第3話 ただのそうぐう
鳴き声のしたその路地裏は薄暗く、そして風に乗ってか奥から変な臭いがする。
隆平はいつでも逃げる準備をしながら、路地裏の奥へ奥へと進んでいく。
少しずつ暗さにも目が慣れていき、時々落ちているゴミを踏まないように気をつける。
ふと、袋小路になった路地の奥でうずくまっている何かに気づく。
「ん?」
誰かいる。
背を向けてうずくまっている「ソイツ」の近くで猫のか細い鳴き声が聞こえてくる。
そして鉄の臭いが鼻をつくと同時に、鳴き声とは違う不快な音も聞こえてくる。
こいつが猫殺しの犯人か。
隆平は内心興奮しながらも、「ソイツ」にバレないようにゆっくりと踵(きびす)を返した。
「早く道路まで出て、警察に通報して、表彰されて、ヒーローになって...」
隆平の頭は突然の非日常によって、混乱と興奮に塗りつぶされていく。
まるで真っ白なキャンパスに赤と黄と緑の絵の具ををぶちまけたかのような、そんな高揚感(こうようかん)に隆平は包まれていた。
「ソイツ」から一刻も早く離れるため6歩ほど離れた時である。
突然手に持っていたスマートフォンが震え出す。
「あっ」
スマートフォンの画面は煌々(こうこう)と光り、友人の名前を表示する。
5秒程で振動は止み、辺りは静けさを取り戻す。
...静けさ?先ほどまでの不快な音は?
隆平はそっと振り返り、後ろを見てみる。
「ソイツ」はもう、うずくまっていなかった。
やや猫背の「ソイツ」は立ち上がり、ゆらゆら揺れている。
来なきゃ良かった。逃げれば良かった。無視すれば良かった。
逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ、にげなきゃ、ニゲナキャ...
後悔と逃走本能が頭でまぜこぜになる。
グキンッ
背を向けたままの「ソイツ」は突然首だけ振り返る。と、同時に隆平の背中に鈍(にぶ)い衝撃が走った。
「痛ッ」
咄嗟(とっさ)に何が背中に当たったのか、隆平はまだ画面が明るいスマートフォンを向けて見てしまう。
見てしまう。見てしまった。自分の背中に当たったモノを。その猫の生首を。
耳は両方共欠け、口の中で、皮の中で何かが蠢(うごめ)いている。目は光を反射せず、目があったそこには替りに黒とオレンジが絡み合いひしめいている。
「イヒイィィッ」
声にならない異音を喉(のど)から振り絞る。
そしてそのままを「ソイツ」見てしまう。
最初に目についたのは、「ソイツ」に咥(くわ)えられ、血に染まった三毛猫の胴体。
薄暗く照らされた「ソイツ」はただただ顔も全身も真っ黒で、蠢(うごめ)いていて、大きくて...
「あぅイィィッ!」
後は何も分からないまま大声で叫び、逃げる。
呼吸もできないまま路地裏を駆け抜ける。何度も転び、膝(ひざ)の肉は裂けて血が足を伝う。だがそんなことよりも恐怖が勝る。顔も打ったんだろう。恐怖で涙と鼻水と鼻血を垂れ流し、顔面をくしゃくしゃにしながらも、一歩でも遠くへと逃げる。
あともうちょっとだ。
いつもの道路に出れば、また高校受験に悩み、そのために塾に毎日遅くまで通って勉強漬けという日常に戻れる。
そう思い、命からがら道路に飛び出した隆平は、突然の横からの衝撃により宙に舞った。
薄れゆく意識の中、車を降りてこちらに駆け寄ってくる人影を見て、「ああ、自分は轢(ひ)かれたのか」と数秒置いて理解した。
「何で急に飛び出して...!ああ、なんで...」
「もしもし!もしもし!警察ですか!子供を轢いてしまって...早く救急車を...」
自分が車に轢(ひ)かれたというのに、自分は恐怖から逃げ切れたという安堵感(あんどかん)から、隆平は全ての意識を手放した。
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