魔女のお着替え

 偵察を終えた後、ユウ達は翌日の、現実での午前、此方での夜まで各自の作業をして、アーキタイプの攻略に備えた。

 日曜日であるこの日を逃すと、纏まったログイン時間を確保するのが難しい人間もいるからだ。具体的には、キャロと悠である。

 引き隠りから矯正中の人見知りと、ゲームを仕事にする事に成功した運ゲーの申し子は、平日でも長時間ログイン宣言を堂々としてくれやがった。もっと現実の健康に気を使わんか。

 キャロの付き添いの下、悠はレベル上げと素材集めを、セムは集まった素材からルーキー二人の装備を作成し不足を『バベルの塔』で採集している。

 そしてユウの役目は、パーティに必要なポーション類を作る事だった。

 昨日の焼き直しになる為に動画配信こそしなかったが、現実で培った手際とゲームで得たステータス補正により、ユウは十分な量のアイテムの作成をこなし、ついでに【アート・プレイ・タイプ】のレベルも上昇させていた。

 準備も万端に、ユウはアーキタイプ《丸呑み》カーパックが納める森の側にあった小屋で、他の者を待っていた。

 時折、ユウが欠伸で大口を開き、緩やかに瞼を落とし、眠りに浸る前に私が尾でユウの頬を叩く。

 全く、世話の焼ける。

「かしこ、いい子は夜に寝るんだよ?」

「魔女の時点でキミは悪い子だ」

「がーんっ」

 抗議を一蹴されて、ユウは態々声で落胆を表現する。表情が余り大きく変わらないたちのせいか、変な癖が付いているようだ。

 どうにか、ユウが本気で寝こける前に、セムがやって来た。

「よーす。まだつむむだけか。ほれ」

 セムは挨拶から流れるように状況を確認して、ユウに畳まれた衣装を渡して来た。

 上下二つの其れを、ユウは早速広げて確かめる。

 上は白の眩しいブラウスで、襟回りに沫とせせらぎがデザインされた刺繍で飾られている。

 下は緋袴、飾り気もなく色がもっと落ち着いていれば剣道着としても使えそうだ。

「おー」

 ユウが感嘆している。それにしても、洋装と和装の組み合わせとは、大正の書生でも手本にしたのか。

「つむーにわざわざ新しい服デザインするのめんどいから、キャロさんのブラウスと悠さんの袴を弄って作ってやったぞ」

「わーい、ありがと!」

 ユウ、そこは喜色満面になるところではない。

 歯に衣を着せずに手抜きをしたと言われているんだぞ。

 しかし、私がその事を指摘するよりも早く、ユウは着替えの為に小屋に入って行ってしまった。

 私は溜息と共に蟠る気持ちを吐き出して、ユウの後を追う。

 ユウは小屋の戸をぴったりと閉めてから、窓からも扉からも一番遠くなる位置取りをした。

 まず〈森想森理のローブ〉の袖から腕を引き抜き、一度マントのように肩だけで羽織ったのを、右手を逆側の腰へ向けて伸ばして一息に引いて、脱いだ。

 そのままくるくると丸めて、きちんと畳まずに【ストレージ】へと放り込む。

「きちんと畳め。服が皺になる」

「かしこ、お母さんと同じこと言うのね」

 ユウは嫌そうに眉を寄せて、私の言葉に従わずに上半身に着た〈麻の服〉を頭からくぐって脱いだ。

 首も、肩も、腕も、それから胸も腹も、全てが細く肉付きの薄い上半身が、ブラジャーの範囲だけ隠されて晒け出される。

 夜になって冷え込んでいるから、ユウは素肌を空気に触れさせるのを厭い、すぐにセムから受け取った純白のブラウスに袖を通す。少し厚手の生地で、木綿に似た肌触りが暖かみを持っている。

 実際の素材は、木綿よりも遥かに耐久性に優れた『峰雲みねぐも』という樹木から取れた綿花だ。一定以上の高さにある山の峰近くに自生し、雲のようにたっぷりとした綿を枝に実らせる此れは、山岳を越える体力を持ったベータテスター達には割りの良い素材と評判だ。

 ユウが袖の釦を締めながら折り目を正し、襟に指を差し込んでゆとりを作る。袖口も襟元も肌に触れない位に緩いのが好みらしい。

 続いて裾が出て隠された〈綿のスカート〉のウェストに手を差し込んだ。内側に隠された絞りのリボン帯をほどき、スカートを地面に落とす。此処ばかり肉付きの良い太股が露になり、暗がりの中でも外からの明かりで白く浮かび上がる。

 〈綿のスカート〉を小さな足に引っ掻けて持ち上げ、滑らせて落とす動作で【ストレージ】に放り込む。

「だから、畳めと言うに」

「んぅ? んー」

 ユウは生返事しかしない。こやつ、細かな口出しをあしらうのに慣れ過ぎている。

 ユウは迷いなく袴の前を手に取り、ブラウスの裾を入れながら、腰の上、下腹部に当てて前帯を背中に回して結んだ。

 次いで、袴の後ろを前帯の上に乗せて位置取りをし、今度は前に回して結ぶ。此方は正面から見えるから、蝶々結びの形も整える。蝶々の羽は小さく控え目に、余り帯は長く垂らして右足に沿って流れる。

「ど?」

「まぁ、似合うんじゃないか」

「えへへ」

 ユウは最後にブラウスに巻き込まれて隠れた後ろ髪を手で扱きながら取り出し、三つ編みにして垂らす。

 毛先を〈飾り紐〉で結い、余りを三つ編みにした黒髪に絡めて根元で締める。

 これで、渡された衣装への着替えは終わりだ。

 その上に、体全体を覆い隠す大きさの〈森想森理のローブ〉を羽織るから、受ける印象は中に着ている物が変わってもそのままだ。はだけた合わせ目は広く、前から見れば着替えた甲斐はあると言ったところか。

 ユウは自分の姿を見下ろして、変な所がない事を確認してから表へ出る。

 外へ出ると、キャロと悠が既にログインしていて、セムと一緒に待っていた。擦れ違いになっていたらしい。

 そして悠も、ユウのものと色違いである鉄紺の袴に重ねて、川のせせらぎを表現した落ち着いた柄の帯をちらと見せ、梔子の絵がアクセントに入った羽織に袖を通し、袴を少し上げた足元は組み紐で飾られたブーツと、装備が一新されていた。

「あれ、悠さん、外で着替えたんです?」

「こんにちは、紡岐さん。ええ、外で装備変更をしましたよ?」

 お互いの台詞の食い違いに、ユウが首を傾け、悠が目を瞬かせている。

「え、見られながら着替えるの、恥ずかしくなかったです?」

「いえ、別に。すぐに済みましたし」

「えっ、悠さん、着物をそんなすぐ着替えられるなんてすごい」

「そんな、システムメニューのボタンを押さないといけないから、戦闘中とかは無理そうなので」

「……システムメニュー?」

 悠の出した単語がユウの脳に引っ掛かり、言葉を止めさせた。

 数拍の間を置いて。

「あああああっ!? わざわざ脱いで着替えなくても装備変更すればいいんじゃん!」

 ユウは今更、ゲームの装備変更仕様を思い出して絶叫した。

「いや、てっきり現実でできない着替えを楽しんでんだと思ったんだが……違ったんか?」

 気を利かせてユウを見送ったつもりだったセムが、胡乱気な視線をユウに向ける。

 当然だが、ゲーム慣れしていないユウにその発想がなかっただけだ。全くどうしようもない。

 悠も苦笑いを浮かべているし、キャロは何が楽しいのかにこにことしている。

「まぁ、着替えりゃ一緒だろ。ほれ、お前さんの靴」

「ねーやん、靴も作れるの……?」

 セムがユウに差し出したのは、若草色のシューズで、シンプルながらデザインがいい。

 ユウは其れをまじまじと見詰めている。

「リアルじゃ作れんけどな。ゲーム補正のおかげよ」

「ゲーム補正すげー」

 現実なら商品価値も有りそうな一足に、ユウはいそいそと履き替えた。

 爪先で地面を叩き、踵で踏み締める。

 感触は悪くないようだ。

「完璧っ!」

「そりゃよかった」

 跳ねるようにアピールするユウに、セムは欠伸を噛み殺して応える。

 さて、そろそろ配信を開始するかな。

「で、さっきからキャロさんの影に隠れてわたしを睨んできてるそれはなに?」

 ユウのその発言が、配信のスタートと重なった。

 その言葉の指している方を見れば、見覚えのあるシジミチョウの羽を背中に付けた生意気そうな掌サイズの少年が、キャロのスカートリボンに身を隠してユウに睨みを利かせている。

 もしかしなくても、あのシジミチョウが夜になって妖精の姿を現しているのか。

「あんな仕打ちをしておいて、なんでもあるか、このやろう」

 妖精は見た目通りの口調で、ユウに罵声を浴びせた。

 しかし、ユウは何を言っているのだろうと小首を倒すばかりで、むしろ関係ない悠の方が妖精の態度に青褪めている。

「あ、もしかして、滴合ふで尿を摂ったのを根に持ってる?」

「たりめーだ、ばかやろう! 体内に侵入されて吸われるの、すっげぇ気持ちわるかったわ!」

 ユウよ、それは悪気を欠片も持たずに発するような言葉ではない。

「おまいさんなぁ、ほんとに……」

「さいていですね」

「紡岐さん、さすがにそれは……」

 当の本人以外は、当たり前だが、ドン引いている。

「いや、調査だし?」

 そしてこの理系脳は、科学的な側面でやったのだから、完璧に割り切っていて、質が悪い。こやつ、検査と言われたら平然と自分の尿を差し出すタイプだからな。

「紡岐さん、謝りましょ」

「えぇー」

「えー、じゃないです。謝りましょ」

 口答えするユウに有無を言わせず、キャロが説得をする。

 釈然としてない――というか、理解が及んでない曖昧な雰囲気を醸し出して、ユウはぎこちなく頭を下げる。

「ごめん、なさい?」

「おい、このやろう、謝る気ねぇぞ」

「でも謝ってるので、これで完結してくれませんか」

「むぅ……まぁ、キャロがそう言うなら」

 流石はAUTのステータスが高いキャロだ。

 あんな出来の悪い謝罪で納得させるなんて、普通は出来ない。

[キャロさん、実は天使?]

[天使ってか、彼女こそ妖精だよな]

[なにいってんだ、女王は女王だぞ]

[はーい、洗脳されてる人は黙ってよーかー?]

 何はともあれ。

 お互いに腑に落ちないまでも、どうにか諍いは収まった。

「で、コイの腹ん中へダンジョンアタックか?」

「そーねー。あれ、プレイヤー相手だと攻撃してくるけど、プレイヤー以外の生き物があると食欲優先させるみたいだから」

 ユウが感触を思い出すように、手を握っては解く。〈魔女の手〉で掴んだアーキタイプの思考回路は、解析し尽くしている。

 そして、意味ありげにユウは妖精へ視線を向けて、他の三人もその視線を追って妖精に注目した。

「ん?」

 妖精だけが全員から見られて疑問符を浮かべる。

 妖精以外は、魔女の思い付きを把握していた。

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