「ゆるせない」「メンバー発表」「駅」(2017年09月26日)

矢口晃

第1話

「ゆるせない」「メンバー発表」「駅」




 この十七年間、私は、全てのことを、許して生きてきました。

 どんなにつらいことも、理不尽と思えることも、「しようがない」、「自分が悪い」と無理に納得をして、他人を許して生きて来ました。

 許すことが私の存在意義であり、唯一の私の価値であるように思ってきました。

 人からはよく、「我慢強い」と言われたりしますが、私自身の感覚では、それは「我慢」というのとは、少し違うのです。「辛抱」とも違いますし、「耐える」ということでもない。

 私の感覚では、もっと肯定的な「許す」なんです。自分の意見をふさぎ込んで我慢する、というのではなく、そうすることが一番よい結果が得られるのだと理解して、許してきたんです。

 許さないことと許すことを天秤にかけた時に、私の心の中では、いつでも必ず、「許す」の側に針が振れるんです。

 いいえ、正しくは、振れていたんです。

 だから、心底、人を「許せない」と思ったのは、今回が初めてだったんです。

 正直に言えば、いつもの通り、許してしまってもよかったのかもしれません。

 でも、心のどこかに、これを許してしまったら、私が私ではなくなるっていうか……これまで感じたことのない、ぐらぐらした感情が心の底に湧いてきて、これは、今までの自分の生き方を否定してでも、これだけは許しちゃいけないんだって、自分の意志を強く持って、あえて「許さない」ことに決めたのです。

 サオリとは、高校に入学してから知り合いました。私が入った吹奏楽部に後から入部してきたのが、彼女でした。彼女とは学年は一緒でしたが、クラスは別々でした。だから、お互い初めて会った時には、顔も知らなかったし、名前も知らなかったと思います。

 吹奏楽部は一年生から三年生までで部員がだいたい百五十人くらいの、比較的人気の高い部活でした。私は小学生のころからフルートを習っていたので、部活動でも、同じフルートを担当しました。

 サオリは、ピアノ伴奏を担当していました。よく話をするようになってから聞いたのですが、サオリは三歳のころからピアノを始めていて、かなり本格的に勉強をしていたとかで、小学生の頃には世界のジュニアコンクールで四位になったこともあるということでした。ですから、一年生で部活に入ってきた当初から、私たちの中では群を抜いて演奏が上手でした。

 ご存知の通り、サオリは容姿端麗でしたから、すぐに男性からの注目の的になりました。サオリは演奏の時、明るく染めた茶色い髪をポニーテールにしてリボンで結うんですが、演奏の間、サオリの頭が前後に揺れるたびに、その束ねた茶色い髪がひらひらと前後にゆらゆらと動いて、女性の私から見ても、嫉妬をするくらいきれいだと感じたのですから、男性から見たら、より一層だったでしょう。

 見た目も地味で、演奏だってうまくない私とは、何から何まで正反対でした。それが、私にとっての、サオリという存在でした。

 そんな私に、声をかけて来てくれたのは、意外にもサオリの方からでした。部活に入って、一か月くらい練習をしたころだったと思います。パートごとに集まって、私が先輩の影に隠れるように、先輩の肩越しに遠慮がちに楽譜を覗き込みながら、先輩の邪魔にならないように、そっとフルートの練習をしていた時です。私の横に、何か影が立ち止まったような気がしたので見上げると、いつもの通り髪をポニーテールに結ったサオリの姿がそこにありました。

「マユミさん、だっけ?」

 私が黙ったままうなずくと、

「ちょっといい?」

 そういって、私を手招きしてついて来いというようなしぐさをします。

 部活の中心的存在としてひそかに憧れを抱いていた人から突然話しかけられた私は、びっくりして、何も考えずにサオリの後について行きました。

 サオリはピアノの場所まで戻ると、椅子に腰かけ、

「ラ、ちょうだい」

と私に言います。

 私はすぐにその言葉が理解できずに、一瞬頭が真っ白になりました。でもすぐに「ラを吹けということだ」と理解できて、持っていたフルートで、「ラ」の音を吹きました。

 サオリは仏のような神妙な面持ちをして、私のフルートの音を聞きながら、ピアノの鍵盤を軽く叩きます。

「一個上」

 サオリにそう言われて、私は急いで一オクターブ上の「ラ」を吹きます。その音は、緊張でどうしてもかすれてしまいました。

 でもサオリはそんなことは気に様子もなく、

「シ」

「シのシャープ」

「半音下げて」

と、次々に私に指示を出します。私は言われる通りの音を出すのに精いっぱいでした。

 するとサオリは次の瞬間、にっこりとお花のような笑顔を私に向けて、

「サンキュ。助かったよ」

と言ってピアノのそばを離れました。そして去り際に、私の肩を手のひらでポンと叩いて行ったのです。

 私は息ができないくらい、胸が締め付けられるのを感じました。何か、本当にサオリに恋しているみたいだと思って、自分が恥ずかしくなりました。脇から、すごくたくさん汗が出ているのがわかりました。

 サオリは、その日はもう部室に姿を見せませんでした。後で聞いたのですが、ファとそのシャープの音が、ほんの少しだけずれていたので、自分の音感が狂うのが嫌だから、その日はそれ以上弾くのをやめたのだそうです。その日の夜に来たピアノの調律師さんですら、このわずかの音のずれに気が付くのはすごいと驚いていたそうです。

 その日以来、サオリは何かあると、私に話しかけてくれるようになりました。私が、気が小さくて遠慮がちな性格なのを心配して、サオリが進んで、私を他の人の輪の中に入れようとしてくれたような感じでした。

 私は、サオリのことが本当に好きになりました。才色兼備なうえに、性格までいい。この人と一緒にいたいと、私は性別を超越した信頼感を、サオリに対して抱くようになっていました。

 サオリのおかげもあって、私は部活の中で居場所を失うこともなく、練習で一人ぼっちになるようなこともありませんでした。

 サオリとは意外なほど趣味や感性が合うところがあって、お互いにお兄さんがいる二人兄弟、ということも二人の共通点でした。だからすごく話が合って、私とサオリは意気投合して、すごく仲よくなりました。学校の休み時間には、どちらかの教室に遊びに行って、ひとつのイヤホンを二人で分け合って同じ曲を聴きながら、次の授業が始まるまでおしゃべりなんかしていました。周りのみんなも、なぜサオリが私みたいな地味な女の子と仲よくしているのか、とても不思議そうな目で見ているのがよくわかりました。私はそれを、初めのうちとても気にしました。サオリといると、私の醜さがいっそう引き立っちゃうんじゃないかって。でも、サオリがそんなことを全然気にさせないように自然に接してくれるので、私もいつか、そんなことを気にすることもなくなりました。

 大好きなサオリのそばにいられる。大好きな人が、近くにいることを許してくれる。大好きな人と、時間を共有できている。そんなことで、私の毎日は本当に幸せでした。

 二年生になっても、二人のクラスは別々でした。その時、ちょうど私たちの学校で制服の変更があって、それまではちょっと古臭い白いセーラー服だったんですけど、私たちが二年生に上ると同時に、希望する人は茶色のブレザーに緑地に白のチェックのスカート、という制服も許可されるようになりました。

 ファッションに敏感なサオリは当然、二年生に上ると同時に新しい方の制服に替えたんですが、正直言って、これまで華やかな顔立ちのサオリに対して、ちょっと時代がかった白のセーラー服は不釣り合いだと思っていたんですが、茶色の都会風のブレザーに替えた途端、同じ人なんですけど全く違う人のように見えて、サオリは茶色い髪の前髪を開けておでこを出しているのが好きだったんですけど、そのかわいらしい小さな白いおでこと、きめの細かい滑らかなお肌がブレザーの色にぴったりと合って、まるで茶色いブレザーがサオリ用のキャンバスみたいに見えるくらい、私はどきどきが止まりませんでした。その時のサオリは、女子高生用のファッション雑誌に載っていたって少しも不思議ではありませんでしたし、アイドルとしてテレビに出ていたとしても、誰もが納得したと思います。

 制服が変わったせいか、サオリは前よりいっそう明るい子になって、よく私に冗談を言って笑いました。サオリのウィットに富んだ話し方がとても面白くて、私もつられて大笑いしていました。小学校時代の暗かった私のことを知っている人が見たら、きっと驚いただろうと思います。それくらい、私はサオリのおかげで変われているいることが自分でもわかっていました。

 サオリは、私にも新しい制服を着るように勧めてくれました。でも、私はなんだか気恥ずかしいのと、それこそこんなにきれいになったサオリの隣に、同じ服を着てなんか立てない、という気持ちもあって、ずっと断り続けました。結局、三年生になっても、サオリは新しい制服で、私は前のセーラー服のままでした。

 部活では、二年生に上ると同時に、サオリが副部長に抜擢されました。それまでは、部長も副部長も三年生が務めるのが慣例になっていましたから、サオリの副部長への抜擢というのは、本当に例外的なことでした。でも、誰もそのことをひがんだりする人はいませんでした。それだけ、サオリのピアノの才能がみんなから認められていたということですし、先輩からも後輩からも人望を集めていたというと都だったと思います。

 私たちが一年生だったころの部のレベルは決して高かったとは言えませんでした。一応、水曜日と日曜日以外の毎日、部室で練習はしていたんですけれど、大会に出てもいつも箸にも棒にもかからないといった感じで、先輩たちからも、明確な目標に向かっている、というような雰囲気は、正直感じませんでした。何か、毎日を惰性で練習している、といったような空気だったと思います。

 でも、サオリが副部長に就任すると、実質部活の指揮をサオリが執るようになって、そこからめきめきと私たちの実力も上がっていきました。

 サオリは楽器の音色に表情を付けるのがとても上手な人でした。同じドの音でも、息の入れ方、感情の込め方、拍の打ち方で、聴衆には全く違う届き方をする。そういうことをみんなに口頭で説明した後に、実際に自分でピアノの鍵盤を叩いて見せます。

 無感情のド。うれしい時のド。悲しいド。

 サオリが引き分けるその「ド」のニュアンスは、音楽音痴の私たちにもすごくよくわかりました。

「音楽に、音の正確さはそれほど関係ない」

 サオリは、百五十名の部員の前で、堂々と、自信たっぷりに持論を主張しました。

「音の正確さよりも、感情の伝え方の方がはるかに重要だ」

と。

 作曲家が何を思って五線譜に音符を残し、それを現代の私たちがどう理解し、どう解釈したのか。それを聞き手に伝えること、それが音楽なのだと。

 私たちはサオリの言葉を信じて、ひたすら練習に打ち込みました。その当事者として私が見ても、部員たちの眼の色が変わっていることに気が付きました。それまで、目指すところがなく、ただ地形の起伏に沿ってだらだら流れているだけだった水が、一本の迸る川となって、はるか先の海に向かって一直線に走り出したという、そんな変化を感じました。

 夏休みの合宿を経て迎えた秋のコンクールでは、私たちはなんと、一位よりも上位の「審査員特別賞」を受賞することができました。それまで無名だった高校の名が、一気に近隣の県にまでとどろいたのです。

 もちろん、練習したのは私たちです。私たちの力量が上がったから、大きな賞をもらえたのかもしれません。でも、それは全てサオリのおかげだと、部員の誰もが素直にそう思っていました。

 だからと言って、サオリはそれを鼻にかけたりすることは全然ありません。むしろ、私みたいにちょっと弱い感じの子に対する優しさは部活の中でも常に一番で、みんなをぐいぐい引っ張っていく一方で、少し遅れそうな子の背中も、そっと押してくれる、そんな人でした。

 学年を問わず、私は男子から、数えきれないくらいの数の手紙を受け取りました。もちろん、その全てがサオリに当てたラブレターでした。学校一の高根の花になったサオリに直接告白できる男子はほとんどいなくて、そういう男子は、なぜだかいつもサオリの近くにいるいかにもサオリと不釣り合いな私に、愛の告白を託すのです。私は最初のうち、それをサオリに見せていましたが、途中から、サオリが「全部捨てて」と言ったので、言われる通りにしていました。

 きれいなのに飾らないサオリは、もちろん学校でダントツに男子から持てたのですが、本人は、不思議と男子に興味がなかったみたいです。

「どうしてなの?」

と、私はサオリに聞いたことがあります。サオリは、薄くてピンク色をした唇を少しとがらせながら考えるような表情をしました。そのかわいらしさと言ったらなくて、私は思わず抱きしめそうになりました。

「なーんかさ。興味がないっつーか、めんどくさくって」

 サオリが、決して無理をしたり嘘をついたりしてそんなことを言っているのではないということくらい、私にはわかっていました。

 サオリはとがらしていた唇を開いて笑います。白い小さい前歯が、唇の間からかすかに見えました。

「あんたといる方が、楽しいっつーかさ」

 サオリから面と向かってそんなことを言われた私は、喜びで頭から湯気が出そうなくらい熱くなりました。きっと、顔が真っ赤になっていたと思います。

 そんなわけで、私はまるでサオリ専属の秘書のように、来る日も来る日も男子からのチャレンジを受け取っては、それをこっそり、自分の鞄にしまい込み、家に帰ってから封を開けることもなくゴミ箱に捨てていました。

 私とサオリは、まるで恋人同士のように、毎晩他愛もないことでラインを交換し、翌朝にはまた会って、部活の朝練、学校の休み時間、放課後の練習と、同じ時間を共有しました。

 そして、二人とも三年生になりました。私もサオリも普通の大学への進学を希望していましたから、部活に打ち込めるのも、その年の秋の大会まで、ということになりました。

 当然、部長には全会一致でサオリが選ばれました。

 そして、サオリが部長権限で任命した副部長が、なんと私だったのです。

 私はびっくりしました。毎日練習を続けていたとはいえ、私のフルートの腕前は全くのへたくそで、三年生でなければ本演奏の組にすら入れないくらいの実力だったのです。しかも、根っからの引っ込み思案で、みんなの前に出てみんなを引っ張るなんて、したこともなかったし、できるとも思っていなかったのです。

 サオリは、そんな私の性格は百も承知で、あえて私を副部長に指名したのです。そのことは、何も言わなくても、もう二人の間で理解し合えていました。部長が他の人だったら、私は何があっても、絶対にそんな大役を引き受けなかったと思います。でも、部長がサオリならと、自分を奮い立たせて、その任を受けました。

 これから、受験との両立で、サオリも忙しくなる。そんな時、私が一番近くで少しでもサオリの力になってあげたい。

 たとえ私の受験がそれでうまくいかなくなっても、サオリの結果さえよいものにできるのなら、それで構わない。

 これまでの二年間分の感謝の気持ちを、この半年で全てサオリに態度で返したい。そう思っての、就任でした。

 私が副部長に就任したのは、それなりのメリットもあったようです。私は演奏はへたくそだけれど、だからこそ人一倍がむしゃらに頑張る。そんな姿勢を、みんなの前で率先して示すことに徹しました。

 一方のサオリは、天才的な感覚で、すぐにいろいろな人の長所を見つけ出してしまう。そしてその長所をどんどん伸ばしていこうとする。

 例えて言うなら、私が先に金山に入って、どんどん石を削りまくる。その中から、サオリがキラキラ光る本当の金をどんどん見つけ出して、磨いて一層輝かせていく。そんな感じで、二人の息はぴったり。部員のみんなも、いやいや練習に来る人はほとんどいなくなって、本当に楽器が好きで、演奏がしたくて来る人ばかりになりました。

 そんな具合ですから、練習時間に比例して実力が向上していったのは、言うまでもありません。夏休み前の予選での演奏が審査員に認められて、秋の大会では、特別招待校として、いわば近隣の何十もの学校の代表として出場できることが決まったのです。

 みんなは、ほとんどサオリのピアノの実力だけで推薦されたようなものだと言いました。サオリは柄にもなくかわいらしく照れながら、

「イヤイヤイヤ」

と首を横に振ります。

 でも、みんながそういったのは、半分以上はみんなの本音です。サオリのピアノの伴奏がなければ、二年前までの弱小高校が、まさかこの短期間で、そんな輝かしい賞を受賞できるはずもありません。それをはっきり表しているのが、私たちの曲の編成です。私たちの曲は、吹奏楽には珍しく、ピアノの独奏を、長めに入れる作りになっていたのです。

 でもサオリは決してそれを自分で認めようとはしませんでした。

「今回の結果は、単純にみんなの実力のおかげだし、そして何より--」

 その時、サオリは腰かけていたピアノの椅子から立ち上がって、人の輪の外側にいた私の姿をわざわざ探してから、

「副部長の力があって、勝たせてもらったようなものだから」

 みんなの顔が、一斉に私の方に振り返ります。私はどぎまぎして、何も言うことができません。

 そして、次の瞬間です。

「副部長に、拍手」

 サオリのその一言で、部室の外にまで聞こえるくらいの盛大な拍手が、私に向けて送られたのです。

 私はもう感動で、その場で泣き出してしまいました。サオリについてきてよかった、みんなとやってこられてよかった、この学校に入ってよかった。

 二年半の高校生活の思い出が一気にぐるぐる頭の中を駆け巡り出したのです。

 そして、私は、同時に気が付きました。

 その、全ての映像の中に、サオリの姿があったのです。

 私は、次から次からあふれ出てくる涙を、止めようがありませんでした。

 ありがとう。ありがとう。

 ひたすら、本当にひたすら、その言葉ばかり、胸の内で繰り返していました。

 その年の夏休みは、特別招待校として恥ずかしい演奏はできないという思いから、普段は一回しか行わない合宿を三回もやって、秋の大会に向けて準備をしました。みんな本当に練習熱心で、一回目の合宿の時には、もうレギュラーの全員が、完全に楽譜が頭の中に入っていました。

 サオリが、

「三十四小節目から」

と言えば、誰も間違えずにそこから演奏を始めることができます。仕上がりは、順調に思えました。

 しかし、サオリは思いのほか、浮かない表情をしています。サオリの中で、どこか引っかかるところがあるようでした。

 私は、合宿の夜、みんなとは離れた場所にサオリを呼び出して、直接そのわけを聞いてみました。

 サオリは最初、とても言いづらそうにしていました。言うべきかどうか、とても迷っているように見えました。そんな表情をしたサオリを見るのは、私にとっても初めてでした。

「そうだ」

 私は、気が付きました。

 私が、副部長を受ける時に、心に決めたこと。

 サオリが困っている時に、少しでも力になりたい。そう思って、この任を受けたはずだと。

 私は、真剣な態度でサオリに対しました。どうか、私を信用して、話してほしいと。

 私には、何もできないかもしれない。でも、今までお世話になった分、今こそサオリのために何かしてあげたいんだと。

 サオリは、私のまっすぐな気持ちを受け止め、ようやく重い口を開いてくれました。

 サオリの話を要約すると、こういうことでした。

「今回の楽曲は、とてもうまくいっている。私の表現したいことと、みんなの表現したいことがかなり一致してきていて、同じ方向を向いていい音楽が作れている。その点は、自信を持っているし、安心もしている。恐らくこの調子で練習を続ければ、特別招待校としても恥ずかしくない演奏をすることができるだろう。

 ただ、私が一点だけ気に病んでいるところがある。それは、曲の編成が、今まで私たちがやってきたことと、ほぼ同じだということだ。つまり、曲の終盤の一番盛り上がるところに、私のピアノのソロパートがある。もちろん、私はこのパートを弾き切る自信はあるし、やれと言われれば、みんなの期待に応えたいという責任感も持っている。でも、それでよいのだろうか。

 私たちは、この大会を最後に、部活を去る。私たちが去った後、残されたみんなは、どう思うだろうか。もし仮に、私たちが抜けた後、大会でよい結果が出なかったら、みんなはどう感じるだろうか。やっぱり、私たちがいたから、こういう結果だったのだと、落胆しないだろうか。自信を、失わないだろうか。

 私は、今回の秋の大会で、思い切って曲の作りを変えるべきか、とても悩んでいる。私のソロパートの部分を、ソロではない演奏形態に変えて臨むべきか、非常に悩んでいる。

 もう曲が仕上げの段階に入っていて、大会までも残り一か月余りとなったこの時期に編曲をやり直すというのは、私たちにとってとても大きな決断だ。それは、賭けに近いかもしれない。でも、本当に後輩たちのことを真剣に考えるならば、私は、決断をするべきではないかと、考えている」

 サオリのありのままの気持ちを聞いて、私には返す言葉が見つかりませんでした。

「サオリ。自分から偉そうなこと言っておいて、ごめんね。でも、私には、やっぱ、何も言えないや」

 なぜでしょう。急に眼がしらが熱くなってきて、私は涙をこぼしていました。見ると、サオリも手で顔を覆っているのが見えました。

 私は震えるサオリの方にそっと手を載せながら、言いました。

「無責任なように聞こえたら、ごめん。でもね、サオリ。それは、やっぱりサオリに決めてもらいたいと思う。ちょっと前まで、名もない学校だった私たちの部活をここまで引き上げてくれたのはサオリのおかげだし、サオリの力だった。それは、もう卒業してしまった先輩も、今いる後輩も、みんなわかっている。サオリがいなきゃ、だめだったんだ、私たち。だからね、サオリがどんな決断をしたとしても、私たちは、それを信じて、どこまでもついていく覚悟だよ。どんな無理を言ったって、いいよ。一週間、ううん、三日で仕上げろと言われたら、私たちは三日でも必ず仕上げるよ。寝る時間も捨てて、食べる時間も、お風呂の時間を切り詰めてでも、血が出るまで練習して、もう寝不足で人相がかわっちゃったとしても、私たちは、やるよ。サオリの考えていることは、とても重い判断だって、わかってる。だけどね、サオリ。どうか、それをすごく軽い気持ちで考えてほしいんだ。ちょうちょがお花を選ぶようにね、どっちの蜜が甘いかなんて、今は誰にもわかんないよ。でも、サオリはちょうちょになって、いいんだよ。気が向いた花に向かって、自由に飛んで行っていいんだよ。私たちは、すごくどんくさいかもしれない。でも、必死になって、風になって、後からサオリを追いかけていくよ。そして、いつかサオリと合流して、サオリと一緒に、楽しく歌うんだよ」

 私の、精一杯の気持ちでした。それから、私たちはお互いに何も言わずに、しばらくめそめそ泣いて、ちょっと頭がすっきりしてから、それぞれの寝室に戻りました。

 翌朝、朝食前の練習の時です。目の下に黒いクマを作ったサオリが、珍しくみんなより遅れて練習場に入ってきました。上は白い体操着、下は赤いジャージです。

 みんなの前に立ったサオリに、いつもの明るい表情はありませんでした。ある種、悲壮感すら漂う感じでした。

 その緊張感は、すぐにみんなに伝わります。

 サオリが、何かを言おうとしている。

 練習場の誰もが、固唾をのんでサオリの言葉を待っていました。

 指揮台に上ったサオリは、何かを覚悟したようにみんなの上に視線を上げました。

「みなさんに、伝えたいことがあります」

 サオリの澄んだ声が、体育館の中に響き、反響します。

「楽曲の、一部を、変更します」

 部員たちが、一斉にざわつきました。大会一か月前の編曲のやり直しに、誰もが動揺するのは当然のことです。

 サオリは、一語一語、振り絞るように、言葉をつなぎます。

「私の、ソロパートを減らします。代わりに、ピアノとフルートのデュオのパートが、入ります」

 それを聞いて、私の目の前が一瞬白くなりました。

 編曲をするのは、前日の話から、ある程度予想はできていました。しかし、そこにフルートとのデュオを持ってくるとは、全く想像もしていなかったからです。

 サオリは、そこまでの言葉をやっとの思いで言い切ったというように大きく深呼吸をし、指揮台に乗せていた新しい楽譜を、パートリーダーから各部員へ流していきました。

 そして、私のところへは、へとへとになったサオリが、直接楽譜を手に持ってきてくれました。

「ごめんね」

 サオリは、私に対して、力なくそんなことを言います。

「ううん」

 私は、振り絞るような笑顔で、それに応えます。

 もう、辛いの苦しいの言っている場合ではありませんでした。やるしかないのです。

 そう思って、私はサオリから受け取ったできたばかりの新しい楽譜を広げます。

 後半の部分を見て、再び頭がくらくらしました。

 それは、私の想像をはるかに越える、長い長いデュオのパートがつづられていたのです。

 でも、譜面を読んで、すぐにわかりました。そのメロディには、サオリの渾身の、ありったけの優しさが込められているということが。

 それはまるで、昨日私が話したような、風を追う蝶、蝶を追う風のように、細やかなピアノの旋律と、流れるようなフルートの旋律が、上になったり下になったり、追い抜いたり追いついたりしながら、目まぐるしく展開する、甘美な、それでいて息もつかせぬ、美しいハーモニーだったのです。

 そして、それはフルートにとって、かなりの技術を要するものでした。練習でも完璧に吹けるかわからない。まして、本番の一発勝負で、完璧にこなせる保証など、どこにもありませんでした。

 でも、私はそのメロディから、なんとなく、サオリの声を聞いたような気がするのです。

 私たち、二人だけの音を、後輩たちに残そう、と。

 五日間の合宿が終わった後も、私は文字通り、寝食もそこそこに練習に打ち込みました。受験勉強など、気にしている余裕などありませんでした。なんとしても、サオリの期待にこたえたい。私を信じて託してくれたこのパートを、なんとしても成功させたい。それが、サオリに対する最初で最後の恩返しだと、私は自分にそう言い聞かせました。

 でも、結果は全く伴いませんでした。練習でも、私は音を外し、指が追い付かず、サオリのピアノに、ついていくことすらできません。ましてや二人で一つの音を作るなど、夢にも遠い有様です。

 焦れば焦るほど、結果の出ない自分に、私はいらだってしまいました。大会までは、もう一か月を切っていました。私のせいで、あれほど盛り上がっていた他の部員のやる気も、少しずつ減退しているようで、それがますます私のプレッシャーになりました。

 こうしてはいられない。私は、とうとう普段の学校の授業を休んでまで、自宅にこもって必死にそのパートばかりを練習しました。ですが、やってもやってもうまくいかず、小学生のころから大切にしていた人形を何度も壁に叩きつけ、壊してしまいました。

 首のところが割れて中から黄色くなった綿が飛び出したそのぬいぐるみに顔をうずめて、私はわあわあ泣きました。自分の才能のなさが、心底嫌になりました。

 でも、私には逃げ出す時間すらありません。できないなら、できるようになるまでやるしか、方法はありません。

 私は朝の六時から自分の部屋で練習をして、夕方四時に部室に入り、そこから十九時までみんなと練習をした後、自宅に帰って夜の一時まで練習を続ける、という生活を、三週間も続けました。

 夏休みからも含め、受験勉強をしている周りの生徒に勉強時間で後れを取っている、という気持ちはどこかにありましたが、それよりもフルートを成功させたい気持ちが、何百倍も勝りました。

 それは、もちろん不甲斐ない自分自身のためもあったと思います。不甲斐ない自分を、不甲斐ないままで終わらせたくない、という気持ちもあったと思います。

 でもそれ以上に強かったのは、やはり、サオリをがっかりさせたくない、という気持ちでした。

 そのころは、サオリも自分一人で「自主練」がしたいからと、部室に遅れて入って来たり、部室に来ない日も、何度かありました。

 サオリも本気なのだ。私の心は、いよいよ追い詰められました。

 大会三日前を迎えました。私の心と体は、その時すでにぼろぼろだったと思います。何日お風呂に入らなかったかすらわかりませんから、紙だってぼさぼさだったでしょうし、下着は臭ったかもしれません。でも、演奏は相変わらずでした。サオリは、気を使って

「すごくよくなっている」

というようなことを言ってくれますが、それが本心からの言葉でないことは、私が一番よくわかっています。土台、無理な話だったのです。天性の才能を持ったサオリと、並の凡人でしかない私が、たった一か月で二人だけの演奏をするなんて。

 無理だ、無理だ、無理だ。

 もうそのころには、私の頭の中にはその言葉ばかりがぐるぐる渦を巻いて聞こえるようになりました。ご飯を食べていても、部屋で練習をしていても、みんなの前に出て来ても、寝ようとしても。

 ただひたすら、無理だ、無理だ、無理だ、という、暗い、太い、耳障りな声が、私の頭の中を支配するのです。

 翌日は、ついに大会出場メンバーの発表の日です。私はベッドの布団にくるまりながら、がたがたと全身を震わせていました。

 明日が、永遠に来なければいい。

 無理だ、無理だ、無理だ。

 私は自分の体から血の気が引いて、体の端から冷たくなっていくのを感じました。

 結局その日は一睡もできないまま、次の日の夕方、部室へ向かいました。

 もう、逃げることも隠れることもできません。大会までは、残り二日しかありません。

 今更できないということもできません。武士ではありませんが、私には華々しく散ることしか、道は残されていませんでした。

 やっても、駄目だった。自分の限界は、ここだった。

 私は、がっくりと肩を落としたまま、部室の椅子にへたり込んでいました。

 十六時十五分、サオリが部室に入ってきます。みんな一斉に立ち上がり、お辞儀をした後、すぐに着席します。私は、それをただ椅子に座ってみていることしかできませんでした。

 サオリは手に持った白い用紙を譜面台の上に置いた後、指揮台の上から、部員にこう言いました。

「いよいよ、明後日本番です。私たち三年生にとっては、これがこの学校での最後の演奏になります。私たち先輩としては、後輩たちに、私たちの最高の演奏を残して部活を去りたいという気持ちでいっぱいです」

 部員の誰もが、黙ってその言葉にうなずきます。

 サオリは、声高らかに続けます。

「一方で、今回は、特別招待校としての出場ということもあり、それにふさわしい演奏をしなければならない、ということもあります」

 また、部員たちが大きくうなずきます。

「これから、明後日の大会に出場してもらうメンバーを、発表します。ただ、先に言っておきますが--」

 サオリは少し間をおいてから、続けました。

「中には、意外な結果だと思う人も、いるかもしれません。三年生の代わりに、二年生に出場してもらう場合も、あると思います。でもどうか、そのことを恨んだりしないでください。私にとっても、苦しい選択でした」

 サオリの言葉が詰まった。感極まったのだろうと私は朦朧とした頭で思いました。

 サオリは、最後に飛び切りの笑顔を見せて、こう言いました。

「たとえ誰が出場しても、それは、みんなで作った音であることに、違いはありません。残り二日間、本当の意味で一つになって、本番の朝を迎えましょう」

 そこまで言い終わると、サオリは譜面台から白い用紙を取り上げました。そして、パートごとの、出場者の名前を読み上げました。

 サックス、クラリネット、木琴、ティンパニ……。

 次々と名前が読み上げられ、それに対して

「はい」

という朗らかな返事が聞こえます。

 フルートは、もうすぐだ。私の体は、もう完全に力を失っていました。

「フルート」

 ついに来た。私は、そう思いました。

 サオリの澄んだ声が、たんたんと、出場者の名を読み上げていきます。

 そして、

「以上」

という言葉を耳にしたとき、それまで黒い靄のかかっていた私の脳裏が、すっと明るくなったのを覚えています。

 サオリは、確かにフルートのパートの出場者名を呼び終わりました。

 しかし、その中に、私の名前が聞こえなかったような気がしたのです。

 何度も、何度も、私はおぼろげな記憶の中から、サオリの言葉を探し出してきて、心の中で反芻しました。だんだん、記憶がはっきりしてくるのがわかります。

 そして――やはり、やはり私の名前はその中にはなかったのです。そして私の代わりに、ピアノとデュオを演奏するのは、一年生の男子生徒でした。

 私は自分の体が透明になって、そのまま消えてしまうような幻覚を見ました。目の前の景色が、全て水を通して見たようにゆらゆらと歪んで見えて、耳に届く音声まで、ぐにゃぐにゃと変形して聞き取れなくなっていました。立つ力も、座っている気力もなくなって、風船が割れたように、突然その場から、「私」という存在が消えてなくなってしまいました。

 無理だ、無理だ、という心の声はなく、同じ声で、しかももっと大きな声で、

「あはははは」

と、さもおかしそうに私を笑う声が頭の中に聞こえてきました。

 私は、見てしまっていたんです。合宿の夜、私と話す前に、その男子生徒と、サオリが二人でこそこそ話している姿を。

 そして、「自主練」と称してサオリが部室に姿を現さない間、決まってその男子生徒も部室にいないことに、気が付いていたんです。

 でも、私は、そんなことは微塵も疑っていませんでした。疑う余裕も、ありませんでした。ただ、ただ、目の前のことで必死でした。文字通り、死ぬ思いでした。

 そんな中、サオリは、私を出し抜いたのです。最初から私を選抜するつもりなど、なかったのです。

 後になって冷静に考えれば、確かにサオリは、合宿で新しい譜面を私に手渡す時から、本番でのデュオは、私と二人でやるとは、一言も言っていませんでした。私に譜面を手渡したのは、私がフルートのパートリーダーであったことから、当然なことだったのです。私がそれを勘違いして、デュオのパートをまるで私に託されたかのように、錯覚していたのです。

 そのあとの選抜メンバーの模擬演奏で、全てがわかりました。やはり、サオリが「自主練」と称して部室に現れなかった間、一年生の男子生徒と二人で、デュオのパートを猛練習していたのだということが。

 もう笑うしかありませんでした。二人の息はぴったりで、演奏は完璧だったのです。

 私は、全てを許して生きて来ました。何事も、許すのが一番いい方法だと思って、生きて来ました。

 しかし、その時ばかりは、そんな判断ができるはずもありませんでした。

 部活の帰り、私はサオリの自宅の最寄りの駅に先回りしていました。手には、何かを持っていました。でも、何を持っていたか、覚えてはいないんです。

 本当に、忘れてしまいました。

 実際、学校を出てからその駅に着くまでの間も、どこを通って、どう歩いたかも、記憶が定かではないのです。ただ、あの不気味な暗い声に、ずっと笑われ悩まされて、手で耳を覆いながら、水平に見えない道の上を歩いて、たどり着いたのだとは言うことができます。

 でも、そこから先の記憶は、本当にありません。

 何も、何もわかりません。

 ただ、気が付いた時には、間の前に、血だらけになったサオリが、声も上げずに倒れていたのです。

 通行人が発見して駆けつけてくれた時、私は、ひきつった表情で、まるでうめくように、こう言ったんだそうです。

「――ユルス!」

と。

 

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「ゆるせない」「メンバー発表」「駅」(2017年09月26日) 矢口晃 @yaguti

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