乳姉妹
デンブルグでは賄賂が横行し真面目に働くより付け届けの金額が出世を決めていた。
そういった風潮を嫌う者もおり不正を告発しようとした人が次の日下町のドブに浮いているのは常であった。
「死人に口なし」
不審な死に方をした人物は後から罪を着せられる事が多く「死んだ後に家名に傷が付けられた場合その家には挽回の機会は与えられず没落の一途を辿る」というお決りのパターンで、マリーの家も没落貴族であった。
マリーの母親は亭主の死後産まれたばかりのマリーを抱え皇女の乳母兼侍女としてく宮廷で働いていた。
皇女とマリーは乳姉妹として育った。二人は姉妹のようであった。
マリーは12歳の時宮廷で働きはじめ皇女の世話係になった。
乳姉妹の皇女から希望もあったがマリーは父親の潔白を証明し家を再興しようと宮廷で働く事を希望した。「最近シルビアさんと会ってない。前はよく遊んでたし髪を結いあげてくれたのに。どうしちゃったんだろ?具合悪いのかな?」鏡台の前に座る皇女は、髪を結いあげるために後ろにいるマリーに鏡越しに話しかけた。
「殿下の世話が忙しいのでしょう、私も母から『アンタと皇女様が子供の頃、いたずらばかりして大変だった』と言われています。あ、姫様のいたずら、なぜか共犯にされてますし怒られるのは私だけなんでおしとやかにお願いします」マリーはそう答えた。
「子供の頃の話じゃない!今はどこに出ても恥ずかしくない本物のレディです~」皇女は頬を膨らませた。
「自分で髪を結えない人の事を『本物のレディ』とは言いません」マリーは軽口を叩きながらも「最近シルビアと会えない」という話を反芻した。
確かにシルビアは子供を産んで変わった。
マリーは賄賂と暗殺が横行するデンブルグの「未来は明るい」と思っていた。
皇帝の長男は聡明で働き者、
長女である皇女は優しく美しく、
次男であるシルビアの子供はまだ幼児なので何とも言えないが聡明で分別あるシルビアの子供なら間違った事はしないと思っていたのだ。
最初は笑い話だった。
出産祝いに訪れた宰相が「産まれたばかりの皇太子に忠誠を誓わされそうになったが『自分の忠誠は皇帝陛下に捧げているので』と断った」という話をしていたかと思ったら清廉潔白と忠誠心で知られる宰相に突然不正が発覚して失脚したのだ。驚いたのは周囲の人々だ。宰相が不正をしていた事、そしてそんな事より「その程度の不正で失脚しなきゃいけないのか」という事は衝撃であった。「その程度の不正で失脚せねばならないなら不正はやめよう」と考える人間は全くおらず「その程度の不正なら簡単にでっち上げられる。簡単にライバルを引きずり下ろせる」と周囲の人間は考えたのだ。
これ以降議会は清廉潔白な人間は濡れ衣を着せられ失脚し不正の温床となったがそれは別の話。
優しいシルビアはマリーにとって宮廷での数少ない相談相手だった。家の再興を望んでいる話は皇女とシルビアにしかしていなかったしそれを聞いたシルビアも「再興出来るわよ!私に出来る事があれば言ってちょうだい!」と前のめりで話していた。
ある日突然マリーはシルビアから呼び出しを受けた。以前は予告なしに押しかけたり押しかけてきたりであったし話す内容も他愛のない事だったので「皇太子の母親ともなると面倒な手続きが必要なんだな」と思った。
訪れた時に見たシルビアは「いつものシルビア」だったがマリーはどこか違和感を感じていた。
「マリーよく来たわね」笑顔でシルビアは歓迎した。
「挨拶、祝いの言葉が遅くなってしまい申し訳ありません。ご出産おめでとうございます。今日は皇太子殿下を一目見る事を楽しみに…」
「触るな!この下女めが!身の程を知れ!」
マリーは皇太子に触っていない。手をシルビアの横で眠る皇太子に向けただけだ。
それより今言われた「しもおんな」という言葉とシルビアに罵倒されたという事実にショックを受けた。
シルビアは元々市民出身でありマリーより身分は低かった。皇帝に見初められ王妃となってからはマリーより遥かに目上の存在になったがシルビアの身分を気にしない言葉遣いと態度が人気の原因だったのだ。
「ごめんなさいね、少しナーバスになってるのかしら?」
立ち尽くし呆然としているマリーにシルビアは取り繕うように言った。
「今日はあなたに良い知らせがあって呼んだのよ。あなたの希望は『家の再興』と『父親の名誉回復』だったわね?その希望を叶えられるかも知れないの」シルビアは笑顔を作り、続けた。
「あなたは『ある任務』をこなすだけで私はあなたの父親の名誉を回復し家はかつての繁栄を取り戻すのよ!素敵な話だと思わない?」
「待ってください!私が欲しいのは『父親が汚職に手を染めていなかった証拠』です!任務の報酬として恵まれる類いの物ではありません!」マリーは焦って勝手に進みそうな話を遮った。
おかしい…シルビアは「権力や金で手に入る物ではない」という話を理解しているはずだ。その上で「応援する」と言ってくれているはずだ。マリーには目の前で座っている女がシルビアの皮をかぶった化け物に見えた。
「そんな綺麗事ではないと思うのだけれど?…まぁ良いわ。任務の内容を聞いて判断したらどうかしら?あなたはヘレナさんの浪費と横領の噂を流すだけで良いの、簡単でしょ?」
シルビアは「聞くだけ聞いてみたら?」と言ったがそれは「聞いたからには仲間入りしろ。必ず実行しろ。秘密は守れ」という脅迫であり「聞かない」という選択肢はなかったし勝手に話をはじめたのだが。
「皇女を失脚させろ皇女を裏切れ…という事でしょうか?」マリーは震える声で下を向きながら尋ねた、その震えが怒りによるものなのか恐怖によるものなのかはわからない。
「裏切れだなんて…あなたはそんな事考える必要はないの。ただ言われる通りにするだけで良いの。それだけであなたの家はかつての富と名声を取り戻すのよ!」シルビアは笑顔で言った。
マリーは立ちあがり震える声で言った。
「あまりバカにしないでください。あなたの施しは受けませんし誰かを踏み台にして幸せになろうなんて教育は受けちゃいません。皇女に…私の妹に手を出してみろ!タダじゃおかねーぞこのクソアマ!」
マリーはそのまま踵を返しドアを開け帰っていった。
次の日宮廷の厨房で血塗れのマリーの母親の屍体が発見される。
マリーは目に涙をため「これで良かったんですよね?お父様、お母様」とつぶやいた。
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