前向き百姓は省みない ~ なりそこない勇者と最強従魔の異世界牧場

聖瀲

第1話 - ワンコを訪ねて三千里



 大きなベットで眠りにつく少年の目元に朝日の優しい光が注ぎ込み、重たい瞼を開けと優しく囁きかける。

 少年は瞼を擦って上体を起こし、まどろむ体をぐうっと伸ばした。


「おはよう、メリィ。今日も気持ちいい朝だ」

『……オハヨ』


 オレはベッドを共にしていたの頭を優しく撫でて語り掛ける。

 メリィと呼ばれた……美しい宙色の毛に包まれたは、オレに撫でられてウットリとした表情を浮かべながら「メェ」と小さく鳴いて、ふよふよと浮かび上がったと思ったら天井にコツンと頭をぶつけていた。この子はどうにも寝起きが悪いのだ。


 歯をガシガシと手早く磨き、濡れタオルでサッと顔を洗う。そしてパジャマを脱いで作業着に袖を通す頃には、すっかり眠気も飛んで体は戦闘モードに入る。これがオレが10年は続けてきた習慣で、最早朝のルーティンみたいなもんだ。


 フラフラと浮かんでついてくるメリィと共に居間に出る。

 台所では、オレと同じ年齢くらいで美しい黒髪を束ねる少女がエプロン姿で朝餉の支度をしている。そしてグレーのショートヘアーを靡かせる和風メイド服の少女は、その背中に生えたツバメの翼をパタパタとしながら、慌ただしく食器を並べている。


 そんな彼女たちの姿を眺めながら朝食の席に着こうとすると、オレに気付いた二人の少女が


「おはよう、夏向さん」

「おはようございます! ご主人様!」


 とそれぞれ元気に挨拶してくれる。オレはそんな二人に


「よっ、おはようさん」


 と挨拶を返して椅子に座る。ご主人様呼びは恥ずかしいからやめて欲しいんだがなぁと言っても、メイド服の彼女は相変わらずだ。


 そして一人と一匹が遅れて居間に入ってくる。


「うぅ……、朝は苦手なのじゃ……」


 と気怠そうに大あくびをするパジャマ姿の少女の頭の上には、同じように

「キュアア」と小さな口であくびをする、少女の髪色と同じ真紅の体をしたミニドラゴンがチョコンと乗っている。

 まるで姉弟のような微笑ましい姿に思わず頬を緩めていると、出来上がった朝食が手際よく並べられていく。自家製バターがたっぷり使われたスクランブルエッグの香りが食欲を激しく刺激し、皆がそれぞれ席に着く。食事の音頭を取るのはオレの役目だ。


「それじゃ、今日も怪我無く元気に、前向きに頑張っていこう。―――いただきます!」

「「「いただきます!」」」 『……マス』「キュア!」


 こうして、オレと大切な仲間たちの1日が始まりを告げる。



 『異世界牧場』の朝は、今日もゴキゲンだ!





◇◇◇





 「「「コォケコッコォォォォォォォォォォオオオ!!!!!!」」」


 ニワトリ共の喧しい鳴き声に、オレは夢から叩き起こされ、現実に返される。アイツらは本当に毎回良いところでオレを目覚めさせやがる。

 ……まぁ、どんな夢を見ていたかなんて、数分したら直ぐに忘れるんだけどさ。

 ちぇっ、今朝の夢は、結構いい夢だった気がするのに……。

 頭をボリボリと掻いて、オレは起き上がる。時計の針は朝5時を刺しており、お天道様はちょうど山の谷間から顔を出したところだった。



 オレの名は朱雲すくも夏向かなた。こうやって毎朝、ニワトリに叩き起こされる毎日を送っている、ありふれない高校二年生男子だ。


 我が朱雲家は都会を離れた地方の県の、これまた町外れのド田舎で『朱雲牧場すくもぼくじょう』という観光牧場を経営している。

 百羽ちょいの鶏に、十数頭の乳牛、そして数十頭の羊と山羊に馬が数頭と、小規模ながら種類は豊富なのが『朱雲牧場』の特徴だ。

 この手の牧場なら定番の動物ふれあい体験や、乳牛の乳絞り、乗馬、あとは牧場グルメや自家製バターなんかが人気で、これでも連休になれば外からのお客さんで結構賑わう。


 ちなみに一番人気は、日本では珍しいヤギミルクを使ったアイスをクレープ生地で包み込んだ『朱雲クレープ』だ。

 去年とあるテレビ局がこれ目当てに取材にきて、でぶっちょのタレントさんが「まいう~」と言いながら朱雲クレープを食べるのをテレビで放送してから大人気なのである。



 パパっと顔を洗って作業服ツナギに着替えたオレは、ギャアギャアと喧しい養鶏場へ向かう。

 朝のニワトリの鳴き声っていうのは想像を絶するくらいに喧しい。オレはもう慣れたものだが、慣れない人が早朝の養鶏場に放り込まれたら、余りの煩さに卒倒してしまうんじゃないかと本気で思う。現代日本の家庭からニワトリが消えていったのは、この騒音が近隣トラブルになって仕方ないからなのだ。ウチのような辺境なら問題は無いけれど。


「……89……90っと。よっしゃ、今日も上出来だな」


 集めたタマゴをケースに並べ、額に浮かんだ汗を拭う。

 こうやってニワトリ達が生んでくれた大事なタマゴを集めたり、エサや寝藁の取り換えをしたりと、ニワトリ達の世話を寝起きでやるのがオレの毎朝の日課だ。

 ケースから大きめの立派なタマゴを2つ選んでポケットに入れ、再び家に戻る。今日は平日なので、この後は普通の学生のように学校へ行くのだ。


 熱々のご飯に生みたてのタマゴを割り、醤油を茶碗に三周半回してカカカッとかき混ぜる。養鶏農家ならではの贅沢な朝食卵かけごはんを口いっぱいにかき込み、パーカーの上から学ランを着て、碌に教科書もノートも入ってないスカスカの鞄を背負う。


「親父! 行って来るぜ!」と、牛の世話をする父の背中に向かって叫んで原付に跨り、山の向こうにある高校を目指してアクセルを回した。




◇◇◇




「……ろ、……も」


 暗い意識の中で、どこからか声が聞こえる。オレを呼んでいるのか? 


「……きろ、……くも」


 どこかで聞いたことのある声が、すごく嫌な気配のする声が、段々と近づいてくる。

 それは遂にオレの傍までたどり着き……。


「起きろォ!! 朱雲ォ!!」

「あいたぁッ!?」


 スパーンッ! と、丸められた数Ⅱの教科書が脳天を見事に捉え、オレは本日二度目の現世への帰還を果たす。


「私の授業中に居眠りするとは良い度胸だと何度言えばわかるんだお前は!」

「まぁまぁ真弓ちゃん! "男は度胸"って言うじゃん? 何事にも挑む度『胸』が無いとね! まぁ真弓ちゃんには胸が無いけd……」

「殺すッ!!」

「アバーッ!?」


 スパーンッ!! と、再び快音が教室に鳴り響き、愚かにも魔王鬼教師に立ちはだかった勇者居眠バカは机に沈んだ。インガオホー。

 クラスメイトの笑い声がドッと広がり、真弓ちゃん貧乳教師は飽きれた表情で頭を抱えた。


「お前だけは今日の宿題は三倍だ愚か者め。……おっと、時間だな。それでは授業はここまでだ。各自宿題を忘れないようにな。それではまた明日」



 真弓ちゃんがそう言うと同時にチャイムが鳴り、6限の終わりを告げる。

 クラスメートがゾロゾロと部活動のために散っていく中、三人の人物がオレを取り囲んだ。


「ウハハッ!! 相変わらずバッカだなーお前は!」

「もう、まーちゃん真弓も怒ってるよ。授業はちゃんと聞かないと……」

「全く……。寝てるクセに点数を取れるからコイツは憎たらしいんだ」


 三者三様にオレに小言を言ってくるのは3人の親友たち。



 豪快に笑い飛ばすのは、オレより高い身長180センチくらいのゴリラでガッチリしたゴリラの、ザ・スポーツ男子と言うべき風格のイケメンゴリラ。長良瀬ながらせ凱斗がいと


 オドオドとしながらオレの心配をする、黒髪ロングの大人しめで知的な雰囲気の巨乳美少女。でもこう見えて天然おバカ。オレは自分の成績よりお前の成績が心配だよ……。初芝はつしば瑠璃るり


 そしてオレ達のクラスの担任を務める新任教師であり、胸部にコンプレックスを持つ……うわっ、こっちを睨むな! 心を読むな! 安城あんじょう真弓まゆみ


 そしてオレを含めた4人は、家がご近所同士で昔っから仲の良い4人組なのである。

 ちなみに真弓ちゃんはオレらより6歳年上で、みんな一人っ子であったオレ達の姉代わりとなって昔から面倒を見てくれていた。そして都会の大学に進学して教員免許を取り、新卒で母校の教員に採用された天才なのである。



「ハッ! メシ食って腹一杯の5・6限の眠みに耐えるのなんて無理なこった! ふぎゃっ!?」


 スパーンッ!!! と、本日3度目の天誅を脳天に頂く。段々威力が上がってないか?


「堂々とサボリを認めるな阿呆!」

「点数取れてるからちょっとくらいいーだろ?」

「本当、夏向の豪運はズリぃよな」


 羨む凱斗に対し、運も実力のウチだ! とドヤ顔してみせる。



 オレは昔っからとても運が良い。


 雑誌やテレビの懸賞応募なんかは大体当選するし、じゃんけんも負け知らず。テストもマークシートなら勘で抜群の成績を叩き出してしまうので、中学時代は記号問題ゼロのオレ対策用テスト、その名も「対朱雲テスト」が作られた程だ。

 こうやってオレ達4人が同じクラスに集まっているのもオレの運のおかげらしく? 一般的に見たら美人な新任教師・真弓ちゃんを我がクラスの担任に引き当てたことから、『朱雲大明神』なんてクラスの男子たちに敬われたこともあった。



「ほら、かーくん夏向。ノート見せてあげるから……がんばろ?」

「うぐっ、瑠璃に心配されるとは……」


 ド天然癒し系の瑠璃が、ニコニコとしながらノートを渡してくれる。彼女は何事にも一生懸命取り組むタイプなので、印象が良く誰にでも愛されるタイプの女の子なのだ。

 ……まぁ、彼女のノートは間違いだらけであんまりアテにならないんだけどさ。頭が悪いわけじゃないんだけど、うっかりミスや解答欄の間違いなんかで点数がとれない、オレと真逆ながっかり運の持ち主なのだ……。


 とはいえ、折角の御厚意なので、ありがとうと素直にノートを借り受けることにした。


「じゃあそろそろ、野球部行ってくるとするわ」

「それじゃあ私も……。まーちゃん……」

「うむ、瑠璃。行くとするか。じゃあ夏向、気を付けて帰るんだぞ」


 凱斗は野球部、瑠璃は水泳部で真弓は水泳部顧問なので、彼らの放課後はそれぞれ部活に勤しむことになる。オレは牧場の仕事があるので帰宅部だ。


「ああ、また明日な!」


 彼らに別れを告げ、オレは家族たちが待つ家へと急いだ。




◇◇◇




 その帰り道での出来事であった。


 一面にススキ畑が広がる丘の真ん中を割るように作られたアスファルトの道を、原付がトトトトッと快音を鳴らして進む。

 この時期は黄金色のススキの穂が風に撫でられる光景が非常に幻想的で美しく、殆ど車なんて通らない平日夕方のこの道を悠然と走るのが、この時期の帰宅路のささやかな楽しみだ。



 快調に原付を飛ばして丘を登っていたら、ススキ畑の方からガサガサッという音が突然聞こえてきた。

 野ウサギかタヌキか何かかな? と思ったが、ススキの穂の揺れ方からして、どうやらもっと大型の動物のようだ。


「(ヒツジかヤギか何かが、どこかの牧場から逃げ出したんか……?)」


 オレは原付を路肩に止め、その正体を見極めるべく、ススキを掻き分けて草むらへ入っていく。

 本当は相手がイノシシやクマなんかだと危険なのでするべきではないのだが、危険生物と遭遇してしまうことなどオレにはありえないので心配ご無用。


 1メートル半もの高さになるススキ畑に顔の高さまで埋もれながら、懸命に獣を追う。

 謎の獣は姿こそ見えないが、オレと一定の距離を保ちながら逃げているようで、まるでどこかに誘われているような気分だった。


 ひたすら追いかけ続けて、どれだけ深く潜っていったか分からない。そうしているうちに、やがてオレはススキ畑の中で不思議と開けた場所に出た。


 すっかり傾いた茜色の陽に稲穂が照らされ、より一層神秘的な雰囲気を醸し出す中、その動物は悠然と佇んでいた。


「……」


 その姿に見とれ、思わず絶句してしまった。

 陽光を背中から受けて浮かび上がるシルエットは神々しさすら感じさせる。その動物は……


「ハスキー犬……。いや、オオカミってヤツか……?」


 イヌと比べて巨大な体躯、凛々しい顔、そして銀色で鋭い瞳。

 いつかテレビで見たニホンオオカミのような外見ではなく、タイリクオオカミのような見た目に、銀色に揺らめく美しい体毛を持つ動物であった。


 まるでオレを待ち構えるかのように立っていたオオカミは暫くオレを見つめ、そしてオレを誘うように、更にススキ畑の奥へと進んでいく。

 そろそろ戻らなくてはとも思ったが、この神秘的な遭遇をして、このまま引き返すなんて選択肢を選ぶことは出来なかった。


「ま、待ってくれ! 」


 見失わないように懸命に追う。辺りは暗くなり始めていたが、最早そんなことは気にせずに無我夢中で草を掻き分け進んだ。

 その時だ。


「うわっ!?」


 ズルリッ と突然足が滑り、踏み出した右足がバランスを崩す。慌てて右手を地面につこうとするが、何故か右手が地面に触れることはなく、オレは吸い込まれるように何処かに落ちていく。


「な、何だこれェ!?」


 真っ暗な闇の中に落ちていき、円形の穴の向こうに見えていた、遠くなっていく景色。

 かろうじて、オレは何か穴のような所に落ちてしまったということを理解したのが、オレが覚えている最後の記憶。



 やがてオレの意識もそのまま闇に呑まれ、途切れてしまった。



 ススキ畑には、謎の銀色オオカミも、一人の高校生の姿も残らず、鈴虫の寂しげな音色が夕暮れに響き渡るのみであった……。

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