第3話 父さんな、女子社員の前でも全裸になるんだ

Aパート

「円香。そこに座りなさい。大切な話があります」


「なに、お父さん? というか……クサッ!! お父さん、お酒臭っ!! なに、なんでこんな時間からお酒飲んでるの!? 馬鹿なの!? まだ夕食前だよ!!」


 だまらっしゃい。

 誰のせいで、僕が昼間っからやけ酒飲むハメになったと思っているのか。

 それもこれも全部、円香よ、君が魔法少女なんてものに、ほいほいと契約してなっちゃったからだろう。


 なんでお父さんやお母さんに相談もせず、ほいほいとそんなものになってしまったのか。せめて、なるならななるで、一言、相談してくれてもよかったんじゃなかろうか。

 ひっく。


 昼から飲める居酒屋で、その後もX兵衛とたらふくをやけ酒を飲み、夕方のちょっと前に自宅へと帰宅した僕は、リビングで円香が帰って来るのを待ち構えていた。

 理由は今更説明するまでもないだろう。


「円香。やっぱり君は魔法少女をやっているだろう」


「……だからぁ、なに言ってるのお父さん。三十過ぎたおっさんが、魔法少女がどうとかこうとか、流石にこっちもドン引きなんですけど」


「ドン引きしたいならするがいい!! だがな、円香、これだけは言わせてくれ!!」


 僕はそう言うと、アルコールでおぼつかない足でその場に立ち上がった。

 そして、その場に膝をつくと、築五年――四十年ローンを組んで立てた我が家の床に、額を擦りつけて彼女に懇願したのだった。


「お願いだから、昼休みに変身するのだけは勘弁してくれ!! お父さんにも、社会的な立場というものがあるんだ!!」


「……お父さん!? いくらなんでも飲みすぎなんじゃないの!? というか、やめてよみっともない、娘に土下座とか!!」


「いいや!! 僕は!! 君が!! 昼休みに!! 魔法少女に!! 変身しないと!! 誓ってくれるまで!! 土下座するのを!! 止めない!!」


 だって、そうしてくれないと、僕は安心して、会社に出社することができないから。

 昼休みにスーツがビリッビリに破れてみろ、それからいったいどうやって、僕は会社で過ごせばいいというのだ。


 和やかな、お昼休みをぶち壊す、まさに珍事である。


 係長御乱心。

 そのまま警察の御厄介になることは不可避である。


 きっとネットニュースなんかで細やかに報道されることだろう。新進気鋭IT企業の闇。前途洋々であった係長を襲った、突然の心の病とはなんなのか――みたいな。


 心の闇もへったくれもない。

 全部、この目の前に居る、娘が原因で起こっていることである。

 残念ながら、その事実を知っている人間は、この世にそう多くないのだが。


 まぁいい。とにかくだ。


「お父さんは、別に円香が魔法少女をやることは反対じゃない。魔法少女上等、おおいにやるといい。若いうちは、何でもチャレンジするものだ」


「だから、魔法少女なんて知らないって言ってるじゃない。そんなの言われても困るし」


「君がそれを隠すのも許そう。けれど、これだけは約束して欲しい。変身するなら、午後六時以降、お父さんの会社の定時が過ぎてからにすると」


「訳が分からないよ!!」


 そう言って、もう、お母さん、お父さんが変なんだけれど、と、円香は僕の前から去って行った。しばらくして、心配した妻がこちらに向かって憐れみの視線を向けてきた。


 やはり、襲われたことによる心の闇が、とか、そういうことを思ってるのだろう。


 思いたければそう思っておくがいい。

 どの道、円香が魔法少女になって、変身するたびに僕の衣服が爆発四散するなんて、そんなことを言った所で、理解などされるはずがないのだから。


「魔法少女なんてハシカみたいなもんよ。そのうち、そんなことしてはしゃいでる自分を冷静に客観視するようになって、夢から覚めるみたいに変身しなくなるもんさ」


 X兵衛の言葉を思い出す。

 そう、今、この僕の身に思いがけず降りかかってきた不幸について、解決する方法はただ一つしかない。ひたすらに、円香が魔法少女というものに、飽きてくれるのを待つということそれだけだ。


 それまでは、ひたすらに僕は、全裸にならないように、また、全裸になっても大丈夫なように、細心の注意を払いながら社会生活をするしかなかった。

 最悪、場合によっては――休職という手もありだろう。


 実家の両親が痴ほう症になったとか、そういう適当な理由を作って会社を休み、円香が魔法少女をやるのに飽きるまで、時間を潰すというのも無きにしもあらずだ。

 会社には迷惑をかけることになるが、露出狂が発生したという醜聞が立ち、みすみす会社の評判を落とすよりは、よっぽどマシだろう。


 やれやれ。

 自分の娘がやったこととはいえ、とんだことになってしまったものだ。


「まぁ、女の子は飽きっぽいって言うしな。きっと、すぐに飽きてくれるだろう」


 僕はそんなことを思いながら、再びキッチンのテーブルに戻ると、帰りにスーパーで買いだめしてきた発泡酒のプルタブを上げた。


 飲もう。

 とりあえず、今は自分の娘が、約束を守ってくれることを信じて、発泡酒を喉の奥へと流し込むことしかできない。


 やけ酒に暮れる僕の姿など、そう見たことがないからだろう。

 妻が、なんだか残念そうな顔をして、リビングから姿を消す。


 すまない。

 けれども、これも仕方がないことなんだ。

 君たちとの生活を守る為、円香の青春と友情を守る為。


 そして、僕のどうにかなってしまいそうな、心の平衡を保つため。


「……なんだよ、娘が魔法少女に変身するたびに、お父さんが全裸にならなくちゃいけないとか!! こんな狂った世界観考えた奴はどこのどいつだ!! 頭おかしいんじゃねえの!!」


 叫ばずにはいられなかった。

 今更なのだけれど、どうやら僕は、あまりこういうストレスに対して、強い人間ではないようだった。


 酒、飲まずには居られない。


 ◇ ◇ ◇ ◇


「よォう!! 大丈夫かァ友久!! こんな朝早くから出社なんて、気合入っているじゃないかァ!!」


「X兵衛!!」


 翌朝。

 フレックス制なのを利用して、円香の学校が終わる前に――放課後になる前に、会社を退社すればよいのではないかと考えた僕は、朝の五時に支度を整えて家を出た。


 妻はもちろん、円香にも内緒にしてのことだった。

 もちろん、後で妻にはフォローのLINEを入れるつもりである。


 そんな、覚悟と共に家を出ると、僕の家の門の前に頼れる漢――野獣X兵衛が、背中を門にもたれかからせて立っていた。

 トゥース。ちょい古めのギャグで格好をつけつつ笑いを誘ってみせた彼は、自宅の最寄駅へと向かう僕に並んで歩き始めた。


 ちょんまげと浅葱色の道着を揺らしながら、X兵衛は僕をその一つしかない瞳で心配そうに眺めてくる。

 まだ知り合って一週間も経っていないというのに、この男、なんて優しい目をするのだろうか。思わず、その兄が、全ての問題の発端であると知りつつも、僕は、その深い思いやりを感じて、胸が温かくなった。


 やはりX兵衛、男の中の漢よ。

 敵わぬなと、同じ男として、その懐の大きさには素直に感嘆した。


「……娘と話はついたのか?」


「あぁ。円香には、昼休みには魔法少女に変身しないようにと、頼んでおいたよ。これで、勤務時間を前倒しすれば、なんとか全裸タイムを回避して仕事をすることができる」


「……お前さんの会社がフレックスタイム制で、本当によかった」


「とはいえ、課長にどう説明したものか、考え物だけれどね」


 はたして、『娘が放課後魔法少女に変身すると、僕の着ている服が爆発四散するので、早朝勤務でさっさと切り上げさせてください』などという話が、まかり通るだろうか。


 馬鹿な。

 心を通わせて一緒になった妻にさえ説明できないような話である。

 赤の他人である課長にそんな話が通じる訳がない。


 そこはそれ、まぁ、娘が今ちょっと反抗期で、できるだけ家に居てあげたい、とか、そういうもっともらしい感じの話をでっちあげるしかない。

 大丈夫、ちゃんと仕事で成果さえ上げていれば、多少の融通は利くはずだ。

 課長も窓牧商事との取引を前に、僕に変なプレッシャーをかけることもないだろう。


「ほんと、早く円香が、魔法少女に飽きてくれると助かるんだけれど」


「……それなんだがな、友久」


「うん? どうかしたのか、X兵衛?」


 申し訳ない、という感じに、苦虫を噛み潰したような顔をするX兵衛。

 急に立ち止まった彼は、その場で、瞳を閉じると、くっ、と、押し殺すような声を上げた。


 なんだというのだ、その反応は。

 嫌な予感に、汗が体中から噴き出る。タンスの奥から引っ張り出してきた、着古したスーツが、それを吸って、何とも言えない埃っぽい臭いをたてた。


「思った以上に、あんたの娘の魔法少女時代は長引くかも知れねぇ……」


「なに!? どういうことなんだい、X兵衛!? それはいったい!!」


「あんたの娘は、出会っちゃいけねえ奴に出会っちまったのさ」


「出会っちゃいけない奴!? なんなんだい、それは!!」


 ――ハミ。


 巴ハミ、と、X兵衛は目を見開き、こちらを刮目して見た。

 その表情が、嘘偽り、虚言、その他一切の私情を含まない、誠実さでもってこちらに向けられているのは、よく分かった。


 巴ハミ。

 なんだというのだ。誰だというのだ。その魔法少女は。


「彼女は、俺の兄――九兵衛が見つけた、ある意味で最強の魔法少女!!」


「最強の魔法少女、だと!?」


「あぁ。二十七歳――アラウンドサーティに足を突っ込みながらも、現役で魔法少女を続けているつわもの!! まさしく、魔法少女オブ魔法少女!! レジェンド魔法少女と言ってもいいような、そんな女だ!!」


 ……馬鹿な。


 二十七歳にもなって、魔法少女を続けているだって。

 どれだけ脳味噌がお花畑だったら、そんなことができるっていうんだろう。

 狂気めいてる。信じられない。いったいいつまで夢見る少女のつもりなんだ。


 訳がわからないよ。


 そんな魔法少女と、うちの円香が接触した。

 つまり、それが意味するところは。


「ハミの悪い影響を受けなければいいんだがな。もし、万に一つでも、彼女に憧れちまうようなことがあれば……」


「円香はアラサーになるまで、魔法少女を続けるかもしれない……ということか、X兵衛!?」


 あぁ、と、瞳を閉じて俯くX兵衛の姿に、僕は深く絶望した。


 そんな。

 あと、十六年も、突然、衣服が爆発四散して、全裸になるかもしれない、そんな状態を続けなければいけないだなんて。

 考えただけで、気が、どうにかなってしまいそうだ。

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