名もなき暗殺者

子供の頃から命を狙われ続けた。

毒味役が目の前で泡を吹いて死んだのを見た時そう自覚した。

「皇位はいらない」とアホのフリをしても逆効果になり皇位争いに巻き込まれた。

祭り上げる皇帝はアホの方が扱いやすく傀儡としては暗躍しやすいのだ。

賢ければ兄のように謎の死を遂げねばならず、アホのフリをすれば権力争いに巻き込まれ暗殺されるのだ。

兄が死去し気づけば皇位継承権第一位となっていた。

正妻が子供を産めば皇位継承権の順位も下がるが薬漬けの正妻を見るとその可能性は低かった。

側室である皇女の母親を殺した人物と正妻を薬漬けにした人物は弟の母親であるシルビアだとヘレナは思っている。そして推理は正しい。

皇位など興味はない。デンブルグは既に終わっていたが傍目にはわからない。シルビアは息子を皇帝にしようとしていたのだ。


皇女暗殺に失敗したシルビアはクーデターを企て手を借りようとウェートの大軍を国内に引き込む。無防備のデンブルグ軍はウェートの大軍に蹂躙されるがシルビアが騙され利用されている事に気付いたのは自分の胴体と首が離れた後であった、がそれは後の話。


シルビアは暗殺者を雇った。

暗殺者に名など存在しない。任務の時に名乗った名前は星の数ほどあるが物心がつく前に妹と一緒に誘拐され暗殺者として教育されたので自分でも自分の名前を知らないのだ。


シルビアは暗殺者を汚物を見るような目つきで眺め「話しかけるのも汚らわしい」と言わんばかりに必要最低限の暗殺指令を暗殺者に出した。「同じ穴の貉じゃねえか」と思いつつも暗殺者は闇に消えた。


その日ヘレナは就寝前に「今日もなんとか生き延びた」と一息をつきベッドに腰を掛けた。

暗殺者が窓からヘレナの部屋に潜入したのはそんな時であった。


いつもであれば対象を殺すのに何の躊躇もない。

なぜその時対象を観察する気になったのか皇女を一目見たかったのだろうか、それは暗殺者本人にもわからない。


暗殺者がヘレナを殺さず見ていた事でヘレナは暗殺者に気付いた。

「やはり来たのね」ヘレナは絶望とも覚悟とも恐怖ともとれる表情をした。その表情は暗殺者に妹の最後の任務の前の顔を思い出させた。


なぜかは知らない。暗殺者にヘレナは殺せなくなった。

今まで感情を動かす事なく何人もの人を殺してきた。

殺す事に理由は要らなかったし殺すことが当たり前だった。

ヘレナは精一杯の虚勢を張り暗殺者に言った。

「あら思ったより遅かったじゃないですか暗殺者さん」

暗殺者は震えながら声を裏返しているヘレナを見て吹き出しそうになったが我慢して言った。

「気がかわりました。皇女殿下を殺すのは私の役割です。必ずお命は頂戴いたします。他の者に命を奪われる事がないようにそれまで私が守って差し上げましょう」

暗殺者は深々と頭を下げた。


その後暗殺者はヘレナの身辺警護を買ってでた。

ヘレナに差し向けられた暗殺者を次々と殺すと「お前は人を殺しすぎる」とヘレナに叱責された。「殺さなかったら死んでたのは皇女殿下ですよ」と言いながら暗殺者は笑っていた。

ヘレナも暗殺者の事を気に入っていたのか「呼ぶ名前がないと不便だから」と暗殺者を「ハーデス」と名付けた。

ハーデスは主神ゼウスの兄の名だがヘレナはまるで兄のようにハーデスを慕っていた。

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