魔王生誕

 ユウもまた、その波に箒で乗る。

 波となった結界は、《聖域》の中心から四方へ膨らみ、けれどいずれの方角へ溢れた波も何処かで押し返して向きを変えて、一ヶ所に集う。

 ユウ達が、《聖域》を攻略しようとしたプレイヤー達と対峙した始まりの場所で、全ての波は呑み込んだ者を置き去りにして引き返して行く。

 波に揉まれて地面に転がされたPK達が溜まる光景は、津波の後、陸に残された魚を思わせる。

 セム達が波が引いて行くのを見守る中へ、ゆったりと波に乗ったユウが辿り着き、するりと軽やかに箒から降りて地面に足を着ける。

 全てのPKが、ユウの引き起こした現象の規模の大きさに、驚愕し、恐怖していた。

[魔王降臨である]

[悪は滅んだな]

[バカ野郎、悪どころか、人類が滅ぶわ]

[【魔王君臨】祝え!魔女の根源を受け継ぎ、常識を超え、未言と自然をしろしめす魔道の王者!その名も未言屋店主奈月遥!まさに生誕の瞬間である【最後の一線は踏み抜かれた】]

[遥ちゃん、キレるまではうじうじするけど、爆発すると手が付けられないタイプかぁ]

 ユウの側へ、影獣の姿でPKを噛み磨り潰していた《流転する影衣ナゼラ・ルル》と、体から生やした根でPKを圧殺していた《眞森》のガンドが身を寄せた。ルルは首をユウの太股に擦り付け、ユウも右手で彼女を撫でて労う。

 《魔蜂》達は燐光を明滅させながらユウの周囲で魔法の紋を描き、セム達のHPやMP、TPを回復させながら光の障壁を被せていった。

 妖すの未言巫女は楽しげに唇に人差し指の先を触れさせて恐ろしいまでの微笑みを浮かべ、月の蜜の未言巫女は《魔蜂》の女王を手の甲に乗せて悠然と宙に浮かぶ。

 巨大な盾と十字を頂く杖を携える《守護者》の霊魂は、ユウの背後に佇み、その遺志で守っていた《聖域》に侵略した者達を睥睨していた。

 存在としての強度と濃度の高さから、自然と威圧感を振り撒く者達を侍らせたユウは、只管ひたすらに無表情だ。

「《眞森》」

 ユウが呼び掛けだけで、その上位存在の一つを促した。

 《守護者》の霊魂が左手の杖を掲げると、《聖域》の樹木達から淡い緑光が溢れ、水へと代わり、PKを一人一人丁寧に包む。水は壁となって固まり、結晶にも似た多面体の中へ其々を封じ込めた。

[せんせい、魔女の恋人さまが、いま、眞森って、眞森って言いました!?]

[せんせい、それなのに《迷いの森》は出てこなくって、《聖域》が魔王様の命令に従っているんです!]

[せんせい、これは一体どういうことなんですか!?]

 どういうもこういうも、答えは一つしかなかろうに。

「ユウの《眞森》が2レベルになり、この《聖域》も《眞森》として取り込んだだけだ。名実共に、この山の主になったんだな」

[ですよねー!?]

[わかってたけどー! ききたくなかったー!]

[眞森はアーキタイプの森を併合していくのか……え、眞森って確か、迷いの森のステータス上乗せするとか言ってたよな?]

[【究極兵器】つまり、理論的に多種多様な生態系とその特質を追加しつつ、アーキタイプのけた外れなステータスも追加されていくと【これ、最初期の《ブレス》なんだぜ?】]

[はじめから人類は詰んでいた説]

 私がきっぱりと現状を伝えると、辺りから絶望の空気が立ち上る。

 そんな中で、違う反応をしているのは、二つ。

 一つは痩身の男。結界の拘束から辛くも逃れ、足が地面に縫い付けられたに留まっている。彼はわなわなと震え、ずり落ちたマントから曝け出された顔に恍惚の表情を浮かべている。

 そしてもう一つは、ひぐま。この《聖域》の守護を自己の使命と課して、戦い続けて来た《山の神》。彼女はユウへ厳かに近寄り、恭しく伏せる。

 ユウは、羆だけに目を向けた。

「そんなことしなくてもいいよ」

「貴女がこの地の主君となるのを、心よりお喜び申し上げます」

 ずっと尊大な口調が板に着いていた羆に、丁寧な言葉を捧げられて、ユウは擽ったそうに身を捩った。

 羆は顔を上げ、ユウの背後に浮かぶ《守護者》の姿を見詰める。その瞳は、言い様も無く穏やかだ。

「それで、降参するなら、ログアウトしてほしいんだけど。んでもって、二度とここに来ないで」

 ユウが今度は身を切る冬の寒さを声に込めて、敵をめ付けた。

 だが、その冷たさと鋭さを一身に受けた痩身の男は、至上の喜びと言わんばかりに息を荒くする。

「素晴らしい、なんて素敵なんだ。確かに貴女は、僕なんかとは全く違う。うつくしい……」

 感嘆を溢す熱っぽい息に、ユウは心底気持ち悪そうに後退り、ルルが牙を剥いて唸る。

「ああ、そんな貴女が、守る者を目の前で傷つけられたらどんな顔をするのでしょう……想像するだけで胸がときめきます」

 痩身の男は無造作に銃を放った。それも一つで無く、左手にも構えて、二挺が同時に。

 妖すが呆れをありありと顔に浮かべていた。

 羆は、自分に向けられた凶弾に、後れを取らずに前へ踏み出した。

 右前足を疾走の勢いで振り被り、銃弾に叩き付ける。つい先程までなら、羆の腕の方が吹き飛んでいただろう。

 しかし、羆の毛並みの中に潜り込んでいた《魔蜂》の一匹が、翅を震わせ、体を包む《月の蜜》の蛍火を羆に授けた。

 淡く光を溢す水の結界に包まれた羆の腕は、難無く凶弾の一発を砕いた。

 それでも、腕を地面に降ろした体勢は隙があった。そのがら空きの左肩に、もう一発の弾丸が命中し、毛皮が捲れ、肉が散る。

 少しでも左腕を動かそうものなら、そのまま肩が千切れるような傷が。

 新緑の色に彩めく水に包まれて、見る見る間に元通りに治癒された。

「え?」

 目の前で起こった、自分の悪行を無意味にした現象が理解出来ずに、痩身の男はただただ目を見開く。

 妖すの未言巫女が、瑞々しい唇に立てた人差し指を当てて嘲笑う。

「どう? 未言がどんなにすごいか、感じられた? ああ、理解する努力はいらないよ。お前は未言を理解するには、命が低俗に過ぎるから」

 誇らしく自慢する妖すの未言巫女を、月の蜜の未言巫女がちらりと見る。

「いや、今あんた何もしないでしょ。ぜんぶ、あたしの力だから」

「だからちゃんと妖すちゃんじゃなくて、未言って言ったよ?」

 妖すは悪びれも無く、月の蜜にくすくすと笑い掛ける。

「ほら、ケンカしない」

「はいはい」

「むー。あたしは悪くないのにー」

 ユウに窘められて、妖すは笑いを納めずに、月の蜜は納得がいかない様子で、口を閉じた。

「と言う訳で、何やっても、もう無駄です」

 改めて、ユウは痩身の男に無力を宣告した。

 痩身の男は憑き物が取れたように、ふっ、と息を吐き、天罰を受け入れようとするみたいに、両手を広げる。

「素敵な人よ。今の僕では貴女に手出し出来ないのだと分かりましたよ。また次の機会まで、自分を磨くつもりです」

「いや、二度とわたしの前に現れないでください」

 堂々と諦めないと告げる痩身の男に、ユウは冷たく機械的に返事をする。

「嫌です。この想いはもう止めようがありません」

 しかし、そんな素っ気無い態度にもめげずに、痩身の男は自分の想いを伝えて来た。

 ユウが戸惑いから、セムに視線を投げ掛ける。

「あんまりにストーカーが酷いなら運営にGMコールしろ」

「そもそも、君は管理AI連れてるんだし、いつでもアカBAN出来るよね」

 セムから、それとついでに盾と槍を装備する彼からも、運営任せで良いと言われて終わりだった。

「それは僕の美学にも反するな。法は犯さず、ゲームの範囲で悪事をするつもりだよ」

「いや、もう、勘弁して……」

 ユウはもう泣きそうだった。

 その様子を見兼ねたのか、《守護者》の霊魂が、その姿を水へと融かしてユウを庇うように旋回する。

 そして遠心の勢いを付けて、痩身の男の胸を貫いた。

 痩身の男は、一拍遅れて、胸から延びる管状の水を見下ろす。

「呆気ない、終わり方です、ねぇ」

 ごぽりと血を口から吐き、貫かれた胸から男は、光へと崩れて行く。

 そしてこの男に追従していたPK達も、密閉された結界の中に水を満たされ、窒息によってデスペナルティを受けて、全て消えて行った。

 あんなにも騒がしく荒らされた《聖域》は、最後にはその力によって静寂を取り戻したのだった。

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