⑥
「急いで、早く。空の連中に気付かれないように」
蔵前の指示で、部隊が廃墟の街のそれぞれに散っていく。
至るところに翔機の残骸が落ちていた。
人々は互いに声を掛け合いながら機体の外装を引き剥がし、その中から内蔵メモリーを取り出す。
それを矢継ぎ早に車両に載せ、ドクターのもとへ運んでいくのだ。
「……」
その彼は今、部屋に戻っている。
きしみ始めた壁と天井。配線は火花を上げている。
だが構わずに、筐体のソケットにメモリーを差し込み、キーボードをヒステリックに操作し、内部のデータを吸い出す。
それを、次々とレイの機体――不死鳥に移し替えていく。
そのたび警告メッセージのウィンドウが飛び出すが、彼はことごとく無視をした。
……ゼロのまま脈動しない『同調率』に、僅かなヒビのようなノイズが走る。
暗闇に閉ざされた不死鳥の胎内。
レイはぐったりと動かない。
だが、その内部を満たす液体が僅かに粟立つと、彼はほんの少しだけ、まぶたを痙攣させる……。
霧崎は、ただそのさまを見ていた。
陽炎の中で、人々がかけずりまわって、レイを生かそうとしている。
上空の翼竜たちが、警告するように、長い影を地面に落とす。
「……人が、動いている。これ以上先を生きえぬ者のために。何一つ確証のないことのために」
彼はそれを皮肉なトーンで放とうとしたが、そうはならなかった。
喉奥からこみ上げてくるものがあった。
「今まで。ありえなかった……風向きが、変わり始めている」
時計を見る。午前二時。
日付が変わる頃にこの街がどうなっているか、まるで予想がつかなかった。
◇
「ソンナコトガ、許サレルモノカ」
長らしき者の声とともに、兵士たちがざっと前進する。
小夜子たちを取り囲む輪が、更に小さくなる。
……感じていた。
なにか、外で動き始めている。
先生の言葉と連動するかのように。
ここを脱出して、何が起きているのかを確かめたくて仕方がなかった。
しかし、状況がそれを許しそうにない。
「お、お前ら、とまれ……囲んでるのは、こっちだぞ」
蔵前の部隊は、自分たちが銃口を向けているにもかかわらず、気圧されていた。
怪物たちは、その不気味な仮面の奥で喉を鳴らし、彼らを見る。
そこには所詮民兵である者たちに対する侮蔑と、未だ自分たちが優勢であることを誇示するかのような意図が見えた。
「先生……」
「だから行って、小夜子ちゃん。貴女なら出来る。必ず」
「だけど、」
「行きなさい。貴女の新しい音楽で、直接彼を叩き起こすの。絶対に出来る」
いつになく強い口調の先生に、小夜子は身震いする。
もしかしたら――そんな思いがめぐり、彼女の身体は少しだけ動いた。
途端に、銃口はこちら側に追従し、それ以上の前進を許すまいとする。
「貴様ラ、イイ加減ニ――」
『それでいい』
声が聞こえた。
それは講堂いっぱいに拡散する。
据え付けられたスピーカーから流れ出ている声。
皆が、敵味方問わず、その声を聞いた。
立ち上がり、周囲を見回す。
『それでいい、と言ったのだ。これ以上、その場で血を流すことは許さない』
ざわつく兵士たち。
だが、小夜子は先生と目を合わせた時、声の正体に気付く。
この威圧的な、無感情な調子は、間違いない。
『当局』の連中。
もう逃げたはずだ。ここには用などないはずだ。
では、なぜ。
『彼女の言葉は正しい。そこにいる少女がすべき行動についても。全ては――スベテハ、我が国と彼ノ国の政治的連携によっテクダサレタ判断だ』
ノイズが混じり、話し方が混戦する。
兵士たちはひどく動揺している。
声は、蛮国のものと融合していた。
「――……・・・……!」
兵士が雄叫びを上げるような、奇妙な声でスピーカーに異を唱える。
すると降り注ぐように、答えが返ってくる。
『スベテハ中継サレテイル。君タチトカレラノ戦イガドレダケの視聴率ヲカセイデイルのか、知ッテイルダロウ。コノドラマチックナ展開ヲ、ミスミス逃ガス手ハナイ』
『彼らの音楽の、行き着く先を見届けろ。どうせ、結末は決まっているのだ』
「それが、なんの利点になるの。私達に……」
声は答える。
『この状況下にあって、なんら君たちが動きを見せなかった場合、我々の連盟は、君たちの音楽とやらを“価値なきもの”と判断し……その歴史ごと、抹消する。彼の国は、音楽を忌むべきものと考えている。その後に、その痕跡は残らない。何一つ』
それが全てだった。声はそこで終わった。
小夜子の周囲で、消沈したように、兵士たちが銃を下ろす。
道は開けた。
「……行かせてくれるみたい。というより、他に道はない、のかもね」
「先生……」
「さぁ……行って。最初で最後の、先生からの、お願い」
それ以上、小夜子には何も言えなかった。
自分を見つめる目、目、目があった。
羨望、あるいは、懇願。
突き動かされるように、小夜子は立ち上がる。
うなだれる兵士たちの間を通って、時折後ろを振り向きながら、舞台上に向かう……。
◇
「おい。聞こえなくなって、どれぐらい経つ」
暗い地下の内側で、人々は互いに声を掛け合っていた。
モニターは随分前から砂嵐で、何も映っていない。
狭い空間の中、すすり泣く声や、負傷者のうめきが聞こえている。
皆疲れ切っていた。
終わりの見えない戦いなど、彼らははじめてだった。
何よりも……そこには音楽がなかった。
人々にとっては、それこそが全て。
彼らは何も知らない。
その状態で過酷な労働を強いられる。
故に、わずかにある確かなものにすがる。
そのうちの一つが音楽だったのだ。
「ずいぶんだな……どうしているんだろう。女神は、どうしたんだろう」
「もしかして、死んじまったのかも」
「ばか、そんなわけないだろう」
「だけど、気になるな。あれほど続いてた爆撃の音も、すっかりなくなった。外の様子が分からないままだと、みんな不安がるかもしれない」
「上に、行ってみるか。丈夫な男連中を集めて」
「私も行くわ。攻撃がないのなら、平気でしょう」
次々と手が挙がる。地上に向かうための部隊。
「よし。地上に行こう。だけど、ただ行くだけじゃ足りない。彼らに必要なものがある」
◇
「まだ終わらないのか……敵は待ってくれないんだぞ」
霧崎は苛立たしげに周囲を見回す。
蔵前が寄ってきて、端末を覗き込む。
「さっきの話、本当なの。もしマジなら、またこの上で」
「……戦闘が始まる。それまでには、引き上げなくては――」
「見て……!」
息を呑んで、蔵前が言った。
霧崎は、指差す方向を見る。
「何……」
息がつまる。
異様な光景。
人々が居た。蔵前の部隊ではない。
地下に隠れていたはずの、下層市民たち。
何故かここに現れて、しかも、大勢だった。
彼らは互いに手をつなぎながらその場に立って、真上を見ていた。
赤く染まる、暗い空の上を。何かを待ちわびるように。
驚くのは、それだけではない。
彼らの方角から声がしたのは聞き間違いではなかった。
彼らの口が放っていたのは、声。
いや、それにしては、変に抑揚がついている。
翼竜の見下ろす真下で、点描のようにさえ見えるほどの人々が、何かを、声を揃えて呟いている。
「まさか……」
彼らは一心に、空を見ている。
翼竜が、脅威が見えていないわけではないはずなのに。
それなのに、何かを狂信するかのように、声はぴたりと合致していた。
重なるその響きが、地面に伝わって、こちら側にも鮮明に聞こえてくる。
「まさか……『音楽』。彼らが、音楽を、自らの手で――」
深い理由があるわけではなかった。
ただ彼らは、純粋な彼らの信仰として行っただけだった。
音楽があれば、翔機たちは蘇るのではないか。
そう思ったからだ。
彼らは、その行為が、これまででは決してありえなかったということに気付いていない。
◇
小夜子は舞台の上にのぼる。
呆然と見ていることしかできない人々のなかで、動くものがあった。
「……――・・・!」
「ヤハリ、認メルモノカ……」
兵士の一人だ。
前に出て、小夜子に狙いを付けて、トリガーを引く……。
銃声。
椅子に座り、落ちたままだったヘッドセットを装着しようとしていた小夜子は振り返った。
既に、その兵士は撃たれて死んでいた。
だが、負傷している。先生も倒れている……肩口が、撃たれている。
「……先生っ」
「いいから、続けなさい――小夜子ちゃん!」
背中越しに、先生は怒号した。
聞いたことのないような声。
びくりと身を震わせ、言われるがままにする。
ヘッドセットを装着。
大量のファイバーケーブルが後頭部から垂れ下がる。
「――っ!」
瞬間、小夜子は身をのけぞらせて、びくりと身体を震わせた。
その時彼女の中に、無数の情報が流れ込んできたのだ。
それはレイのときと同じだった。しかし、物量が違う。
あらゆる翔機のデータが、洪水のように頭の中に入り込み、かき回してくる。
その中で『自分』を探し当てて、気を失わないようにする必要があった。
鼻血が噴き出して、鍵盤に垂れた。
腕がひきつって、視界が一瞬真っ白になる。
「頑張って……頑張って、小夜子ちゃん。貴女が、貴女の音楽が、今ここで必要なの――」
「貴様、マダホザクカ……」
――貴女の音楽。私の音楽。
その言葉が、なんとか意識をこの世に留め置いた。
今ハッキリと分かる。
足元の木目もペダルも消え失せて、意識だけが暗黒に溶け込む感覚。
何も見えない――そう、自分は今、レイの中に居るのだ。
いまこの状態が、レイなのだ。
まだ、目を覚ましていない。
腕を動かすと、翔機のコクピットを満たす溶液が泡立つ。
頭を振る。それでも動かない。
頭上に気配を感じる、たくさんの翼竜たちが蠢いている。
遠くに街がある。そこに自分が居て、そこから更に外側に。
……聞こえる。
拡張された感覚が、ここではないどこかから漏れてくる音色を捕まえる。
それは音楽のなりそこないのような、なにかだった。
音階も音程も、和音も滅茶苦茶。
ただ音が一定の間隔で変化するというだけのもの。
しかしそれは確かに『音楽』と認識できた。
何故、そんなものを音楽だと思えるのだろう。
彼女にはまだ分からない。
胸中によぎる尽きない疑問を抱えたまま、小夜子は最初の一音を弾く。
どれから始めればいいのか分からない。
だから、目に入った白鍵を押した。
それだけのことだった。
電撃がほとばしる。
全身を貫いて、闇の中でぐったりしていたレイの身体に何かが流れ込むのがわかる。
効いている。聞こえている。
「今スグ、ヤメサセロ。サモナクバ――」
「聞こえていたでしょう。これは貴方達の長も認めた行為よ……それに貴方は何故、いまのをやめさせようとしたの。彼女は最初の一音を、ただ『押した』だけ……」
その言葉に、兵士が黙り込む。
先生は続ける。
「貴方達には撃てない。今から始まるものが音楽だなんて、貴方達にはきっと思えないから。だから……感じるままに、やってごらんなさい、小夜子ちゃん」
次の一音。
すぐそばの黒鍵を指で押した。
全く脈絡のない二つの音が、数秒の間隔ののちに、繋がった。
……また、びくりとまぶたが震える。レイは感じている。
これを、音楽だと。
こんなものが音楽とは言えない。
今までなら、そうだった。
では、これからは違うのか。
だとしたら。教えて。音楽とは、一体なんなのか。
小夜子が更に音を重ねようとする、まさにその時。
レイは、覚醒する手前にあって、夢の続きを見ている。
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