第23話 ゴルゴチュア

 ローザの言葉にギルギルは肩をすくめ、大きな溜め息を吐き出した。


「そろそろクズ共の相手も面倒臭くなってきましたーーーァ。邪神級にて防御不能の内部破壊技『アムツール・ギルプス』で皆様、一気に仕留めて差し上げますねーーーェ」


 ローザは、背後にいる俺、エリス、そしてリネをかばうように、ギルギルに立ちはだかる。だが、ローザとギルギルとの距離は五メートルと離れていない。俺の推測するアムツール・ギルプスの攻撃射程内だ。


 ――ローザ! そこにいちゃダメだ!


 叫ぼうとするが、アゴを砕かれて言葉を発することが出来ない。俺はただ、ギルギルが体の前で腕を交差する例の動作を何も出来ずに眺めていた。そして、


「アムツール・ギルプス!」


 殺戮の呪文が耳に入り、身震いする。ローザが血を吐いて地面にくずおれる映像が脳裏をよぎって目を伏せた。


 しかし……何かが爆ぜたような轟音が木霊して、俺はゆっくりまぶたを開ける。


 俺の眼前。ローザが剣を振りきった体勢で立っていた。ローザより少し離れたところにある地面が抉られたように切り裂かれている。


「ギィシャーーーッ!」


 切り裂かれた地面より這い出した黒い生物が複数あった。ナマコを彷彿とさせるその不気味な生き物は、体から紫の体液を撒き散らし、苦しそうにのたうち回っていたが、やがて蒸発するようにして姿を消す。


「ほーーーゥ……」


 ギルギルが目を見開いて、感心したような声を出した。ローザは剣に付いた土を振り落としながら言う。


「何が『邪神級にて防御不能』だ。放った魔蟲まちゅうを対象の体に潜り込ませてからの内部破壊――それがその技の正体だろう?」


 ギルギルが「くっくっ」と押し殺した声で笑う。


「仰る通りーーーィ! アムツール・ギルプスは『麻酔蟲アムツール』と『爆裂蟲ギルプス』を対象体内に潜り込ませ、痛覚を奪った上で食い破る複合技にてございますーーーゥ!」


 ――か、体に魔蟲を……! それがアムツール・ギルプスの正体! ピステカもマサオミも、蟲に体の中を食い破られて殺されたのか!


「それにしても、初見で破られたのは初めてかもーーーォ。よく気付きましたねェ?」

「魔蟲が這いずる振動を察知しただけだ」

「へーーーェ! 勘が良いのですねーーーェ! 驚きましたァ!」


 音も無く、高速で地中を進む蟲。アムツール・ギルプスによって殺された者の大多数は、足下から体内に侵入されたに違いない。


 不意にローザがくるりと俺の方を振り返り、歩いてくる。倒れている俺の傍で片膝を付くと、懐から天獄鳥の羽を三枚、取り出した。ギルギルに背を向けたままで、一枚を俺に掲げる。


 羽は光り輝いて効果を発揮した。優しい光と共に俺の体は軽くなる。痛みが消えたのは勿論、アゴを含め、折れた体の骨や歯までも瞬時に再生したようだ。


 体は楽になっても、俺は気が気じゃない。恐れた通り、ギルギルが既にローザの背後に迫っている!


「隙だらけですよォ……アムツール・ギルプス!」


 ギルギルが再度アムツール・ギルプスを発動させる。瞬間、ローザは振り向きざまに剣を薙ぎ払った。半円状に切り裂かれた地面から、先程のように魔蟲が現れては気化する。


 二度目のアムツール・ギルプスも余裕で封じた後、ローザは俺に二枚の天獄鳥の羽を手渡してきた。

 

「さぁ、マスター。これでエリスさんとリネさんの治癒を」

「わ、分かった!」


 喋れるようになった俺はそう言ってローザに頷いた。すぐにエリスとリネに駆け寄り、ローザがしたのと同じように天獄鳥の羽をかざす。効果が発動しても二人は意識を失ったままだった。それでも荒々しかった呼吸は穏やかになっている。


 とりあえず一命は取り留めたようだ。しかしまだ安心など出来る筈もない。最凶の敵ギルギルが、すぐ近くにいる。


 一体、戦局はどうなったのかと、ローザとギルギルとの戦いを振り返り――そして俺は驚愕した。


「よかった! これでもう安心ですね!」


 てっきりギルギルと対峙していると思ったローザが俺の真後ろで優しく微笑んでいた! 体力が全快した俺は大声でローザに叫ぶ!


「ローザ!! ヤバいって!! 後ろ!! ギルギルが!!」

「奴が魔蟲を意のままに操れるのは、おそらく半径数メートル以内。此処ならば平気かと」

「だからって危ないから!! ギルギル、見て!! そして剣、構えて!! お願いだから!!」


 平静そのもので喋っていたローザは、俺に言われてようやくギルギルに向かい合おうとした。だが、ふと何かに気付いたようで、剣を使って地面に線を引き始めた。その後、少し厳しい視線を俺に向けてくる。


「いいですか。この線は『マスターと私が共闘できない境界線』です。この線を越えない限り、私が奴を倒しても、この間のようにマスターのレベルは上がりません。これは私の単独戦闘ということでいいですね?」

「!? ローザ、頼む!! レベルとかそんなのもうどうでもいいから、真剣にやってくれ!!」


 アムツール・ギルプスを封じたところで、ギルギルが最強の敵であることに変わりはない。俺は必死で訴えたのだが、


「恐れることなどありません。奇術のように見える技の殆どは、魔蟲を使っての所行でしょう」


 ローザは冷ややかな目をギルギルに向ける。


「何のことはない。奴は『姑息な魔蟲使い』です」


 ローザの言葉が聞こえたのだろう。ギルギルは肩を小刻みに振るわせた。


「ぎげげげげげ! これはこれは、口達者な! なら、お前の言う姑息な魔蟲使いの恐ろしさを存分に思い知るが良いーーーィ!」


 ぶわっとギルギルの体から黒い邪気が広がった。


「地獄の淵より来たれェ……食人蟲ゲゴラローテ……!」


 ギルギルの足下にマンホールのような穴が数カ所開いた! そしてその穴からウジャウジャと、ムカデのような身の毛がよだつ蟲が這い出してくる! 十匹、二十匹……どんどん増えて……う、嘘だろ!? 何百匹いるんだよ!?


 穴から現れた無数のグロテスクな魔蟲は蠢きながら、ローザを取り囲んでいく。あまりの数に、まるでローザが黒い絨毯の上に立っているように見えた。


「無から有を生む我が奇跡を、身をもって体感してくださーーーィ!」


 ろ、ローザはギルギルをたいした敵だと思っていない! だけど、ギルギルは第一等級者! この技だって、とんでもない!


「ぎげげげげげげ! アナタを喰らった後は、残りの三人も跡形も無く噛み潰してあげますよーーーォ! あの召喚術師のように、生きたままねーーーェ!」


 テイクーンが自らの召喚獣に食べられたように見えたのも、この技の仕業……? ぐっ! こんなに沢山の魔蟲、一体どうしたら……!


 だがローザは落ち着き払った様子で剣を天に掲げていた。ローザの剣が淡い光を帯びる。


「闇より生まれた魔物ならば、光によって無に還すだけのこと……」


 そして、光のオーラに包まれた剣を地面に突き刺した。


聖光滅波せいこうめつぱ


 ローザの剣から派生した黄金の光が、水の波紋のように円状に広がる! 俺やエリス、リネが浴びても別状ないその光は、魔蟲の群れに触れた途端、瞬時に塵へと変化させる!


 金色の波紋が消え去った後は、あれだけいた魔蟲が消滅。何処にも一匹も見当たらない。


「す、すごい……! 無数の魔蟲が一瞬で……!」


 俺は呆然と呟いてしまうが、次の瞬間、異変に気付く。


 魔蟲と一緒にギルギルも消えている! まさか、今のローザの技で一緒に……いや、そんな簡単にあのギルギルがやられる訳がない!


 ローザが黙って頭上を見上げている。その視線を追った俺はまたも吃驚した。


 蝿のような魔蟲に体を抱えられたギルギルが遙か上空にいる! そして高く掲げた右手の上には、サマトラ城を木っ端微塵にした黒い球体が! 


「爆裂蟲の集合体『グランド・ギルプス』! 跡形も無く砕け散るがいいーーーィ!」


 や、ヤバい! 何処に逃げても爆撃の範囲内! ローザも俺達も爆死しちまう!

 

 救いを求めるようにローザに目をやると、居合い斬りのような体勢で剣を後方に引いている。


「……空昇天津風くうしょうあまつかぜ


 呟いた直後、天に向けて、一閃。


 だが、訪れたのは沈黙。衝撃波のようなものが発生した訳でもない。ローザは単に剣を素振りをしただけだった。


 ――ううっ!! 技は不発だったのか!?


 だが、再度空を見上げた俺は愕然とする! ギルギルが放とうとした爆裂蟲の球体――それが真っ二つに切り裂かれていたからだ!


「……はーァ?」


 分かたれた球体に気付いたギルギルが、少し間の抜けた声を発した直後。空中で大爆発が巻き起こった。俺は爆風で吹き飛ばされそうになりながらも、リネとエリスに負ぶさるようにしてかばう。


 爆発の大音響が轟き終わり、訪れた静寂の中、『どさり』と音がした。至近距離で大爆発に巻き込まれ、地上に落下したギルギルが仰向きで倒れている。


 だが……ギルギルは跳ね上がるように軽快に起き上がり、首をこきりと捻って鳴らした。こ、コイツ、不死身かよ!


 見た感じダメージはない。それでもギルギルは忌々しげにローザを睨んでいた。


「ふむ。どうにも解せませんねェ。『無数の我が魔蟲を一瞬で浄化した後、グランド・ギルプスを一刀両断にする』――こんなことが出来る者が無等級者だというのはァ……」


 ギルギルの言う通り、俺もこの現状が全く把握出来ていない。無等級のローザが、第一等級のギルギルと対等以上に渡り合っているのだ。


「一体、アナタは何者……」


 言いかけて、ギルギルは先程の落下で体に付いた土を指でこねるようにして眺め始めた。次に、パスティアの空気を大きく吸い込んでから、辺りを見渡す。


「地竜の勇者ァ……。此処は……何処ですかァ……?」


 急に俺に視線を投げて、ギルギルはぼそりとそう呟いた。


「えっ?」


 質問の意図が分からなくて戸惑う俺に、ギルギルは大きな怒声を発する。


「此処は一体!! 何処だと聞いているのですーーーゥ!!」


 ど、何処って……。此処は地図にも載っていないラムステイトの僻地パスティアで……。


 その時、不意に俺達の体が明るい光に照らされる。俺もギルギルも一瞬、我を忘れたように、その光源を見上げてしまう。


 パスティアの曇天は、先程ローザが放った空昇天津風くうしょうあまつかぜによって一部、切り裂かれていた。そして雲間から、天に輝く星形の太陽が覗いている。俺達がゴミ漁りをしていた時も、ローザの修行を受けていた時も、パスティアの町を優しく照らしていた太陽だ。


 瞬間、ギルギルが震えるような声を出した。


「ほ、星形の……太陽ォォォーーーォ……!?」


 そしてギルギルは頭を激しく掻きむしる。


「まさか、これは、そんな……い、いや……等級者でもない女が、このギルギルと対等に渡り合えていることが、その証左ァ!」


 ギルギルは大仰に両手を天にかざしながら言う。

 

「ゴルゴチュアが存在したのかーーーァ……!」

「ゴルゴ……チュア……?」


 聞き慣れない単語を俺は繰り返してしまう。ギルギルが射るような目付きでローザを見据えていた。


「作られた神話だと思っていましたーーーァ。『神にもっとも近い者達が住むという世界ゴルゴチュア』……まさか実在するとはねーーーェ」


 ギルギルの言葉に俺の心臓は、どくんと大きく一つ跳ねた。


 女神からパスティアの町が裏世界にあると聞いて、今までずっと思い違いをしていた。だけど……違う。裏世界は一つだけじゃなかったんだ。


 俺もギルギルと同じようにパスティアの周りの風景をぐるりと見回して、ごくりと生唾を呑み込んだ。


 ――此処はラムステイトじゃない……! ラムステイトより更に上の世界……!


「ぎげ……ぎげげげげげげげげげげげげ!!」


 不意にギルギルが、けたたましい笑い声を上げた。


「神話世界ゴルゴチュアの女戦士が相手とはーーーァ、相手にとって不足なしィ! 絶級者を除き、ラムステイト最強の我が力を見せてやろーーーゥ!」


 ギルギルの手の平の上、黒い邪気が集まり、即座に芋虫のようなグロテスクな魔蟲を形作る! ギルギルは何と、その魔蟲を口元に運び、グチュグチュと音を立てて咀嚼した!


 魔蟲が喉を通過した後、ギルギルの体に変化があった。細身だった体は道化師の衣装を突き破って膨張する。現れたのは甲虫のような黒金くろがねの体躯だった。


「闘法・魔蟲絶甲殻まちゅうぜつこうかく……!」


 ギルギルの腕の下部から、新たに二本の腕が皮膚を突き破って現れる。ギルギルは鋭利な鉤爪のある四本腕をローザに向けて構えた。


「ぎげげげげげ! バラバラに切り裂いてやるーーーゥ!」


 ……ギルギルから発する禍々しい闘気! 明らかに先程より数段パワーアップしている!


 しかしローザは、圧倒的な邪気におののく俺を振り返ると、ニコリと微笑んだ。


「マスター。良い機会です。これも修行の一環。しっかりと見て勉強してください」

「しゅ、修行!? 勉強!? こんな時に何を……って、ローザ!! 前、前っ!!」


 瞬時に間を詰め、ローザに飛び掛かってくるギルギル。だがローザは四本腕の打撃を片手剣で打ち払いながら、事も無げに俺の方を見ながら話し続ける。


「マスターは弱いからといって、強力な武器や魔導具に頼ろうとします。しかし、たとえ攻撃力が弱かったとしても、修練によってそれを補う力を磨けば良いだけのことです」

「そ、そんな力、俺なんかには……!」

「いいえ。私はその力を既にマスターに授けています」


 ギルギルの高速の打撃を全て捌きつつ、ローザは言う。


「天が与えた才能に限りあれども、たとえ神の加護すら無くとも、不屈の精神で邪悪を叩き斬る――それが天限無神流てんげんむしんりゅうです」


 より一層、強い力でローザはギルギルのラッシュを打ち払う。刹那、ギルギルの腕が全て払われ、胸部と腹部が露わになった。


「天限無神流・雹撃ひょうげき一二三ひふみ


 ギルギルのガードが崩れた隙に、時空間操作スキルによる超高速の剣の突きを喰らわせる。かわせず、胸部にヒットするが、金属がかち合うような高音が響いた。


「ぎげげげげげ! クソ女がーーーァ! オリハルコンと同硬度の装甲だッ! そんな弱い突きじゃ傷一つ付かねえんだよーーーォ!」


 ギルギルが本性をさらけ出して言葉を荒らげる。それでもローザは雹撃を放ち続けた。今度はギルギルの腹部に当たるが同じように弾かれる。


「効かねえって言ってんだろうがーーーァ!!」


 だ、ダメだ! その攻撃じゃ、ギルギルの装甲は破れない!


「テメーの攻撃が終わった、その瞬間! 口を切り裂いて魔蟲を送り込みィ、生きたまま少しずつ臓腑を食い散らかしてやるーーーゥ!」


 ギルギルに脅されてもローザは雹撃を止めない。諦めずに、何度も何度もダメージを与えられない無意味な攻撃を繰り返す。


 そう。何度も何度も何度も何度も何度も何度も――。


 やがて、ギルギルの声が微かに震え始めた。


「い、一体ィ……いつまで……つ、続くんだ……ァ?」


 ……分かたれたローザの腕が新たな腕を生み、その腕がまた新たな雹撃を可能にする。雹撃一二三ひふみのループは永遠のように繰り返されていた。気付けば、ローザの剣は明醒を教わった俺の目にも映らなくなっている。ただ、剣の放つ煌めきが流星のようにギルギルに向かって降り注いでいた。


 攻撃を続けるローザの目が鋭く尖る。


「天限無神流・雹撃――『百千万ももちよろず』」


 ――ぴしり。


 絶え間ない斬撃を浴びて、ギルギルの仮面に僅かな亀裂が入った。


「こ、こんな……ァ!」


 体を覆う漆黒の装甲も徐々に欠け、ひび割れていく。


「か、体がァ……削り取られて……! や、やめろ……やめ、」


 更にローザの雹撃は速度を増した。もはや剣の生み出す光さえ見えなくなり、斬撃の音すら俺の耳には届かない。全てが制止したような静謐な空間の中、ギルギルの体だけが朽ち果てていく。


 やがてローザが攻撃を止めた。


 雹撃百千万ももちよろずは、剣による物理攻撃だった。だがローザが剣を鞘に戻し、俺を振り返った時。ギルギルの体は跡形もなく砕け散り、もはや何処にも存在しなかった。

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