夜の歌声

「それではうらら様。今夜もお願いいたします」

「はーい。おやすみぃ」


 ……うららねぇ。


 うららは、一番最初の挨拶をする時、毎回自分を『うららちゃん・・・』と呼ぶように言う。


 今、『うららちゃん』と呼んでくれるのは、懐かしい顔と声を持つレオリールだけ、他の人間は必ず『うらら様』呼びだ。


 ……まぁ、仕方ないんだろうけどさ。


 ただの女子高生ではなくなった頃から、なんとなく始まったこの流れ。結婚して身分ある者と扱われるようになったころからそれははっきりとし始めた。


 王妃として丁重に扱われるようになった。友人たちを看取ったあとは、精霊様として扱われるようになった。いろいろとめんどくさくなり、うららもいつしか人ではなく、精霊として振舞うようになった。


 自分の中で、またひとつ、なにかが欠けていく感覚に、うららは唇を噛んだ。


 森や林、草原が続き、電気やガス、石油に頼らず魔力を活用するこの世界の夜空は、今夜も星が降りそうな程に美しい。


 星があり、地平線や水平線があるのだからここはきっと地球のように真ん丸な世界なんだろうな、とうららはぼんやり思っていた。そして、アテル王国の外までわざわざ確かめに行くつもりにだって、とてもなれそうにはない。


 今夜もやはり、眠気は来ない。

 本当は、空腹だってもう、感じたりはしていない。うららの今の霊格であれば、大地から得るエネルギーだけで存在を保つには十分なのだから。それでも何かの形で食事を取るのは、うららなりのささやかな抵抗だ。


 ……でも、もう、カピバラの姿のほうが、いろいろ楽になってきちゃったな。


 カピバラは人間ではない。抵抗しているつもりでいつつ、カピバラの姿を選んでしまうのだから、やはりいろいろと感覚が昔とは変わってきてしまっているのだろう。


 薄く、薄く広げた意識の中では、五つの人間の存在を認識している。疲れきっているのか、眠りは深そうだ。


「……そらのあお うみのあお ほしのしずく つきはかがやく……」


 歌を口ずさみながら、空間の向こう、自分の領域に手を伸ばした。棒手裏剣を三本取り出し、投てきする。

 うららの血液を素材に含む特別製で、真っ赤な色をしたそれらはほとんど、うららの分身にも近い動かし方ができる。意識の端で捉えた、魂を失い、求めてさまよう武器を破壊した。


「……もういちど あといちど ぼくははばたいていける……」


 棒手裏剣、破壊された武器を、スライムを操り、手元に取り寄せる。

 棒手裏剣をしまい、まだ斧と槍の形を残した武器の刃に手を触れた。指先から血が出るのと、武器であったそれらが真っ赤な粒子になるのと、指先の怪我が消えるのはほとんど同時のことだった。


「……あしたに あしたへ……」


 スライムが、パシャンとはじけて消える。

 真っ赤な破片はうららの意識が広がる範囲ぎりぎりまで、散らばっていった。


 眠気はまだまだやって来なそうだ。聖水が欲しいな、とぼんやり思いながら、満点の星空を眺めていた。


 モンスターがあちこちで湧いているのを認識しているが、たった今放った金属片たちによって発生した直後に消滅させられている。朝には、金属片はただの金属のかけらになるし、モンスターは自然の魔力として空気に溶けていることだろう。


「昔は、スライムが苦手だったんだけどなぁ……」


 魂を失い、新たな魂を求める武器に、それらが錆びて風化し、聖水を取りこんでモンスター化したスライム。

 モンスターはともかく、スライムや死んだ武器というものが以前は怖くて仕方なかったのに、今では操れるまでになっている。


 成長か、変化か、また人間らしさを失ったのか。



『また遊んでね。……葵衣あおいちゃん、て呼んでいいかな?』


『アオイでいいよ』


『ありがとう!アタシはレイ』


『うららちゃん』


『麗、て、うららって読めるの。だから、今日から浦浪さんはうららちゃんね、なんかそのほうがかわいいし』


 親友、アオイの葬式はアメリカで執り行われた。


『別に、俺なら構わないけど』


『あっちの世界を理解できるの、俺しか居ないだろ?』


 あちらでの夫、伸弥しんやが二台の端末を並べてゲームをしている姿をうららはよく眺めていた。

 孫の顔を見る前に旅立ってしまった夫との生活は、それなりに幸せだった。


 あちらの世界に最後に行ったのは、こちらの世界での夫と向かったあれが最後だ。


「テオ……」


『どうせなら、レイの名前をこの土地の名前にしてしまおうか』


 ……絶対に、ウラナミに着いたら、あの恥ずかしすぎる土地の名前を昔の名前に戻すんだっ!テオが起きてしまう前に!テオが起きてしまう前にっ!!!!


 決意と拳を固く握りしめ、夜は更けていく。

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