初心者講習

 そうして、ユウは巧を連れて眞森の外の平原に出た。平原と言っても、其処此処に林が散在していて、野原や平地と呼んだ方がしっくり来るかもしれない。

 ユウは改めて、巧の姿を見た。

 もふっとボリュームのある癖毛から秋田犬みたいな耳を立て、野暮ったい眼鏡を掛けている。

 服装は、初期のユウと同じ〈麻の服〉と〈綿のスカート〉の組み合わせで、スカートの合わせ目がお尻に作られており、其処から此れまた毛並みがたっぷりとした尾が出ていた。

 その尻尾が、ユウに見られているのに喜んでぶんぶんと振れている。

 武器の類いは見当たらない。

「ねぇ、二条。あなた、眼鏡以外のもの自分で選んでないでしょ」

「はい! よくわかんなくて、選んでもらいました! あ、ウサギ耳のお姉さまがぼくの担当さんでした!」

 あのウサギ、アヴァター管理担当なのに手を抜いたのか。

 まぁ、既に仕事が発生しているようだから、忙しいのは分かるが。

「あなた、なにができる?」

「うにゅ? 小説を書く……?」

「そうじゃなくてだな」

 まるで分かってなくて見当違いな返事をする巧を前にして、ユウは痛むこめかみに人差し指を当てた。

 涼やかな秋風に乗って、長閑な小鳥の歌が流れてきて、巧はきょろきょろと声の主を探し始めた。

 しかし、感覚の鋭い犬の〈化生〉なのに、見付けられずにしょんぼりと頭を垂らす。

 これは期待出来そうもないな。

「〈スキル〉はなに持ってるの?」

「すきる? ええと、待ってください」

 巧はもたもたとシステムメニューを呼び出して、自身の〈スキル〉を確認した。

「二つあります。一つは、〈変化〉、犬になったりできるらしいです」

「それ使ったら全力でぶっ飛ばすからね」

「ひぃぃぃいいい!?」

 地を這うように声を低くしてユウが巧を脅す。

 巧は耳をぺたんと倒し、頭を抱えて怯え切っている。

「妹分を脅すな」

「犬はこわいのよっ」

 ユウもユウで、この事に関しては全く余裕がない。

 涙目で訴えられても困る。

「それで、もう一つはどんな〈スキル〉だ」

 もう進まない話を代わりに繋ぐのにも慣れてしまった。良くない傾向だが、如何ともし難い。

「えっと、〈犬の嗅覚〉っていって嗅覚がよくなりました!」

「……斥候でもさせるかぁ」

 確かに直接戦闘力が皆無で〈スキル〉がその二つなら、敵を事前に察知したり、捜し物を見付けたりという方向性で伸ばして行くのが妥当だろう。

 ユウがまじまじと巧を見ていると、巧は丸々ときょとんとした瞳で見返して来る。

「お手」

「わん」

 ユウが掌を見せると、巧は即座に右手を乗せた。

「よしよし」

「にゃ~ん♪」

 ユウがわしわしと頭を撫でると、巧は嬉しそうに猫撫声で返す。

「二条、あなたはわん娘よ。犬はにゃあなんて鳴かないのよ」

「にゃぅん?」

 だめなのですか、とくりくりした目がユウに訴えられる。

「うっ」

 ユウは胸を詰まらせて、わん娘の体をぎゅっと抱き締めた。

[遥ちゃんが珍しく主導権握ってるかと思いきや、そうでもない様子]

[にじょつむ、よい]

[なんかこう、魔女との逢瀬知ってるからほっとしてしまうわ]

[やばいな。毒されてるな、おれら]

[だが、尊い]

[同意]

 ユウの腕に納まった巧が、不意にすんすんと鼻を鳴らした。

 もぞもぞと、ユウの拘束から顔を出し、その匂いがする方角を見る。

「店主様、なんか変な匂いが近付いて来ます」

「ん?」

 ユウは巧を解放して、〈魔女の瞳〉を透き通る柘榴の朱に染める。

 視線の先で、HPとMPとTPの三本バーが表示される。

「フルール。これは〈チビット〉かな」

 ここ数日、セムの乱獲に付き合わされて、すっかりお馴染みとなり、HPの量だけで判断出来るようになった雑魚キャラの匂いを、巧は察したらしい。

 〈チビット〉は初期レベルのプレイヤーでも危なげなく相手に出来るから、丁度良さそうだ。

 練り切りの兎に似た生成り色の姿が、ぴょこん、ぴょこん、と跳ねて近付いて来る。

「うん。よし、いけ、二条!」

「はいっ!」

 平成に流行ったモンスター育成ゲームの、アニメ作品に出て来る主人公のようにユウが〈チビット〉を指差した。

 巧も勢い良く返事をして飛び出したのだが。

 自分の足位の大きさしかない〈チビット〉の目の前にまで近付いたところで、ぴたりと動きを止めて、ユウに縋るような視線を向けて来た。

「て、店主様ぁ、どうすればいいんですかぁ……?」

「え。殴ったり蹴ったりすれば?」

「そんな、かわいそうですよぅ」

 攻撃された訳でもないのに、涙声で訴えて来るわん娘に、ユウは遂に額に手を当てて頭を抱えた。

 〈チビット〉は円らな瞳で、数秒だけ巧を見詰める。

 そして、巧の足を避けて、またぴょこん、と跳ねて移動を始めた。

「え、フルールってプレイヤー見たら攻撃してくるんじゃないの?」

「いや、圧倒的に戦闘力の開きがあってプレイヤー側が弱いと判断すると、一般的なフルールは素通りするようにプログラムされている」

 事故や災害で高レベル地域に飛ばされた場合に、フルールに取り囲まれて一気にレベルダウンしてしまうのを防ぐ為の仕様だ。まぁ、一部に例外なフルールやエリアはあるけども。

「あのわん娘、〈チビット〉にすら格下認定されたんかい」

 ユウも流石に呆れ果てていた。

 ステータス云々と言うより、敵意が無さ過ぎたのが直接的な要因だろうが。

 ぴょこん、ぴょこん、と〈チビット〉はユウの足元まで跳ねて来た。

 ユウはそれをちらりと見下ろし。

 足蹴にして転がした。

 ぽてっ、と〈チビット〉の体が地面をバウンドする。

「あぁっ!? 店主様、ひどいですよっ」

 巧が無惨にボールとなった〈チビット〉に駆け寄り、懐き抱える。

 きっ、と巧がユウへ批難の視線を向けると、ユウは嫌そうに片眉を下げた。

「かわいそうに。店主様、この子、連れて帰っていいですか?」

「だめ。自然に返しなさい」

「そんなっ」

「家に連れて来るなら、殺して食べるよ」

「うっ……」

 なんだこの歪み切った母子家庭みたいなシチュエーションは。

 ユウに素気無く、飼育を却下された巧は、肩を揺らしながら〈チビット〉を地面に降ろした。

「ごめん、きみが生きていくには、ぼくと一緒には入れないんですよぅ」

「なにこれ、なんでわたしが悪者扱いなのっ!?」

 納得がいかないとユウが吠えるのを余所に、巧は〈チビット〉と誠心誠意言葉を交わして、別れを済ませた。

 林の中へ、一跳ねする度に振り返り躊躇う〈チビット〉に対して、巧はずっと手を振り続けた。

 このわん娘、このゲームに馴染めるのだろうか。

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