【少年編】少年兵と剣の花嫁

Episode_04.01 ラールス郷


アーシラ帝国歴492年10月31日 ラールス家所領地


 マルス神の質素な神殿から鐘の音が鳴り渡る。その澄んだ音色は、古びた小さい要塞のような屋敷のから、町全体へ響き渡るように空気を震わせる。この屋敷は、ハンザの実家ラールス家である。その裏庭には幾つかの墓標が立っている。苔むした石の墓標には夫々の正没と名前が刻まれている。


 その中の一つ、『マリア・ラールス 帝国歴四四三年―四七六年』そう書かれた墓標はハンザの母親のものである。今その隣に新に墓穴が掘られ、ハンザにとって二番目の母さんの棺が葬られる。それを見守る彼女は、一度目の時に泣きじゃくったことを思い出していた。当時十歳だったハンザは、棺に土を掛ける親族に掴みかかって止めさせようとした。意味は分かっていたが、納得できなかったのだ。


 ハンザの記憶の中でも、母はよくベッドに横になっていた。病弱だったのだろう。それでも童話や絵本を読んでくれた母がハンザは大好きだった。「もう少し髪が伸びたらおさげに結えるわね」という母の言葉は叶わなかった。それ故に、髪を伸ばすのを止め、何に対する反発なのか判然としないまま男勝りに剣に打ち込んだ。


 髪の毛は伸びた、でもおさげに結う歳ではなくなってしまった。あの時の「おさげに結えるわね」と力なく笑った表情が、二番目の母さん ――デイルの母親―― の表情に重なる。その二番目のお母さんが「私を女の子に戻してくれた」と思う。回復の見込みが無い病に侵された病人の看病は辛いものだ。でも「お母さん」はそんな暮らしの中で私を「女」に戻してくれたのだ。「何がどうなって」そう思うのではない。直感としてそう思うのだ。


 斜め前には、愛するデイルの姿がある。鋼鉄の仮面を付けたように表情を変えないが、きっとその下では泣いているだろう、奥歯を噛締めているのが分かる。きっと語りきれない母との思い出があるのだろう。そうであっても、表に出さない。この人は強くて優しい人だ。きっと私を愛してくれるだろうし、私は間違いなくこの人を死ぬまで愛するだろう。そう確信する。


 愛といえば、父もまた、母を愛していた。いや、今でも愛しているだろう。あの時、母の容態が悪くなり今晩か、明日か? という状況でも帰ってこなかった父を憎んだ時期もあった。だが、以来十六年、求めればそれなりの女性と再婚できたであろう父はそうしなかった。厳しく対立して、分かり合えない時期もあったが、その瞳は常に自分とその背後にある母さんを見ていたのだろう。


 ふと「私はお母さんになれるのかしら?」と思う。留守がちな夫を待ちながら子供を育てる……出来そうではない。きっとデイルは、父と同じ様に王都に居る生活が長くなるだろう。幼い日の私と母のように、たまに帰ってくる父を待たせるように子を育てるか? 答えは否だ。私は付いて行く。地獄だろうとこの世の果てだろうと、デイルに付いて行きその背後を護る。そして「決して父母が欠けた子を作るな」という二番目の母さんの言いつけを守るのだ。


 うっすらと寒い空に一際高くマルス神の神殿の鐘が鳴り渡る。それは、静かに内に秘めた、或る女騎士の最後の宣誓を神が聞き届けた合図のようであった。


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「田舎住まい故、不便が有るかもしれんが先ずは寛いでほしい。いずれここはお前の屋敷になるのだからな!」


 埋葬が終わった日の午後、ガルスはデイルにそう告げた。今回は準備が整っていないから、領地を案内するのは次回とのことだが、親しく接してくれるガルスに感謝の念が湧き上がるデイルだった。


「あの……これからは、父上とお呼びしても?」


 思わず口を突く言葉に、ガルスは嬉しそうな笑顔を浮かべると、


「それ以外にどうやって呼ぶつもりだ……息子よ」


 そう言って自室に戻って行った。


(母を亡くし、父を得るか……)


 そういう言葉を頭に浮かべたデイルは、今際の際いまわのきわの母の言葉を思い出す。「父母欠けることなかれ」自分はこれまで父の存在を意識しなかった。母一人で充分であったが、育てる側はまた違うことを想うのであろう。その時初めて「父が居ないこと」を母が申し訳無く思っていたことを知ったのである。


 そう思わせていたことが情けない。幾ら剣が強くても、腕が立っても、剣では太刀打ちできないのが母の愛。女の愛だと思う。


(女の愛か……)


 無性にハンザの顔を見たくなるデイルなのだ。


***************************************


 その夜、デイルは寝泊まりするための部屋を離れにあてがわれていた。質素な造りの部屋には暖炉があり、デイルが部屋に入った頃には既に薪が燃やされていた。石造りの部屋の床には敷物が敷かれ、数点のみの調度品が燭台と暖炉の明かりを受け、壁に陰影を作り出している。来客があった時の為の離れの部屋なのだろうが、いかにも「ラールス家」らしい質素な造りに、デイルは居心地の良さを感じていた。


 暗くなる前に、使用人に頼み湯を沸かしてもらうと、それで体を洗い拭き清めた。ウェスタの城下町からラールス家の所領地迄は一日も掛からない距離であったが、それでも「バタバタ」していたため、久しぶりにスッキリした気持ちになることができた。


「腹が減ったな……」


 思わず口にでてしまう。母を亡くしたばかり、まだ悲しい気持ちがあるのだが、体の方は当然の要求を突き付けてくる。荷物の中に「携帯口糧」の豆類があったことを思い出して、ベッドの横に置いた背嚢に手を突っ込んだ、丁度その時


「失礼します」


 とドアがノックされ、デイルの返事を待たずに入ってきたのは……ハンザであった。薄緑色の袖の無いワンピースを白いブラウスの上から着ているハンザは、洗い晒しなのか、まだ乾ききっていない金髪を頭の後ろで団子状に纏めた髪型である。肉感的というより、細身で可憐な印象のハンザであるが、今は服装のせいなのか、より一層若々しく見える。


 ハンザは給仕を伴って食事を運んできたのだ。そして、デイルがハンザに見惚れている間に、ハンザと一緒に入ってきた中年女性の給仕は、部屋の中央に置かれた小さめの丸テーブルにテキパキと食事を配膳すると、


「御用があれば、お呼び下さい」


 と言い、部屋を後にしようとする。


「ありがとう、今日はもう休んで良いよ」


 その後ろ姿にハンザが声を掛けると、一度だけ振り返った中年女性の給仕はちょっと驚いた風だったが、すぐに笑顔になると「では、また明日」と言い出て行った。


「さてと、お腹は空いているかしら……って呆れたわ。それ食べるつもりだったの?」


 デイルの方に向き直って、喋り始めるハンザだが直ぐにデイルが手に持っている携帯口糧に気が付くと、可笑しそうに笑う。普段よりも笑顔が多目なのは、きっと自分のことを気遣っているからだろう。そう考えたデイルは、手に持った袋とテーブルの食事を見比べると、照れたように笑いながら袋を背嚢に戻していた。


 豪華では無いが質素過ぎず、といった食事と酒肴がテーブルに並ぶ。まだ湯気を上げている鴨のローストを主菜に白と黒の風味の違う胡麻を練り込んだパンが盛られた器。冷めないようにと、摩り下ろした芋でとろみ付けしたスープが入れられた素焼きの壺。酒肴としては、鹿肉の燻製とチーズに発酵した葉物野菜の千切りである。色気の無い話だが、思わずデイルの「腹の虫」が切ない鳴き声を上げた。


「フフフ、さぁどうぞ旦那様」


 ふざけているのか、本気なのか分からない口調のハンザはデイルの杯にワインを注ぐ。デイルもそれを受けて、ハンザの杯にワインを注ぎ返す。二人は軽く乾杯の動作をすると、


「お母様に」

「母さんに」


 と言い杯に口をつけた。


 自分達の幸せを願って旅立っていった母を送った日に、無駄な涙は不要だと思う二人は、今この時を楽しむと決めていた。寿命を全うし、後を託して旅立っていった人の死は、決して嘆くべき悲劇ではない。示し合わせた訳では無いが、騎士として勤める二人にとって人の死は身近だった。だから、自然と同じ理解を共有することが出来ていた。


 余人が聞けば、薄情だとか不謹慎だとか、そんな言葉が上がるかもしれない。しかし、いつ何時命がけの任務を言い渡されるか分からない二人にとっては、今、という瞬間が最も重要なのだ。特にこの夜、誰にも邪魔をされない時間と空間は、二人にとって特別な意味を持っていた。


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