③
『レイ』
その時、彼の真上に降り掛かった攻撃は影になって消えて、空だけが残った。
目を見開いて見上げると、そこには、粉々に砕け散った翔機のかけらが舞っていた。
――時を戻す。
レーザーが戦乙女から降り注いだ時。
最後の同胞が、彼に覆いかぶさるようにしてかばった。
直撃して、彼は死んだ。
残骸は、その時のものだ。
鉄と肉がない混ぜになって、白みかけている空に飛散している。
「……――」
彼は手を、届くはずもないのに伸ばした。
すると、その欠片が機体に触れた。
瞬間――全てが伝わってきた。
それは音楽により増幅された効果かもしれない。
とにかくその時、彼は、その同胞の、死んだ同胞のこれまでを、一瞬に圧縮された彼の人生を垣間見た。
そこにはいくつもの通り過ぎていく死があり、苦痛があった。
彼は音楽によって陶酔していたが、恐怖を忘れたわけではなかった。
抑え込まれていたに過ぎない。
さいご、レイが駆けつけるまでの間、その感情は開放され、得体のしれないものに打ち震えた。
だが、そこから先を、彼は噛みしめるように生きた。
そうして、残りの時間で、自分が何をすべきかを決めたのだ。
……最後のひとかけらには、閃光の中に消えていく彼の表情が刻まれていた。
彼は笑っていた。
塵になるだけ、あとには、歴史にすら残らない彼は、笑っていた。
……その瞬間に、彼は彼の全てを生きたのだ。
◇
――そうか。そうなんだ。生きるって、そういうことなんだ。
暗い演奏部が続く。
世界は冬に向けて暗雲に呑まれ、流転する運命の中で激しく揉まれていく。
その過程で多くのものが失われていく――少女はそんな情景を、指先だけで紡いでいく。
もはや周囲が見えていない様子だった。
そこには少女だけが居る。
何かが宿っているようだった。
観客の全ては息を呑んでいる――。
◇
うすぐらい部屋の中で、少女は涙を流していた。
その正面には雪のように白い肌の青年が立っている。
彼は笑っていたが、彼女は泣いていた。
なぜなら彼の背中にはいくつもの十字架が突き刺さり、真正面に切っ先を突き出して、足元に血溜まりを作っていたからだ。
そんな彼は、泣き続ける彼女に言った。
「小夜子。俺は生きる」
「レイ、私、貴方が居ないと……」
「お前はもう、一人で翔べる。だから」
彼は、きしむ身体を無理やり前に進ませる。
苦痛に表情を歪ませるが、それでもなお進んだ。
その時、彼の背中の十字架は一斉に白い羽根になって、部屋中に花びらのように溢れた。
彼は、動揺する彼女を安心させるように、抱きしめる。
「だから。俺が生きるのを、手伝ってくれ。さいごの仕上げだ」
「さいごって。レイ……レイ……」
その後少女は、唇になにかが触れて、言葉を塞がれたのを感じた。
何も言えなかった。
翼の中に居る彼を探そうとしても、とうとう見つからなかった。
彼は翔び立った。
◇
翼竜たちの一部は既に、不死鳥が戦闘力を失ったものとして撤退しようとしていた。
他の群れにも、その空気が伝わっていた――悪魔が、血の花を放ちながら、落ちて行く。
もう手出しはいらない。
誰もがそう考えているようだった。
しかし――戦乙女だけが、違った。
『簡単に終わらせてなるものか。この戦いを――そんなやすやすと、運命のままに終わらせてなるものか』
しばらくして、すべての翼が、その言葉に頷いた。
自分たちもまた、運命に逆らうべきなのだと、ようやく悟った。
◇
「っあああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーっっ!!!!」
小夜子は叫んだ、獣のように叫んだ。
涙が汗に変わって、喉の奥から血が吹き出す感覚がした。
それでもかまわない。
全身に力のようなものがどくどくと流れ込んでくる。
指先の感覚がこれまでよりもずっと、ずっと鋭敏になっていく。
それでいい。
「っ、レイ、レイ………レェーーーーーーーーーーーーイっ……」
そのまま、演奏を再開する。
狂ったような勢いで、まるで取り憑かれたように。
刹那が過ぎゆくたび、命が削られていくのを感じる。
しかしそれでも構わない。
今からにすべてをかける。
このあと、どうなっても構わない――。
「生きる、生きる、生きるのよ……私も、あんたもっ……生きるんだッ!」
◇
――そうだ、俺達は……生きるんだ。
レイは墜落していく一方の身体を立て直し、無理矢理起き上がる。
羽を鱗のようにざわつかせる。
四割近くが焦げ付いている。
操作してパージ。無防備な内部機構を晒す――上等だ。
そのまま、真上を見据える。
空は藍色を超えて、灰色を晒そうとしている。
暁が近い。
口の中にできた血豆を噛み潰す。
温度を感じた。生きているという実感を。
戦乙女は咆哮し、翼竜たちを従えてこちらに加速してくる。
容赦など無かった。
だが、それでいい。
そう、彼は呟いた。
レイは静かに、微笑む。
◇
「これは……」
ドクターは画面を見つめて驚愕する。
同調率が、閾値を超えている。
これまで何度もシミュレーションを重ねてきた。
その数値を、覆した。限界を超えたのだ。
「今、世界が変わるぞ……レイ……!」
◇
何もかもが愛しいように思えた。
今自分の居る世界のすべてを、抱き締めたくなるような気持ちになった。
……だが、もしそれが叶わぬのなら。
やるべきことはひとつだった。
再点火する。
数秒もすれば、一気に火がついて、驀地に敵集団に特攻する。
決着は一瞬で着くはずだ。
……それまでの、僅かな時間。
彼は、叫んだ。
「なぁ――そうだよな、小夜子。お前が、教えてくれたんだよなぁ!」
◇
「先生……」
生徒たちが、言った。
兵士たちも皆、呆然と舞台の上を見ている。
光が降り注いでいる。
もう誰も、その領域に入り込む事はできない。
「笑ってる…………小夜子ちゃん」
◇
レイは加速して、翼の集団に向けて飛び込んでいく。
ボロボロの醜悪な異形の翼が、全身からオイルという名の血を噴き出しながら迫ってくる。
恐慌が流れ込み、隊列が乱れる。
戦乙女が叱責し、攻撃を続けさせる。
だが、なおも奴は加速してくる。
こちらに向けて、無数の翼をはためかせて。
――その時戦乙女は見た。その無数の翼に浮かんでいるのは、羽根ではなく……。
『五線譜…………?』
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