月から注がれる御雷

「紡岐ティーチャー、助けにきま――さむっ!?」

「うっ……体が、かじかんで……」

 妖精の羽を生やしたキャロが、《曲想を羽成す刻》をオーディオモードにして足場にした悠が、しかしどちらも、高度一万メートルの極寒に体を小刻みに震わせて、身動きが取れなかった。

「キャロさん!? 悠さん!?」

 何で来たのかと批難を込めながら、ユウが絶叫する。

 次いで、ワイバーンの現状を確認した。翼竜は牙を剥き、新たに現れた二人のプレイヤーに爛々と敵意の視線を向けている。

 ユウが二人に向けて手を伸ばし、その掌から影が迸る。

 二人を翼の激突で吹き飛ばそうとしたワイバーンが迫るよりも早く、《流転する影衣かげえ》は二人を絡め取って一纏めにし、卵殻を形成した。

 ワイバーンの激突した衝撃に宙に弾け飛ばされた卵殻ではあったが、中の二人は目を回す事はあっても無傷で守り抜いた。

 ユウは卵殻が放り出させれた先に回り込み、其れを受け止める。

「二人とも、早くログアウトして!」

「きゅ~」

「うぅ、こんな足手まといになってすみません……」

 助けに来たつもりが、逆にお守りをされるばかりなのを直ぐに悟り、二人はログアウトして光に散った。判断が早く、固執しないのは優秀な証だ。

[えと…どゆこと?]

[ヒント:飛行機は常に暖房を焚いてる]

[このゲーム、高度による低温も再現してんのかよ!?]

[そうなのよね。VITがひたすら高いか、対策になる〈スキル〉持ってないと、高高度飛行はできないのよ]

[ん? なんで魔女の恋人は平気なんだ?]

[【無限飛翔】《異端魔箒》のスキルは、どんな状況でも飛翔出来るというものだからな。ペナルティを打ち消してるんだろ【テキスト外の付随データまでチート】]

 当たり前に使い過ぎて、〈無限飛翔〉の事を忘れていた視聴者もいたらしいな。

 唯一人、この空の高みでワイバーンを相対するユウは、鋭く敵対者を睨み付けていた。

[おや…? 紡岐さんの様子が……?]

[てっと、てっと、てっと、てっと]

[Bキャンセル! これ以上バケモノにしてたまるか!]

[店主様、怒っておられます?]

[まー、キャロさん達危ない目にあったからなー。あれでも後輩思いなやつなんよ]

 わん娘とネコ科仮装大賞の二人だけが、正確にユウの内心を読み取っていた。

 ユウの怒りに気付けないのか、ワイバーンが尾を鞭として振るい、ユウを打ち据えようとする。

「ルル」

 ユウは短く低い声で呼び、影衣はまさしく鞭となって撓り、ワイバーンの尾を払った。

 ワイバーンが空中で体勢を立て直す隙に、ユウが息を吸う。

《まっすぐなこはるびよりのぬくもりに

 くるまる午後の夢波ゆめなみ夢海ゆめみ

 ゆったりと穏やかさを感じる静かな声でユウが歌を詠み、空の太陽と同じ白から生成り、生成りから黄金へ揺らめく夢波が溢れ、双子の人魚が眠そうに、そして眠りながら、現れ揺蕩たゆとう。

 双子の人魚はユウの周りをふわゆらと寄り添い、その手の、髪の、そして尾鰭の揺らめきに伴って、《夢波》が立っている。

 ワイバーンが、ユウと彼女が呼び出した双子を睨み付け、翼膜で大気を打つ。

 疾走してくるワイバーンに、夢波が光る漣を寄せる。

 ワイバーンは一度、かくりと失速して落下しかけ、しかしすぐに一層強く翼で大気を打って持ち直す。

 ちろり、と夢波が瞼を細く開きかけてワイバーンに気を向け、寝返るように波を立てる。

 その《夢波》が鼻面に接する直前で、ワイバーンが喉の深くまで見せ付けて顎門を開き。

 絶叫。

 空気が破裂したような音響と震動が、ユウの、夢海の、夢波の体と耳へと叩き付けられる。

 そして三人揃って、びくりと体を痙攣させて、大きく眼を開けてしまった。

「あっ!?」

 ユウが焦りの声を上げるよりも早く、夢に揺蕩う人魚の双子は、泡沫と消え失せた。

[うっわ、夢海夢波まで!?]

[やばくね?]

 視聴者達からも、追い詰められるユウに不安が寄せられて来る。

 ユウが迫るワイバーンを紅蓮の渦で飲み込む。陽炎の向こうに五体満足の敵影を見ながら、ユウは楡の柄の箒を滑らせて距離を取った。

「あぁ、もう、どうしようか」

 ユウが放出して大気に溜まっていた魔力も、先程の劫火で使い切ってしまった。

 まだワイバーンの体力は半分も減っていない。

「ん?」

 思案していたユウが、楡の柄に目を向けた。

 そこには小さな、本当に小さくて吹けば飛んで行ってしまいそうな、黒光りの麗しい女王蜂が、楡の柄に乗っていた。

「危ないよ。ニクェから離れたら、凍っちゃうでしょう?」

 〈無限飛翔〉は、《異端魔箒》に触れている者全てに効果を発揮する。それは離れた瞬間に、小さな虫が極寒の天空に曝されるという事だ。

「え? 戦う? いやいや、だから、箒から離れたら凍るでしょ?」

 どうやら、《魔蜂》達は、この窮地に共に立ち向かうと進言してきたようだ。

 しかし、アーキタイプとは言っても、昆虫の特性を持つ彼女達は寒気に頗る弱い。先程のキャロや悠の二の舞になるのが関の山だ。

「だから、無理しなくて――お前は燃えてろ!」

 話の途中で、また攻撃の気配を見せたワイバーンに向けて、ユウは自前の魔力を注ぎ込み、爆炎に封じた。目に見えてダメージこそ与えられなくても、ユウのMPを一割も費やした爆発の衝撃は、ワイバーンを拘束する。

[これ繰り返したら、あいつ死ぬんじゃね?]

[厳しいかも。少なくとも、アイテムが相当消費されるよ]

[アイテム消費すればワイバーン単騎で倒せるって、マジでチートだろ……]

[つか、ひでぇwww ワイバーン、カワイソスwww]

 ワイバーンを一時的に退けて、ユウはまた女王蜂に向かい合う。

「だから、別にできないことはしなくて……え、できる? 未言があれば?」

 《魔蜂》と言葉を交わすユウの瞳が、氷銀ひぎんに彩めいた。その愛鏡まなかがみに、女王蜂の後ろにちょこんと座る掌サイズの未言未子が映る。

「つ、つ。みっつ」

 真ん丸と黄金の瞳で、その未言未子はユウを上目遣いに見詰める。

「あ、え? でも月が出てないから……」

 その未言未子の正体を直ぐに理解したユウは、明るい空に視線を巡らせる。この《未言》が実態を持つのに不可欠な月の姿を探し。

「あ」

 そして、今正に東の果て、空端そらはしに透ける地平線に、きらりと光る天体が見てた。

 第四衛星『エクリェイル』が、紫電を散らして昇って来たのだ。

「あ、あれも月カウントしてよいの?」

 ユウが《魔蜂》の女王と未言未子に伺いを立てると、揃って頷きを返された。

「まじかー」

 余りに都合の良い解釈に、流石のユウも天を仰いだ。

[月と蜂に関わる未言で、あの鳴き声。もしかして、月の蜜です?]

 未言未子鑑定士の呟きに、《Collective Intelligence:Audience》が反応し、光が幾つも未言未子に飛び込んで行った。

 眩い輝きの中から、花の髪止めが目を引くハニーブラウンの髪をしっとりと肩に垂らして、未言未子がにっこりと笑顔を見せる。

「みつー♪」

[お、当たりか]

[月の蜜? どんな意味だ?]

[おおお、かわいー! ちょ、月の蜜、かわいいじゃないですか、紡岐さん!]

[月の蜜は、『蜂』に係る枕詞なのですよー]

 ユウが左の人差し指で、エクリェイルを指した。

 くるり、と、蜜を絡めるような仕草をして、ユウはその人差し指を唇に当てる。

《みかづちをあつめかぐはし

 月の蜜

 蜂のはおとに

 みかづちやどる》

〔《ブレス:月の蜜》を取得しました〕

〔〈アート・プレイ・タイプ:未言〉が36レベルになりました〕

〔〈アート・プレイ・タイプ:和歌〉が2レベルになりました〕

〔〈アート・プレイ・タイプ:魔法〉が10レベルになりました〕

 蜂の翅のように唇を震わせて、ユウは囁いた。

 それと共に、月の蜜の未言巫女が人並みに大きくなり、ユウと向き合う形で《異端魔箒》の柄に跨がり、その手杯てつきに女王蜂を乗せている。

 甘い香りが立ちそうなくらいに潤いのあるハニーブラウンの髪へと、エクリェイルから紫電の光が注がれて行く。

 そして、そこに刺さっていた髪飾りの花から、雷が弾ける蜜が溢れ、月の蜜の未言巫女の手杯に受け止められる。

 月の蜜が、エクリェイルの光を浴びた花の蜜と、《魔蜂》の女王とを一緒に掌に包み込んで。

 また花のように開いた時、《魔蜂》の女王は、その漆黒に輝く体から迸る紫電に依って空気をバチバチと弾けさせていた。

 次の瞬間。

 ユウの【ストレージ】から、女王と同じくエクリェイルの紫電を纏った《魔蜂》の群体が、縦横無尽に飛び出した。

「みんな、行ってー!」

 月の蜜が勢い良く人差し指を振って、《魔蜂》達を、未だ爆炎に翻弄されるワイバーンへとけしかけた。

 女王蜂が、紫電を膨らませて、ワイバーンの方角へ向けて放つ。

 敵意と脅威を即座に認識したワイバーンは、その雷撃を暴風で相殺しようと顎門を開き。

 その咆哮の前に、紫電は《魔蜂》の働き蜂の一匹に激突し、包容され、全くの別方向へとまた放たれた。

 ワイバーンの叫びが猛威を奮う瞬間には、《魔蜂》も雷撃もその場を離れており、雷撃はさらに七匹の働き蜂を経由して、稲妻の軌跡を描く。

 そしてワイバーンの背後から突き刺さった紫電が、その飛翔を崩した。

[お、オールレンジ攻撃だと!?]

[速い上に軌道が不規則で見切れねぇ]

[おい。おい、ラスボス。支配下の僕を強化し始めたぞ]

[魔王に相応しい所業だね♪ 人類詰んだぞ♪]

[↑落ち着け。ショックの余りに壊れてるぞ、お前]

 さらに《魔蜂》達は、自分達でも独自に発電した小規模の雷撃を個々にワイバーンへと放って動きを阻害している。

「ほらほら、お母さんもちゃんと働いて?」

 女王蜂をまた掌の中でとろりとした蜜に絡める月の蜜が、唖然として動きを止めていたユウを叱咤した。

「え、あ、はい」

 ユウは思考を放棄したままで、月の蜜に言われるまま、掌で雷球を作り、《魔蜂》へと託した。ユウの雷光もまた、女王蜂の放つ紫電と同じく幾匹かの働き蜂が軌道を操作して、不可避のタイミングでワイバーンへ衝突し、その体躯を痺れさせた。

「よっし、【麻痺】入った! お母さん、トドメ行くよ!」

「え、ん、トドメ?」

 戸惑うのはユウばかりで、《魔蜂》達は月の蜜の指揮に従って群がり、さながら雷を宿す暗雲と化した。

 月の蜜と女王蜂がそうしているのを真似て、ユウもまたありったけの魔力で雷撃を練り上げていく。

「いっけー!」

 《魔蜂》の女王、《月の蜜》の未言巫女、《魔女》の恋人の三者が最大限に威力を高めた雷光が、《魔蜂》の群体によって構築された暗雲へと飲み込まれる。

 刹那。

 破壊の御雷が、【麻痺】で身動き取れないワイバーンを貫き、大地へと閃光の塔を築いた。

 光と音が、視覚と聴覚を潰し、世界をホワイトアウトさせる。

「かんっぺきだね♪」

 月の蜜が喜色満面でサムズアップするのを、ワイバーンが消滅して尚、訳が分からずに理解が追い付かないユウが、ぼんやりと見詰めていた。

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