化かし妖し

 一抹の不安と言うには、大き過ぎる懸念を残しつつも、巧の初心者研修は終わった。

「あなたは、もう、基本に家にいなさい」

「うにゅ?」

 ユウが出した結論は、巧を自宅警備員にする事だった。

 先程のフルールへの対応を見る限り、外に出すには恐ろしいからだ。

「ぼくも、店主様ときれいな景色みたいですよぅ」

「ん」

 ちらりと上目遣いをされて、早速ユウの心がぐらつく。

[遥ちゃんは確実に子供を甘やかす親ね]

[逆に親がダメだから、子供しっかりすんじゃね]

[それ、未言巫女な]

 視聴者もすっかり言いたい放題になった。

「あ、ぼくも未言巫女に会いたいですっ」

「んー? 二条と仲いいのって、だれだっけ? 硝子水か?」

「硝子水さんには、会ったことないです」

 二百五十を超える未言の中には、当然まだ未言巫女としてデザインがされていないものもいる。

 むしろ、未言巫女がきちんと設定されている方が少ないか。

「じゃー、二条、硝子水持ってきて」

「えっと……この世界、硝子水あるんですか?」

「ないぞ」

 文明が極一部にしかない『コミュト』に、硝子水――つまり、炭酸水なんて物がある筈がない。

 その内、プレイヤー達が自作しそうではあるが。

「店主様、ないそうですよ」

「残念ね」

 もう二人は散歩モードだ。

 フルールは遠くに見掛けるものの、ユウがそんな素振りも見せず、巧が気付く前に燃やしている。

 この辺りのフルールのレベルでは、もうユウの相手にならない。

「あ、ネコ」

 秋の透き通る日射しの中をゆるゆると歩いていたら、ユウが林の隅に一匹の黒猫を見付けた。

 警戒しているのか、黒猫はユウ達をじっと見詰めている。

 かと思えば、その黒猫は軽やかにユウの側にやって来て、足に纏わり付いた。

「て、店主様、黒猫さんが来るなんて不吉ですよっ」

「なに言ってるの」

 迷信を半端にしか知らずに、素直に慌てふためく巧を窘めつつ、ユウは膝を折って黒猫に目線を近付けた。

 その首をユウに擽られるのを、黒猫は厭いはしなかった。

「黒猫が目の前を横切るのが不吉で、近寄って来るのは幸運なのよ。覚えておきなさい」

 ユウが巧の勘違いを訂正すると、そのわん娘は尊敬の眼差しを輝かせた。

 そうしてる間に、黒猫はユウの膝小僧に前足を当てて来る。

 どうやら、膝の上に乗せろと催促しているようだ。

「ん。なつこい子。飼い猫……じゃなさそうね、首輪ないし」

「人も来なさそうですよね」

 ユウが、黒猫の腋に手を差し込んで膝に上げると、巧も手を伸ばして黒猫の背中を撫でる。

 黒猫は、ユウの腹へ顔を擦り付けて、甘えていた。

「かわいい……いやされる……」

「かわいいですねぇ」

[にゃんこポジションの危機か]

[ほらほら、かしこさんも愛嬌を振りまくのですよ]

[遥ちゃんの愛を取り返すんだ]

 余計なお世話なコメントが並ぶが、一切無視する。

 私は別に愛玩動物として甘んじる気はない。管理AIとしてユウを見守るのが、私の役目だ。

 ましてや、今ユウの膝の上にいるのは、あの《魔女》と同系統の厄介事だ。

 黒猫が、その艶やかな毛並みにうっとりとしているユウの顔に向けて、首を伸ばした。

「えっ?」

 ユウも流石に驚き、顔を引いて黒猫の鼻先から離れる。

 しかし、黒猫はユウの胸に前足を掛けて背を伸ばし、ユウの唇に鼻を当てた。

「あー!?」

 叫んだのは、目を丸くしているユウではなく、彼女を慕うわん娘の方だ。

 そこまでの衝撃かと思うが、猫にも取られたくないのか。

「二条、相手は猫だから……」

 そう窘めるユウも、頬が上気している。

[遥ちゃん、バイどころの話ではないな]

[異種族恋愛、くっ、まだその境地には至れてない……]

[至るな、踏み止まれ]

 そうして、誰もが黒猫の悪戯に気を取られた隙に。

 しゅるりと。

 ユウの髪を三つ網に結っていた〈飾り紐〉が黒猫に咥えられて、解かれた。

 さらりと、黒髪が重力に従って垂れて、〈森想森理のローブ〉のフードに抱えられた。

「あっ、こら」

 ユウが紐の端を掴まえるよりも速く、黒猫は軽やかな身の熟しでユウの膝から降りて林に逃げ込んだ。

「こ、こらー!?」

 考えるより先に、ユウは黒猫を追い掛け。

「ま、待ってください、店主様ー!?」

 そのユウの後を巧が慌てて追い縋る。

 林の中で追い駆けっこが始まった。

 黒猫は小さな体を木の幹に隠し、葉に隠し、蔭に隠し、ユウの目の前から何度も消えた。

「店主様、今度はあっちです」

「ありがと」

 そしてその度に、黒猫の匂いを覚えた巧が居場所を探り当てる。

 奇妙なのは、時折ではあるが、巧が黒猫が走っていた方向と真逆の方向を指差す事だ。

 単純な素早さとか見付け難さでは、到底説明出来ない。

[あのクロネコ、瞬間移動してね?]

[解析くんは、いないか。まだ夕方だしなぁ]

[タダネコではなさそうな]

[でも、にゃんこ追いかける遥ちゃんとタクミンかわいい]

[↑わかる]

[癒される]

 相も変わらず画面の向こうは他人事だから呑気なものだ。

 何時しか二人は林の奥へ連れて来られて、木々は密になり、腐葉土を落ちた団栗が叩く。

「ん?」

 ユウがその奇妙さに気付き、足を止めた。

 黒猫はまた姿を消して、気配もない。

「店主様? どうされました?」

「はふみしか」

「え?」

 ぼんやりと呟くユウに、巧は目を丸くして首を傾げた。

 巧のふわふわとした尾が、所在なく左右に振れる。

 ユウは木々の梢を見上げた。綺麗に色付き、黄に、紅に、朽葉緑に、老い緑に、綾めく天井が其処にある。

「季節がおかしい。わたしたち、妖されてる?」

 団栗の落下、疎らに降る枯葉。湿気に溶けて濡れた土が薫る。風は冷たく、凩が枝の紅葉を拐って弄ぶ。

 つい先程までいた眞森より、平原より、そして林より、この森は秋が深まっている。

 ユウが〈魔女の瞳〉を氷銀ひぎんに煌めかせる。

「あやっ?」

「はふ……」

「あ、母様だ」

 木の枝に腰掛けた風虫の肩にちょこんとおかっぱの未言未子が、腕の中に三つ編みの未言未子が乗っている。

 風虫は三つ編みの未言未子を重そうに抱え直して、空いた左手を此方に振って来る。

「風虫さん……もしかして、妖す姉妹ですか?」

 巧が、与えられた情報から予測を組み立てる。

 妖す姉妹とは、ある共通点を持った未言達の事で、ユウはそのような関係を持つ未言を良く姉妹だと称しているのだ。

「妖されてばっかりって言うのも、おもしろくないからね。こっちも妖し返してやりましょう」

 ユウは不敵に笑う。そして、三つ編みの未言未子に人差し指を向けた。

[妖すさんと葉踏み鹿さんかぁ]

 未言未子鑑定士のコメントに、《Collective Intelligence:Audience》が反応する。

 光の繭に包まれて、それを破り、風虫の未言巫女に顔立ちがそっくりな二人の未言未子に換わる。

 妖すはおかっぱ頭に座敷童子を連想させるおべべを着ていて、葉踏み鹿は三つ編みを背中に下げて柔らかそうな鹿革のコートを羽織っている。

[妖すって、未言か? 普通に使わね?]

「店主様は、名詞であやかしとは言うけれど、動詞の妖すは言葉として使われて来なかったと仰ってました」

[品詞の変換だね。造語の基本らしいよ]

[そうなのか]

[お、解析っち、やっと来たのか]

[ところで、鹿? 人だよな、あれ]

[葉踏み鹿の未言巫女は始めて見るなぁ、どうなるんだろ?]

 視聴者のコメントがざわつく中で、ユウは静かに息を吸い、想いを繰る。

 耳澄ませ、葉踏み鹿が足音を鳴らす朽ち葉から、言葉を汲み出していく。

 かさり、かさりと、葉踏み鹿の足音は近付いたと思えば遠ざかる。さながら、森に踏み込んだ客人まれひとを窺う木霊のように。

《ひとよらぬもりのおくにてたちとまる

 わたしをおひて

 たれ葉踏みしか》

 葉を踏んで近付いて来るのは、誰。

 姿を見せない森の化身は臆病で。

 それでも好奇心に駆られて人の後を追う。

 それを今度は、人の方が怪しがり、畏怖と込めて語るのだ。

 それが妖の成り立ち。

〔〈アート・プレイ・タイプ:未言〉が31レベルになりました〕

〔〈アート・プレイ・タイプ:短歌〉が21レベルになりました〕

〔〈アート・プレイ・タイプ:詩語〉が10レベルになりました〕

〔〈アート・プレイ・タイプ:命名〉が4レベルになりました〕

〔〈アート・プレイ・タイプ:妖怪伝承〉を1レベルで取得しました〕

〔《ブレス:葉踏み鹿》を取得しました〕

 葉踏み鹿の正体とは、朽ち深く香る秋の極みに、落ち葉が敷かれた地面を鳴らす団栗の落果や木々の落葉だ。

 かさり、かさりと人や鹿の足音のように、気配を漂わせる。

 乾いた朽ち葉の旋律を、ユウは瞼を閉じて聞き入っていた。

 巧は、忙しなく、葉踏み鹿が朽ち葉を踏み鳴らす度に、その方へ顔を向けている。

 そのまま、二分程が過ぎる。

[なんだ、黒猫捕まえるのは、諦めたのか?]

[んなわけねぇよ。ラスボスだぞ]

[遥ちゃんは、無意味に《未言》を発動させないんじゃないかな?]

[【不穏な静寂】だけども、画面に変化がないから、どうにもわからんな【実際どっちだ?】]

 コメントに推測が種々並ぶのも一顧だにせず、ユウは唯々心を落ち着けていた。秋の木漏れ日が穏やかであるように。

 しかして。

 突如、森の大気と大地を揺らした振動が、静寂を踏み潰した。

「きた」

「なっ、なんですか、今の音!?」

[なんだなんだ]

[爆発か!?]

[ほらー、やっぱり何かしてたんだよー]

[やべーな、ラスボス。格が違うわ]

 周囲が騒ぎ立てる中、ユウは唇の端を持ち上げて走り出した。

 巧も置いて行かれまいとその後に追い縋る。

 それはすぐに見えてきた。

 一頭の雌鹿が踏み降ろした前足の間に、黒猫が仰向けに気絶している。

[鹿っ!?]

[どっから出てきた!?]

 ユウは、駆けて来た歩調を緩やかに弛めて、その鹿に寄り添い、首を抱くように撫でる。

「いい子ね、葉踏み鹿」

「母様ぁ、ちゃんとできましたぁ」

 おっとりとした声で、葉踏み鹿の未言巫女、その化身が産みの親に首を擦り付けて甘え出した。

[未言巫女!?]

[動物型もいるのか、未言巫女……ん?でもさっき人だったよな?]

 その疑問は尤もであり、答えは至極単純だ。

 この葉踏み鹿の姿は、《未言幻創》の効果であり、《葉踏み鹿》の効果でもある。

 《葉踏み鹿》とは、葉踏み鹿を半径一キロメートル内に発生させて、ある回数を越えてその音に注意を払わなかった対象に対して、鹿の姿を持った葉踏み鹿が踏み付けの衝撃を与える《ブレス》なのだ。

 回りくどい代わりに、未言を元にする《ブレス》にしては珍しく、敵に直接ダメージを与えられる。

 森中の大気と大地を揺らした衝撃の震源地にいて、無事でいられる者等いない。

 ユウは葉踏み鹿を巧に預け、黒猫の口から溢れた〈飾り紐〉を拾い、左手首に結んだ。

「さぁて。妖される楽しさも味わったかしら、このいたずらっ子は」

 ユウが勝ち誇った表情で黒猫を見下ろす。

[遥ちゃんが悪い子の顔してるー]

[魔女の恋人には逆らうな、か]

[ラスボス様、さすがです]

「紡岐さんはいい子ですよ!?」

 視聴者の率直な感想に対して、ユウは心外だと叫んだ。

 いや、明らかに報復が過剰だろう、これは。

「化かし合いは、勝ったと思うた時に負けるでありんすよ」

「えっ?」

 気を抜いていたユウに、しっとりとした花魁言葉が纏わり付いた。

〔《ブレス:《ブレ《ぶれす・《ブレス:未言言衒《とげん》》》が《化け猫双緒太夫》から与えられました〕

〔【種族】が【化け猫】に変更されました〕

 バグって乱れて何重にもエコーしたシステムメニューが流れた。

 それから、すとん、とユウの衣服が支えを失って地面に落ちて山になる。

「店主様!?」

 巧が悲痛な声を上げるのを見て、ゆったりと起き上がった《化け猫》は艶然と笑う。

 それは最早、黒猫とは呼べない。髪は艶やかに黒く、しゃらりと銀細工の簪を鳴らし、首より上は白粉が厚い。それなのに、華美な浴衣の襟刳りを大きく抜いた首ははっきりと境界を分けて、健康的にほんのりと赤らんだ肌を見せる。

 黒髪の間からは当たり前のように猫らしい三角形をした耳が生えて、浴衣の帯の隙間からは二本の長い尾がゆらゆらと遊んでいる。

 《化け猫》のアーキタイプは、魔女の恋人に妖されて尚、化かし返して、その楽しさに悦に入っている。

 どいつもこいつも、システムを破綻させおってからに。

 管理者の苦労を知れと睨み付けてやったが、相手は細い瞳を自慢気にすぼめるだけだった。

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