客席の背後で大きな音がした。

 先生は生徒たちをかばうように中腰になりながら振り返る。

 入り口から煙が立っていて、そこから複数の影が隊列を組んで流れ込んできた。


 銃を持っている。

 爬虫類のような仮面を付けている。

 棘だらけの装飾が施された甲冑の、奇妙な姿。

 彼女には誰か分かった。


 悲鳴を上げてすくみ上がる生徒たちの前に立って、先生は息を呑んだ。

 彼ら……蛮国の兵士たちが、ここに入り込んできたのだ。

 後ろを一瞬振り向く。

 小夜子は、いまだ演壇で、オートコフィンの前に座っていた。

 しかし心ここにあらずで停止していた。

 兵士のうち一人が、マスクの向こう側で、くぐもった声で告げる。


『皇国の……“先生”ですね。今すぐ、“音楽”をやめさせてもらいたい』


 ところどころ違和感はあるが、間違いなく皇国の言葉だ。

 そして口調こそ丁寧だが、銃口が複数こちらを向いている。

 唇を噛んで後ずさる。足がすくむ……。



「……ここまでだ」


 ドクターはそこで画面のスイッチをオフにした。

 そのまま、モニターが接続されている筐体を抱え込み、椅子から降りた。


「ちょっと待って。一体貴方は、何をする気ですか」


 霧崎の問い。ドクターは振り向いて、言った。


「やるべきことだよ」

「何をです」

「自分の頭で考えろ、我が生徒よ……君にも、頭脳があるんだろう」

「……!」


 レイは未だに、意識を失ったままだった。



「……です」

『何……?』

「嫌です。彼女の音楽を、捨てさせるわけにはいきません」


 恐怖で震える身体を意思の力で強引に硬直させ、前を向いて言った。

 後ろで生徒たちが息を呑んだ。兵士たちは互いの顔を見合わせた。

 長らしき、言葉を発していた甲冑が前に進み、銃口を更に向けてくる。


『その行為が一体何を意味するか、分からないわけではないでしょう』

「分かっています。私が道を譲れば、貴方がたは後ろに居るあの子を撃つつもりでしょう」


 歩みが止まった。その通りだったのだ。


『愚かな』

「愚かなのは……あなた達よ」


 ――銃声。

 激烈な痛み。

 血が、足元に垂れる。

 たたらを踏んで、その場にしゃがみ込む。


「先生っ!」


 後ろに居た生徒が駆け寄ってくるが、制止する。

 涙で霞む視界の中、もう一度前を向く。


『左足だ』

「渡さない……絶対に、あの子は渡さない……あの子の音楽は――」


 再び、銃声。


「ぐうっ……」

『次は心臓を狙います。躊躇はしません』


 完全に倒れ込む。

 生徒たちが自分の身体を揺さぶり、悲嘆にくれる。

 声が遠くなっていく。


 三発目の銃声がホールに大きく響いた。

 はじめ彼女は、自分が撃たれたものだと思った。

 だが、目の前に居る兵士たちは、銃をおろして、呆然としていた。

 わずかに上体を起こして後ろを見る。

 ……演壇の影から、隠れていた兵士が崩れ落ち、そのまま動かなくなっていた。


「……!」


 小夜子は立ち上がっていて、銃を手にしていた。

 ヘッドギアを取り外している。


『貴様……――』


 兵士たちが一斉に銃を彼女に向けて、トリガーを引いた。

 その時、小夜子は再び、携帯端末を通して、『第二種職務』のプログラムを脳内にインストールする。

 全身にパルスが迸って、瞬時に筋肉が脈動する。

 こちらに向かってくる弾丸の軌道が見えて、彼女は先生のもとへ駆け出した。



 ドクターと霧崎は基地の敷地を出た。

 空を見上げると、炎の塵が舞い上がって、暗闇を明るく染めている。

 そのとぐろを巻く色合いの中に、崩れ行く傷だらけの摩天楼たちを背景にして、ついにここまで侵入してきた無数の翼竜たちが旋回し、見下ろしていた。


 街中から放射される走査線はもはや無用の長物で、空を飛ぶ彼らを照らし出したところで何の効果も発揮していない。

 地面はひび割れて焼け焦げ、逃げ遅れた車両が黒い瓦礫になって至るところに転がっている。

 何度も断続的に地響きが聞こえる中を、二人は彷徨う。


「一体、何をする気なんです」


 見ると、基地の真上にはひときわ異形の翼竜が座り込んでいる。

 鋭い刃を片腕で携えているそいつは、レイを叩き落とした奴だった。

 彼は今、何かを待っているように見えた。

 巨大な姿が作り出す影が、不気味に地面に投射されている。


「彼はまだ、生きている……反応が途切れていない」


 ドクターは歩きながら、端末を操作し続けている。


「しかし、これ以上は戦えない」

「違う。君は何を見てきたのか、霧崎。彼はまだやれる。我々は今から……再び彼を、空に戻すのだ」


 その時振り返ったドクターの表情は、確信に満ちていた。

 狂気的とも言ってよかった。

 己の行っていることに、どこまでも殉じようとする貌。


「……――ああ、もう」


 霧崎は頭をかいて、目の前の男を見捨てることのできない自分を恥じた。


「それで、一体どうしようというのですか……全くどうしようもない人だ」

「君もな、霧崎……馬鹿な男だよ」

「何ですって――」

「忘れたまえ……とにかく、急ぐぞ。まずは、大勢の死を見ることだ」


 ドクターは廃墟の街を急いだ。

 霧崎は、その後ろに続く。



 その時、レイは夢を見ていた。


 小夜子と出会った日のことだ。

 雪が降っていたと思う。


 何も分からなかったその頃の自分は、自分に植え付けられたものが他の同胞たちとまるで違うことにもまだ気付かずに、ただ言われるがままに、そのアパートの前まで連れられたのだ。


 長い時間、待った。

 息を吐くと白いのはなぜか。

 こんなに肌がカサつくのは何故か。

 疑問は尽きなかった。

 色んなことを聞きたいという思いが強すぎて、誰でもいい、出会った誰かに何もかも質問攻めにしてしまいたかった。


 そんなときに小夜子はふらりと現れた。


 ――教えてくれ、俺は誰なんだろう。俺はどうやら他のみんなとちょっと違うらしいんだ。

 ――だったらそれはなんなんだ。この先に何があるんだろう。


 そういうことを聞きたかったのだと思う。

 だが、その時の小夜子は。

 両手が真っ赤で、ガチガチになっていた。

 それはおかしなことだったから、質問したいことは全部吹っ飛んで、気づけばレイは行動を起こしていたのだ。


 ――お前、寒そうだな。


 それから自分は、悲鳴を上げる彼女に頬を叩かれたり、そのままついていって、なんだか激しい言葉を受けながらも彼女の部屋に転がり込むことに成功したりと、そういうことをしたように思える。


 ――どうしてだ。その、『小夜子』。


 しばらくしてから、彼女に聞いた。


 ――なんで、手が寒いのにそのままにしてたんだ。俺だって、あるぞ。名前は知らないけど、手につける、あったかいの。なんで、おかしいんじゃないのか。


 しばらく彼女は、背中を向けていたが、レイがその質問を何度も続けたあとに、観念したらしかった。


「……こんな腕、なくなっちゃえばよかったのよ。凍傷になればね、弾かなくて済むの。あんなの、楽器でもなんでもない」


 そう答えたのだった。

 その後自分は、問いを重ねた。


 ――楽器ってなんだ。


「音楽を作るためのもの。ちょっとまって、そこからなの。そんな状態の貴方を私に寄越したの。信じられない」


 ――音楽って、なんだ。なんなんだ。教えてくれよ、なぁ。


 疑問は湧いて湧いて仕方なかった。

 世界は知らないことだらけで、その時の自分には怖いものなど何もなかった。


 そう、そこからは確か、


 ……ザザザ、ザザザ。

 思い出せない。頭を揺さぶる。


 夢が、覚めようとしている。なにか、大事な記憶……。

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