第37話「歌姫」

―――黒の音楽士ブリング―――


男は独りだった。組織に入ってもなお、その男の気持ちを知り得るものはいなかった。

男の家系は昔から楽器職人であり、そしてその一族の悲願は男の生まれた町中に響く楽器を作成することであった。


男の手によってその悲願が叶ったのだが、男には一つ問題があった。

その問題はある意味彼自身の問題では無かった。

彼が一族で継いで来たものは楽器職人の職業だけでは無かった。その楽器を使う魔法の方も継いできた。


先祖は代々白色や黄色の光の精霊珠を楽器の音色に乗せて呼び出していた。

しかし、その男だけは違って、彼にはそんな物は呼び出せなかった。

その男が呼び出せたのは光の精霊珠ではなくだった。


もちろんその本質は他の者と同じで、その感情を考えを共有するもの。

彼の音楽と魔法にには害なども無かった。

しかし、その魔法で小さく丸くなったとは言えアンデッド等を呼び出している訳で、町の人々は両親も失い妻子もないそんな男を異端の魔法使いと罵ったのだった。


そして男は自分の命を削るような思いで、自分の代で作り上げた楽器と、本来そうつける筈であった名は付けなかった。

先祖の努力を、人生を亡き物と変えた。自分の先祖は報われないただの骸にしてしまった。これは成果ではなくもうただのとしか思えない。


悲しみに暮れ、男は故郷を捨て、ある日旅に出た。世界のどこかには己と棺に入れ抱き抱える先祖らの屍を受け入れてくれる場所があるのではないかと言う、僅かな希望にかけて。

しかし、そんな場所がある訳はなく。清く美しく真っ直ぐだった男のその魔法もだんだんと歪んだ物と成り果ててしまった。


そんな旅の途中、男はある出会いをする。

男は懲りずにその音楽の魔法を披露して、そしてまたその後には誰も残らなかった。

そしてまた次の場所へと歩き出すとそう思っていた男に、道化は声をかけた。


「これはこれは素晴らしい魔法をお持ちの音楽師様ではございませんか」


不気味で魅力的な笑みを浮かべた道化は苦しむ男にそう話しかけた。その時男は思う。

何故この者はこの魔法に苦しむ私にこのような声をかけたのだろうと言う事だった。

それと同時に、その道化を見れば一目でわかるのだ。どう足掻いてもこの者と戦えば敗北する。

そこまでを理解して返答する。


「貴方は今のを見ていらしたはずではありませんか?あれを見て本当にそう思われたのですか?」


目の前の白塗りの顔は黙って目を瞑り、そして頷いた。

目を開けて下に傾けた顔を上げると、再び口を開いた。


「貴方のその魔法は、この世界を良き方に変革する事の出来る素晴らしい魔法ですよ」


男を悪しき道に引きずり込んだのはその言葉であった。

男の魔法は魔法のかかった音楽が聞こえる者全てに影響を及ぼす広範囲魔法な上に、男の持つ楽器は一つの町を飲み込むほどの広域に響き渡る音が鳴る。

男が黒の勢力で権力を持つのに時間はかからなかった。

すぐに幹部にまで登り詰め、そして初めての任務は自分の生まれた国を奪い取る事であった。


黄の国の首都に着いた日から四十四日目の零時を告げる鐘の音が鳴り終わる。それを合図に『黒の音楽士ブリング』は屍を完全展開し、首都の人々を操り黄の国の主権を奪い取る。


ブリングは静かな心で鐘が鳴るのを待っていた。

そして時計の針が残り一分で零時を告げる頃黄昏時の再会を思い出す。

「あの方用な人にもっと早く出会えれば、今私はここにいなかったかも知れないが、こうすると決めたのだから、私は任務を遂行する...」


―――そして、鐘は鳴る―――


ゴーンゴーン、時計台の展望台に立っているブリングにはその時計台の鐘の音が一番に響く。

体全てを震わせる程の鐘の響きに、そっと耳を傾ける。


「遂に、変革が始まるのですね。これは私の音を楽しんで貰うために、必要な手順...罪無きものに鎮魂を...」

その声を聞くものはそこにはいない。


―――鐘の音は鳴り止んだ―――

―――朝にはこの国は変わっている―――

―――罪を背負い私は世界を変えるのだ―――


すっかりと夜風に当てられた棺は既に、ブリングの心の様に冷たくなっていた。

ブリングの冷たく凍った心が開ける様な世界を願い、冷たい棺を開き、中に眠る屍を呼び起こす。


今まで一度だけしか使ったことの無い屍の機能。その頃は成果として発揮した機能を今は屍としてこの街の人々を操り、殺す為に使うのだ。

「ふっ...」たくさんの骸を産む楽器とはまさに『屍』と名ずけるに相応しい。

この楽器と先祖の魂と、そして今宵この街の人々の命を背負い私は明日を生きていく。


「誰か...私を救ってくれ...」

大きく展開していく屍を見ながら、ブリングは最後にそうとだけ呟き屍の演奏を始めた。


―――竜胆白は駆けつける―――


アリア姫の部屋から思念体を飛ばし様子を見ると、時計台の下で叫ぶ黒の勢力の男がいた。

そして、その男の指差していたのは時計台の上に立ち、その手に持つ楽器で魔法式を展開していく男が、

時計台の展望台まで思念体を近づければ、そこに居たのは見た事のある男だった。


「音楽師のブリング...何故?」

もちろん状況はすぐに理解出来た。

全くおかしな話しではない。旅の音楽師で彼は俺とあった日にこの街に着いた黒の勢力の人間だろう。そして今この国を脅かす脅威となっている。

もうしかし、ただそれで十分ではないだろうか。


そしてブリングは魔法がかった屍を演奏し始める。

だがしかし俺はその前の一言を、誰も聞いていなかったようなその言葉を聞き逃しはしなかった。


アリア姫の部屋の中、時計台へと思念体を飛ばした俺はブリングの音楽を聴いてしまった。

まるで痛みにも等しい心の苦しみが襲う。

ブリングが呼び出していたはずのデフォルメ化された魔物のその姿は可愛いと言えるものではなかった。

正真正銘の魔物だろう。

こちらからは何もする事が出来ない。いくつも出現した奴らは俺の腕に絡まり、そして剣を持った一体が、それを俺の胸に突き刺さす。

「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


―――痛みが走る―――

心から直接痛みが伝わる。

苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい。


これがブリングの抱く感情。

俺はその苦しみで、思わず魔法を解いた。


「はぁはぁはぁはぁ...」

苦しみで涙が出る。

呼吸は荒く乱れて途切れ途切れだ。


「どうされたのですか?」

深刻な自体だと理解したアリア姫は俺にそう訊ねた。

その顔からは不安が溢れだしていた。


数秒が経ち、平常に戻った俺は質問をする。

「アリア姫...音響魔法に勝る手段は?」

それを受け、沈んだ表情でアリア姫は話し始めた。

「私のまほうに勝る音響魔法は、恐らくありません...私の魔法が最強です。私が歌っている限りは私に音響魔法は効きません」


アリア姫の使う魔法が最強の魔法と言うのならば、それに賭けてみるのはどうだろうか。


「この騒ぎの中心にいるのは音楽師だ。アリア姫の魔法で救う事はできるだろうか」


アリア姫でブリングに勝てないのであれば、俺は異なる勢力に所属する必要があるだろう。


「じゃあ俺は、アリア姫に賭けてみる事にするよ」


行くべき場所はわかっている。

大窓から真っ直ぐに見えるあの光る時計台で、あの光こそがブリングの魔法式。

一度途切れてしまった思念体を再び飛ばす。


魔法がかかった音が聞こえているであろう人々はその場で叫び声をあげている。

救うのならば一刻も早くしなければならないだろう。


ブリングは俺が思念体を飛ばして来ている事には気づいていない様子で、ただ一人で時計台の上に立ち演奏していた。


俺は時計台の展望台で思念体側の転移魔法の展開準備を完了する。


「アリア姫、ここに転移魔法のゲートを開く。相手は既に音響魔法を発動しているから、気をつけてくれ!」


アリア姫の目を真っ直ぐに見つめてそう言った。

この事柄に関しては確実に確認しておかなければならない。

さっきの発言のニュアンスならば、アリア姫は魔法を発動しなければ影響を受けるからだ。


「私には歌の女神よりの加護を頂いております。例えかのレーブンスのものだろうと私に音響魔法は効きません」


レーブンス、聞いたことのある名前だった。

しかし、今はそんな事を気にしている場合ではない。

完全に相手の攻撃が効かないならば、こちらの優位性が高くなる。

この賭けは勝つ確率の方が高そうだ。


「じゃあ任せた、アリア姫!」


そして、転移魔法を発動させる。

転移魔法野ゲートは直径一メートル程の円となるのだが、それまでに約一秒の時間がかかる。

ゲートを開くという事は、ブリングの魔法の範囲内に侵入するという事になる。


竜胆白の、その体に再度絶望の音が流れ込む。

死を味わう方がマシだと、そう思える程の絶望。

元の世界で誰かが、そうジンナイを名乗る人物が語っていた絶望の強さを感じる。

「さぁ、行ってくれ…」

俺は力なくそう言い放った。


それに応じてアリア姫はゲートに向けて走り出す。

視界の端から段々と闇に覆われていく。

もう視界の端は闇に包まれているがアリア姫を追いかける。ほとんど距離はないのだが、この距離はとてつもなく長く感じた。


ゲートをくぐり、時計台の展望台へとたどり着いたのだが、そこで俺の意識は完全に闇に飲み込まれた。


目の前にいるブリングの事に手一杯のアリアは後ろで闇に呑まれて倒れている竜胆白の事には気づいていなかった。


「素晴らしい音楽を奏でる音楽師様、もうこれ以上あなたの美しいのに、悲しい音楽を奏でるのはお止めください!」


遠く空の果てを眺めながら屍を演奏するブリングは振り向きもせずに呟く。

「あなたやあの少年が、私の音楽を認めてくださったとしても、世界が私を認めてくれないのです。だから私はこの手を止めないのです!」


その言葉の熱量は深く知れた。

演奏を止めさせる手段はあるのだが、それは演奏している彼の手を止めること。

魔法に影響されないアリアにとっては美しい音であったから、それを崩す事はできなかった。


ならば、手段は最後の一つとなる。

こちらの魔法で圧倒し、彼を諦めさせるしかない。

アリアはこの手で勝負する事にした。


―――そしてアリアは歌い出す―――


竜胆白は闇に飲み込まれた。暗闇で何も見えないし聞こえない。

今自分が何をしているのかもわからない。

時計台の展望台が記憶の最後となる場所だが、そこから移動したかも知れない。

確かアリア姫がブリングに演奏を止めるように言って、ブリングがそれを断ったのは、かろうじて残っている。人は最後まで聴覚が残るとは本当かもしれない。

どれほど時間が経っているのかもわからない。


心の中に溢れるのは不安と恐怖だった。

アリア姫の話によると、音響魔法には人を操る力もあるらしい。

それで人を殺せるならば、少数でこの街を落としにかかってきた黒の勢力の考えも理解できる。


ならばこの状況は非常にまずい状況と言える。

ゲートを開く前にもっとほかの人間の様子を見ておけばよかった。

本当に全てをアリア姫に任せるしかなくなってしまったわけだな。


竜胆白は闇の中で祈るしかなかった。


そんな状態の竜胆白の事など知らず、アリアはその魔法を解き放っていた。


アリアには歌っている曲のこの先に来る旋律が分かる。

だから、初めは不自然にならないように遅れて歌っていたが、ところどころでペースを早め、遂にブリングが演奏している最前線まで追いついた。

その二重の音は音を奏でる二人に深い楽しみを与えた。

いつしか、絶望を伝えようと這い回っていた魔物は打ち消され、アリアを守護する歌の女神が時計台の上へと降臨していたのだった。


―――そして、竜胆白は目を覚ます―――


暗闇、前も後ろも上も下も右も左も全てが暗闇だ。

自分は今どこを向いてどんな状態なのかもわからない暗闇。

不安が溢れ、次第に絶望に変わっていくのに時間はかからなかった。


しかし、そんな暗闇に一筋の光が指した。

まっすぐに動かせているのかもわからない手を光の方に伸ばす。

絶望に覆われた竜胆白に希望の光が差したのだった。


光はみるみるうちに広がり、さっきまで暗闇に囲まれていた竜胆白だが、今度は眩しすぎる程の光に包まれていた。


倒れ込み、その場に伏せていた竜胆白はここでやっと自分が倒れていて、目を瞑っている事に気がついた。


ゆっくりと目を開くと、そこには夜の星空が広がっていた。

はっと、時計台の中央を見ると神々しい存在がそこに居る。


そこでやっと気づいたのは、素晴らしい楽曲の響き。

ブリングの音楽に乗せて、アリアが歌っていた。

その曲はとても希望に満ちていた。


「ブリング、もう演奏を止めて城まで同行してくれ」

少しの悲しみを抱きながら、ブリングにそう語りかける。


「そうですね。私が間違っていました。私はとんでもない過ちを犯してしまう所だったのですね...」

静まった様子でブリングはゆっくりと演奏を終え、その場に収縮した屍を置く。

「さぁ、私は罪を受け入れる覚悟が出来た。」

悲しそうなブリングだが、それと同時に清々しい様子でもあった。


「うぅむブリングさん、貴方を認めてくださるお仲間さんが見つかって良かったですねっ!しかししかしですが、僕にとっては貴方手のひらを返したとなると少し都合が悪いのですよ…だから貴方が彼らについていく事を僕は許しませんよ!」


身長は高く、身に纏う衣は上質さを感じられる。

しかしそれ以上に印象的なのはその顔だろう。

白塗りの顔、その頬に描かれた赤黄緑青紫、それぞれの色のひし形、それが合わさり星の形になっている。

無駄に派手だ。


「レーブンス…」


俺はアリア姫のその言葉に驚愕した。それと同時に嬉しくもあった。

この五十日で散々名前を聞いていた、こいつがレーブンス。


「貴方でしたかアリア姫。貴方ならばこのブリングさんの魔法に打ち勝ったのにも納得がいきますね…。ですがブリングさん、本星はここではありませんので、私についてきてください。アリア姫、私が誰かお忘れでないのならば、ここはブリングの連行を諦めるべきと申しま、す…」


レーブンスのそれは虚勢でもなんでもなかった。

この世界にきて、楓に魔法を教わってきたから理解できる。

このレーブンスと言う者からは、今まで見てきた誰よりも、そうあの楓をも凌駕する魔法力の持ち主だと言うことは容易に感じられる。

俺は何もできずにただ、アリア姫の下へ行きその腕を掴んだ。


「アリア姫、ひとまず街の危機は回避できる。ここは深追いすべきじゃ無い。」

そして、俺とアリア姫はその場を退くしかなかったのだった。


※以下あとがきになります。


皆さま明けましておめでとうございます。

どうでしょうかこの本気で書いたお話は面白かったですかね…。

正直なところ本当に応援はやる気モチベーションにつながりますので応援よろしくお願いします。

これは作品を書かれている方みんなではないかと思います。

そして、今まで応援してくださった皆さま、特にhakutenさんとみやこ留芽さん、本当にありがとうございます。

そして、もう数話で第1章も終わりです。

では、(1月8日更新予定)次話もお楽しみにください。

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