第22話 弱い勇者

 ギルギルが手を離すと、リネとエリスは力なくその場にくずおれる。


「ぎげげげげげ! 鬱陶しい蝿を見つけたので、先に始末しておきましたーーーァ!」


 い、一体いつの間に!? ギルギルは俺に向かってまっすぐ歩いていた!! 岩場に隠れていた二人を襲う暇なんて無かった筈なのに!!


 もうバサラルラのことも、アムツール・ギルプスによる即死の恐怖も、頭から抜け落ちていた。無我夢中で倒れた二人のもとへ駆けようとするが、ギルギルが俺の前に立ち塞がる。


「慌てる必要はありませんよォ。二人共、もう死んでますからーーーァ」


 そ、そんな!! エリス、リネ!!


 しかし、


「……ううっ」


 地面に伏したエリスが苦しげに喘ぐのが聞こえた。隣のリネもぴくりと体を震わせる。俺よりもギルギルが驚いていた。


「これは不可思議ィ! アムツール・ギルプスを喰らって生きているのですかァ?」


 突然『ぽうっ』と暖かい輝きが二人の胸から飛び出した。カイオウに貰ったエルフの守護符が即死防御の役目を果たし、空中で燃え尽きる。


「なるほどーーーォ! 小賢しいエルフの道具を持っていたのですかーーーァ!」


 ……ギルギルはエルフの守護符に気を取られていた。俺はその隙を見逃さず、エリスとリネに駆け寄った。


 ――こんな状態の二人を救えるとしたら、ローザの持ってる天獄鳥の羽しかない! ローザが怒ってようが、土下座をしてでも、天獄鳥の羽を貰うんだ!


 ギルギルが二人に近付いた俺に気付く! 俺に対して突進するような構えを見せるが、


「ラルラ!!」


 俺は二人を抱きかかえるようにして、移動呪文を唱えた。途端、世界がぐにゃりと歪む。


 頭の中で願った行き先はもちろん『最果ての町パスティア』だった。


 



 歪みが無くなった後、新しい世界が形作られる。泣き出しそうな曇天の下、パスティアの町並みが遠くに見えた。俺が着いたのはパスティアの町の入口だった。


 クソッ! 焦っちまった! 此処じゃなくて、ローザの家だろが! け、けど落ち着け! もう一回ラルラを唱えて、ローザの家に行けばいいだけの話だ!


 足下に倒れている二人を確認した時、同時に奇妙なものが視界に入った。


 な、何だ……?


 俺の足下にマンホールくらいの黒い穴が開いている。そして、


 ――嘘……だろ!?


 そこから突き出た手が、俺の足首を握っている! 


「……移動呪文を使って逃げることは予想していたのですよォ。それでも詠唱から発動までほんの一瞬。またもや逃げられるところでしたァ。地竜の勇者様は、本当に優れた移動呪文の使い手ですねーーーェ」


 まるで悪夢のよう! ギルギルが穴から這い出てくる!


「でも今回はしっかり掴んでおりました故にーーーィ!」


 お、俺がラルラを唱える瞬間、足を掴んで一緒に付いてきたのか!


 震撼する俺とは逆に、ギルギルは俺の足から手を離すと、観光地にでも来たように楽しそうに辺りをキョロキョロと見回した。


「ンー。何処でしょう、此処はァ? 向こうに平和そうな町が見えますねーーーェ」


 呑気に言いながらも、俺とエリス、リネの間に入り、通せんぼするように両手を広げている。


 ギルギルは今度こそ俺がラルラを唱えないよう警戒していた。そう……ギルギルはどうせ俺が逃げることしか出来ないと思い込んでいる。いつでもアムツール・ギルプスで殺害できる状況下で、ギルギルは油断しているのだ。

 

 これは俺にとって唯一無二の機会だった。何故なら――ギルギルは既に俺の半径五メートル以内! バサラルラの発動範囲にいる!


「ぎげげげげげ! 地竜の勇者様ァ! 今後は逃げないでくださいねーーーェ?」

「ああ……もう逃げないよ……」


 俺はギルギルに右手をかざして、叫ぶ。


「バサラルラ!!」


 途端、ギルギルを含む周りの空間が、ぐにゃりと歪んだ!


「こ、こ、これはーーーァ?」


 バサラルラの効果で、ギルギルが歪んでいく己の体を見て驚いている。だが俺は密かに歯噛みした。今まで何度も移動呪文を唱えてきた感覚で分かる! 歪みがもっと大きくないと、おそらくギルギルを飛ばすことは出来ない!


 思った通り、ギルギルは吹き飛ばず、歪みは段々と小さくなっていく。予想通り、バサラルラは失敗した。


「何の魔法かよく分かりませんが、不発だったみたいですねーーーェ。それでは今度はこちらからいきますよォ」


 ギルギルが体の前で腕を交差させ、アムツール・ギルプスを放とうとする。だがそこで、ギルギルの動きが止まった。


「あ、アムツール・ギルプスが発動しないーーーィ!?」 


 ……残念だったな。まだお前のターンじゃないんだよ。


 確かに一発目のバサラルラは失敗した。けどだ。俺は右手をギルギルにかざしたまま、叫ぶ。


「天限無神流・雹撃!」


 再度、ギルギルの体に新たな歪みが発生する!

 

「無詠唱呪文の連続発動ーーーォ!? 低レベルの弱小勇者が、こんな高等技術をーーーォ!?」


 しかし二度目の歪みも徐々に治まりかけている! 二回連続のバサラルラでもギルギルを吹き飛ばすことは出来そうにない! 通常の雹撃をパワーアップさせた雹撃一二三ひふみなら六回連続攻撃を可能にするが、俺は未習得!


 それでも俺は右手をギルギルに向けたまま、天に願う!


 ――頼む!! お願いだ!! ここ一回だけでいい!! 俺にも勇者の奇跡を……!!


 生まれて初めて、全てを投げ打つような気持ちで必死に願った。するとその刹那、俺の右手にある勇者の紋章が光を放つ! 俺の細い腕から発したとは思えないほど眩い光は、太陽のように拡散し、辺りの風景を真っ白に染めた!


 閃光に目を細めながら、心の中で確信があった。


 いける……! これなら、いける筈だ! 勇者の紋章の力が加わったバサラルラなら、きっと……!


 三度目のバサラルラは、今までになくギルギルを大きく歪ませる! 歪みは際限なく体に伝わり……やがてギルギルの手足が胴体から分かたれる!


「か、体がバラバラにーーーィ!? 何だ、この呪文はーーーァ!?」


 叫ぶギルギルに右手を向けたまま、俺は今朝、リネとエリスとした作戦会議を思い出していた。




『……ねえ、タクマ君。どうせバサラルラで吹き飛ばすなら、此処がいいんじゃないかな?』


 ニコニコしながらラムステイト歴程のページを指さすリネに、エリスが鼻をヒクつかせた。


『り、リネ。お前、結構エグいこと考えるなあ』

『そう? でも此処なら、もう絶対戻ってこられないよっ!』


 俺はリネに笑顔で頷く。


『ああ! ナイスアイデアだ、リネ!』

『うん! じゃあタクマ君! コレ持って!』


 リネはラムステイト歴程から、その箇所のページを引きちぎって笑顔で言った。


『アストロフを守って! お願いします! 地竜の勇者様っ!』




 ……今。俺の左手にはリネから渡された歴程のページが握られている。そして、そのページに描かれた絵の下部には、こう記述されている。


 『ヴォルガトル火山・噴火口』――と。


「吹き飛べ! ギルギル!」

「あ、アアアアアアアアアアアアアアーーーァ!!」


 断末魔の叫びと共にバラバラになったギルギルの体が、空間に溶けるようにして消えた。


「や……やった……!?」


 ……辺りは静寂に包まれている。四方を見回すが、ギルギルの姿はない。い、いや、待て! また地中に隠れてるとか? 


 恐る恐る足下を見るが、ギルギルが潜んでいそうな穴はない。


 よ、よし! 間違いない! 三度目のバサラルラで、ギルギルをラムステイトの火山に送ったんだ! 上手くいけば火口のマグマで燃え尽きて死んだかも! そうだ! あの第一等級者のギルギルを、この俺がやっつけたんだ! 何だよ、やれば出来るじゃん!


 俺は急いでリネとエリスのもとへと向かう。


「やったぞ、エリスっ、リネっ!」


 呼びかけても返事はない。二人共、意識は回復していないし、呼吸も荒い。だが、生きている。


 今すぐラルラでローザのところに連れてってやるからな! 大丈夫! 昔、エリスがデーモンに腹を貫かれた時も助かった! 今回もきっと助かるさ!


 ……その時。ふと誰かに肩を『ぽん』と叩かれた。


 パスティアの町の人だろうか。そう思って振り向いた刹那、もの凄い衝撃が俺の頬にあった。


 俺は一瞬でエリス達から遠く離れた位置まで吹き飛んだ。地面を数度転がって、ようやく止まる。


 何が起きたのか分からなかった。ただ、ボトボトと俺の口から血が溢れている。遅れてきたように激痛が走り、ようやく俺は殴られたのだと気付いて顔を上げた。


「ふーーーゥ。驚きましたよーーーォ」


 ……目を疑う光景だった。俺の目の前。たった今、決死のバサラルラで火山に吹き飛ばした筈のギルギルが立っていた。


「何で……!? バサラルラが……効かなかったのか!?」

「いやいや。見事に吹き飛ばされましたよォ。気付けば空中。真下にはヴォルガトル火山の噴火口があったのですからァ。あそこに落ちては、流石にギルギルも無事では済まなかったでしょーーーゥ」

「な、なのにどうして此処に!? お前は移動魔法は使えない筈だろ!!」

「はいィ。なので代わりにこの『ルキフェルの翼』を使って戻って参りましたーーーァ」


 ギルギルは懐より取り出した片翼をうちわのようにして仰いで見せた。


 ルキフェルの翼……? そうか! コイツもカイオウと同じアイテムを持ってたのか! だ、だったら……最初から勝ち目のない戦いだったんだ! バサラルラで何処かに飛ばしたとしても、ルキフェルの翼がある限り、コイツは何度でもアストロフに戻ってくる!


「体が崩壊するかと思って少し焦りましたが……何のことはない、ただの移動呪文だったのですねーーーェ」


 ギルギルの言葉を聞きながら、俺は震えていた。お、終わった! もう為す術がない! 万事休すだ!


 ギルギルが俺に歩み寄り、俺の直前で両手を広げる。アムツール・ギルプスで即死――だと思った。しかし、鈍い音と衝撃が俺の腹部にあった。「ぐおっ!」と叫んで、俺は地面に崩れ落ちる。血の混じった胃液が口から零れた。


「恐るべき闇の禁呪かと思いましたよォ。このギルギルを怯えさせるとは……少ーーし、腹が立ちましたーーーァ」


 ギルギルは俺の髪の毛を掴んで、無理矢理立ち上がらせた。


「もう二度と移動呪文など唱えられないようにしておきましょーーーねェ」


 すぐに殺せる筈なのに、苛立ちからギルギルは俺をいたぶり続けた。腹を執拗に殴った後は、片手で俺の口元を掴む。軽く握っただけで俺のアゴの骨はゴシャッと音を立てた。


「あぐう゛ぅぅぅぅっ!」


 アゴを砕かれ、声にならない呻き声を上げる。激痛で涙がボロボロと零れ落ちた。


「ぎげげげげげ! 何と脆いィ! それでも本当に勇者なのですかーーーァ?」


 ……い、痛てぇ。痛てぇよ。何だよ。コレ。こんなのが憧れてた異世界なのかよ? 違うだろ。特殊スキルで無双して、圧倒的な力で人助けして感謝されて、そういうもんだろ? なのに仲間も救えず、いたぶられて殺されるとか……こんなことになるんだったら、元の世界で仕事で悩んでた方が何百倍も良かったよ……。


 ギルギルが俺から手を離す。ドサッとくずおれた俺の視線の先、同じようにズタボロのエリスとリネが見えた。


 エリス、リネ。ごめんな。俺がもっと強かったら……。


 俺が二人を眺めているのに気付いたギルギルが楽しそうに言う。


「ああ、ご心配なさらずにィ。あの二人も後できっちり殺しておきますからーーーァ」


 ごめん。本当にごめん。こんな弱い勇者でごめんな。


 痛くて泣いているのか、悲しくて泣いてるのかさえ、分からなかった。滲んだ視界の中でギルギルが腕を交差するのが見えた。


「では、そろそろトドメを刺して、息の根を止めましょうかねーーーェ」


 アムツール・ギルプス発動による死を覚悟した、その時。


「おおっとォ……?」


 雷鳴が轟くような音と共に、ギルギルが俺から飛び退いた。見ると、ギルギルと俺との間にある地面が一文字に裂けている。


「剣による衝撃波ァ? ……どなたですかァ?」

 

 ギルギルの視線の先を追った時、うつろだった俺の目が自然と大きく見開かれた。


 抜き身の剣を持ったローザが、銀色の髪の毛を棚引かせながら歩いてくる。


 ――ろ、ローザ……どうして此処へ? もしかして……勇者の紋章が発動した時の光を見たのか……?


 ローザが近寄ってきて、俺を抱え起こす。とりあえず、あの時のことを謝ろうとしたが、アゴを砕かれているせいで言葉にならなかった。ローザはそんな俺を見て、こくりと頷く。


「明らかにレベルの違う相手に対し、良く耐えられました。後は私がやります」


 そして剣を構えて、ギルギルと対峙する。


 ――ダメだ、ローザ……逃げてくれ……! ソイツは……ギルギルは強すぎる……!


「何ですかァ、アナタはーーーァ?」

天限審判者てんげんしんぱんしゃローザ=ラストレイ」

「知りませんねーーーェ。等級はァ?」

「そんなものはない」

「ぎげげげげげ! 無等級のクズですかーーーァ!」


 嘲り笑うギルギルに、ローザは射るような眼差しを向けていた。


「私のマスターを傷つけた罪は重い」

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