【少年編】若君様と少年兵

Episode_02.01 少年兵の一日


アーシラ帝国歴491年夏


 夏の風は、テバ河の碧い水面から涼やかな風を丘の上へ運んでくる。穏やかに水を湛えた大河には、大小の船が行き交っていた。正午過ぎの強い日差しを投げつける青い空を見上げると、北の天山山脈の頂きには、壮大な景観を覆い隠すように大きな入道雲が幾つも折り重なるようにそびえ立ち、風に流されていく。


 入道雲の下へ視線を落とすと、先ず青々と言うよりも黒々と茂った森林地帯が目に飛び込んでくる。森林地帯が途切れると、緑の原野がそれに続き、足元近くで、穀物や野菜の畑へと変化していく。視界の右端を流れるテバ河に沿って視線を巡らせると、丘の下に広がる城郭とその下に続くウェスタの街並みが広がり、東と南へ向かう街道へと繋がっていく。束の間の涼風に足を止めた兵士は、少年と青年の間くらいの年頃だろうか。


 ふと空を見上げると、頭上で三羽の鳥が、羽ばたくことなく気流に翼を預け優雅に円弧を描いているのが見える。つづら折りに続く坂道を行く少年兵は、暫くその様子に見とれるが、用事を思い出したように急いで坂を下っていった。


 テバ河中流の小高い天然の丘の上にあるウェスタ侯爵の居城は二重の城壁を周囲に巡らせており、少年兵が先を急いでいる坂道は、領主であるウェスタ侯爵家が居する居館や後宮のある第一城郭内から、行政機関や騎士団の詰め所や少年兵の寝泊まりしている兵舎等がある第二城郭へ繋がる下り坂である。城郭同士を繋ぐ坂道は二つあり、少年兵が先を急ぐ北側の坂道は裏口的扱いで、専ら職務を行う役人や兵士が連絡通路として使っている。もう一方は、普段はあまり使われることが無いが、丘の南側に面しており整備も行き届いた正門に続いているのだ。


 少年兵は丘の北側の坂道を下りきると、第二城郭内を反時計周りに領兵団の詰め所へ続く道を走っていく。第二城郭の南側に位置する正門から向かって左側にある三階建の石造りの建物は、二棟に分かれており手前側が正騎士団、奥が哨戒騎士団と領兵団の詰め所となっている。


 建物の裏側は大きな広場になっていて、その広場を取り囲むように、木造の兵舎と厩舎が棟を並べているのだが、その建物の間をすり抜けて先を急ぐ少年兵は、立ち並ぶ兵舎の間を抜けると、領兵団の詰め所がある建物に飛び込んで行った。


「遅いぞ! ユーリー」


 汗だくで詰め所に戻って来たユーリーが差し出す書類入れを引っ掴むように受け取った中年の兵士は、中身の書類に必要なサインが有ることを確認すると、詰め所を後にした。その兵士の足音が聞こえなくなった事を確認した所で、詰め所に居合わせたセドリーが口を開く。


「まったく、あの口のきき方、なんとかならないのかね……」


 そう言いながら、水の入った木のカップを差し出してくる。


「ありがとうございます。セドリーさん」


 ユーリーは、カップの水を飲み干すとやっと一息ついた。


「大体あの書類だって、昨日のうちにドラウド様の決済を貰わないといけないのを忘れていたのはアイツじゃないか……」


 セドリーが言う「あの書類」とは、哨戒騎士団の予算計画書で、今朝早くにユーリーが第一城郭内のウェスタ侯爵家・家宰ドラウドへ届け、やっとのことで承認のサインを貰ってきた物である。来月から任務に就く現在休暇中の第十一から第十五哨戒部隊に対する予算計画であり、この計画に基づき各種の準備が行われるのだ。


「セドリーさんが気付いて間一髪でしたね。でも、書き間違いと計算間違いが有って、上で直させてもらったんです。それで少し遅くなりました」


 セドリーと呼ばれた男は、城の事務官である。苦労人らしく未だ二十七歳であるが、三十代半ばに見える。そのセドリーがユーリーの言葉に吹き出す。


「ブハハハ。ユーリー、お前のそういう所をアイツは気に喰わないんだろ。だって、アイツは簡単な書類作るのも一日がかりなんだぜ」

「はぁ……」


 ユーリーはなんと返事していいか分からず、曖昧に答える。


「ちゃんと、読み書きを教えてくれた親に感謝するんだぞ……あぁそう言えばヨシンが探していたな、多分兵舎の方に居るんじゃないか?」


 ユーリーはセドリーにお礼を言うと、詰め所を後にした。


****************************************


 ユーリーとヨシンは、一年前の春に樫の木村を後にするとウェスタ候領兵団へ入団していた。二人とも「いつか騎士になりたい」と夢をもって入団したのであるが、そうそう簡単に夢が叶うはずもなく、今は領兵団の教育課程に所属している。本来一年で終わる教育課程で二年目に突入しているユーリーとヨシンであるが、べつに成績が悪く留年した訳では無い。


 近年、哨戒騎士団への入団は「十五歳以上、二十歳以下の男子」という条件が付け加えられており、ようやく十四歳になったばかりだった二人は入団条件に合致していなかった。一度は申し込みの時点で門前払いを喰らったのであるが、同行していた樫の木村のヨーム村長が、「昔馴染み」だという、哨戒騎士団長に直接話を付け「特例」ということで入隊を認められたのだった。ただし、他の新兵に比べ明らかに成長途中の体格である二人は「教育課程を二年行う」という条件付きでの入団になったのだ。


 軍隊に限った事ではないが、組織内で「特別」が認められた存在というのは色々と目立つものである。特に立場の弱い者が対象であれば、陰湿な嫌がらせに繋がりがちである。そういう意味で、入団当初からユーリーとヨシンは目立っており色々と不利益を被ってきた。


 先程のように雑用を押し付けられる等は序の口であり、食事の量を減らされたり、他の新兵より訓練内容がキツかったりしたものである。そんな状態であったが、厳しい開拓村で育ったこの二人にとっては、食事の量や訓練のキツさは大した問題でなく、また持ち前の明るい性格や、物事に頓着しない性格が功を奏し、周囲からの嫌がらせは徐々に減っていった。


 そうなってくると、メオン老師に「読み書きそろばん」を教え込まれ、ヨーム村長に剣による戦いの基礎を叩きこまれた二人の素養の高さが光ってくる。一年間の教育課程を修了すると同期入団の約三十人の新兵達は、各哨戒騎士部隊に配属になったり、領兵団に残り事務の仕事に就いたりするのが通例なのだが、もう一年教育課程を残しているユーリーとヨシンを欲しがる哨戒部隊が有ったという話である。勿論これは、内々の話であり二人は知らないことだが、結局は哨戒騎士団長ヨルクの裁定により「当初の予定通り」二年目の教育課程に突入したのである。


 ユーリーが急いで駆け付けるのは、立ち並ぶ兵舎の一つ「教育棟」。そこでは午後の授業が開始されていた。


(あちゃぁ、遅刻かぁ……)


 ユーリーは既に授業が始まっている教育棟内の部屋の前に立つと、そっとドアを開け中に入っていく。極力見つからないように、気配を殺して入室したのだが、教壇の真横のドアから講師に見つからずに進入するのは不可能であった。


「……ユーリーか……事情はヨシンから聞いているぞ。早く席に着くように」


 今日の講師は、ヨシンから遅刻の理由を聞いていたので特に咎めだてする気は無いようで、授業の内容に戻っていく。


(はぁ、助かった)


 教育課程の主な内容は、兵士としての訓練や体力づくりであるが、合間に今のような座学の授業がある。座学では、文字の読み書きや算術の基礎とともに、ウェスタ候領やリムルベート王国の行政の仕組みや法律といった一般常識が教えられる。特に文字の読み書きについては、軍隊でも必須項目である一方で、新兵の間でも習熟度が一様では無いため特に重点的に行われている。因みに、既に「読み書きそろばん」が出来ていると認められた新兵には、別の授業が行われるのだ。


 ユーリーやヨシンが受けるのは、そう言った別の授業になる。教室には十数人の新兵が座席に座り授業を聞いている。今日の授業は、リムルベート王国内の統治の仕組みについてであった。ユーリーにしてみれば、昨年も受けた授業であるが、昨年受けたので今年は受けなくてもよい、という風にはならない。


 講師役は、生徒である新兵の方を見ずに、手元の本を読み上げているだけである。もごもごと聞き取り難い、抑揚の少ない喋り方で統治機構の仕組みを説明しているようだ。ユーリーは自然と聞き流すように、その声を聞いていた。


 ウェスタ侯爵は、西方辺境地方と呼ばれる地域にあるリムルベート王国で「三大侯爵」と称される大領地を持つ侯爵の一人である。リムルベート王国は緩い中央集権体制の統治機構を持っており、王都リムルベートを中心に王家の親戚筋である幾つかの伯爵家が直轄地を統治し、さらにその外周で、隣国と国境を接する土地を侯爵・子爵家が治めている。特に侯爵家の治める土地は、リムルベート王国内に有っても一定の自治を保っており独自の統治機構を備えている。


 ウェスタ侯爵領も例外では無く、侯爵の腹心である家宰ドラウドが統括する民生・行政・軍事機構が築かれている。ユーリーが所属する領兵団は、ウェスタ候領哨戒騎士団の後方支援機関であり、主に予算編成・衛兵隊業務・予備役管理・新兵教育の面で実働部隊である哨戒騎士団の支援事務を行っているのだ。


 元々は、その名の通り領地から集められた兵士の集団であったが、先代領主であり、現在は「大殿」とよばれている、ガーランド・ウェスタ侯爵の時代に哨戒騎士部隊と所謂「当代騎士」の運用が開始されたのを受け、現在の後方任務に専念する組織へ変更されたのだ。


「……であるから、リムルベート国王の求めに応じて、常に百騎の騎士とその従卒兵らを王都に配置している正騎士団に代わり、ウェスタ侯爵の領地内の治安を守ることが哨戒騎士団の任務なのである。諸君らは、その哨戒騎士団の一員として、最も民に近い存在として任務に当たらなければならない……以上で授業を終わりとする」


 ぼーっと聞き流している内に授業は終わり、全員起立して講師役を送り出す。


「ふぁぁぁ、やっと終わった」


 欠伸をしながら、大げさな身振りで伸びをするヨシンに、ユーリーが声を掛ける。


「先生に遅れるって言ってくれたんでしょ、ありがとうね」

「面倒な奴に目を付けられてユーリーも大変だな」


 面倒な奴とは、先ほど詰め所でユーリーから書類をもぎ取っていった領兵団の古参兵のことである。朝の訓練の準備をしている新兵の中からユーリーをわざわざ選んで、書類を届けるように言い付けたのである。


「別に良いけどさ、それよりこの後は何だっけ?」

「この後は、広場で練兵訓練だぜ!」


 そう言うヨシンは、何故か嬉しそうである。ユーリーも訓練自体はそれほど苦にならないが、嬉しそうにしているヨシンに違和感を覚える。


「ヨシンさ……なんでそんなに嬉しそうなの?」

「え、ユーリー覚えて無いの?今日の訓練はデイルさんなんだよ」

「あ……忘れてた。そっか、デイルさんか。よし、早く行こう!」


 二人はそう言うと、いそいそと教室を後にして行った。

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