シャルとアリシア
「……」
噴水広場のベンチに横並びに座ってぼーっとしている二人組は、どちらも口を開くことなく、視線は中空をさまよっている。
一人はプリーストであろうローブを着た女性で、もう一人は動きやすそうな軽装に身を包んだ小さな女の子である。それはフレンとパーティを組み、幻想の塔をともに冒険する仲間である、アリシアとシャルの二人に違いなかった。
「……先生、暇ですねぇ」
しばらくして、シャルが覇気の無い声で話しかける。顔の向きは一切動かさず、視線は前を向いたままだ。
「
同じくアリシアもやる気のない声と顔でもって回答をする。前方で白い鳩の群れが一斉に飛び立ったが微動だにしない。
「フレンさん、戻るまでどのくらいかかるんでしょうかねぇ」
「さぁね。普通ならすぐなんだろうけど、フレンくんのことだから、何か面倒なことにでも巻き込まれてるんじゃないの?」
アリシアの予想通り、ちょうど今、フレンはリッカと住民との戦いを目の当たりにして呆然としている頃だろう。
ここに戻るまでもうしばらくはかかりそうだ。
「まぁ、たしかにここでぼーっとしててもしょうがないのよねぇ。どっか移動しましょうか……」
噴水広場で油を売っていてもなんの生産性もない。それなら食事をするなり、情報を集めるなり、何か行動に移したほうが良いに決まっているのである。
「あ! じゃあじゃあ、買い物に行きましょうよ! 私、モンクになったんだから装備とか買いたいです!」
すると急に元気になったシャルがぴょん、とベンチの上に正座をしてアリシアに向き直り、意見を口にするために右手を大きく掲げた。
「あー、そうか。アンタ、本当に素手だもんね。グローブとかナックルとか、モンク用の装備を買ったほうがいいわ」
本来、徒手空拳で戦うスタイルのモンクは魔力が篭っているグローブや金属製のナックルなど、攻撃力を底上げするための武器を装備することが多い。しかし、シャルの武器はというと小さくて可愛らしい拳、ただそれだけだったのだ。
「よく、それでスケルトンの頭蓋骨を粉砕できたわね」
見れば見るほどに不思議である、自分の拳より一回りは小さいはずのシャルの拳は白い肌がむき出しになっているのだ。それであの硬いスケルトンの骨を打ち砕くなど、ある種のホラーであった。
えへへ、とシャルは照れ笑いをしているが、正直あんまり笑えない。
「じゃあちょっとだけ
「お金は持ってるから大丈夫です! 親父が冒険者をするのに必要だろうって毎日お小遣いをくれるので」
「不正に巻き上げた金を堂々と使いやがって……! しかも親バカ……!」
ぎりり、と歯を食いしばりながら拳を握りしめるアリシア。
金貸し家業でヴィルフィス一家は儲かっているのだろう。その恩恵を純粋に悪気もなく授かるシャルに対してアリシアはやり場のない怒りを覚えた。
「オススメの武器屋さんとかって先生は知らないんですか?」
「そうね、プラチナレーベルの武器屋ならいくつか知ってるけど、値段と性能が釣り合わないものも結構あるのよね」
「そういうもんなんですかー……」
「プラチナレーベルじゃない、閑古鳥が鳴く店なら一つ知ってるわ。そこなら安くてそこそこのものが手に入るはずよ」
「おお! すごいじゃないですか! さすが先生! そうと決まれば善は急げですよ!」
そう言ってシャルは正座の体勢から飛び上がり、地面に着地するとアリシアに右手を差し出す。
「……」
「ん? どうしたんですか?」
「あー、うん、なんでもない」
シャルの小さい手のひらをじっと見つめて動かないアリシアだったが、シャルが再度、手のひらを差し出すとおずおずとその手を掴んだ。
「ささっ、お買い物お買い物!」
「ちょっと、引っ張らないでよ!」
シャルはただ笑顔を浮かべるだけでアリシアの胸中など推し量る気はないのだろう。そんな無邪気なシャルを見て、アリシアは悪態をつくだけで抵抗することはなかった。
やがて二人の女の子が慌ただしく走り去っていく背で、噴水の水が勢いよく吹き上がった。
※
冒険者はそのほとんどが
「それで、私はどんな武器を買えばいいんですかね?」
キョロキョロと通りの店先を見ながら歩いているシャルは、数多く並ぶ装備品を見やって頭の中が混乱していた。
剣や斧、槍や弓、大きいものから小さいものまでありとあらゆる装備品が揃っている。装備の良し悪しなどわからないシャルにとって、どれも同じに見えていたのだ。
「前も言ったけど、モンクは絶滅危惧種だからねぇ。モンク用の装備を扱ってるお店って少ないのよ。特に他の職業では使いまわせないナックル系の武器はかなりのレア物よ」
「使いまわせないって……ナックル以外だったら使いまわせるんですかぁ?」
「モンクが装備できる武器種は槍、メイス、ポールとナックルの四種。槍は戦士系なら誰でも使えるし、メイスはプリーストも使える。実際私もメイスだしね」
確かにスケルトンソルジャーとの戦いで、アリシアが取り出した武器はメイスだった。装備の種類によっては様々な職業で装備ができるため、転職した場合でも潰しが効くのである。
「ポールっていうのは?」
「ポールはながーい棒のこと。棒術ってスキルが必要になるんだけど、身長よりも長い武器で、全武器の中でも最長のリーチを持つわ。モンクの他にシャーマンっていう職業も扱うことができるの」
シャーマンは攻撃魔法、回復魔法、妨害魔法といった魔法職の全てを補える、万能職と言われている。さらにアリシアの言う通り、ポールを装備できるため物理攻撃も可能だ。しかし、その万能さが故に各技能は平均的な数値に収まってしまうため、突出した能力が無く、器用貧乏とそしりを受けている職業でもある。
「で、ナックルっていうのはモンクのみが装備できる特殊な装備なわけ。つまり、もしシャルが転職したいって思ったときはどの職業についても武器を変えなくちゃいけないってこと」
「なるほどぉ、さっすが先生! 物知りですねぇ〜!」
「アンタとフレンくんが知らなすぎるのよ……!」
職業については冒険者管理局に行けば説明をしてくれる。ほとんどの冒険者は職業を調べてから冒険者になるものなのだが、フレンやシャルのように冒険者になることが第一目的の者は情報を収集する、ということをしないのだろう。
この世界の冒険者にとって情報がどれだけ有用で重要かを知っているアリシアにとっては信じられないことなのだが、慣れとは恐ろしいもので、すっかり説明役が板についていた。
「で、結局私はどれを買えば?」
ここまで親切丁寧に説明したというのにシャルは自分で考えることをすっかり放棄して、小首をかしげるだけだ。
「はぁ……最初に言ったでしょ。ナックル系の装備を買いに来たのよ」
色々と説明はしたものの、シャルは素手で戦いたいがためにモンクを選んだ経緯がある。それなのに他の武器を装備したのでは意味がない。専用武器とはいえ、シャルがモンク以外の職業に就くとも思えないので、結局ナックル系の装備が一番だとアリシアは判断する。
「なんだい、あんたら。ナックル装備を探してんのかい? 珍しいヤツもいたもんだな!」
ふと、通りを歩いていた一人の男性に話しかけられた。その風貌は鍛冶職人のそれで、頭にはバンダナを巻き、腰には前掛けが付けられている。
「はぁ? だからなんだっていうのよ」
「せ、先生……」
いきなり不躾に話しかけられたことに気を悪くしたアリシアは、眼前の男に敵意丸出しで返事をする。いきなり臨戦体勢に入るアリシアの言動にシャルはおどおどするばかりだ。
「活きがいいお嬢ちゃんだな。なぁに、悪い話じゃねえ。ちょうど俺んところの工房でナックル装備を売り出していてな。どうだい、安くしとくぜ?」
「え! ほんとですか!? やった! やりましたね先生!」
これはラッキーとばかりにシャルはぴょんと小さく跳ねると、嬉しそうにアリシアの腕に抱きつく。
しかし――
「――結構よ。行きましょ、シャル」
「え、あっ、待ってください先生ぇ〜」
アリシアは興味なさげに目をつぶり、冷静にシャルを手で払うとスタスタと歩き始めてしまう。突然のことに戸惑うシャルだったが、どんどんと先に行ってしまうアリシアを必死に追いかけた。
「ちょ、ちょっと、先生! どうして先に行っちゃうんですかあ!」
どうにかアリシアに追いついたシャルは口を尖らせてアリシアに疑問をぶつける。シャルからすれば、あまり見かけないというナックル装備を売ってくれる職人が偶然現れたのはラッキー以外の何ものでもなかった。
「これまたフレンくんと同じね。世間が全て親切だけで出来ているとは思わないことね」
「?」
「あーいうのは、大抵工房に連れて行かれたあと、あることないこと説明されて、馬鹿高い装備を買わされるものよ」
「うーん、そうなんですかぁ? 悪い人には見えなかったけどなぁ……」
「アンタのとこ、身内が一番親切からかけ離れてるはずなんだけど……」
金貸し一家など胡散臭いにも程があるというのに、そこで育った娘が世間を知らないなんて笑えない冗談だ。
「じゃあ、どこで買うんですか?」
「そこ」
「え?」
アリシアは前方の露店に向けて顎をクイっと動かした。つられてシャルがその方向を見てみると、そこには一つのお店があった。
しかし、それはお世辞にも繁盛しているとは言えない、寂れた露店だった。
「おや、いらっしゃいアリシア」
「久しぶりね、ヴィオレッタ。今時間ある?」
「君の目は節穴かな? ボクが忙しそうに見えているのだとしたら、目玉なんか取り出してガラス玉でも詰めておくといい。少しは世界が透き通って見えるだろうよ」
「他意はないわよ。客を連れてきてあげたんだから、感謝されることはあっても文句を言われる筋合いはないのだけれど?」
露店の店主はカウンターの椅子に座ったまま、立つこともなく淡々とアリシアと受け答えをしている。手には今まで読んでいたのであろう分厚い本が握られていた。
腰まで伸びる長い黒髪。すっぽりと全身を覆うローブ姿。前髪はまっすぐに揃っていて、目は伏し目がち。物静かでどこか影のある女性……なのだが、彼女は自分のことをボクと称していた。
「客? それは君の横にいるお嬢ちゃんのことかな?」
「は、はじめまして! 私はシャルって言います!」
「これはこれは。ボクはブラックスミスのヴィオレッタ。これでも一応冒険者兼鍛冶屋として仕事をしている」
これでも、というのは服装のことを言っているのか、それとも覇気が感じられない自分自身のことを指しているのかわからなかった。
「ヴィオレッタさんは先生とお知り合いなのですか?」
「先生? もしかしてアリシアのことかい?」
「ちょっと色々あってね……今この子の面倒見てるのよ」
「面倒見が良いことで。それはもう性分なのかな?」
「……うるさいわね」
「失敬……さて、シャルくんと言ったかな。そう、お察しの通りボクとアリシアは顔見知りさ。アリシアとは一応冒険者仲間といったところかな」
「ヴィオレッタとは何度かパーティを組んだことがあってね。今はこうしてブラックスミスとして店を出してるから、武器とか防具とかたまに買いに来るのよ。昔のよしみで安くしてくれるしね」
傍から見ていても、二人はただの顔見知り以上の何かがあるのだということはわかる。だが二人が何かを言い淀んだのを見てシャルも何も追求はしなかった。
「それで、そこの可愛らしいお客様は何をご所望かな?」
「あ、はい! 実はナックル系の装備を探していて……」
「ほう、では君はモンクなのかい? これはまた、実に愉快だねぇ」
シャルの風貌からは、彼女の職業がモンクだというのは意外だったなのだろう。ヴィオレッタはくつくつ、と楽しそうに笑う。
「アンタの店ならナックル装備を取り扱ってるかなって思ったけど……」
店先のカウンターに並んでいる商品は今まで見てきた店に比べてかなり少なく、それに見たところナックルのような装備品はなさそうだ。
「こりゃイチから作ってもらうしかないかしら?」
「それは構わないが、完成まで数日は待ってもらうことになるぞ? それまではどうするつもりだ?」
「あーそりゃそっか……シャル、アンタ素手でもいいわよね?」
「えーっ! せっかく先生とお買い物に来たのに、結局素手ですかぁ〜?」
「ふふふ、それもそうだね。それならボクのお古を貸してあげようかな」
そう言うとヴィオレッタはゆっくりと椅子から立ち上がり、カウンターの中から通りへと出てきた。そして、商品が陳列しているカウンターの下から、ごそごそと何かを取り出した。
「それは……?」
見ると、それは真っ黒な金属で出来た篭手のようなもので、人の腕の形を模していた。これこそまさにナックルと呼ばれる武器なのである。
「ボクもその昔、モンクをやっていたことがあってね。今は転職してしまったのだが、その頃愛用していた物なんだ」
そう言ってヴィオレッタは取り出したナックルを装着し始める。手の甲から肘までを何枚もの厚い板金で覆われていて、指の部分は穴が空いていて、見た目よりも自由が利きそうだ。
「さすがに今のボクにとっては重くて振り回せないんだがね。これはシャドウナックルという逸品で、ある魔法効果が付与されているものなんだ」
「ちょっと、いいのヴィオレッタ? これってかなり高いんじゃ……」
「今のボクには無用な長物だからね。それに譲るわけじゃないよ? 貸与するだけだ。シャルくんオリジナルの武器が完成するまでのサービスってことで」
シャドウナックルの貴重さと高価さを知っているアリシアは、ヴィオレッタを気遣ったが、当の本人は気にした様子もなくニコニコしながら、ナックルを外してシャルに手渡した。
「ありがとうございます! ヴィオレッタさん!」
「大切に使ってくれたまえ……ときに、シャルくん」
「はい?」
「君はもしかして蹴り技にも自信があったりするのかな?」
「ひぃっ!?」
シャドウナックルを渡したあと、ヴィオレッタはシャルの服装を見ると、突然しゃがみこんで、スパッツから伸びるシャルの足をぺたぺたと触り始めた。
「あわわっ、ヴィ、ヴィオレッタさん?」
「いいから、じっとしていなさい。それで、アンタ蹴り技は?」
「あうぅ……け、蹴り技、ですか? 一応キック系の技も親父に教わりましたけど、ちゃんとした攻撃スキルはまだ何も……」
「ふむふむ、そうかいそうかい」
やがて満足したのか、ヴィオレッタはスッと立ち上がると、一人でうんうんとうなずきながら考え事を始めてしまう。
「あのー……」
「ほっときなさい。いつものことだから」
「へ、へえ……面白い方ですねぇ……」
「ヴィオレッタ! それじゃ頼んだわよ!」
ブツブツと何かをつぶやきながら中空に視線を彷徨わせるヴィオレッタにアリシアは大きな声を上げると、びくんとヴィオレッタが反応した。
「おっと、失敬。注文は承ったよ。三日後にまた来てくれたまえ」
心ここにあらずというヴィオレッタの様子に、なんとも言えない不安がよぎるシャルなのであった。
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