圧倒する者

 土煙を押し退けて、ユウの体を一回りも越える大きさの拳が迫る。

「店主さまっ!?」

 巧が悲鳴を上げるが、ユウは眉一つ動かさずに、右手を空へ掲げて、下へ払った。その腕の動きをトレースして、《異端魔箒》がユウとゴーレムの拳の間に滑り込む。

 叩き付けられた拳に、光の衝撃を返して、魔女の箒の展開する障壁がユウを護る。

[物理攻撃すら余裕で防ぎ始めたぞ]

[ラスボスだからな]

[物理で殴るにはレベルが足りない]

[おい、お前ら、正気を取り戻せ。ボスはゴーレムのほうだwww]

 魔女の箒の防御を破れなかった拳は、ゆっくりと戻されて行った。

 そしてその頃には、全く無傷のゴーレムが姿を露にしていた。

「やっぱり、デミリヴァイアサンと同じ、ね」

 直接攻撃を与えたユウは、それが弾かれた感触をしっかりと捉えていた。

 条件付きの無敵。その条件はコメントでネタバレしているが、クエストを受領せずに、偶々此処へ落ちて来たユウには、その条件をクリアする【断章】がなかった。打つ手無しと言う訳だ。

「夢波はさすがに効かないだろうなぁ。なら、おいで、《眞森》」

 だが、ユウはまだ撤退する気は無いらしい。

 辺りの空気が湿り気を帯びて浄められ、ユウの周囲に水塊が浮かぶ。

 『守護者』の《眞森》は、ユウを中心にして衛星のように廻る。

 ゴーレムが拳を振り上げた。その巨体から繰り出される攻撃はそれだけで強力だが、単調だ。

 ユウは掌を宙に這わせ、その前に《眞森》の水珠が一つ、寄り添った。滑らかに腕を動かせば、水珠は慣性で形を歪めながらも、その動きに連動する。

 上から下へ、自重を活かした拳が振り下ろされたのを、『守護者』の力に満たされた水珠は揺らぎもせずに受け止めた。

「やっ!」

 ユウが空いていた左手を、水を掛けるように振り払った。幾つもの水塊が飛沫に似た勢いでゴーレムにぶつかる。

 しかし、それはゴーレムに鞜鞴を踏ませただけで、ダメージには至らない。

[眞森でもダメージ入らないか]

[やっぱ断章ないとダメなんだよな]

[ところで、その『断章』って結局、なんなん?]

 ゴーレムは拳を叩き付けても潰れないユウに焦れたのか、足を踏み出して地面を揺らした。

 大きく振り上げられた煉瓦造りの右足が、ユウをその頭上から踏み付けようとする。

 ユウは《眞森》の《聖域》を魔女の箒で掃き集めて水のドームを形成し、踏み付けを防ぐ。

「こっわ」

 見上げれば透き通る水面の向こうに、ユウの小柄な体なんて丸ごと踏み潰せる大きさの足の裏が見えた。

[【断章】は、簡易ブレスとでもいいのかな。【アーキタイプ】の力の欠片で、アイテムやスキルに付与して使うんだ]

[んでもって、付与されたのは、その【断章】の元になったアーキタイプの力を得る。今回のクエストで貰えるのは、《神の雷》の断章で、付与すると武器が雷を纏ったり、スキルで雷が出てきたりする]

[聞く限り、こう、よくある強化アイテムっぽいな]

 ゴーレムは、ユウを守る聖域のドームに足を乗せて力を掛け続ける。

 『守護者』の《眞森》はその荷重にびくともしないが、ユウもまたその中から出られそうにはなかった。

「神の……雷?」

 ユウが視界で拾ったコメントを呟きに漏らした。

 ゴーレムを見上げる柘榴と空色の瞳が、くっきりと色鮮やかに変わったような気がする。

[あ、紡岐さんのこの目付き、なんかヤバい。いつものやつじゃね?]

[ヒントたくさんもらって、解決策を思い付いたのかしら?]

[いや、解決策って、専用の断章ってのがないとどうしようもないんだろ? どうにかできたらチートじゃね?]

[落ち着け。未言屋店主だぞ? チートじゃないわけないだろ]

「ちょっと、未言屋を非常識的な意味で向かうのはやめてくださいましっ!?」

 さて、何時ものやり取りが行われたところで。

 ユウは水飛沫を上げて、ゴーレムから離れるように《眞森》から飛び出した。

 ぐらり、とゴーレムの頭が後ろへ跳ねたユウへと向かう。

 そしてユウは、腕を大きく動かして、《聖域》の水塊を手繰り寄せた。

「お願いね」

 柔らかな声でおねだりをすれば、『守護者』の《眞森》はその半分程を使って、一つの形を成した。

 それはひぐまだった。その体はユウや巧の身長を優に越える程に高く、岩に見紛う程に筋肉が隆々と発達し、毛並みは夜に焚かれた篝火のように美しい。

 即ち、《聖域》を守護する《山の神》だ。彼女の姿を象った水塊は、本物と同じ機敏さでゴーレムまで駆け抜け、振り上げた右腕を胴体に叩き付けた。

 ゴーレムから煉瓦の欠片が飛び、ほんの僅かにだが、HPバーが減少した。

[おい。おい。ついに《アーキタイプ》召喚したぞ]

[ゴーレムがダメージ受けたんですけど]

[【まさに非常識】魔女の恋人の無双っぷりは留まるところを知らないな【彼女に破れぬ壁なし】]

 ユウがぐるりと回ると、それに引き摺られるようにして、羆の形を崩して《聖域》の水が巡回した。

 そして、今度はグランドトータスを象って、ゴーレムと真正面に向かい合った。

 巨体同士がぶつかり、大気が振動する。

 巧の耳と尾が、びくりと立った。

「やっぱり、ダメージはなし」

 ユウがぽそりと呟いた通り、《聖域》のグランドトータスは、その膂力でゴーレムに拮抗して動きを止めても、ダメージを与えるのは叶わない。

 ユウが真っ直ぐに右腕を伸ばし、そこに左手を添えて、ゴーレムに向けた。

 その体勢で暫く動きを止める。

 ユウが呼吸を繰り返す毎に、じっくりと右腕が帯電していき、やがて腕に跳ねる電光がパチパチと空気を鳴らし始めた。

[まってwいつの間に電気チャージとかできるようになったのww]

[魔女の恋人、属性豊富だなー。炎に、氷に、水に、今度は雷かー]

[自然由来のものならなんでも扱えそうだけどな]

 数秒を掛けて溜め込んだ電力は、ユウの長い黒髪を静電気で浮かべ、ゆらゆらと踊らせた。

 グランドトータスが、その水塊に穴を開けて、そこからユウは空色の瞳でしっかりとゴーレムの頭部を望遠した。

「いっけー!」

 それは砲弾のように放たれた。

 ユウの右腕は反動で跳ね上がり、そしてさらにはその小さな体も一瞬だけ地面から跳ねさせる。

 通過の衝撃が、空気を押し退けて、鼓膜を破るような音を轟かせた。

 《流転する影衣》に包まれて音を遮断された巧が、しかし肌を打つ空気の振動にびくりと体を跳ねさせる。

 ユウの放った雷光は真っ直ぐに飛び、グランドトータスの穴を通過して、ゴーレムの頭を撃ち抜いた。

 ゴーレムが後ろへ崩れ、倒れる。

 先程よりも小さな振り幅で、ゴーレムのHPが削られた。

[またダメージ与えたぞ、おい]

[相変わらずチャージ魔法強いな]

[でも、遥ちゃん気難しい顔してるねー。これを繰り返すのはきついのかにゃ?]

 ユウは倒れたゴーレムへ真っ直ぐに視線を向けながらも、へにゃん、と眉を下げていた。

 『守護者』の《眞森》たる水塊はまた形を崩し、ユウに寄り添う。

 その中心にいて、ユウがぽそりと漏らした。

「うで……しびれた……」

 ユウは悲しげに右腕を左手で擦り、労る。

[痺れたって、おい、痺れたって]

[正座かよ]

[緊張感を返してくれ]

 ぐずるユウの前で、ゴーレムが大地を擦りながら立ち上がった。

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