人形死踊会
翌日、ユウは一人でバベルの塔の地下に潜っていた。昨日は子供達が一緒だった為に、地下一階層だけで狩りをしていたが、ユウは一人で五階まで降りて来ている。
地下に降りるには、ロボットゴーレムを倒してカードキーをドロップしないとならないから、此処迄一人のプレイヤーとも
その中を、ユウはレベル上げとスキル習熟を兼ねて、《魔蜂》をフロア全体に放ち、フルールを蹂躙している。
「で、そろそろ出てきたらどう?」
ユウは頃合いと見たのか、昨日からずっと追跡して来る相手へ振り返った。
《魔蜂》の探索にも引っ掛からなかった隠密性だが、初めから気付いていたユウには何の関係も無かった。単純に、子供達を巻き込むのが嫌で誰何しなかっただけだ。
それはユウと似たようなローブで全体を隠していた。ユウの《森想森理のローブ》は暗く深い緑だが、相手は濃い灰褐色であり、この石造りの地下に適応した物と予測出来る。
灰褐色ローブがユウに向かって跳んで来る。
《魔蜂》が霧のように辺りを覆い尽くした。
ユウが《異端魔箒》を手に取る。
相手は、《魔蜂》が群れの中で溜め込んだ静電気によって、ローブを焼かれ、しかし露になったその下球体関節で組み上がった体の何処にもダメージを受けておらず、つるりとした光沢を見せて飛び出して来た。
ユウの瞳が琥珀に透き通らせ、視線を
しかし、炎の揺らめきは、するりと目の前の人形に吸い込まれて行った。
美女とも言える造詣の顔に無表情を張り付けたビスクドールは、右手に持ったナイフをユウに突き刺そうとする。
《流転する影衣》が、地面から針の姿になって何本も突き上げた。
ビスクドールは、その隙間を、黒い人工髪をさらりと鳴らしながら、ぐにゃぐにゃと体を
前進の速度を緩めずに、ナイフの刃はユウの鼻先まで迫り。
ユウはナイフの切っ先から、その刃の横腹へ視線を流すように首を振って、斬撃の軌道から自分の顔を逃がした。
ユウはその動作に腰の捻りを加えて、楡の箒の柄をビスクドールの脇腹に叩き付ける。
刹那も挟まずに、ユウは魔女の箒を砲身にして魔力を放った。
その反動を利用して、ユウは大きくビスクドールから距離を取る。
「魔法が通じない。魔力を吸い込んでる」
ユウの放った目映い光を辺りに散らしたが、一粒一粒が緩やかにビスクドールの肌に吸い込まれて行くのが見えた。
魔力の光が失われた時には、ビスクドールは滑らかかな無傷の肌を見せ付け、さらに周囲の魔力を吸い込んで段々とユウの魔力視でさえも認識出来ない闇を纏って行く。
「わたし、真似されてる?」
【魔女】の時のユウは、〈魔力掃作〉で周囲に漂う魔力を操り、〈エーテル吸収〉で自分に蓄えて行くのを基本特徴の一つにしているからな。蓄えた魔力を使った事は未だに無い訳だが。
《魔蜂》達がビスクドールに向かって来るが、敵は《魔蜂》が放って来る雷も風も毒も熱も意に介さずに、
敵が動いた。
やはり、速い。今までユウが相対して来た敵と比べても、確実に此れが一番速い。
動きも無駄が無く、滑らかだ。
敵が一歩踏み込んだ瞬間に、ルルが反応して影針を伸ばすが、ビスクドールは体の隙間に針が通るように関節を回し、また一歩前へ出る。
《眞森》
ユウが口の中で、最も信頼する未言を唱えた。
ユウの体外に《聖域》が、体内に《迷いの森》が出現する。
ビスクドールがユウの前で壁となる《聖域》の水に、手にしたナイフを斬り付けた。
《聖域》は、その刃の鋭さと速さで数センチメートルを斬り裂かれるが、厚みを以て対抗し切断までは至らない。
裂かれた箇所を、波打って塞いだ《聖域》の水塊によって、ビスクドールの行動が阻まれた。
だが、止められたのは、直進だけである。
敵は《聖域》を迂回する為に横の壁へ向かって跳ね、壁に足を掛けて蹴り、天井へ飛び上がって今度は上下逆様、天井を足場にしてユウに向かって来た。
ユウの目の前に、ルルが薄く膜を張る。
ビスクドールと共に突進して来た刃は、ルルによって弾かれ、影幕の表面を滑り落ちる。
膝を付く体勢になったビスクドールへ、ユウは手を伸ばし。
肌へ触れる寸前に、悪寒が背筋を走った。
ユウは反射で手を引っ込める。
ビスクドールが立ち上がりながら、ユウにナイフを向けた。
影衣がユウの右手を覆う。
その手が、ナイフの刃を握り、動きを止めた。
ビスクドールが床を蹴り、体を捻って爪先をユウの頭に向ける。
ユウに掴まれたナイフを基軸にして全身が宙に浮いた敵の蹴りは、しかしユウの鼻先に割り込んだ《聖域》の水に防がれた。
ユウが余っていた手を、ナイフを掴んだ方の手首に添えて、両手の力でビスクドールを振り抜き、投げ飛ばす。
ユウは近場の壁へ叩き付けるつもりだったのだが、ビスクドールは着地する猫のように体を捩って壁に張り付き、勢いを殺さず反動にして跳ねる。
ユウは魔女の箒をビスクドールのいる方向を掃くように振り払った。
〈魔力掃作〉によってビスクドールを動かしていた魔力が掃き祓われて、がくりと失速して地面に落ち。
しかし即座に周囲に漂う魔力を肌から吸い込んで、床へ整った五点着地をしたビスクドールは曲げた膝を伸ばす勢いで跳ねた。
ユウが後ろに翔び、足を床から離す。手にした《異端魔箒》の〈無限飛翔〉を使って、ロケット噴射をしたかのように一気にビスクドールから距離を取る。
魔力が吸い取られ、魔法は一切効果が無い。
敵の
どうにもユウにとって相性の悪い相手だ。恐らくはそのように調整して造られているのだろうが。
ビスクドールがまた距離を詰めて来る。《魔蜂》や《流転する影衣》、《聖域》、それら全ての牽制も、美しい人形の動きを鈍らせる要因に為り得ていない。相手は体力なんて言う概念をそもそも持っていないのだ。
上段から振り下ろされるナイフを、ユウは楡の箒の柄で受け流す。
ユウの額には、極度の緊張と体内で《迷いの森》が成長する痛みで、じっとりと脂汗が浮かんでいる。
息は浅く、細かい。ひゅーひゅーと掠れた空気が口から漏れている。
ビスクドールはナイフを持つ手が下に流れる勢いの回転モーメントを利用して、体全体を回し、後ろ回し蹴りをユウの米噛み目掛けて繰り出して来る。
ユウが一歩踏み込み、敵の蹴りの軌道の内側へ体を押し込んだ。
《聖域》の水を左前腕部に纏い、ビスクドールの脛を受け止めた。
そのまま《聖域》は捻れてビスクドールの足を巻き込み、捻る。
ビスクドールの体が錐揉みして浮かんだのを、ユウがルルを張り付けた右手で掴んだ。《流転する影衣》の握力が、ユウが掴んだビスクドールの脇腹に罅を入れる。
しかし痛みを感じ無い人形は、腰から体を折り畳む事で上半身を持ち上げて、ユウの右腕目掛けてナイフを突き刺そうとする。
ユウは右手を人形の脇腹から離し、裏拳でナイフを弾きつつ腕を引き寄せた。
肩から引き寄せた拳を、腰の捻りで勢いを加えて、ビスクドールの顔面へ叩き込む。
頭部を後ろに弾かれたビスクドールは、しかし振り子の動きで頭部を引き戻し、ユウの額に頭突きを加えた。
割り込んで来た《聖域》越しでも伝わる衝撃が、軽度の脳震盪を引き起こし、ユウがよろめく。
その隙を逃さず、ビスクドールはユウの首にナイフを突き立てた。
切り傷から、血が、噴出――せずに。
ユウが被っていた《森相森理のローブ》が中身を失って、ふわりと地面に落ちて、消える。
《妖す》を発動して敵から大きく距離を取ったユウは闇に紛れて存在を曖昧にしていた。
ビスクドールがユウの居場所を捉え直すよりも早く。
《たよりなく
ひとりあるけるはぐれみの
ひとかげともす
〔《ブレス:灯り憑く》を取得しました〕
〔〈アート・プレイ・タイプ:未言〉が44レベルになりました〕
〔〈アート・プレイ・タイプ:和歌〉が9レベルになりました〕
ユウの背後に、薄らと灯りが点った。それは夜道を照らす街灯程の明るさなんて持たず、客を呼び込む夜店の明るさも持たず、其れ等が消灯された後にも残される常備灯のような申し訳程度の頼り無い明るさだ。
しかし人の居ない夜の深みを歩く者には、そんな灯りを頼りにするしか無い。
その《灯り憑く》光に点されて伸びるユウの影が、ビスクドールの影を掴む。
その途端、ユウを探って辺りを見回していたビスクドールが藻掻き出した。
ユウの〈魔女の影〉が実体と同じようにしっかりと敵を捕まえたのだ。
《迷いの森》を体内で筋肉の補強として根付かせ、《流転する影衣》を纏わせて握力を強化したユウの影の手は、ビスクドールがどんなに暴れても離す事は無い。
ビスクドールを掴むように伸ばされたユウの右腕から、皮膚を破って《迷いの森》が伸長する。
その《眞森》は伸ばした枝葉を
咀嚼を真似て、その腕を
悲鳴も上げないビスクドールだが、蜘蛛に捕まえられた虫のようにじたばたと暴れて、ユウの影の拘束から逃れようとする。
勿論、ユウがそんな哀願に応える訳が無いのだが。
道の奥、暗がりに阻まれた先から、魔力の砲撃がユウに向かって来た。それは《聖域》と《魔蜂》の障壁で防がれるのだが、ユウの意識も僅かに其方へ削がれた。
砲撃を背後に向けて放ち、推進力としたビスクドールが一体、ユウへ突撃して来る。それは見慣れた人形だった。
ユウは、片腕をもぎり取ったビスクドールから影を離し、魔女の箒で突っ込んで来たビスクドールが叩き付けて来る砲身を迎え撃つ。
その隙に、ずっとユウの後を追って来た方のビスクドールが、闇へ走り逃げ出した。
目の前にいる救援しに来た方のビスクドールは、この零距離で溜め込んだ魔力が溢れる砲口をユウに向ける。
ユウが身を引いて抉じ開けた空間に、《異端魔箒》の柄頭を付き合わせるように差し込んだ。
お互いの収束した魔力の砲撃が、ぶつかり合って火花を散らして周辺の壁や床や天井を焦げ付かせて異臭を焚いた。
視界の全てが光に飲まれて消えて、瞬きで取り戻したその時には、ビスクドールは影も形も無い。
「ふぅ」
ユウは安堵の息を吐く。毎度の事ながら、神経を張り詰め無いと敵わない相手だ。
それもユウに対して執拗な程に研究して苦手とする戦法を取る新作を投入して来ると来た。
「わたしのなにがそんなに憎いのかしら……」
そんな不興を買う相手に全く心当たりが無くて、ユウは頻りに首を傾げるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます