第5話 父さんな、左遷先でも全裸になるんだ

Aパート

「辞令。要友久係長を従業員へ降格処分の上、営業部第三課から総務部庶務課への異動を命ずる。平成30年4月16日」


 僕はそう書かれた文章を、読み上げた。

 課長が残念そうな顔をして僕から視線を逸らす。その一方で、隣に座っている女主任が、養豚場の豚でも見るような目で僕を見てきた。


 まぁ、そら、そうなりますわな。

 取引先に対して、あんなやんちゃをかましたら、クビにならんだけマシというもの。


 週明け。定時出社してきた課長から渡されたそのプリントは、さんざんな目に合い、挙句取引はなかったことにという、考えうる最悪の事態に陥り、寝る眠れず寝不足な僕の目によく染みた。


 こんなに、プリントの余白がまぶしいことって、今まで感じたことがないな。

 ははっ。


「窓牧商事は、今後、うちとは一切取引をしないと言ってきている」


「……ソウデスカ」


 僕の魂の籠っていない言葉が心の琴線に触れたのだろう。

 課長は、バン、と、僕のデスクを叩くと、僕に憤怒の表情を向けた。


 怒っている。こんな風に、僕に怒りの視線を向ける課長を見るのはこれがはじめてだ。 いつもは、「いやぁ、要くんには敵わないよ。僕が部下になっても、よろしくね」なんて、そんなおべっかを言う口が、これでもかと大きく開かれる。


「なんでだ!! なんでこんなことをしたんだ、要くん!! 取引先の社長の前で、全裸になるだなんて、正気の沙汰とは思えない!! しかも、あれだろう――乳首が薄っすら桜色だったんだろう!?」


「そこ、重要な所でしょうか」


 なんででしょうね。

 どうしてでしょうね。

 僕もよく分かりませんよ。ただ、別に自分から好んで、全裸になったつもりもなかったし、全裸になったことについて、悔いていない訳でもなかった。


 だって仕方ないじゃないか。

 娘が、娘が勝手に魔法少女に変身しちゃったんだから。


 日曜日の午後だよ。

 そりゃね、どのタイミングで魔法少女に変身するか、僕も気が気でなかったさ。

 だから、替えのスーツも用意して、いつ、何時、魔法少女に円香が変身しても大丈夫なようにと、準備万端で挑んだつもりだった。


 つもりだったのに……。

 まさか、誤魔化しの効かないクリティカルな瞬間に、魔法少女に変身してくれるなんて。


 圧倒的不運。

 としか言いようがない。


 どうしてそのタイミングで、魔法少女に変身したんだ、円香よ。

 なんで、狙いすましたように、社長と握手しているタイミングで、魔法少女になんて変身しちゃったんだ君は。


 もしかして、わざとやっているんじゃないか。

 そうじゃないよね、と、思わずその夜、円香を問い詰めようかと思ったくらいだ。


「聞いているのかね、要くん!!」


「ハイ、キイテイマス。ドウモ、モウシワケ、ゴザイマセンデシタ」


「ございませんでしたじゃないよ!! どうするんだ!! 取引先で全裸になる社員がいる会社だなんて――そんな風聞が立ったら、うちはもう大変だよ!! 本来だったらクビになってもおかしくないのに……」


 ほんとね。

 僕も今回ばかりはもう、社会的に抹殺されると思ってましたよ。

 許されないかなと思っていましたよ。


 もう全裸になってもいいや何も怖くない

 とか、思って、普通の時間に出社しましたよ、こっちも。


 そしたら、平社員に降格の上、部署異動でしょ。そりゃ、ショックはショックに違いないですけど、薄皮一枚、なんとか社内に残ることが出来たのは不幸中の幸いだった。


 とは言っても、総務部庶務課は、うちの会社の左遷先の代表格である。

 ここに配属されて、一カ月と持たずに辞めていった、六十手前の元管理職たちを、僕は幾らだって知っている。


 はたして僕もどれだけ持つかどうか。


「……とにかく。午前中に荷物をまとめて、庶務課の方に移りたまえ」


「ハイ」


「仕事の引継ぎももういい。君のような変態野郎と一緒に仕事をしていたと思うと、こっちも虫唾が走るよ」


 吐き捨てるように言って、課長は自分の席へと戻っていく。

 ちくしょう。自分の娘が魔法少女にならないからって、いい気になりやがって。

 お前の娘も魔法少女になればいいのだ。


 はたして、課長の家族構成についてはよく知らない。

 だが、年頃になった彼の娘が、うっかりと騙されて、魔法少女になり、全体会議やら大事な商談の席で、爆散全裸するがよい、と、僕は心の中で思ったのだった。


 はぁ。


 まぁ、世を呪ってみたところで、何かが変わる訳でもない。

 起きてしまったことはしかたない。ここは、一つ、腹を括って、庶務課で一からやり直すとするか。


 そう思って、デスクの片づけをしようと、手を伸ばした時だ。

 たまたま、隣に座っていた女主任と体が振れてしまった。


「プリーズ!! ドン、タッチ、ミィイイィイィイィ!!!!」


 これである。

 完全に犯罪者扱いだよ。トホホ。


 まぁ、人前で全裸になるような奴、犯罪者以外の何者でもないと思うけれどさ。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 庶務課へと持っていく荷物はそれほど多くなかった。

 使っていたノートパソコンや、仕事の書類などは、全部今の営業部で引き継ぐことになっている。持っていくのは、ごくごくパーソナルなモノ。日付印だとか、筆記用具だとか、鞄に詰め込んで持っていけるものばかりだった。


「庶務課かぁ、いったいどんな所だろうか。なんというか、ドラマのイメージしかないよな」


 僕が子供の頃、流行っていたOLドラマのことを思い出す。

 パンチの効いたギャグコメディ。あれと、おっちょこちょいのナースが出て来るドラマが、密やかな月曜夕方の楽しみだった。


 しかし、実際、庶務課に配属される日が来ようとは。


「森〇レオみたいにやれるだろうか」


 猫をなでなで昼行燈。そんな感じに、ゆるりと日々を過ごせる部署だといいのだが、下馬評は聞きうる限り最悪の部署である。

 女性社員も多いと聞いている。

 今日の感じで、騒がれるのではないかという不安は、いともたやすく僕の背骨を曲げさせた。


 あぁ、どうしてこんなことになってしまったのか……。


 総務部庶務課は、自社ビルの地下にある。ここ、営業部のオフィスから、階段を使って移動できる距離ではない。エレベーターを捕まえると、僕はそこに乗りこんだ。

 と、そこに先客。


 ワイルドな顎髭に獅子のような白髪、野太い眉毛に、筋肉質な体。

 それこそは――僕の会社の社長にして、この新進気鋭のIT企業の創業者。


「と、巴社長!!」


 巴三四郎社長であった。


 なんてことだ、社長とエレベーターで鉢合わせしてしまうなんて。

 これは予想外である。


 もちろん、僕はそれまでいけいけの係長であったが、社長と直接的な面識はこれまで一度も持ったことがない。全体会議やら、部内への挨拶やらで、遠くから、彼を眺めるばかりであった。

 あともう少しで――役員になれば、彼と話す機会もあったかもしれない。


 そう思うと、僕は入ったそのエレベーターから、すぐに降りようとした。

 こんな情けない負け犬のような姿を見られたくない。

 そんな気分になってしまったのだ。


 しかし――。


「待ちたまえ、要くん」


 全体会議の席やら、テレビの自社特集のニュースやらで聞いたことのある、渋く、それでいて凄みのある声が僕の背中にかかる。

 何かの間違いではないだろうか。

 そう思って振り返った僕に向かって、社長はその鋭い眼光を真っすぐに向けてきた。


「乗りたまえ。庶務課へと行くのだろう」


「……社長。どうして社長がそのことを?」


「社員の事は、どんなに些細なことでも把握しているつもりだ。君が、社内で不審な男に乱暴を働かれたこととも、取引先に失礼を働いたという話も耳にしている」


 なんということだろうか。

 こんな、僕のような人様の前でご迷惑にも全裸になる、そんな取るに足らない人間の事を、うちの社長はちゃんと把握してくれていただなんて。見てくれていただなんて。


 じっとこちらを真摯な瞳で見つめる巴社長。

 彼は、鍛えているのだろう、格闘家みたいに大きくごつごつした手を僕の肩へと載せると、うむ、と、一声。


「人生には、辛い時がしばしば訪れる。何をやっても上手く行かず、やることなすことが裏目に出て、生きているのもバカバカしく感じられる。あるいは、何も悪いことをしていないというのに、物事が悪い方へ悪い方へと、進んでいるように感じられる――そういう時が、男にはままあるものだ」


「……巴社長!!」


「しかし!! しかしだ、要くん!! 我々は男だ!! 男がこの世に生まれたからには、死ぬる時まで歩み続けねばならぬ!! そして、歩み続けている限り、今は悪路かも知れぬその道も、いつか、平らな道に出るやもしれぬ!!」


 今は辛くとも、諦めぬことだ。

 生きよ、と、巴社長は僕の肩を力強く叩いた。


 目頭に熱いモノが込み上げてきた。

 僕はなんて、なんていい会社に就職したのだろうか。


 就職氷河期。

 大手企業に妻子持ちということで蹴られ、中小企業もろくに相手にしてくれず、ようやく内定を出してくれたのが今の会社だった。それだけに、粉骨砕身、会社のためにと思って働いて来た。


 それが今回、全裸になったことで、裏切られたように感じていたが。

 そんなことはなかった。

 少なくとも社長は、社長だけは、こんな全裸野郎な僕のことを信じてくれている。


「君の身に起こっていることについて、あえて私も深くは聞くまい。しかし!! 立ち上がって見せろ、要友久!! 漢であれば、この逆境から、自分の脚で再び立ち上がり、全て取り戻してみせるのだ!!」


「……はいっ!! 社長ぉっ!!」


 この社長が居る会社なのだ。

 僕のことを見守ってくれている会社なのだ。

 庶務課がなんだ、女子の群れがなんだ、全裸がなんだ。


 もう何も怖くない。

 失礼と知りつつも、僕は社長の前で、スーツの袖で涙を拭うと、力強く微笑んでみせた。それに応えて、よし、と、社長がまた、僕の肩を叩いた。


 ありがとう巴社長。

 僕はもう一度、この会社で頑張れる。そんな気がしましたよ。

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