆気安く接している。


「すっかり冷えてきたね」

「リムルベートって南だからあんまり寒くないと思ってたけど」

「やっぱり冬は寒いなぁ」


 十二月末の早朝は、海沿いの王都リムルベートでも冷え込むものである。ユーリーとヨシンは当たり前の感想を言い合うと声を合わせて呟く。そして掃除の仕上げに掛かる。そろそろ待ちに待った自分達の餌朝食の時間である。


 そんな作業の中でふと、ユーリーは手を止める。つい先日受け取った手紙の内容を思い出しているのだ。その手紙はサハン男爵の屋敷に届いていたリリアからの手紙である。日付が十一月の中旬になっていた手紙はかなり長いもので、内容は端折るが、曰く


 ――道中で思いも掛けない出来事があり時間がかかった。十一月中頃にやっとインバフィルに到着することができた。しかし、インバフィルとノーバラプールの間の街道は治安が悪く、同行できる大規模な隊商を待つために足止めされている。早く用事を済ませてリムルベートに帰りたい。ユーリーの事を考えると夜も眠れない。まさかとは思うが他の女の子に目移りして無いでしょうね? 私が暗殺者の娘だということを忘れないでね――

 

 との事だった。ついつい忘れがちになるが「恋焦がれているのは自分だけでは無い」という事に少し元気付けられるユーリーであった。手紙の後半には怖いことが書いてあったが、自分に限って「それは無い」と思うユーリーは気にも留めていない。


(僕も早く会いたいよ)


 掃除道具を片付ける手を止めて、そんな事を考えているユーリーに大声でヨシンが言う。


「おーい! なにをぼーっとしてるんだ? またリリアちゃんか? それともアニーちゃんか?」

「リリアだよ!」


 と反射的にヨシンの冷やかしに真面目に答えてしまったユーリーは、少し顔を赤らめながら作業の続きに取り掛かるのだった。


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 カルアニス島、リムル海に浮かぶこの大きな島は海洋交易の中継点として非常に栄えている土地である。島の中心近くに高い山があり、その山へ降り注ぐ雨が地下水となって港付近に湧き出している。そのため、古い時代から海路の中継地点として人々が住み付き街を形成していた島だ。その歴史はアーシラ帝国が崩壊するよりも前に溯ることができる。


 海洋交易の主役である商船の大部分を占める船は、大型の帆船である。海流と風向き次第の航法なので、長距離を無補給で進むことは不可能である。そのため、リムル海を ――特に南方大陸と中原地方を繋ぐ航路を―― く場合はどうしてもこのカルアニス島か、更にリムル海の奥まった場所にあるニベアス島を経由しなければならない。


 そんな海上交通の要衝であるカルアニスには情報も人も物も金も集まる。だから、この絶海の孤島には数十万人の人々が暮らしているのである。そのカルアニスの街は南側に面した港から島中央に目掛けて駆け上がる斜面に張り付くように扇形に広がっている。その日暮らしの貧民から、中原地方でも滅多に見掛けないような大富豪まで、そして半分海賊のような私掠船の船員から、名のある冒険者や傭兵団まで、肌の色も髪の色もまちまち・・・・な人々がごった煮の鍋の具のようにひしめき合っている街がカルアニスである。


 そのカルアニスの中で、比較的整備の行き届いた区画に存在する大きな宿の上等な部屋は今、寒々しい一月下旬の青黒い海を臨む窓を閉め切り、光量を落とした「灯火」の術による明かりのみとなっている。


 その部屋に居るのは筋骨逞しい傭兵風の偉丈夫と、華奢な身体に漆黒のローブを捲きつけたような魔術師である。魔術師の方は短い棒 ――小杖―― を握りつつ囁くような声を発して目の前の偉丈夫に問いかけている。


「名は?」

「……が、ガンス……」


 ガンスと答えた男はだらしなく開いた唇の端からヨダレを垂らしつつ寝言のように答える。


「ガンスだな。最近傭兵団の首領に成ったというのは本当か?」

「ほんとうだ……ぶるがると・・・・・さんはいんたいだ……」

「そうか、ならばガンス。お前の望みは何だ?」

「……おんな、かね……かねかなぁ?」

「言われた通りにすれば、金が沢山手に入るぞ。いいか――」


 「扇動の小杖」に秘められた魔力は確実にガンスという男の精神を捕えると、金を得るための「もっとも良い方法」を確実に男の脳に刻み込んでいくのだった。


アーシラ歴494年1月末

Episode_07 見習い騎士と予言の女王(完)

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