第3話 選択の余地

「……あ、あの、もう一度……」

声が震えるのを押さえられない。そんなミモザを、ギムレットは今度は正面から見据えて、言った。

「残念だが、何度言っても内容は変わらない。サジェン=アレスタの調査と、暗殺だ。」

「暗、殺……」

それきりミモザは黙ってしまう。しばらくそれを見ていたギムレットだが、やがて、

「ミモザは落ち着いてから任務の詳細をわたす。キール、アドニス、これに目を通しておけ」

と言って、なにやら文字の大量に書かれた紙を二人に手渡した。

「ち、ちょっと待ってください!!」

すると我を取り戻したのか、ミモザがデスクに手をついて身を乗り出すように叫んだ。

「暗殺って……そんなの、私たちで確保して執行は警法庁に任せればいいじゃないですか!死刑になるかはそのあとの判断であって、暗殺なんて方法……」

「……サジェンは人身売買で多くの人々……主に10代の少年少女を中心に取引している。それだけならまだしも、それで売れ残った人達をヤク漬けにしたり、臓器提供のために臓器を違法に摘出したり。だいたいそうなった子達の末路は自殺か摘出による臓器不全による死だ」

「だからって!!!」

「じゃあこれならどうだ。サジェンは実は一度逮捕されている」

「えっ………」

ミモザの口が止まる。

「逮捕って……」

「そのまえに。」

ギムレットが一度ミモザを手で制止して、アドニスとキールに向けて言った。

「おまえらはその紙にあるように今から動け。アディントンがもう既に潜入している。何かあったらあいつに聞くといい」

「了解です」

「はーい」

二人ともさもそれが当たり前かのように返事をする。暗殺することに、人を殺すことに、微塵の迷いもないのだ。彼らも、自分のように試験を経てここに来たのなら、始めこそ迷いがあったはずである。殺しに慣れてしまったのか。あるいは、そもそも彼らは試験を経ておらず、殺す仕事のためにここにきたのか。いずれにせよ、ミモザは背中が凍るような恐怖を感じずにいられなかった。

二人が部屋から出ていくのを見てから、ギムレットがミモザに向き直った。

「逮捕されたことだが……実際のところ、それはたいした意味がなかった。何故かわかるかミモザ」

「………」

しばしの間考える。

「…………すぐに、釈放されてしまったから。おそらく、お金を部下に支払わせて。」

「正解だ。やはり思考力は強いな、おまえ。そのとおり、サジェンは大量の汚い金を払って、あっさりと釈放された。その後も懲りずに人身売買だ。警法庁がまた動いても、同じ結末になるだけ。だから、保安部が動く。」

「……捕獲ではなく、殺す理由は、そこですか」

「そうだ」

悪を滅する、といえば聞えはいい。だがやってることは所詮同じ、人殺しだ。

「………俺たちがやっている、いややって来たことは、別に正義でもなんでもない。ただの殺しだ」

ギムレットがミモザの思っていることをそのまま言った。

「だから、無理にこの仕事を続けろとは言わない。」

続けられた言葉に、ミモザは大きく目を見開いた。意外な言葉だった。だがほんの少しだけ浮いた心も、すぐにギムレットの次の台詞に叩きつけられる。

「だが守秘義務は守ってもらう。一般的な保安庁保安部がやってる仕事はどうでもいいが、幹部の仕事内容はほとんど公開していない。それをもしおまえが誰かに伝えるようなことがあったら…………」

ギムレットが自らの首を切るようなジェスチャーをした。

―――……嘘だ。

瞬時にミモザは思う。

―――『守秘義務を守った』としても、この仕事を断った時点で殺される。

秘密を握らせた状態のミモザを外に出せば、たとえミモザが口を割らなかったとしても、情報が拡散するリスク自体は一気にあがる。おそらく、ギムレットたちはそれを許すような人達ではない。

一度聞いてしまったら運の尽き。究極の二者択一をしなければならないのは薄々感じていた。

「………1日時間をください。考えます」

絞り出すように言った。

「守秘義務は守れよ。まぁ……頭の良いおまえならわかるとおもうがな」

不思議なことに、ギムレットの言葉からは少しの嫌みも感じられず、むしろ申し訳なさや、いたたまれないような感情が滲み出ていた。それに面食らったミモザだが、だからといって選択の重さが変わるわけではない。

「…………はい」

固く唇を噛んで、ミモザは幹部室をあとにした。





ミモザの自宅は、保安庁と同じレイジアン領にある。保安庁があるアイロニアは、レイジアンのなかではかなり郊外のほうの町であるが、自宅のあるカプリティの町はレイジアンのど真ん中に位置するため、規模はアイロニアの比ではない。故に自宅であるアパートも、一般的なものよりはかなり広く設計されたものであった。

「……ただいまー……」

鍵を解除してドアを開ける。家を出てから三時間しかたっておらず、閉めたカーテンの隙間から日の光がちらちらと差し込んでいる。確かに朝と同じ部屋なのに、ミモザは随分部屋の雰囲気が暗くなっているように感じた。

まだ日は高かったが、軽くシャワーを浴びて、有り合わせのもので食事を作って、食べた。テレビをつけて、再放送のバラエティーを見ながら、ゆっくりと息をつく。

「…………」

じっと、ただじっとして、考えた。

ギムレットからもらった期限は1日。今日中に結論を出さなければいけない。

―――べつに。

べつに、自分がこの任務を断ることによって殺されるのは、どうでもよかった。誰かを殺さずにすむかわりに自分の命がなくなるだけでいいのなら、喜んで命を差し出そうとさえおもう。しかし。

―――保安庁の秘密が、保安庁保安部幹部の秘密が、暗殺を請け負っていた……だけ?

だけという言い方は失礼なような気もしたが、ミモザの直感が、まだ他に秘密があるようだと告げている。根拠も、一応あるにはあった。

保安部の目的が暗殺だけなのなら、わざわざ難易度の高い試験を使って人を選抜する意味がない。それこそ、その道のプロを雇うなり幹部に引き入れたりすればいいだけだ。そうしないのはきっと、試験を通過できる人材を欲していたから。いったい何のために?

「……行きすぎた好奇心は身を滅ぼす……」

いつかどこかで誰かに言われた言葉だ。ミモザ自身がその意味を一番わかっている。それでも。

「……知りたい……」

大きな欲求が、心を支配してしょうがない。

ミモザは食べた食器の片付けもそのままに、ベッドの上で大の字に寝転がった。答えなど、自らに従うならとうに決まっている。あとは心の決断を残すのみ。

「………あるいは……」

段々と意識が遠退く。瞼が重く、閉じずにはいられない。ミモザはナイトテーブルの時計を手に取り、アラームがセットされていることだけを確認すると、ゆっくりと、その睡魔に身を委ねた。






「……ギムレットさん……!」

翌朝。定時の出勤時間よりかなり早めに幹部室に顔を出したミモザは、まずギムレットが既に到着していることに驚いた。机のだらしなさから、てっきり出勤は遅いものかと思っていたのだ。

「俺がはやいのが意外だったか」

言い当てられて、ばつが悪そうにミモザは笑う。

「はい、正直なところ。でも……今日はありがたいです。ギムレットさんにお伝えしたいことがあったんで」

「答えが出たんだな」

「…………はい。」

荷物をおくと、ミモザはギムレットのデスクにまっすぐ向かった。

「ギムレットさん」

「おう」

大丈夫。自分で出した答えに、迷いはもうない。ミモザは息を吸い、吐き、そして、ギムレットのバイオレットの瞳を正面から見つめた。

「任務の詳細を…………教えて下さい」

「…………いいんだな」

「はい。自分で決めました。もう大丈夫です」

そのとき、ちょうど部屋のドアが開いて、アドニスとキールがやってきた。

「おはよー!あっ、二人ともはやいね」

朝から元気一杯のキール。だがミモザを見る瞳に、不安の色が揺らいでいる。アドニスも同様だった。

それをみかねたのか、ギムレットが穏やかな笑みをたたえて言う。

「おう、二人とも。ミモザも合わせて、いまから作戦会議だ」

シーンと、一瞬の静寂が室内に満ちる。すぐにキールが堪えきれないように叫んだ。

「うそっ!ホント?やったーっ!!!」

キールがミモザに飛び付く。アドニスも安心したような緩んだ顔だった。それをみて、ミモザも張り詰めていた心がほぐされていくのを感じる。

―――こんなにも素敵な人達なのに。

殺しを、するというのか。

安堵。そして未来を考えたときの、絶望。だが、決めたのは己だ。

「……改めて、よろしくお願いします」

決めたことは、曲げたくない。もう既に、ミモザは後戻りできない位置に来てしまった―――自らの意思で。

―――覚悟を……

覚悟を、決める。

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