第8話 俺たちって、ほんと全裸

Aパート

 ワルプルギスの夜まで、あと一日と迫った日曜日。

 僕は妻と息子、そして娘の円香を連れ立って、近所にある新興宗教の教会へとやって来ていた。


 何故そんなことをしているのかって。

 別に僕は熱心な新興宗教の宗徒でもないし、そもそも、神様自体信じていない。

 というか、もしこの世に神などというものが存在するなら、僕は、この身に降りかかった運命と呪いに対しての恨み節を炸裂させて、釘バットでそれを撲殺していることだろう。神などいない。いないのだ。


 なのになぜ来た教会――。


 というのは、ここの教会の司祭がなんともウィット&ゲットワイルドに富んだ、今瀬戸内寂静と呼ばれる名司祭だという噂を、風の噂に聞いたからに他ならない。


 今瀬戸内寂聴である。

 別に寂聴さんは死んでも居ない。その上に、性別も違う。だというのに、そんな風に呼ばれる人物というのが、ちょっとばかり気になった。


 そんな彼が、宗徒に関係なく講演会をするというプリントが、回覧板で回って来たから、さぁ大変。妻と話しているうちに、せっかくだから見に行こうかという話になり、家族総出で、その教会へとやって来た……という塩梅である。


「なんでこの貴重な休日に、お父さんと一緒に過ごさなくちゃいけない訳。意味分かんないんだけど」


「円香いいじゃないか。たまには家族水入らずでこういうのも」


「私はお父さんと過ごすことが嫌だって言っているんだけど」


 やれやれ、反抗期ここに極まれりだな。


 ショッキングピンク色に染められた髪。それをツインテールにして、子供らしさとやんちゃっぷりを同居させた彼女は、まるでヤンキー少女のように、バブリシャスなガムを膨らませて、ぶぅ垂れて見せる。教会内だというのに酷い態度。

 ガンを飛ばしてくる円香から視線を逸らすと、僕は、はぁと溜息を吐き出した。


 どうしてこんな海外ドラマの反抗期の娘みたいに嫌われてしまったのだろうか。

 何か教育を間違ってしまったのだろうか。


 目に入れても痛くないと思っているのは間違いない。

 間違いないけれど、ここ最近は所かまわず魔法少女に変身してくれたり、何かにつけて反抗してきたりと、お父さんもちょっと君の扱いが分からないよ。


 やはり甘やかしすぎたのかな。

 僕も巴社長のことをどうこう言う前に、ガツンと円香に言ってやる必要があるのかもしれない。


 そんなことを思いながら肩を落とす僕の横で、妻が円香に向かって睨みを利かせた。


「こら、ダメよ円香。お父さんも忙しい中、こうして家族の時間を作ろうと、努力しているんだから。そんな風に言うことないでしょう」


「……はぁい」


 妻の言う事は素直に聞くのか。

 どうして僕にだけこうなのだろう。


 やれやれ、男親は辛いよ。


 さて――。


「なかなか立派な教会だな。というか、教会というより、セレモニーホール?」


「結構お金持ってる感じね。新興宗教って、儲かるのかしら」


 回覧板の地図を頼りにたどり着いたその教会は、なんだか僕の持っている教会のイメージからは程遠い、らしからぬ場所であった。

 コンクリート打ちっぱなしの壁に、ステンドグラスの代わりに蛍光灯が輝く室内。

 木の椅子の代わりに、パイプ椅子がずらりと並べられたそこには、既にそこそこの人たちが集まっていた。


 どれもこれも、近所で見知った顔である。

 やはり名物司祭を一目見ようと、やって来たという感じである。

 皆、ミーハーだなァ、と、そんなことを思いながらも、僕はちょうど三つ並んで空いていた席の前へと移動すると、息子を膝に抱いて腰を下ろした。


 隣に妻、更にその隣――パイプ椅子の列の間に造られた、通路に面している席――に円香が座る。


 よっこらせ、と、一息つくと、僕は鞄の中から、チラシを取り出した。


「今瀬戸内寂聴――チェリーブロッサム・マイケル。ふざけた名前をしているけれど、そんなに凄いんだろうか」


「彼の講演を録音したテープは馬鹿売れらしいわよ。中高年のおばちゃんから絶大な支持を得ているんだとか。ウィット&ゲットワイルドだとかなんとか」


「そもそも、ウィット&ゲットワイルドっていうのがよく分からない表現だよね。なに、ゲットワイルドって。ネットワークでもTMするの?」


 来ておいてなんだが、なんとも不安である。

 と、その時。


 ぺけぺんぺん、ぺけぺん。

 三味線の軽快な音が鳴ったと思うや、わぁ、と、歓声が一気に上がる。おや、もう開演時間かと視線を舞台に向けると、舞台袖から黒い服を着た司祭がやって来た。


 金色の髪を後ろに流してポマードで固めた彼は、いかにもアメリカンな感じ。

 顎は前に突き出ており、太い眉毛をへにゃりと弓なりに曲げて、柔和な顔をしている。

 そして――ち〇こでかいんだろうなと、そんなことを思わせる、逞しい体躯を揺らしてマイケル氏は、ドーモドーモと、我々の前に姿を現した。


 壇上のマイクの前に立って一言。


「神は言いました――我らは仏門に帰依すると!!」


 神仏習合!!

 アイエェ!? ホトケ!? ホトケ、ナンデ!?


 新興宗教と言えば、まぁ、仏教系からの発展が多いと聞いている。

 聞いているけれど、こらまた危ないネタをぶっこんで来たなぁ。


 僕はてっきり、その――教会という言葉の響きから西洋系の宗教かと思っていたよ。

 まぁ、日本の信仰宗教なんて、なんでもありだよな、そうだよな。


 そんな僕の戸惑いはともかく、ワハハ、と、それにウケて笑うご近所の皆さん。


 笑えるジョークだっただろうか。

 なかなかブラックかつ、分かりにくいネタだったと感じたのは僕だけだろうか。

 こいつら、高度な教育受けすぎだろ。いや、分かる僕も僕なんだけれどもさ。


 妻と円香はきょとんとした顔をしている。

 どうやら、神仏習合ネタが分かっていないらしい。

 まぁ、それが普通の反応だよ。

 中学の歴史で習うけれど、普通そんなの忘れるもんだっての。


 きゃっきゃっきゃと、たっくんが膝の上ではしゃぐ。

 そんな中、壇上の今瀬戸内寂聴――マイケル氏がドウモと両手を合わせて、パイプ椅子に座っている僕たちに向かって頭を下げた。


「私、チェリーブロッサム・マイケルです。皆さん、どうぞ、よろしく。今日はウェルカム・ようこそ、ホトケ・パークへ!! どったんばったん大騒ぎしてくださーい!!」


 何が何やら。

 そんなマイケル氏の頭から、ポロリと、金色をしたカツラが落ちると、また、笑いが起きた。うぅむ、まごうことなき僧侶ではないか。マイケル、侮れぬ奴。


 ◇ ◇ ◇ ◇


「その時――スライは言いました。『エイドリアーン!!!!』 彼は、確かにボクシングの勝負に負けました。負けましたが、その時己に打ち勝ったのです!! 『エイドリアーン!!!! エイドリアーン!!!!』 愛しい人を呼ぶ声がリングに木霊する。しかし、イタリアの種馬の叫び声に応えるものは、誰もいませんでした……」


「そんな、そんなのって、あんまりだよ……」


「その時、五十六億七千万年の時空を切り裂いて、衆生済度のためにミロクボサツがライジング!! その溢れんばかりのアルカイックスマイルで、青いリングを照らせば、Oh、アメージング!! 死んだはずの、正義超人たちがたちまち復活したのデース!! これが、裏高野に伝わる、超人予言書の中に書かれた、イタリアの種ウマンの一節になりまーす」


 ウィット&ゲットワイルドだった。

 マイケルさんの話は、実に薀蓄に飛んでいて、そして、ドラマティックにサスペンスな感じの、聞いていて胸が躍るものであった。


 強いて言うなら、まるで黄金期ジャンプ漫画のよう。

 来週どうなってしまうんだという感じに、僕はその話に深く引き込まれたのだった。

 うぅん、そりゃ、奥様方に大人気なのも頷けるわ。実際、妻も、すっかりとその話に聞き入っていて、ほろりほろりと、その目元をハンカチで拭っていた。


 よかった、よかったな、スライ。

 続編を作ることができて。そのあとシリーズ化もすることができて。


 映画監督として苦節を舐め、更にポルノ映画にも出演し、散々な目に合いながらも、なんとかヒット作を世に放ち――その後も、ゴールデンラズベリーの常連として愛されて、もう、なんというか、本当によかった。


 決して某ボクシング映画とその主演&脚本家の話ではない。

 あくまで、裏高野に伝わる説法である。


 仏は信じる者を救うのだ。


「この通り、常に信心深く、御仏の心に帰依していれば、人は誰でも救われる資格を持っているのでーす。ですから、皆さんも常日頃から御仏を信仰し、その慈悲に感謝して日々を過ごすべきなのでーす。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」


 じゃらじゃらと、数珠を擦って言うマイケルさん。

 最初はうさんくさい外国人だなと、訝しんでその話を聞いていた僕だったが、やはり――今瀬戸内寂聴の名は伊達ではない。


 素晴らしい人だ。

 新興宗教というと、常に好奇の目が付きまとうが、このマイケルさんだけは、信じても問題ないのではないだろうか。そう心の底から思えた。


 だってこんなにも、アカデミー賞総なめの、よい説法をするのだもの。


「……テープ、テープを買おう!! これ、一巻から五巻まで、全部買おう!!」


「そうしましょう、貴方!!」


「今ならテープ五巻セット買いで、なな、なんと!! 半額の三千二百四十円でーす!!」


「買うた!!」


「お父さんもお母さんも馬鹿じゃないの。こんなあからさまないい話で感動しちゃって」


 円香ェ。

 どうしてお前はそんなスレたことを言うんだよ。


 いい話はいい話。

 確かにストーリーは陳腐で、なんの捻りもないものかもしれない。

 けれども、そんな王道的なストーリーでも、演出の妙と、適度な伏線の張り方、そして、話し手の熱のこもった話しぶりで、こうも人を感動させることができるのだ。


 その良さが分からぬとは。

 さてはアンチだなテメー。


 むせびなく僕と妻をよそに、白けた顔をしてそっぽを向く円香。

 年頃の娘には、まだ、この栄光を追い求めに追い求めて、勝利こそ手に入れられなかったが、人間としての尊厳を獲得した男の物語が、よく分からないらしかった。


 まぁ、彼女もきっと大人になって、生きることの辛さを知れば、きっと分かるだろう。

 そういうものだよ、人間なんて……。


 ぺけぺんぺん。また、三味線の音が鳴る。


「という訳で、私の説法はこれで終わりでーす。皆さん、ご清聴ありがとうございまーした。また来てくれるかな?」


「いいともー!!」


 ノリノリで返事をするご近所さんたち。

 それに混じって僕もまた、手を天井に向かって振り挙げた。


 はてさて、そんな訳で講演会は終わり。

 これからマイケル氏自らがテープを手売りする、販売会へと移行しようと、そういう流れになっていた。いやほんと、よくできた説法に、よくできた販売システムだよ。

 これを考えた奴は天才だね。いや、マイケルさんなんだけれど。


 すぐに物販コーナーにできる長蛇の列。

 その列に僕たちも並ぶと、彼と対面するのをしばし待つことになるのだった。


 一人ひとり、丁寧に相手をしているからだろうか、長蛇の列はなかなか前に進まない。

 焦れたように円香が溜息を吐き出した。


「……はやく帰りたい」


「円香、ごめんよ。もうちょっとだけ辛抱してくれ」


「明日は大切な用事があるっていうのに……うん?」


 ぐずる中二の娘を説き伏せようとした時だ。

 ふと、円香が視線を前に向けたまま、その眉間に皺を寄せた。


 その視線の先には、マイケル氏しか立っていない。

 いや、違うな……。


 正確には、マイケル氏とその家族しか立っていなかった。

 マイケル氏の妻だろう。日本人のちょっと美人系な顔立ちの女性。そして、娘だろうか、円香と同い年くらいの女の子が、物販作業を手伝っている。


 そのマイケルさんの娘が、ふと、円香の視線に気づいて顔を上げる。


 どうしてだろう――その表情が一瞬、少年マガジンで「!?」とか煽りが入りそうな、そんな感じに怪しく歪んだのは。

 そして、うちの娘の方を見ると、彼女もまた、「!?」という感じの顔をしていたのは。


 !?


 いったい、これは何が始まるというのだ……。

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